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山本五十六

海軍大将の山本五十六という人が死亡したときに、五十六の遺体を捜索した日本兵が21名いましたが、その後これらの兵隊が各戦線にちらばったとききました。彼らのその後の消息について知りたいのいですが、もし分かる人がいたら教えてくださいますか? 父からの質問なんで、私には何の事だかもわからないのですが、どうかよろしくお願いします。

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  • -mizuki-
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回答No.2

http://www2.netwave.or.jp/~ynoguchi/data/yamakensi.htm にのっている検案書を見ると、 昭和十八年四月十八日に墜落、 同月二十日に第十五号掃海艇の上で 第一根據地隊司令官 海軍少佐 板垣盛 連合艦隊参謀 海軍中佐 渡邊安次 南東方面艦隊軍医長 海軍軍医大佐 大久保信 第八艦隊軍医長 海軍軍医大佐 大野博  という人々の立ち会いのもと、検屍を行い  第一根據地隊軍医長 海軍軍医少佐 田渕義三郎 と言う人が検案書を書いたことになっています。 その結果、 大久保信は昭和十九年三月三十一日に戦死 板垣盛は終戦後予備役 と以下のURLを調べたら書いてありました http://homepage2.nifty.com/nishidah/p_index.htm#aiu  

capppu
質問者

お礼

わざわざどうも有り難うございます! 父が助かったといっていました、資料にうなりをあげていました。マニアックな質問なのに本当にありがとうございます

その他の回答 (1)

  • kawakawa
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回答No.1

1943年3月18日に当時の連合艦隊司令長官であった山本五十六大将の乗機が撃墜されて戦死を遂げるという衝撃的な事件がありました。 この事実は5月半ばまで極秘事項とされました。 この際,護衛の零戦の乗員,捜索に当たった陸海軍将兵,遺体を発見後に検死を行なった軍医‥これらのメンバーは機密保持の為に,各地の特に激戦地に転属させられました。 零戦の乗員は確か1名か2名が生き残ったように思いますが,記憶違いかもしれません。 検死をした2名の軍医は共に戦死していますネ。 捜索隊は大半が戦死したと聞き及んでいますが‥ 以上kawakawaでした

capppu
質問者

お礼

すぐに回答を頂き、本当にありがとうございます。 すごい知識ですね~、教科書レベルの私にとってはびっくりでス。これからもよろしくです

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