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ふと疑問に思いました。
昔の世界の人たちはどのようにして他国と契約をしていたのでしょうか?もっと詳しく言うとどのようにコミュニケーションをとっていたのでしょうか?言葉がわからないのにどうして同盟やら鎖国やら・・・やっていたのでしょうか? よろしくお願いします
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言葉というものは覚える気になれば何とかなります。 何かの本で読みましたが、全く未知の言語を覚える場合、めちゃくちゃな絵を描いて現地の方数人に見せます。 そうすると「これは何ですか?」という意味の言葉を発しますから、まずこの言葉がわかります。 仮にご質問者が英語を全く理解できない人であったら、訳の判らない絵をアメリカ人に見せれば、「What is this?」といいますから、次はりんごを指差してあなた自身が「What is this?」と繰り返してください。 そうすれば相手は「It is an Apple」次に蜜柑を指差せば「It is an Orange」と答えますから、Appleはりんご、蜜柑はOrageと判ってきます。 こうして単語を増やしていって、耳を慣らせば徐々に理解できますよ。 外国出身の相撲取りは達者な日本語を操りますけど、恐らく習ったというより、身に付けたということでしょう。 商人たちは「これは幾ら」「高い」「安い」「買う」「要らない」などの言語を覚えて語彙を増やしていきますし、何とかなったものです。 ロシアに漂着した大黒屋光太夫なども流暢なロシア語を話せたようですから、必要に迫られて覚えたということかな。 我々が数年間外国語を学んでもダメなのは、必要性が薄いからで、必要に迫られた人は学歴など関係なく話せます。 私の後輩ですけど、凡そ外国語とは縁が無さそうな男ですけど、何度もタイに行くうちに夜の街での交渉が出来るようになり、現地人と「幾らだ」「これはダメだから交換して」「何時に着くから迎えを頼む」など。
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- sudacyu
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基本的に、外国貿易というのは、国内の流通に比べて大変儲かります。儲かるとなれば、努力するのが人間の常。 外務省や税関・入国管理局がある現在よりも、危険な航海や砂漠の横断・高山の峠越え・山賊や海賊さえクリアーすれば、よほど自由な交易が可能であったと思います。(国が規制している場合は、また別ですが・・・) 現在でも、東南アジアの露天商売をしている子供たちなどは、日本人学校にも行っていないのに、上手な日本語を話しますよ。(商売に関係ある単語しか理解していませんが^^;;;)
- yksabrina
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江戸時代には、日本国内にも通詞がいました。伊達政宗の息子が伊予に移封になった時に上士は仙台から藩主と一緒に異動して、宇和島に移るのですが、現地の下士や出入りの商人達との会話が通じないため通訳が 役職として存在し、世襲で幕末まで存在したと言うことです。国内でも このように通訳の必要性があったのですから、海外との交渉ももちらん 通訳が存在しました。
- n34156
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少々言葉が分からなくても、相手が自分に対して友好的であるか否かは、分かりますね。国と国とも同様です。最初から友好的だと、同盟が結びやすいですね。相手も、喧嘩するために日本に来たわけではないのですから。もちろん、どの時代にも辣腕な(すごうでの)通詞(通訳)が居たと聞いたことがありますよ。
- dulatour
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例えば、日本の古代では、朝鮮半島諸国に行く場合、通訳を連れて行ったという記録はあまり残っていません。それと比較して、中国大陸との交渉の場合、必ず通訳が同行した記録があります。 なぜ、そうなのか、理由は判然としません。 中国語の通訳は、中国から日本にやってきて住み着いた人間などがほとんどです。(この時代には、まだ戸籍というものがないので、あえて帰化人という表現は用いません) 平安時代になると、中国語に対する知識も増え、独学で中国を学んだ人間も多かったと思います。 最澄が通訳を同行し、空海が通訳を必要としなかったということが象徴的です。 ものすごい語学力があったのでしょうね。因みに空海は今でも世界で一番難解だと言えるサンスクリット語を1年足らずでマスターしています。 余談ですが、変革期には異常な語学力を発揮する人間が多く現れます。幕末から明治にかけては、数多くの語学の天才がいました。天才というより必要だったのでしょうね。 英語教育を6年以上受けていて、ろくな英語の喋れない私はよほど危機意識がないのかと反省してしまいます。
どこの国にも知識人がおり、隣の国の言葉くらいは理解できました。 わが国でも、聖徳太子や天智天皇、藤原鎌足などは漢詩などの教養がありますから、中国語を理解できたと思いますし、空海なども中国に渡って直ぐに中国の名僧と話をしていますから、勉強をしていったと見るのが自然です。 ヨーロッパでも共通語でラテン語がいきわたっていましたし、不便は無いと思いますよ。 未知の言語でも 「スペイン語→中国語→日本語」というように、通訳が何人か入ればいけますし、アイヌ語のように短期間で覚える天才もいます。 必要があれば何とかなるものです。 さすがに同盟などは意志の疎通が悪いこともあり、秀吉の朝鮮出兵は、間に立った宗氏が文章を書き換えて渡していたため、双方が都合よく解釈して、戦争になったという説もあります。
- phia
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昔とはいったいどのくらい昔でしょうか。 鎖国とか同盟といっているので江戸時代くらいでしょうか? 種子島に鉄砲が渡ったころくらいですと、 中国人を間に挟んでなんとかコミュニケーションしてたそうです。 欧米のひとと中国のひとでなんとなく話が通じて、そこで漢字をつかってなんとか話をしていたそうです。 社会科ではそう習いました。 でもそれは最初のころです(1542年か43年のはなし)。 天正遣欧少年使節は1582年に外国に出発したみたいですからそのあいだにわりと言葉はわかる人にはわかっていたのではないでしょうか。 宗教活動をおこなっているひと中心に外国語がひろまったんじゃないですか? ごめんなさい不確かな情報です。
- 6dou_rinne
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昔といってもどのくらいかで違いますが、いちおう国の概念があったり、国と国で交渉や契約をしたりするような頃には言葉が違っても通訳がちゃんといましたし、バイリンガル、トリリンガルの人もたくさんいましたからコミュニケションに困るようなことはありません。 もちろん遠い国との間なら最初のうちは何人もの通訳がいるというようなこともあったでしょうが。
お礼
回答ありがとうございます >>バイリンガル、トリリンガルの人もたくさんいましたからコミュニケションに困るようなことはありません。 このような人達はどのように言葉を理解したのですか? よろしくお願いします