当たり前だけど不思議な疑問
私が小学4生のとき、便所でふと気づいたというか、
疑問に思っていたことがあります。未だに詳しいことは解りません。
これを他人に質問するのも、伝えるのはしんどい
と、思っていましたが、最近解り易く説明してある
文献を見つけましたので、ご質問させて頂きます。
是非、解る方、「こうだと思う」でもいいですので、教えてください。
(文献)
世界中に今現在 沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてき、
これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。
しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?
(質問の説明)
(1)これはあなたとあなたの友人4人が、
一緒に食事をしている場面を抽象化した図である 。
この図ではすべての人が同じ○で描かれている。(下図に続く...)
○ ○ ○ ○ ○
(2)しかし実際のところ、上の図のようではなく、
事態はこの図のように描くのが適切なものとなっている。
つまり、5つの体の中で、ひとつの体(●)だけが、
特殊なあり方をしている。すなわち、その体についている
眼球だけを通して世界が見えている(他の眼球を通しては見えない)。
その体だけがつねられると痛い(他の体はつねられても痛くない)。
その体だけが動かそうとして動かせる(他の体は動かせない)。
(下図に続く...)
● ○ ○ ○ ○
(3)さらに事態は、この図のように描くのがより適切なものとなっている。
つまり世界はある一つの体に中心化され、そこから開けている。
すなわち他のどの体(○)が消滅しても、それは「世界」(図中吹き出し)
内部の一つの出来事でしかない。しかしあるひとつの体(●)の消滅だけは、
「世界」内の出来事でなく、「世界」の消滅である。
なぜ事態は一番上の図のようではなく、この図のように、
ある特定の地点へと中心化された特殊なあり方を<現に>しているのか?
( ○→○→●←○←○ )
お礼
笑けてきました。日本語の問題やったんですね。 すんまへん!