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あらゆる宗教について

今現在ほとんど毎日ニュースでは「イスラエルで何人死んだ」などと取り上げられていて誰もが「なんであんな事するんだ?」 と思っているはずですよね。 イスラエルのだいたいの原因はこの前テレビで取り上げられていたのでおおまかなところは分かりました。 そこでなんで宗教の教典に「戦争するな」「罪を憎んで人を憎まず」「他人には他人の考え方(信じるもの)がある」というようなことを書き込んでおかなかったのでしょうか。それとも書いてあるのにやっているのでしょうか。もしくは一人一人によって受け取り方が違うせいでしょうか。 こんな事を言うのは当事者でない他人だから軽々しく言えるものなのかもしれませんが上にあげたもののようなことにこそ宗教を信仰する価値(意味)があるのではないでしょうか。(もちろん他にもあるのだろうけれども)

質問者が選んだベストアンサー

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  • chihoko
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回答No.18

>知というのがどういうものなのかよく分からないのですが。 ●知っていれば そのことについては基本的には考えないものです。  知っていると認識しているのは 自分でしかありません。 >信じ切ってしまうとそれに寄りかかってしまうと言うことですか? ●その通りです。 >宗教は自分で考えることのできる人ならば必要ないのではないですか ●自分で考えることができるひとでも ふつう真理には行き着けないわけで  精神的に落ち着きたい 拠り所がほしい そんなときには宗教に  身をゆだねる つまりその世界観を信じ切ることで不安定な精神が  救われるわけです。 ●考えることは これでいいというところはありません。  社会は常に権力保持者と被治者の関係と利害をどう折り合わせるかという  難問を抱えているのです。また世界は権力保持者と権力保持者の関係と利害を  どう折り合わせるかという問題をも抱えています。  今回のウサマ問題では オマル師の提案「ブッシュとオレと一対一で決闘して  決着を着けよう!」←これがいちばん考えたこととして わたしには映ります。  定石のなかから「どれにするー?」ってのは 考えたことにならないんです。  新しい概念 新しい手法 新しい解決法を 編み出せるのが「考える」  ということなのです。  「血を流したくない。」その気持ちはウサマとてブッシュとて同じなのです。  その手法を考える力が無いだけなのです。  宗教はその「考える力」を生み出す環境を阻害しているのです。  自分とはなにか 幸せとはなにか どう生きるべきか etc  これらの事柄を考える宗教などありえません。あったとしても それは  既に宗教ではありません。それは哲学です。

ebinamori
質問者

補足

考えるってそういうことなんですか? 定石の中からだって別に選べだしてもよいのではないですか? 結論が出てからでも何度も何度も考え直すことを放棄してしまうのが 「考えない」ではないのですか?

その他の回答 (20)

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.21

信仰って人の営み。 考える事も人の営み。 仮に、仮に、それらが、侵害しあっていると言うのなら、そのようにして何かが育まれているのだと、私は思います。   NO.19の補足です。 ☆あのー、あたしのドデカ消しゴム、仏像彫って使いにくくしたって言うか、使いもんにならんようにしたんは誰やネン。何が「フィギュア」や(笑。お前が作ってんやんけ。 しかも、ついこないだ「俺、隠れキリシタンやから教会には行かん」とかゆうてた奴は誰や?ゆうてしもたら「隠れ」ちゃうやん!(笑。あほや。   イエスや、釈迦とか、なんでもいいけど、信じるなら、沈黙の信仰。大事だと思います。 戦争の原因は、宗教でも、無知さでも、偏った愛でも、ないと思います。 それは、人の営みかもしれません。たぶんなくならない。 なぜなら、先史の遠い大昔から、戦争は、行われてきたからだとあたしは思います。 戦争は、きっと、人の営みです。それを侵害するというのは、どうゆうことなんや?わからんわ。

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.20

マジでそういう認識なんですか? 僕は理想のために自爆してるんじゃないと思いますよ。 誰がどう考えても貧しいからでしょう。っていうか考えるまでもないです。映像を見たのであればわかる「はず」でしょう。☆現実のため☆です。もはや宗教教義はその言い訳かも。先進国の目くらまし情報的な要素あると思う、過大アピールしすぎ。自分達の生活を守るためかな。 言い訳しなかったら、非道な自爆殺人ですし、宗教は生活と一体化してますから、そりゃ日常化しますよ。 出口の見えない紛争地域にすんでるわけです。現状打開のためには、そりゃ自爆でもなんでもしますよ。 それだけ先進国が追い詰めたって事です。彼らを。原因はいろいろありますが。 宗教は只の一要素です。全体をみてあらためないと、解決はできないと思います。   一つ一つ要素を見ていても無理でしょう。多すぎて。~とは何か?という問いでは無理。たぶん。ちくいち関係を調べていては無理です。多すぎるし、たぶん複雑すぎる。過去をあさったりしてる暇は、もうない。エマージェンシーですよ。  全体をみるんです。ようは、只、観ればいいんです。映像なら映像、文字情報なら文字情報を、只、観る。 仏教は、観るを教えれるから、現代においては、教育として優れているんです。必要です。すごく現実的な部分で、すごく役に立つ。僕は別に仏教を信仰しているわけじゃない。しかし、宗教という名により、その伝来の必殺技?が一般に普及しないのはちともったいない。義務教育、小中学校でも教えるべき。仏教という名は捨てて。適当に名前つけて。思考方法の授業。 宗教としてはぼくにとっちゃどうでもいい。仏教という名前を捨てて(宗教差別が働くから)、観ることを普及させればいいのに、なぜか組織は名前にこだわる。釈迦が言った、誰が言った、イエス?あほか。誰でもええっちゅうに。誰が言ったばっかり見て、何が言われたかを聞かない。あほです。「言った方もがっかり」です。 アイドル歌手の歌を聴かないで、「セクシーなトコ」だけ見てしまうのと一緒ですよ。歌を聴くんだよ。歌だけ聴けないなら、それは君にとってただのアイドル。歌手じゃないです。 >>>> アイドル歌手でもいいから、歌を聴け。写真とか、ポスターばっか部屋にはって、寝ながら見れるように天井にはって、拝んでたらあかんで。別にええけど(笑。あかんことないわな。ヒートアップしてフィギュアまでつくりゃ大したもんやわ(爆。 放たれた言葉を聞くんだよ。色気に惑わされんな。歌も。音楽を聴けよ。色香ばっかにおっとったら、ただのえろ。でも、色気なかったら売れへんし(笑。難儀やね。芸術家か、商品か、やいこしいわ。魂は芸術家のもんやろ。色気はアイドルの魂。商品にしてええのかなぁ。難儀やね。 宗教の大事は言葉を聞くこと。文字、言葉が無かったらただの偶像崇拝やろ。アイドルのきわどい写真でオナニーするのと一緒や。オナニーしとったらあかんで(笑。あ、別にええわ。オナニーも(笑。 <<<<<   話を戻します。あほが盛り上がりすぎて。すいません。 哲学的思考、思考方法の問題です。アプローチというよりも、思考方法です。 思考パターンに囚われている間は、成長しない。堂々巡りを繰り返すだけです。 歴史のように。歴史におなじ歴史は無いように、思考にもない。だけれども、苦しみはある。 何かの契機で飛躍する事もあるでしょうが、いろんな思考法があるということです。論理形式は一つではないのです。現代科学は、人類にとっては新参者で、もちろん一代もの。一つの論理形式で発達したため、融通が利かない。固定式の砲台のようなものです。後ろから攻められたら終わりです。今の科学的思考では、振り向く事すらできない。 固定砲台は固定砲台で、役に立ちます。今は、他の道具が要ります。至急。    いろんな道具をいろんな風に使って、戦術を立て、下すんです。 俺は戦士だから魔法は嫌い、私、武闘家だから武器は使わない。僕、遊び人だから、なんでもいいよ(爆!。 >>>>>> それはいい。それはいいが、パーティーを組め。とりあえず。戦士とか、魔法使いとかは、一つ一つが思考法だよ。それを、組んで、使いこなす修行ぐらいいるわ。   それでやっと、LV・1の、「知者」とか、「賢者」とかいう職業になんだよ。 そういうもんやとおもうぜ?だから、とりあえず一人前かしらんが、(LV1)、職持ちになる前は、人はガキだってことだな。俺はガキだ。メラもつかえねェ(爆。 半熟聖人とかな、半熟勇者とかな、半熟愚者とかな、未熟な遊び人(笑。とかな、ばっかりじゃなぁ。冒険は始まらんわ。はじめりゃ始まるけどな、はっきりゆうて。退屈が嫌なら自分職業「身につけて」、仲間集めて冒険に出りゃ楽しいぜ? <<<<<<<<<<<    >こんな事を言うのは当事者でない他人だから軽々しく言えるものなのかもしれませんが   僕らは当事者でしょう。明らかに。 だから、軽軽しくても構わないですが、僕らが殺しているという認識は少しくらいあってもいいと思いますよ。 先進国に生きるとはそういうことです。なぁなぁ的に生活をしているだけで、おもいっきしな殺人、差別的殺し屋です。実感が無いだけで。夢遊病で出歩いて、外で犯罪犯したようなもんです。気付いていないだけ。隠されてるだけ。 途上国の労働力を搾取、自然を破壊、殺戮しながら生活を維持しているのに、 それでこう言うわけです。 「退屈なんだよね。。」 はい、地獄に行ってらっしゃい。  彼らが苦しむという事は、僕らが地獄行きの急行、いや、乗り継ぎなし直行便の飛行機のマイル貯め、なことです。もうだいぶ貯まったかな?   超巨大な、大量差別殺戮ましーん(経済)(裕福な国は貧しい国に殺されないから、差別ね。だから、自爆するわけ。)を、僕らは生活の1コマ1コマでまわしているわけです。どんどん殺していってます。それで言うわけです。 「血だらけの愛の手を、恵まれない人々に差し伸べてあげて!」 募金お願いしまーす。 自分の家族の血がついた手の持ち主に、はいってゆって金渡されてもね、受け取る方も血が引けますよ。笑うとこじゃない。 まだある。その血だらけの金を得るのに、 「いかん、ましーんの燃料が、ちがうぞ、ボトルがゆるんでるからだ、いや、お前スイッチちゃんと入れたのかよ?動きが鈍いぞ!」 なんてゆって、キラーマシーンを活性化させようとするわけです。そうしないと、自分達が生きていけないというか、生活できないと思い込んで、考えないからです。機械を改良する事を、考えないからです。機械に支配されています。奴隷ですよ。だいたい、生きていけないのと、今の生活を守るのとでは、えらい違いです。新しい生活をなんてゆうかな、ずいぶん変わって行ってると思うけど、おなじキラーマシーン(経済機構)の産物やからなぁ。血だらけなんですよね。僕らの生活。   そういう生活がいやなら、殺人者として、堂々と血を浴びて生きることです。殺人者が堂々と生きれる社会ではないので、隠れてひっそり暮らすぐらいしかできないですね。それか、殺人者で町をつくる。 現代は、競争?弱肉強食という名の下に、殺人者、殺戮家が世界中に横行しています。僕らのことですよ。ぜひに、ぜひに、自首しましょう。あ、警察も殺戮家ですね。そういや。自分で裁くしかないですね。自分を。  宗教とか、哲学とか、叡智とか、そんなたいそうな問題じゃない。 常識問題です。 僕らには常識が欠けている。 とりあえず、常識が必要。モノを大事にするとか、節制するとか、ふつーだろう。 いらないものはいらない。それで、肥大、暴走?した操りカラクリ資本主義は終わらせれる。というか、フツーの役立つ道具にもどる。道具を使いこなすにも練習がいる。今までは練習ですか? 競争原理の名のもとに、これだけの貧富の差が広がるのは、常識が欠けているからです。練習と言ってもへたくそすぎです。とゆうことは、常識が欠けている。 バットしかなければ、バットで釘を打つでしょう。別に野球をしなくても役に立ちます。でも、常識がないと、なんにでも使ってみるわけですよ。豆腐に釘打ったり、素手で焼けたなべつかんだりするわけです。子どものように。だから、僕らは皆子どもです。親がフォローするのがフツーですが、我々の親はいるんでしょうね。親の無い子はいませんから。例え試験管で生まれたとしても。   いい思いしてる国は、殺人者の国です。殺人者の国には、自分の首もしめるような、殺人狂がいます。僕らのことですよ。自首しましょう。自分で、自分を、裁きましょう。自分の首を、自分の手から解放するためにも。 >>>>>>>>>>>>>>>>>>!!!!!!!!!!! ってゆうよりも、今いきなり豪雨で家の窓ガラス、われてんやけどどうなん?(爆。ふつーわれんだろ?雨でガラス割れんで?なんでやねん(笑。おかしいわ。ほんまに(笑。雨戸はそのためにあったのかもって、ほんまに思う。雨戸しとったらよかったわ。なぁ? あーーーー。あ。なんでわれたんやろ?マジおかしくない?←これ余談ね。 )))) っていうかまじびっくりしました。ピシ!ピシャン。ちゃりちゃりん。。 笑?ってかんじに、顔が不自然にゆがみましたもん(笑。なんでやー!(笑 マジ不思議。観ないと観ないと(爆。原因よりも、事実よりも、全体を観ないと(爆。不思議を不思議のままにみないと(笑。不思議な事もあるもんです。 あれかな。窓枠が水吸って膨張したとか?ないか。ま、なんでもいいぜ?(笑。 あと、お金は貯金すると役に立ちません。体の血を、止めるようなもんです。 お金は流していかんと。血だって、ズッととまってたら凝固してしまうでしょ? 酸素いかなくなって、死に体になる。 お金も凝固したらええんやけどなあ。みんな貯金しないから、不況もない。豊作不作とかも、テクでカバーできるし。おしいなぁ。今の経済おしいのに。高性能やのに、なぜかキラーマシーンなんだよね。なんで? >>>>> とりあえず自首せな。(笑 だいたい、血液流れてても、ばい菌とか、ガンとか、骨折とかあるやろうに。血液なんてソッコー死活問題やん。みんな甘く考えてんのちゃう?まじしんでまうで?

ebinamori
質問者

補足

殺人マシーンなら何をすれば良いんですか? もっともそんなもの自分で考えなきゃいけないんだろうけれども 自首するというのはどういうことをさしているんですか?(政治家になるとか?そのことを認識すること?) アピールだったら別に自爆テロじゃなくっても爆弾だけ置いてくればいいじゃないですか。それとも集団自殺とか。 自爆テロじゃなきゃ後味悪いからとか思ってるといるとも思えませんし なぜ「自爆」なのか?何でもやるといっても自爆することの意味が分かりません。 死ぬきでやるなら(わたしはなったことはないですけど)他に何でもできるんじゃないですか? こんな事を聞いてもhiroyaさんに分からないと言うのは分かるのですが それに経済が悪いなら市民じゃなく政府要人とか富豪を殺せばいいじゃないですか? 市民なんて殺したって何にも解決しない気がしますが。 「観ろ」ってつまり「本質を見極めろ」って事ですか? ナンか全体的に抽象的に言われていて良く私には理解できないのですが (抽象的にしかいえないものなのかもしれませんが) まったく関係ないですけどhiroyaさんは本当に関西人ですか?

  • madoushi
  • ベストアンサー率18% (45/246)
回答No.19

こんばんは。大変難しい問題です。私見ですが、文章と言うものは、受け取り手の能力によって、かなり違って聞こえると思います。以前に麻雀の伝説の雀鬼・桜井章一さんのことをモデルにした漫画でも、そのようなことが出ていました。また、情報が限られてしまえば疑心暗鬼が増えて人は殺し合いに向いてゆくと言う歴史を、我々日本人も経験しています。これらの理由から、同じ宗教書を読んでいたとしても、異なる解釈をして、ある人は平和を説き、ある人は自爆テロに走るということは、直接とめることができない種類のものだと思います。反面、だからこそ、危機管理をいつも行う神経も養われるのでしょう。私は宗教は誰かの心の救いになればいいと思っています。たとえ警察に教祖が逮捕された宗教でも、信者の方々はその教えを知ったことで多少なりとも救われたからこそ、今も生きて活動しているのではないでしょうか? 勿論殺人は許されるべきではありませんから、平和憲法を持つ被爆国として、今後日本の若い人たちが世界平和に大いに貢献してゆくような社会の確立を望んで止みません。それから、自分で「これは良い」と思ったら、人情としては他人に勧めたくなることは、当然ありうると思います。

ebinamori
質問者

補足

自爆テロっているのも良く分からないんですよね。 死んで理想を追求しようとするのが分かりません。

  • wa-chan
  • ベストアンサー率27% (27/98)
回答No.17

#04,#10で答えたものです。私はクリスチャンなので、そのことについて一度質問したことがあります。キリスト教のことだけしか書いていませんが・・・

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=245756
noname#155689
noname#155689
回答No.16

ふたたびコンニチハ。 >キリスト教みたいに牧師の人が正しい解釈を  させてくれるのではないですか。 キリスト教にだって、いろいろな解釈があります。 大きく捉えてもカトリックとプロテスタントの違いがあります。 キリスト教は正教と異端がハッキリしているにも関わらず、です。 正教にだって、正しいという根拠はありません。 むしろ力づくで現在の地位を獲得したものです。 フェリオクエ闘争などが例として挙げられます。 >牧師の人が間違った解釈をしているのはおかしい気がするから 「正しい解釈」と「間違った解釈」がある、と してしまうところがおかしいと思います。 >良い人生を送るために宗教があるんじゃないのですか。 >その悪を押さえ込むために宗教があるのではないのですか。 そのための方法論やそれを支える価値観は 宗教によって違うのではないでしょうか? ところが現代社会の価値観の主流は「近代西洋主義」を基本とするものであり その根底にあるのはローマ・カトリックです。 当然、イスラム教の人々にとっては受け入れ難い現状であり それが「イスラエルで何人死んだ」になっているんじゃないでしょうか? >なんで宗教の教典に「戦争するな」「罪を憎んで人を憎まず」 「他人には他人の考え方(信じるもの)がある」というようなことを  書き込んでおかなかったのでしょうか。 などというモチベーションがまずあって そこからいくつかの見解が生まれ 見解の違いがやがて争いになるのではないでしょうか?

  • chihoko
  • ベストアンサー率13% (14/106)
回答No.15

>宗教というものは変化していかないのでしょうか。 ●宗教にかぎらず あらゆるものは変化しています。  言葉ですら それを使う者が変化するのですから 当然変化するものです。  わたしは 宗教の本質を前に述べているわけで 本質が変化してしまえば  それは もう宗教ではありません。  学術的には宗教は哲学(考えること)の部分集合であるとされています。  No11の方のご意見をご覧下さい。  >無知者は考える。知者は考えない。  わたしがいっていることが 良く理解できる回答だとおもいませんか?  No11の方がおっしゃってることは その通りなんです。  宗教は知を知と信じるところに その宗教たる所以があるわけなのです。  だから「考えない」  だから戦争がなくならないのです。  宗教という枠のはずれた環境で育つ(例えばわたし)と  考えざるおえないわけです。自分とはなにか 幸せとはなにか  権力者と非権力者の関係 国とはなにか 宗教とはなにか etc  ●宗教という枠のなかで育ち 長く生きると 考えることをしなくなります。  それが ブッシュであり ウサマであるのです。

ebinamori
質問者

補足

自分のなかでどういう主張をもっているのか分からなくなってきたました。 知というのがどういうものなのかよく分からないのですが。 信じ切ってしまうとそれに寄りかかってしまうと言うことですか? 宗教は自分で考えることのできる人ならば必要ないのではないですか これは宗教とは関係ありませんがアメリカを見ていると過去の日本について非難していますがその過去の日本と変わらない気がするのですが。 (報復をやめようという意見を持つ人に対してひどい仕打ちをしたりすること)

  • toysmith
  • ベストアンサー率37% (570/1525)
回答No.14

#5です。 たとえ教義に「人を殺すな!」と書いてあっても過激な人は戦争を起こし、テロを実行し、テロに報復するでしょう。 キリストが「汝の敵を愛せ!」とといているにもかかわらず、(聖書に宣誓した)アメリカ大統領は敵にミサイルを打ち込みます。

ebinamori
質問者

補足

教義に従わないのに過激派っておかしくないですか? 聖書に宣誓するというのは自分の良心に誓うというのとは違うのですか?

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.13

まじで? 知者も考えるだろ。たぶん。

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.11

多く人は、自分のために信仰するのであって、神のために、信仰しているのではありません。 だから、戦争がおこるのです。いつでも、人は、教えを守れません。 例え、宗教が一切無くても、人は別の形で戦争を起こすでしょう。 宗教を信じきれる人は少ない。 完全な信仰心を持つものは少ない。 無知なものは考えます。 完全な信仰をもつものは考えません。 信仰は知をもたらすので、完全な信仰心を持つものは、いかな頭の良い無知者でも、遠く及びません。 しかし、そのような心をもったものは、見たことありません。 有名所ではイエスでしょうか。  自分を守らない。 それで戦争は無くなる。 闘いはあります。 いつでも悪は、人の中から来るのであって、宗教や、貧困のせいではありません。 無知者は考える。知者は考えない。 無知者は間違う。 知者は、間違うや間違わないといった事はない。 考えるものは無知です。知らないから考えるのです。考えれば考えるほど、知を得るとは限りません。知は考える事にあるのでは無いからです。

ebinamori
質問者

補足

>いつでも悪は、人の中から来るのであって、宗教や貧困のせいではありません。 その悪を押さえ込む(?)ために宗教があるのではないのですか。 知者という言葉を知らなかったので調べてみたらいろいろ意味があったのですが ここでは「物事の本質を知っている人」「教義や教典などに通じている人」 のどちらの意味で使われているんですか? なんかhiroyaさんの文章を読んでいると自分は知者だとおごっている人のことを指している気がします。 >知者は間違うや間違わないといったことはない。 これは間違っても気付かないということですか。それともそういう次元の話自体に関心のないと言うことをいっているのですか? 私の読みとり方が悪いのかもしれませんが私の感じることをかきます。 知者と間違う間違わないのを同列に扱うのはおかしくないですか だって間違う間違わないの本質は人それぞれによって違って絶対的に存在するものではない気がするからです。つまり本質がないのなら知者だろうが無知者だろうが関係なくないですか?

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.12

多く人は、自分のために信仰するのであって、神のために、信仰しているのではありません。 だから、戦争がおこるのです。いつでも、人は、教えを守れません。 例え、宗教が一切無くても、人は別の形で戦争を起こすでしょう。 宗教を信じきれる人は少ない。 完全な信仰心を持つものは少ない。 無知なものは考えます。 完全な信仰をもつものは考えません。 信仰は知をもたらすので、完全な信仰心を持つものは、いかな頭の良い無知者でも、遠く及びません。 しかし、そのような心をもったものは、見たことありません。 有名所ではイエスでしょうか。  自分を守らない。 それで戦争は無くなる。 闘いはあります。 いつでも悪は、人の中から来るのであって、宗教や、貧困のせいではありません。 無知者は考える。知者は考えない。 無知者は間違う。 知者は、間違うや間違わないといった事はない。 考えるものは無知です。知らないから考えるのです。考えれば考えるほど、知を得るとは限りません。知は考える事にあるのでは無いからです。

ebinamori
質問者

補足

前から思っていたのですが宗教を信仰することと盲信することの差はどこにあるのでしょうか。 また、ここまでいろいろな解答を読んでみて言い方は良くありませんが宗教を信仰することの利点が見えてきません。

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    閲覧ありがとうございます。 私が現在、26年間生きてきて、物心ついてからいままで、世界で戦争が止んだことがありませんでした。 小さなころ、ベルリンの壁のニュースを聞き、戦争を不思議に思ったものです。 でも高校などで世界史を勉強して、あらゆる時代・場所で人間の争いがありました。26年なんてものじゃない。 そして、私が出した答えが題のとおりです。 人が争いを止められないのは、その中に変えがたいお互いの真理が根ざしている、つまりは思想信条が関係していると思います。 日本には八百万の神々への信仰、先祖信仰など昔から信仰があり、例えば元日は初詣に行き、葬式は僧侶に来てもらうなど、よく考えればちぐはぐなことですが「普通」と捉えられます。 しかしキリスト教や仏教(日本で広まっている主な宗教と考えあげています)のように、「宗教」に対しての偏見が強いです。 なぜ善い部分は認め合い、取り入れて生きられないのか。 こんな狭い日本でさえ。 悲しくなります…。 政治家が堂々と犯罪を犯す。 それに目を向けている人は何割か。 マスメディアは世の中を、流行を、思考を「洗脳」していることを、気付いているのか。 どう生きたいか。 何をもって、善か悪かを判断するのか。それが信仰によるのではないか。 こんなこと、話題にするのは「重い」と煙たがられる世の中。 哲学を嫌煙するのが今の世の中…というか私たち若い世代です。 ストライキだらけだったろうが、昭和の日本はまだ人間が「生きていた」のでしょう。 宗教とは何なのか。 今、日本人に必要なものは何なのか。 私は、差違を認め、関係を育む、大きな意味での「包み込む愛」ではないかと思うのです。

  • 宗教の違い・・・(かなり悩んでます)

    こんにちは、21歳女です。実は、今付き合ってる彼(26)がある新興宗教を信仰しています。私はそれが嫌でたまりません。。彼の誕生日にもご馳走を用意して待っていたのに、その集会に行ったせいで、私の家に来るのがすごく遅くなったりしたことがあって、すごく嫌でした。あと、彼が具合が悪いからしばらく会えないと言うと、もしかして本当はその団体の所に行くからそういっているのではないか・・と疑う事もあります。もし彼がその団体に入ってなかったらそういう事はないのにと、すごく悲しい気分です。その団体はボランティアを売りにしていて、彼はそれを人助けになるからと信じてやっているみたいです。あと、彼氏がその宗教に入ってすぐ、今まで全然彼女ができなかったのに出来たのも(つまり私の事です)大きかったみたいです。。(+_+)唯一の救いは、家族で信仰しているのではないこと、私に勧誘をしてこないことです。色々その団体について調べましたが、よくわかりませんでした。このままでは駄目だと思い、もうきっぱり別れようと決心しました。でも、彼と逢うと彼が宗教を信仰している人という事をすべて忘れてしまいます。その時は、その幸せがずっと続いてくれればいいのに・・・という感じです。そして、デートの最後の方ではやっぱりすごく好きだという思いに変わってしまいました。会えない時は、いつか別れることを考えるといつの間にか涙が出て、夜眠れなくなる事もあります。 前に彼に宗教を辞めてほしい旨を話したのですが、理由がないのに辞めることは出来ないといわれ、それでも私が折れなかったら、少し考えさせてと言われました。でも、その後私が怪しいカルト呼ばわりをしたら、怒って出て行ってしまいました。だからそれからはその話は切り出せないでいる状態です。私はできれば彼氏と結婚したいと思っています。(彼もその様な話題を出すこともあります。)彼は私のことを大切にしてくれているし、人間的に尊敬できる部分もたくさん持っています。あと、子供嫌いな私が、この人の子供なら絶対に欲しいと思う事もあります。(ちょっと極端ですが・・)でも、彼がそのまま宗教を信仰し続けるのも嫌なのです。。そう思う私はわがままでしょうか?やめさせる一番いい方法はないでしょうか?非常に困っています。いいアドバイスいただければ嬉しいです。。

  • 世界の宗教の最低限必要な知識

    私は特に信仰する宗教のない、一般的な日本人です。 しかし最近の世界情勢はかなり不安定になり キリスト教圏とイスラム教圏の対立が深刻化しています。 もちろん大昔からせめぎ合いの構図ですが、 最近、単なる戦争以外にもムハンマドの風刺事件があり、 暴動とキリスト画却下の二点から 外国人の信仰に下手に触れると怖いことと 彼らは信仰を絶対譲りたくない(自虐的なことをしない) ことを痛感しました。 また少し前には風刺本を翻訳して暗殺された日本人教師もいたはずです。 これらを踏まえて、自己防衛と友好のため、 世界の宗教について最低限知っておかねばならない事を教えてください。 とはいえもともと特別宗教に興味があるわけではないし あまり多くを言われても基本知識がないので分かりません。 「これを言うと殺される」「これをすると罵倒・報復される」 といったようなタブーに関わるような基本知識で結構です。 その2宗教以外にもユダヤ教・仏教、それ以外でも 「これだけは常識、知らないとまずい事になる」 といったことがあれば教えてください。

  • 組織宗教を 弾劾する。

     たたき台を述べて 表題について問います。     *  教祖と教義と教団とにもとづく組織は 教祖ないし教義を――そして時にはあろうことか 教団〔の存続〕を――《神》そのものとしてその会員に信奉するようにさせることがある。これは いかにその個人の自由意志によると言っても その結果も行為じたいも 無効である。  自由意志そのものを放棄する自由意志の発揮は 無効である。  組織宗教は すべからくすみやかに解散せざるべからず。    *  ▲ (K.マルクス:宗教批判) ~~~~  ( a ) 宗教的悲惨は現実的悲惨の表現でもあれば現実的悲惨にたいする抗議でもある。  ( b ) 宗教は追いつめられた者の溜息であり、非情な世界の情であるとともに、霊なき状態の霊でもある。  ( c ) それは人民の阿片(アヘン)である。  ( d ) 人民の幻想的幸福としての宗教を廃棄することは人民の現実的幸福を要求することである。  ( e ) 彼らの状態にかんするもろもろの幻想の廃棄を要求することは、それらの幻想を必要とするような状態の廃棄を要求することである。  ( f ) かくて宗教の批判は、宗教を後光にもつ憂き世の批判の萌しである。        (『ヘーゲル法哲学批判序論』)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ここでは総じて言って 個人にとっての信仰――わが心に非思考の庭が成るということおよびその生きる動態――が忘れ去られている。  個人が信仰をいだく前にも後にも 《現実的悲惨》は われわれの前にある。それは われわれのものでさえある。けれども 信仰であるなら――これはマルクス自身も言うように―― たとえ《阿片》であっても痛み止めはそれとして必要であり 持たれてもおかしくない。そしてそこまでである 信仰をめぐる《超現実》の必然性と必要性とは。  〔そのあとさらに積極的な信仰の保持は 一人ひとりの信教・良心の自由の問題である。そういう人が互いに語り合うのなら 組織宗教にはならない〕。    だから( b )で 《追い詰められた者のためいき》は 信仰に行き着いたとしても 組織宗教には到らない。到り得ない。   ○ ( b )の修正: 超現実への想像は追いつめられた者の溜息であり、そこにともかく《信仰》を得たならその信仰とは 非情な世界の情であるとともに、霊なき状態の霊でもある。  ☆ このように《個人にとっての・わがたましいの》問題である 信仰は。  その信仰から 瞑想を経て観想(テオーリア)を得て この観想から理論(テオリ=セオリ)を打ち出すとすると その命題が 組織宗教では教義とされる。教義は すでに信じるではなく 考えるの問題である。  人は人をころさないものだなぁという観想から 《汝 ころすなかれ》という教義をこしらえる。けれどもこの教えは 信仰の固定観念化である。偶像である。  教義をこしらえたからと言って その教祖にしたところで えらいわけではない。問題は 一人ひとりの内面における信仰としての心の伸びもしくは心の明けである。ところがこの個人の信仰は ついぞ 非思考なのであって 教義とは別物である。まして組織ないし集団の心をひとつにする手段にはなり得ない。その仮りの命題を持って来て その教義化によって信教と良心の自由を侵してはならないものである。  したがって  ▲ ( f ) かくて宗教の批判は、宗教を後光にもつ憂き世の批判の萌しである。  ☆ と言えたとしても 問題は すでに《教義ないし教祖を後光に持つ》というその組織宗教じたいについての批判が先である。後光でないものを後光としている。信仰から来る後光だと仮りにしても 後光の源をすでに忘れており ないがしろにしている。なぜなら 組織会員一人ひとりの信仰を 集団の教義ないし規則に従うようにする動きを必然的にもたらすからである。  この逆立ちは 個人の信仰の自殺行為である。  個人の信仰の宗教化(教義化)およびそれにもとづく組織化 つまり組織宗教というものは すでにその存在じたいにおいて 信仰の自殺行為である。  自由意志の放棄・従って人間の存在そのものの放棄 これらをおこなったところで成り立つ代物である。  仮りに信仰をも批判する人がいて  ▲ ( d ) 人民の幻想的幸福としての宗教  ☆ というくだりを 次のように言いかえたとしよう。  ○ ( d )の修正: 個人の幻想的幸福としての信仰  ☆ だからいけないという論法で信仰をも批判したとしてみる。どうなるか?  幻想ないし超現実を想像しない人間がいるか? まづこのように反論する。  つぎにもしたとえ《信仰は 幻想的幸福》でしかないとしたとしても 問題は 人びとどうしのかかわり(関係)とまじわり(交通)にある。共生の問題でもある。互いに言葉をとおして意思疎通を図っているのなら 問題はない。コミュニケーションが取れていれば 何も問題はない。蛸壺に閉じこもるのでなければ 話し合いをつうじて互いに幻想も現実に合ったものとして行ける。  信仰は 教義化をせずその観想――おしえのようなものになりうるが――を他人に押しつけない。語り合うまでである。そこで心から同意する内容があれば 自分で摂取するだけである。信仰ゆえに対話する。幻想的幸福は 練られて行くであろう。  よって 組織宗教は要らない。要らないだけではなく 信仰および自由意志を侵害する悪癖に満ちている。ゆえに ここに弾劾する。

  • 宗教は人を幸せにするのか。

    宗教によって価値観を固定されたり、人生をも左右されたりする。 神の名において戦争する事も虐殺や収奪する事も容認される。 宗教って結局狡賢い人間に都合よく利用されるだけの手段に過ぎないと思ってますが、宗教とは本当に人間を幸せにするのでしょうか?

  • 仏教徒と宗教戦争、テロ

    世界各地でイスラム教徒対キリスト教徒やユダヤ教徒の紛争が起きています。 イスラム教徒が自爆テロをしたというニュースも頻繁に聞きます。 仏教徒の宗教対立とかテロって聞いたことがない気がするのですが、世界史上はどうなのでしょうか? 日本でも一向一揆などはありますが、あれは宗教同士の対立ではなくて、宗教対為政者ですよね。 そうではなく、仏教徒対他宗教の対立や紛争はある(あった)のでしょうか? もちろん、現在の宗教対立には政治や領土などの問題も絡んではいますが、私には「政治的な利益」と同じくらいかそれ以上にそれぞれの「信仰」ということに重きをおいて戦っているように思えます。 そのような「信仰のため」に仏教徒が行った戦争はあったのでしょうか? 世界史はほとんど勉強したことがないので、詳しい方教えてください。

  • とある宗教の考えかたについて

    私の知人の信仰の考えにたいする質問です。 (特に特定の宗教に向けた質問ではないので色々ぼかさせていただきます) 知人の宗教では、例えば電車に乗り合わせた人たちがみな無事に目的地にたどり着きますようにと祈ったり、ご飯を食べる際には百姓さんや作った人に感謝したりと、何にでも祈るとのことです。 ここまでは理解できます。 しかし、例えば、難民などのニュースではその国の政治がよくなりますように、いじめ自殺のニュースがあれば、いじめる人の闇が晴れますように… といった具合で、何かがよくなることを心で祈るのみらしいです。 祈るだけで、自分自身が具体的に何か行動を起こすことは一切しません。 私は、その考えに疲れてしまいました。 例えば、何か嫌なことを他人に言われたら、その相手が苛々しないように祈る…となります。 祈るだけで何もしない、そしてお経は毎日上げてます。 これは果たして、意味があるのでしょうか? 偽善にしか思えず、そんな考えに捕われた相手を思うととても苦しいです。