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騎兵の撃ち方(左撃ちの思想は?)

騎兵の撃ち方(昔は弓、時代が下って鉄砲小銃)についてです。ふと考えてみたのですが、馬の頭に向かって左側の敵は対処できますが、右側の敵は馬を反転させないと対処できませんね(銃の場合は片手撃ちでもすればいいでしょうが弓はとても)そこで、昔の人は、左右両方で射撃できるような訓練をしようとは思わなかったのでしょうか。もちろん歩兵全員にそんな技術を付けさせるのは無駄でしょうから、専門の騎兵集団だけでもそうすべきではと思ったのです。そういう考え方と言うのはなかったのでしょうか。

noname#32495
noname#32495
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noname#24488
noname#24488
回答No.6

 日本には弓を左構え(右手で弓を持つ)で射つ、という考えそのものが欠如していたんではないか、という気がしています。  もちろん習いはじめのとき、右手で弓を持つ子供はいたでしょうが、すぐに親や先生から「弓はこう持つものじゃ。」と直されたんじゃないでしょうか。  今の弓道場で大勢並んで矢を放っている場面をよく見かけますが、ゴルフの打席のように体の正面が向かい合わせになったり、背中合わせになったところを見たことがありません。弓手という言葉があるように、弓は左手で持つようにと最初から教えられています。  左利きの割合はどの人種でも1割くらいらしいです。おそらくこの比率は昔も今も変わらないと思いますが、左利きの人が弓を右手で持つということはしなかった、させて貰えなかったという感じがします。  私は今まで刀を右の腰に差していた人や、弓を右手で持っていた人の絵や写真を見たことがありません。また刀や竹刀の持ち方も左構えの人を見たことがありません。(実際には居たのかも知れませんがほとんどゼロに近いでしょう。)  源平時代の大鎧も、左側の敵を射つように便利に出来ているらしいです。  弓術の場合、右利きの人が最初から左構えを習っていれば、問題なくできるでしょう。今の弓道で左利きの人が右構えでやっているのと同じように。  しかし、一旦、右構えで習った人をスイッチヒッターに仕立て直すのは至難のことでしょうね。  日本の弓を引くのは結構力が要ります。そして強い弓を引ける力の持ち主ほど遠くへ飛ばせますし、近い的であれば矢が放物線を描くことなく直線で飛んで行き、破壊力や命中精度が増します。  ですから、射手は自分の限度ギリギリの剛弓を持ちたがる傾向にあります。(アマゴルファーが硬いシャフトのドライバーを持つのと同じように(見栄もあります)(笑))。  したがいまして、右構えで習ったものを左構えで射たせると言うこと は、その人本来の弓より、強度を落としたものを持たせる必要が出てくると思います。そうすると本来の右構えで射つ必要性のある場合に問題が発生します。  弓射というものは、自動小銃を腰だめでタマをばら撒くのと違って、狙って射つものだと思います。ですから、スイッチヒッターは弓の強度や射撃の正確性の問題もあって、アブ八チトラズの可能性が出てきそうな気がします。  しかし、プロ野球のスイッチヒッターのように、親父が子供の頃から仕込めばできると思いますがね。  でも日本ではどういうわけか(仏教の思想からでしょうか)左利きは不当に扱われていました。人前で堂々と、左手で字を書いたり、箸を持ったりする人が出てきたのは、つい最近のことでしょう。  そんなことから、質問者さんのようなアイデアが実現する可能性は少なかったんじゃないかと想像します。

noname#32495
質問者

お礼

なるほど、すごく明快なご回答ですごく納得いたしました。弓は特に難しいですからね。拳銃を撃つ(これもすごい反動でたまりませんけど)のと違ってものすごく特殊な動作を覚えるわけですので、つらいでしょうね。しかも、確かに日本では諸外国よりも左利きを直させる風習があるようにも思えます。それが仏教思想なのか村思想なのかさだかではないですけど。 キーとしては英才幼少教育みたいなもので、スイッチヒッターを養成すると言う武道方針が古来あればと言うことだったでしょう。しかし、そういう動きもなかったということは実際上あまり有利には進展しなかったか、意味がなかったといえるのかもしれません。 依然として近代の騎兵の銃撃法についてはなぞですね。

その他の回答 (6)

noname#24488
noname#24488
回答No.7

NO.6です。銃のことはマルで詳しくありませんので、憶測でしかいえませんが、騎兵銃や歩兵銃など小銃は左右均等でないと思います。  火縄銃は右側に火皿が付いていますし、日露戦争当時の騎兵銃も歩兵銃もボルトアクション方式で、左右均等でないと思います。  ですから、当時の兵隊さんは、左利きの人でも右利き用の鉄砲を持たされ、みんな同じ構え方でやっていたんじゃないかと思います。「構え銃(ツツ)!」の号令がかかったとき、皆一斉に同じ右構えをしたんじゃないかと思います。  まあ、そんなことで、道具の関係から銃のスイッチヒッターの生まれる可能性はなかったんじゃないかと想像します。  右側の敵を撃つときは、仰せの通り不便で芸も何にもないですが、少々無理をして右を向くより手がなかったのかなあ、という感じです。  下のページに三八銃のことが若干出ています、信用できる記事かどうかわかりませんが、明治38年より少し前の日露戦争の秋山騎兵旅団のときも同様かなと思います。 http://www.geocities.jp/cato1963/hidari-migi.html

noname#32495
質問者

お礼

そうですね。銃の構造自体で無理があります。しかし、騎兵銃というやつもやはり右撃ち用なのでしょうね。

  • tanuki4u
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回答No.5

個別兵の射撃の高度化より、集団運動の行動の方が戦争においては重要だから、左右撃ちの発想(個別兵の強化)は重要視されなかった。ということになります。 戦闘の基本は 機動戦であり、いかにして敵側に対して優位な位置を占めるかによって、戦闘の結末は予想されうるものであった。 かつて、関ヶ原古戦場に於いて、ドイツからの指導教官メッケルが、配置を聞いて即座に「西軍の勝ち」と宣言したことや、ドイツ第二帝政におけるシュリーフェンプランの卓越性などは、このことを裏付けている。 騎兵においては、さらに機動戦が動的になり、モンゴル軍が、訓練もかねてよくやったのが、日本で言えば 巻き狩り。獲物を追い詰め、いかにして自軍が優位な立場になれるかというもの。 実際にモンゴル軍の戦闘は、わざと最初に負けて、敵をおびき寄せたりする戦法が多かった。そして騎射も、狙うのではなく、大量にいかけるというものでした。 左右撃ちの練習をしているよりも、どのように戦場を動くか、というのが、戦場での優位劣敗を決めていたので、集団行動を合理的にできるかどうかの練習の方が、効果的だったということになります。

noname#32495
質問者

お礼

確かに、集団的な運動が勝敗の帰趨を分けると言う要素が圧倒的なのでしょう。しかし、戦闘のミクロ的な状況を考えれば、騎兵が取りうる戦法と言うのは相手陣の中に切れ込んで、スピードを生かして突破撹乱するというイメージがあります(実際そういうことが起こったかは別かもしれません)そのとき、左右自在に射撃できたほうが断然有利なことは想像つきます。あたかも片舷しか砲塔がない戦艦が向きを変えながら射撃することの不便さを感じさせます。

noname#30758
noname#30758
回答No.4

中国の歴史についてですが、正史には幾度か「左右馳射」つまり左右両方で騎射する、という表現が出てきます。しかしそれは主に人物の武勇のほどを示す表現ですので、できる人の少ない難しい技術であるということになります。ことに鐙のない古代においては余計にそうでしょう。 鐙が生まれた後の新唐書などには、個人の武勇ではなく戦の中で行なったこととして左右馳射の表現が出てくるので、比較的ハードルが下がった可能性もあります。 遼史や元史にその表現は出てきません。ひょっとしたら、遊牧民である契丹やモンゴルにはわりと左右に射ることができる人が多かったので、特に異とするに足りないと思われたのかもしれません。

noname#32495
質問者

お礼

外国にはあるのですね。より合理誌層とか可能性の追求みたいな精神が横溢だったのかと思いました。

回答No.3

まず、参考URLに弓射騎兵いついて詳しく書かれていますのでご覧下さい。 (よくまとまっているのですが、現在の流鏑馬が居鞍というのは不正確。 小笠原流が行う、吉宗復興の流鏑馬「騎射挟物}は居鞍ですが、本式の流鏑馬は立鞍。) 現代弓道では左手で弓を持ち、右手で弦を引いて左側の的を射ますし、目にする機会の多い流鏑馬でも弓道同様にして左側の的を射るので、弓射騎兵もそのようにしており、右には対処できないと思われがちですが、そうではありません。 鐙に立って中腰になり体をねじった姿勢で、前方の敵を射る「追物射」や、後方や右側に体をねじって射る「押捩り」(おしもじり)さらには右手で弓左で弦という「左弓」といった技術があり、様々な方向へ射ることができました。(和式鐙が足を覆う形になっているのも、馬上で腰を浮かせるのにバランスをとりやすくするためです) (一例です) http://event.jr-odekake.net/image/event/35744/e35744.jpg 合戦の絵巻物などを見れば、多くの騎兵が前方(右前方・左前方とも)後方に向かって弓を引いており、むしろその方が普通であるとわかります。 騎射の種目には流鏑馬以外に笠懸、犬追物がありますが、流鏑馬が儀礼化したのに対し笠懸、犬追物は実戦を想定した射法を含んでいます。特に犬追物のマニュアルには、この方向にはどのように射るか、というようなことが書かれています。 これらは鎌倉~室町時代にかけて盛んに行われていましたから、当時は皆訓練していたと思って差し支えないでしょう。(左弓はあまり聞かないので稀であったかも知れません) ただ、右方向へ射るのはやはり引きにくいようで、 たしか大庭景親だったと思いますが、合戦の経験を語ったなかで、   源為朝と出くわしたとき、為朝の弓手(左手)側にいたので急いで馬   を駈け馬手(右手)側に立った。弓手側では命はなかったが、馬手側   では膝に矢が中って不自由になったものの、死にはしなかった。だか   ら馬を馳せる技術は大事だ。   また合戦では、弓矢は馬の首に掛からないよう、できるだけ短い物を   使うべきだ。 などと述べています。 弓射歩兵の出現はたしか室町も後期だったと思いますが、(間違ってるかも)盾の陰から射る事が多いので右方向への対応は不要でしょう。 本当かどうかわかりませんが、左で弓を持たせるのは訓練の都合だ、という話もあります。

参考URL:
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/genpei/bugu/bu_sentou.html
noname#32495
質問者

お礼

右を撃つにはやはり左で弓を持つこともあるのでしょうか。それがネックだと思っていました。しかし、実際は多角的に射撃するものなんですね。それを知りたかったのです。 しかし、「左弓」ということをもっと一般的な技術とすれば、騎兵の用法あるいは個人戦法のかなりの拡大が可能なのではと思います。 しかし、ご回答いただいた例などたいへん参考になりました。大庭景親の話でやはり、「スイッチヒッターはできなかったから不便だ」と読めますね。

  • yakyutuku
  • ベストアンサー率14% (267/1890)
回答No.2

騎射はモンゴル騎兵などのごく一部のもののみにできる高等技術です。それを両打ちなんて難しすぎてありえません。騎射に限らず、弓は熟練を要求されるものです。両打ちはありえません。それこそ馬を横に向けたほうが良いでしょう(多分銃も)。

noname#32495
質問者

お礼

やはり高度な技術なのでしょうか。走りながらは確かにそうですが、とまって撃つのもやはりなかなかないのでしょうかね。やはり難しさがネックになってしまうのでしょう。

noname#26663
noname#26663
回答No.1

騎兵銃自体が短銃身で、馬上射撃を前提にしているようです。 懐を作りますと思いの他楽に射撃出来ませんか? 「伏せる」身をかがめるのです。 いざとなったら中腰や、アブミに乗り立つのでしょうが、 もっぱら、地上に降りて伏せて撃つのが標準であったようです。 (指揮官クラスは狙撃対象になる) 何と無く、弓も何とかなりそうです。

noname#32495
質問者

お礼

短銃身なんですね。いろいろと工夫はあるのでしょう。下馬して撃つというのが実は多いのかもしれないですね。

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