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すべての希望をなくした中からの復活体験。
いわゆる引きこもりやニートと言われる立場になったことのある方で、「人生あきらめた」「仕事なんてしない」「路上に彷徨っても仕方ない」と心から希望をなくし、少しの光も全く感じ取れなくなったにもかかわらず、今は社会復帰したという方、そのターニングポイントは何だったでしょうか? 質問が曖昧ですが・・・。 引きこもりやニートと言われる方も、心のどこかでは「社会に復帰したい」と思い、そして苦しんでいらっしゃいますよね。 彼、彼女たちは辛い立場でも、それでも一筋の光を探す力を失ってはいないと思うのです。 しかし、その一筋の光をも探す力を失った方はどうなるのでしょうか。廃人のように・・・。 「仕事などしない」「彷徨っても仕方ない」。 その時点で社会復帰は諦めたほうが良いのでしょうか。 探す力・彷徨う力・苦しむ力すらなくなったにもかかわらず、それでも社会復帰したよという話・そのきっかけをお聞かせ願えないでしょうか。
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自殺未遂は何度もしたけれども、そのたびに自分の中の無意識の生きようとする力に驚かされましたけれどね。 首をつると体全身が血液が行き渡らなくなって猛烈に痛くなるのですが、なかなか死ねません。扼殺って大変なんだ、簡単にできるものでないんだというのがこの体験でわかりました。そのうち意識がうすれてくるのですが、そうすると頭の中が現状とは違う状況設定になってその状況から逃げ出さなければという方向に動き出します。そして気がついたら逃げ出しているというのが何回かありました。 まぁ、そういう自分の中にある生きようとする無意識の存在を知らされると、何とかしようかなと思い始めるわけです。その後も浮き沈みはありましたが(主に沈みですが)、今は特別な待遇とはいえ結構普通に働いています。 そのほかにも、回復過程では、普通の人は一生味わうことはないだろうとう体験をしていますし、絶望的に苦しい状態でも、絶望な状態でも普通の人はわからないだろう体験をしています。まぁ、それも自己形成の材料になっているわけです。 どうして、こんなことを聞きたかったんですか?
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- fuga_putta
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希望が持てないというときは、まず身の回りで楽しいことを探すことがいいと思います。 一日一回でいいから笑う、バラエティを見ながら無理やりでも笑う、これはいいと思います。 それから人と会う、外に出る。 泣いたりするのもいいです。 今私はニートです。 原因(言い訳)は働きたくても働けない、です。 死ぬ病気ではないのですが、働くのが辛くて休んでいました。 何度か死のうと思ったりしました。 世の中は想像以上に希望に溢れています。 ネガティブな状態が続くと死を意識するようになります。 早めに日の下に出ることです。 もともと失うものなどないはずなので、損はありません。 自分よりつらい思いをして働いてる人は死ぬほどいます。 人生ってのはきっと悩むもんなんです。 悩むから開放されたとき幸せを感じるんです。 ひたすら頂点にいて幸せだったら、悩んでる人の気持ちは分かりません。 こうやって成長していくもんですよ。 私は難病ですが、これから勇気を持って社会に出ます。 どうなることやら・・・ですが、少なくとも後悔はないでしょう。 死ぬまでベストを尽くします。 お互い頑張りましょう。
お礼
世の中怪我をしても戦っている人がいらっしゃるのに、何もせず不戦敗に持ち込もうと私はしていますね。 無理に笑うという行為が非常に苦しいのですが、笑うことの大切さは分かります。 ここは無理してでも笑ったほうがいいですよね。 まずそこから意識したいです。 何もしたくない何も考えたくないというのが本音ですが、私にはそれは贅沢で我侭というもの。 少しずつ気持ちを外に向けて行きたいと思います。 私にはお互い頑張りましょうと言える程の資格はありませんが、fuga_puttaさんのように希望に溢れた世の中を疑うことなく、勇気を持って生きていきたいと思います。 ありがとうございました。
補足
皆様、この度は、ご自身の本当に大切なお話をして下さいまして、本当にありがとうございました。 また、そのようなお話をさせてしまい、申し訳なく思っております。 なんだか宙に浮いていたような感じだったのですが、足元にぼんやりと地面が見えたような気がします。 人生について今まで本で読んで理屈では分かっていたことが、何となく形を成しつつあります。 それは今までにないことです。 この度は貴重な時間を与えて下さいまして、本当にありがとうございます。
重度の鬱病で、引きこもり、死ぬことばかり考え、仕舞には食事も摂れず、体重が20キロに落ち、半年も一睡もできず、お金もなく、公園のベンチで夜を明かしたこともあります。 それを克服して社会でばりばり働き、友達もたくさんでき、幸せな結婚をした経験者です。 何をきっかけに社会復帰できたか?という質問に対しては、答えは簡単です。 自分が「困っていた」からです。 心の病気が治るか治らないかの分かれ目は、「本人が困っているかどうか」という違いです。 私は引きこもっていた時はまだ困っていなかったのです。とりあえず食べるものもあり、寝る場所もある。呼吸もできるし、思考もできる。 でも病状が進んでさすがに命の危険を察知したとき、人間は生への執着心から、なんとか生き延びる術を考えます。 これは私の周りで同じような体験をした人は多いです。 精神的には荒んでいても、とりあえず経済的に家族に守られている人は、なかなかニートや鬱状態から脱却できません。 でもその人たちがある日家族の庇護から放り出された時、鬱は面白いほど改善に向かうのです。 参考になさってください。
お礼
風邪を引いたにもかかわらず、身動きの取れない寒い冷蔵庫の中に入っていたら、苦しいだけで風邪は治らない。 うつ病を心の風邪だと例えるなら、そんな感じでしょうか。 自殺されている方が現実にいらっしゃるのですから、一概に困ったから放り出されたといってうつ病などが治るとは言えないと思いますが、確かに経済的に守られているからこそ起きている一面もありますね。 私がまさしくそれだと思います。 そんな私も、家族の庇護から離れたとき、立ち直るのでしょうか。それとも。 生きようとする無意識の存在、そして生への執着心。 私が思っていた以上に、人は生きようとする気持ちが強いのですね。 しかし、それでもなお、1年間に3万人以上の方が自ら命を絶っていらっしゃるのですから・・・。 参考になるお話、ありがとうございました。
補足
ポイントですが、とても差はつけられませんので書いてくださった順につけさせてください。 皆様の貴重なお話、本当にありがとうございました。
- snow_fish_ff
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昔ニート同然で、将来何の希望もありませんでした。 「死ぬのが面倒くさいから、生きているだけ」という状態でした。 何か、(半分遊びで)ネットでこういうサイトで書き込んでいる間に、「突然」なんとなく社会とのかかわりを持てる気がしてきて復活し、仕事を始めました。 そして今、仕事で失敗し、仕事をなくし、何のスキルもつんでいないので、気力も将来の夢も失くしています。再びニート状態です。 以前の社会復帰に対する気力も「突然」やってきましたので、諦めてはないです。 ---- 質問者さんの「その時点で社会復帰は諦めたほうが良いのでしょうか。」と言う質問も「(社会復帰した)きっかけをお聞かせ願えないでしょうか」という依頼も、「社会復帰に対する可能性は捨てていない人の行動」です。 って、後半は、質問者様自体がターニングポイントを求めている前提で話したけど、質問の趣旨が違っていたら失礼しました。 その場合、前半の回答だけご参考にしてください。
お礼
お話ありがとうございます。 そうですね、私にはまだ希望が残っていますね。しかし、以前とは違う何とも言えない諦めの気持ちが起こっています。ぽっかりと穴が開いたような感じです。無感情というのでしょうか。 私も以前、1年ほどニートのような状態から、社会復帰しました。その時もやはり、苦しかったものの希望は捨てていませんでした。 そして何度目かの失敗をし、無職の今に至るわけですが、以前より諦めた感の強い状態です。 ふと同じだと思ったのですが、今こうして質問コーナーを使わせていただいてるのも、何らかの社会とのかかわりを持てば何かが変わるかもしれないと思ったからかもしれません。 今までなら、掲示板で人とかかわりを持つことすら拒否していました。 しかし、今こうして質問させていただいてます。 生きようとする無意識の存在以前に、私にはまだ生きようとする意識が強いのでしょう。 なんとなく自分の立っている場所がわかった気がします。 ありがとうございます。
お礼
お話いただき、すみませんでした。 >どうして、こんなことを聞きたかったんですか? ■つい最近までは、心の奥底に社会復帰への根拠のない希望があったのですが、最近になって苦しむ感覚すら薄くなってきていました。もうどうでもいいかなと。 しかし、やっぱり諦めきれない。でもやっぱりいいかな。 今は両方の状態がシーソーのように表れていますが、だんだんと後者の時間が増えてきたように思います。 しかし、人間の力を信じたい。 そこで、上記の質問をさせていただいたのですが、不快な思いをさせてしまったのであれば、申し訳ございません。 生きようとする無意識の存在。 どんなに絶望的な中でも、その無意識は残っているのですか。 私には、生きようとする無意識の存在に気づく余裕がないんでしょうね。いや、無意識の存在に気づかない余裕が、まだあるのでしょう。 とにかく、なんらかの壁を自分で作っているんでしょうね。 これから将来、感覚が麻痺したとしても、無意識の存在を信じていたいと思います。 こんな甘い人間の質問に答えていただき、すみませんでした。 ありがとうございます。