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十四家松平・十八家松平

 江戸(徳川)時代が特に好きでHPや図書館を利用して参考文献を調べています!しかし十四家松平・十八家松平家は親藩ではなくて譜代の分類に入ります。家康公の故郷で近親や従兄弟といった感じなのに・・  なぜなんでしょうか?十四家松平・十八家松平家に詳しい情報を教えて下さい!

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  • hazu01_01
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回答No.3

 十四家松平といったり、十八家松平といったりしますが、すべて、松平親氏の子孫になります。  松平氏も何代にもわたるとそれぞれの家が独自に家を形成していきます。その中には安城松平氏(家康の家)に従うものもいますが、敵対するものもいました。  家康の代になるとどんどん同族や近隣の豪族を従え、徳川家の家臣団を形成していきました。そういう意味で、同族といっても各松平家はほかの譜代の家と違いはないわけです。  それに対して、親藩とは家康の男系の子や孫から分かれた分家、異父兄弟である久松松平家などであり家康の近親者であります。  ちなみに、松平(奥平)家は家康の外孫ですが、家康の養子になっております。  唯一の例外が松平(鷹司)家ですが、この家は家光の正室に由来しています。また、紀伊徳川家と婚姻を結び、かなり初期に紀州系の養子を迎えています。

その他の回答 (3)

  • a-koshino
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回答No.4

#1です。要領を得ない回答で失礼いたしました。 ↓こちらに詳しいです。 http://www.city.okazaki.aichi.jp/museum/db/kkp/H12-09-15/ky00401.htm

  • toto07
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回答No.2

結局「そのように決められているから‥」としか言えないのでは? 親藩が家康の男系子孫の藩である以上、近親であっても家康の血を引いていなければ仕方がないと思います。 また数は多くはないですが譜代から親藩に移った藩というのは、すべて将軍家から養子を迎えていると思います。

  • a-koshino
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回答No.1

西三河の松平郷には、松平を名乗る家が多数ありました。 この松平郷を制圧し、いつか三河を統一しようと戦い始めたのが、家康の先祖、松平親氏。つまり、松平郷にいた松平諸家は、元々敵だったのです。

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