• 締切済み

人は死ぬのか

人と動物の違いは、人は「自分はいずれ必ず死ぬ」ということを自覚していることだとよく言われますが、それ以前にまず、果たして「人は必ず死ぬ」のでしょうか? ただそれ以前までに生きてきた人々がたまたま「死」という不幸を被ってきただけのことかもしれません。自分がある未来に死ぬかどうかはその時になってみなければわかりませんよね?「人は必ず死ぬ」というのは過去の事実を観察して、未来を予想しているに過ぎないのでは?もしかしたらこの世で地球が生まれてから滅びるまで自分だけは死なない存在なのかもしれない。

みんなの回答

noname#111369
noname#111369
回答No.12

それは人によるでしょうね。 いつか死ぬと理解している人や、 死というモノ自体想い付かない人々もいますよね?。 おカネを使っても使っても増える人の中には老と死は縁がないモノと想って忘れている人も いるのでしょうね。 そう、人生の壁と云う壁が紙切れのように打ち破れた人には、暖簾に腕押しなら、 死すら考える暇がないかも知れないですね。 でも、人は本当に何時死ぬか判りません。 そう、横断歩道を渡ろうとして、歩道で待っていると信号無視などの車が突っ込んでくるかも知れない。 飛行機も、初めて乗った便が事故に遭って死ぬかも知れない。 旅行先でウイルスに感染して知らずに急に悪化して死ぬかも知れない。 遺伝子に異常があり知らずに突然死ぬかも知れない。 しかし、100年生きた人はいるけれども、 200年や300年生きたという人が何処にいるのか?。 もし、居るとしたら教えて欲しいモノですね。 1000年生きた人が居るかも知れないと言われるかも知れない。 じゃ、1000年間生きた訳で死んだ事実がある訳ですからね。 やっぱり死んだのです。 死なない人が居れば生まれた時から一度も死を向かえていない事になる、で、今も生き続けることに成る。 しかし、安心してくださいね。 近い未来、人の革新があり死をも超越する人間が誕生するかも知れません。 そう、サイボーグ技術を使ってね。 既にSFの世界から現実の世界に成りつつあります。 脳さえ電子バーツ(VLSIなどそれを超える集積度かも)に置き換えられて 記憶さえ外部のコンピュータネットワークに載せられる日が・・・。 そうすれば、プログラムが生きているのか人間の生命が生きているのかが解らなく成るかも知れませんね。 「 ブレイン インターフェース 」や「 Brain-machine Interface 」 などをWeb検索すればビックリするかも。 ルパン三世 ルパンVS複製人間に出てくるマモーの巨大な脳みそは 蛋白質 アミノ酸 などの有機物ですが、 バビル2世のバベルの塔 や  劇場版マクロスの異星人?マイクローンのカルチャの産物の コンピュータですが、 銀河鉄道999の機械の体やコブラに出てくるクリスタルボーイなどは明らかに、 人間の精神を移植して魂を封じ込めたモノでしょう。 これらのモノがSFの世界から現実世界になるかも知れない。 ネットワークの中でプログラムとして生きていく事を願うならばそれも良いでしょう。 でも、いざ、壁が立ちはだかり惨めな暮らしをするかも知れない。 その事を考えれば1万年生きても100億年生きていても苦しみだけが増殖して、 有機物の一片のゼリーならば老衰で記憶を忘れられストレスが薄まるモノ。 記憶がハッキリしていれば、しかし、発狂もできないならば大変だね。 しかし、人間の体も魂の器の機能しか無いのかも知れないです。 何万回、何億回など途方もない生まれ変わりの回数を重ねて居るのかも知れない。 地球が誕生して生命のオアシスができただけで、地球が死んでも、 新たな星が生命のオアシスに成るかも知れない。 恒星は地獄に落ちた魂が徳を積む為に高温の成って惑星の生命を支えているのかも知れない。 宇宙誕生から宇宙の死まで続くのかも知れない。 そして、星間物質もエネルギーもチリも欠片も無く成って平衡状態に成れば、終わるのかも知れない。

  • HD28V
  • ベストアンサー率55% (25/45)
回答No.11

追記です。 >自分がある未来に死ぬかどうかはその時になって >みなければわかりませんよね? これについては死ぬときになっても解らないと思いま せんか?「あなた自身」と「あなたの死」が世界に同 時に存在することはできないので、死の1秒前であっ てもそれはあくまで「未来を予想しているに過ぎない」 ことになります。いわゆる一人称の死の問題で、ジャ ンケレヴィッチの本にそういうくだりがあったと思い ますよ。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%81
  • bodhi
  • ベストアンサー率35% (24/68)
回答No.10

どのように考えようと、それはあなたの自由ですが、 現実は、あなたの考えなど知ったこっちゃ無い、です。

回答No.9

聞きかじりですがー。 人間を含めて大概の生物の細胞は消耗して死んでいきます。 これを補う分が、新たに細胞分裂などで生み出されて補充され、 死んだ細胞の後を引き継ぎます。 ですから人間の外見は昨日も今日も同じでも、内部の細胞は 逐次交代していますので決して同じ状態ではないそうです。 そしてこの“細胞分裂”では当然のことながら“遺伝子”も コピーされて引継がれています。 実はこの“遺伝子”が分裂増殖する時、そのひも状の遺伝子の 両端にある“テロメア”と呼ばれる部分から分裂が開始される のだそうです。 “テロメア”は分裂する度に短くなります。原因は体内の活性 酸素などだろうと言われています。 つまり“テロメア”が遺伝子が分裂できない程に短くなれば、 新たな細胞が補充されず、生物は機能できずに“死”を迎える 事になります。 また、この“分裂”の時に遺伝子に変異が生じるのもあるとの 事で、これも細胞の機能を衰えさせる一因と考えられています。 これらから、大概の生物は生まれた時から既に“死ぬ事”が プログラムされているのだと思われます。

  • HD28V
  • ベストアンサー率55% (25/45)
回答No.8

死のうと思えば必ず死ぬことはできるような気 はしますよね。死にたくないのに死ななければ ならないのかというと、私の親類で、死にたく ないのに死ななければならなかった人がいたと しか言えません。 人からどう説明されても納得できることではな いような気がしますが、とりあえず養老猛さん が『自分は死なないと思っている人』みたいな 本を最近新書で出していたと思います。 ついでに言うとウラジミール・ジャンケレヴィ ッチの『死とはなにか』、ゲオルク・ジンメル の『生の哲学』とかそういう系統の本を読んで 自分で答えを得たつもりにならないと、人から 言われても嘘くさく感じられることのような気 がします。

回答No.7

 そういう,一般的な人と真逆の発想をする事,私は好きです。 誰もが信じて疑わない事を別の視点で捉える事ってとても大事だけど,なかなかできる事じゃないと思います。  少し意味合いが違いますが,コペルニクスも,「それでも地球は回っている」と言ったガリレオも変人扱いされましたが,結局はそれが正しかったんですからね。 また,「自分だけは死なない存在かもしれない」と思うことって,生きたいと思うことの裏返しのような気がして,それって人間本来の欲求だと思うので,おかしいことではないと思います。  それを唱えるからには誰もが納得するそれなりの根拠が必要だろうとは思います。でも,思いつきがなければ調べることもできませんからね。 どうせ死なないなら,老いずに死なないのがいいなぁ~(笑)。 でも,ただの思いつきで終ったのでは,誰も賛同はできないんだろうなと思います。それを否定するための資料の方が揃っていれば,やっぱり「人はいずれ必ず死ぬ」という考えは覆らないんでしょうね,残念ですが・・・。  とは言っても,例えば死なない人間がいたとします。でも,周りの人間が相変わらず死を迎えるのであれば,私もある程度になったら死んでもいいかなと思っています。 「グリーンマイル」を見て,ちょっとそんなことを思いました。

回答No.6

仕事してるんなら、仕事の事を考えたほういいよ。 学生なら、将来のためにしっかり勉強したほうがいいよ。

noname#25523
noname#25523
回答No.5

何を訳のわからないことを言ってるのですか? 貴方の言ってることは、頭の中だけのことです。 空想の世界では、何でも有りですが 目の前の世界を見なさい。 死ぬのは理屈ではありません。 現実です。 それと、人間と動物の違いは、笑えることです。 お間違いなく!

  • bouhan_kun
  • ベストアンサー率19% (1032/5208)
回答No.4

死と言う概念の問題ですかね。 精子や卵子が冷凍保存されれば、一応全てが消滅してはいない。 クローンや移植により他人に移った細胞が生きていても、同様。その人がさらに移植すれば、一部は生存し続けることにもなる。 魂の問題なら、輪廻転生があるのであれば、やはり完全なる消滅はありえないことになるし。

  • gonkun
  • ベストアンサー率31% (31/98)
回答No.3

>人は「自分はいずれ必ず死ぬ」 この理念は、当たっていると思います。人間は加齢と共に肉体は、老化していきます。当然、内臓や脳も機能が低下していきます。その為、ヒトはいずれ死すのは、論理に反してません。 >過去の事実を観察して、未来を予想しているに過ぎないのでは? 確かに論理的には、当たっているかもしれませんが、もっと先の話だと思います。今、再生医学と言うのが、あります。但しそれは遺伝学を考慮したり臓器移植したりして無理矢理生きると言う論理です。 >地球が生まれてから滅びるまで自分だけは死なない存在なのかもしれない。 それは、120%有りません。まず臓器の機能低下の進行を遅らせることが出来ない事、無理矢理生きていけば必ず、負荷が来ますし、体力的に無理ですよ。

関連するQ&A

  • UFOは未来の人々が開発した.。

    今回は空想の話題で... UFOは未来の人々が開発した「タイムマシン」と言う説があるそうですが、地球上では今の自分たちが時代の最先端を生きていると信じていたので、まだ存在しない未来があってその未来の人々が現代にタイムマシンで来るということが空想でもどうしてもわかりませんし、その未来の人々にたいしても未来の人々がいて....なんだか永遠に先に続いていて、凡人には考えれば考えるほどわかりません。”未来の人々”っていると思いますか?想像するのが楽しいのかもしれませんが。

  • 人を産み出すってそんなに素晴らしいことですか?

    親と暮らしていたとき、私はよく聞きました。 「なぜ私を産んだの?」 そう聞くと、いつも決まって「幸せになると思ったから」、「子供は可愛いから」、「人の子孫を繋げるという本能だから」という主観的な答えが帰ってきます。 私が子供の頃、親が作っていた家庭はいわゆる一般家庭で、衣食住に困ることはありませんでした。 私の周囲の方々は、それを子供を産む条件を満たしているように言います。 しかし、これからの時代、私は全くそうではないと思うのです。子供を育む環境、環境に対する親の知識、環境に対する親の補助、それら全てを把握して初めて人は未来に子孫を繋げると言えると思うのです。 もう、人の世界は従来の本能をもとに子孫をこの世に存在させてはいけないと思います。 この世に存在させられた人間は、様々な価値観によって比較されます。どこに価値観をおけるかでその人の苦しみの度合いがガラリと変わるのです。これを現実に照らし合わせることをせずに、「人も動物だから」とそこだけ都合良く、普段は軽蔑する「野生」を使うことは、未来の人類に対し無責任ではないでしょうか。 そういうことを世界中の人が把握して子供を産むべきです。 あくまで理想論ですが、そう思う方はいらっしゃいますか? また、このことについてご意見、違った見解を持つ方、理由を添えて回答よろしくおねがい致します。

  • 人一人の命は地球よりも重い、って?

    最近幼い子供を殺害した少年の学校の校長が、事件後こう言ったとか。(正確には「人の命は地球よりも重い」でしたっけ?) よく聞く言葉です。人命の大切さをたとえた言葉なんでしょう。 わたしは、この言葉にちょっと引っかかっているんです。 これ、もとは誰の言葉なんでしょうか。 そもそも、本当に「人一人の命は地球より重い」なんて思っている人っているのでしょうか。 もちろん人の生命の尊さは言うまでもありません。自分がこの世からいなくなったり、家族や愛する人の死がどれほど重大なことかもよく知っているつもりです。 それでも、「地球より重い」なんてホントに思いますか? 全人類の命、じゃなく、ただ一人の命ですよ? じゃあ、どこかの誰かが死なないためなら、地球一個差し出してもいいの?なんて。 これが偽善的な言葉に聞こえてしまうわたしは、冗談でなくまじめに考えています。

  • 「人生に逃げ場無し」と考えるようになりました。 

    「人生に逃げ場無し」と考えるようになりました。  こちらの動画にも悩みを書きました → http://www.nicovideo.jp/watch/sm12507361 人は、死について悩みます。「ただ生まれて生きて死ぬだけが人生なのか?」と。 そこから逃げる為に、 人は、「幸不幸」、「善悪」、「生まれ変わり」、「あの世」、「未来」 といったモノを信じたがるのでは? しかし、そのどれも信じられない僕は、「ただ生まれて生きて死ぬだけが人生だ」と考えてます。 加えて、「どんな人生を生きても大差ない」とも考えます。 なぜなら、この世界には否応無く、苦楽のバランス、禍福の相殺といったモノが 働いていると考えているからです 例えば、 「生まれてすぐに死んでしまった赤ん坊は、生きていたら得られたであろう喜びを逃したが、 生きていたら与えられたであろう苦しみから逃れた」 といった具合に。 また、光が強いほど、影が強くなるように、不幸が濃いほど、幸福も濃くなる。といったように。 「生まれ変わり」や「あの世」といったものも、全否定するつもりではありません。 しかしあくまで「存在するかもしれない」程度の認識です。懐疑を捨てきれない。 上のURLの動画にも書きましたが、禅僧や、幼児のように、「今」にだけ集中し、 言葉も概念も介在しない「空」に生きられたら良いのですが、自分がそうなれるとは到底思えません。 死体にでもならない限り。 また、「自分」より長く存在できる「他人」や「国」や「人類」の未来に頼る事も出来ません。 なぜなら、この世の全ては、人一人の命と同じように、永遠では無いはずだからです。 人類も、宇宙でさえも、いつかは滅びます。ちょっと、長いか短いかの違いでしかない。 それらの「死」が、何かの「生」に繋がってる事も想像できますが、逆に想像出来てしまうからこそ、 「他人」やら「国」や「人類」の未来に頼れないのです。すべては壮大なスケールであるがまま。 これらの事を認識して、すごく空しい気分になるのですが、同時にすごく安心も出来る自分がいます。 「じゃあ何を相談したいんだ」という話ですが、 死に悩んでる人間も、この世の無常に悩む人間も、たくさん見てきましたが、 「生きて死ぬだけが人生で、どんな人生を生きても大差ない」という事に悩む人間は、 僕は見た事がありません。 悩むといっても、もはや受け入れる他には無いのですが。空しい。 大体の人は、その前の段階で、何かを「信じる」事により悩まないでいられるように見えます。 そういう人達は、それで別に良いのですが。 ブッダでさえ、「どんな人生も大差ない」という事についての悩みを表面に出してはいないと思います。 要するに、同じ「悩み」を持つ人間が欲しいのです。寂しいから。それが僕の「悩み」です。 本でも何でもいいから、あったら紹介してほしいのです。

  • 神を信じる人へ、あなたは神に何を祈るのですか?

    私は基本的に神を信じていませんので神に祈ることはありません。 ですがこの世には神という存在を信じている人も多数いることは事実です。 それでは神という存在は貴方にとってどんな存在ですか? そして神に何を祈るのですか?

  • 消滅したい・・・

    当方、高校生♂です。 数年前から、「消えたい」という願望を持っています。 「死にたい」ではなく「消えたい」です。 人間は自殺をすることができる唯一の生物ですが、動物である以上、通常の精神状態では自殺なんてできません。消えたいなら死ねばいいわけですが、死ぬ勇気があるとかないとか以前に生物である以上、自分からは死ねません。でも、この世界から消えるには死ぬしかありません。自殺をするつもりはありませんが、この世界から消滅したいです。元からいなかったかのように自分という存在を消し去りたいです。 なぜ、「消えたい」か。それは、この世界にいても意味がない、いや、それどころか、この宇宙と全ての物質に対して存在意義が見出せないから。 人間はいつかは死ぬ。死ぬために生まれてくるなんて意味が無さすぎる。人間は高度な感情があるからまだいいとして、そこらの虫はなんのために生きてるのか?種の保存以外に他ならない。じゃあ、種を保存して何の意味があるのか?なんの意味もない。地球が永遠に存在するならばまだしも、いつかは星としての命を終える地球に種を保存したって無駄でしかない。1個体は死によって滅び、種は地球とともに滅ぶ。どうせ消えてなくなるなら、最初からいなくたって同じこと。地球には生命がいるが、それは地球が生命をはぐぐめる位置にできたからであるが、生命の存在意義は肯定するとしても、もし地球が生命のいない星だったとしたらどうだろうか。宇宙にはただ石が浮かんでるだけの何の価値もない世界。あってもなくても同じ世界。 つまり、「永遠」というものがない以上、すべての物質に存在意義はないと思うわけです。つまり自分という存在も意味をなさないので消えたいわけです。みなさんは生きていて楽しいですか?楽しいと思う人もいるでしょうが、誰しも辛い経験はしたことがあるはずです。辛いことの方が、楽しいことよりも多い人もたくさんいるはず。私はこう考えます。「生まれることは不幸である」と。生まれた瞬間から拷問が始まるのです。自殺とは解放です。自殺できた人は幸運です。それができない人は死ぬまで、無益な拷問に苦しめられるのです。たとえ自分が金正日だとして、国は思いのままに動かせて、毎日喜び組に囲まれた夜を過ごせたとしても、これは不幸ですね。人によって不幸の度合が違うだけです。 最近、うちの親が「やってもらって当たり前と思うな」と言うのですが、ものすごく腹が立ちます。正直言って、「やってくれて当たり前」ですよ。世話しないなら生まないでほしいです。迷惑です。生まれてきただけでものすごく不幸なのに、「人並みの世話もしてくれない家庭」で生きるなんて不幸中の不幸。不幸の度合が低い人は、自分が不幸であること、生まれたこと自体不幸であることに気付きにくいものですが、不幸しかない自分にとってはまさに生きることは無益。両親は仲が悪い、家は貧乏なのになぜか私立にいかされ、しかも学校はつまらない。早く大人になって解放されたいけど、まだ大学生という最後の難関があって、大学生活を現状維持のまま過ごせればいいのですが、いつ親が離婚するかもわからない、そもそも大学の学費は払えるのか?弟も私立の高校いってるのに。このご時世で高卒とか、大学中退というレッテルで一生を過ごさなければいけないなら、もうやってられない。 小さい頃から両親は仲が悪く、母親がうつ病ですぐヒステリーを起こし、小さい頃の家庭環境が心の発達に影響するのは当然なわけで、こういう負の思想を持つ人間になったのもすべて親のせいと言いたいけど、もはやそうは思わない。だって生まれることは不幸だから。たまたま自分は不幸の度合が平均より大きかっただけ。 要するに、わざわざ生まれてきて不幸な人生歩んで結局死ぬんだったら、消えてもいいんじゃないかってことです。 この人生観は異常でしょうか?ほかにいい人生観があれば是非聞きたいです。それが自分の中で合理的であれば、考えを変えるかもしれません。だって、この人生観、実に合理的だとは思うのですが、すごく悲しいですから。 追伸: 「生まれる=不幸」という思想を編み出し、すべてを悟った気がしたのですが、最近気づいたことがあります。それは「愛」です。 全人類への愛とかキリスト教的な愛ではありません。自分にとって「大切な人」への「愛」です。これって全てがどうでもよくなる力があるんじゃないかって。その人さえいればなんだっていいという。このことを発見したとき、なんかものすごく感動しましたね。

  • 人はどうして・・・

    人はどうして自分が死にたいと考えている状態でも人には生きていてほしいと願ってしまうのでしょうか? その人にこの世で幸せに生きていてほしいと思ってしまうのでしょうか? 死んでこの世から逃げだしたい気分なら、 そんな辛い世にいて同じように死にたいとか 死にかけている人を見て 「これで楽になれるね、よかったね」って祝福してあげてもいいはずなのに。 どうして頑張って、少しでも生きてほしいと願ってしまうのでしょうか? 知識不足・人生経験不足なのか考えてもしっくりくる答えが浮かびません。 よろしくお願いいたします。

  • 他人の死に一切興味がない人ってどういう事なんですか

    著名人含め、報道されている死に「他人のことだから」と言い切る人って、どういう心境なんでしょうか? そういう人物は、現在進行系の人間の死だけではなく、歴史上の人物や絵画、作家、この世に存在するすべての故人の死に対してひとつの記号でしか見れず、「死んだから何?」という感じだそうです。 著名人の死に興味を持たない自分をかっこいいと思っている以外だとすると 共感性が低い病気なのか、自らに起こっていない出来事を理解・分析・噛み砕いて自分の知識にしようとする能力に欠如しているかだと思いますが 他に何か考えられますか? 当然、当人の感情や事情はわかりませんが予想憶測することで、自分の人生の価値観や学びに繋がると思います。 ドキュメンタリー、映画、ノンフィクション、絵画、歴史それらを楽しむには感情が必要だと思っているのですが、感情なくして面白く見れるものなんですか?

  • 「人の道」- 我々の宗教

        人類が神を語り始めた頃から、また天国、地獄を語り始めた頃からこの地球上に諸悪が生まれました. 人類が歩んできたあらゆる歴史を通して明らかなことは、神を語ること、天国、地獄を語ることは常に人々を不幸へと導いてきたという事です. この事に気づかない限り、人の世に未来はありません. このような歴史的過程を歩んできた諸々の宗教が如何なるものであったかまた現に如何なるものであるか考えた末、最後に行きついたのが「人の道」- 我々の宗教です. 正しい道を歩むために、「人の道」- 我々の宗教は生まれました. 新たなステージを目指し、旅立たなければならない. 全宇宙的真理として、ここに「人の道」- 我々の宗教を宣言します. 「人の道」について考えたい方、ご意見ください.

  • 「人の道」- 我々の宗教

    人類が神を語り始めた頃から、また天国、地獄を語り始めた頃からこの地球上に諸悪が生まれました. 人類が歩んできたあらゆる歴史を通して明らかなことは、神を語ること、天国、地獄を語ることは常に人々を不幸へと導いてきたという事です. この事に気づかない限り、人の世に未来はありません. このような歴史的過程を歩んできた諸々の宗教が如何なるものであったかまた現に如何なる物であるか考えた末、最後に行きついたのが「人の道」- 我々の宗教です. 正しい道を歩むために、「人の道」- 我々の宗教は生まれました. 新たなステージを目指し、旅立たなければならない. 全宇宙的真理として、ここに「人の道」- 我々の宗教を宣言します. 「人の道」について考えたい方、ご意見ください.  

専門家に質問してみよう