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マダム・クィックリ

「商品の価値対象性は、どうにもつかまえようのわからないしろものだということによって、マダム・クィックリ(注)とは違っている。」『資本論』 (注)シェークスピア『ヘンリー四世』、第一部、第三幕、第三場。 マダム・クィックリ・・・久しぶりに見つけました。 数十年来、「気まぐれ」という意味で理解していましたが、 なにしろ、シェークスピアどころか、文学には無縁 『ヘンリー四世』の「マダム・クィックリ」の話について教えてください。

noname#136055
noname#136055

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noname#41299
noname#41299
回答No.1

引用された日本語訳が日本で売られた資本論の日本語訳ならば、「違っている」の所が誤訳です。そうでないなら、その訳を自分のサイトに転記する際にミスタイプしちゃったかもしれないです。あるpdf file がネットでヒットしましたが、そこから転記されたのでしょう。 "The reality of the value of commodities thus represents Mistress Quickly, of whom Falstaff said, ‘A man knows not where to have her." 英語を通じての訳になりますが、正しくは [したがって、商品の価値の現実味はフォルスタッフに「彼女はどう分類していいかわからない(分類不能だ)」と言われたクィックリー女将みたいなものだ] くらいでしょう。日本語訳はまさに英語訳の正反対の意味になっています。ちなみに彼女はフォルスタッフに、この女はカワウソだ、魚でも獣でもない、と中傷されます。フォルスタッフが女将の宿(兼飲み屋)で財布をすられたのを逆上して女将に責任を問うている場面です。 マルクスがマダム・クイックリー(Mistress Quickly)に触れたのは深い意味があったとは思いません。商品の価値には、我々が生身の商品に触れて感じる価値とはまったく違い、そこには関係性、社会関係などアンリアルなものが本当は含まれているのだ。この捉えどころの無い、インタンジブルさをちょうどフォルスタッフにカワウソと揶揄されたクイックリー女将に例えたのです。 19世紀はヨーロッパの知識人はサロン文化が盛んでしたが、そこでシェークスピアの話とかもしてたんでしょうね。シェークスピアのことを自著で触れると、自分の地位とかが垣間見せることができますからね。ラテン語を随所に入れて己がインテリぶりをそれとなく知らしめることもできました。ちょっとピエール・ブルデューを気取ってみました。 蛇足かもしれませんが、別のサイトで日本語訳として「彼女はどこからモノニスルかわからない」のような訳がありました。これもまた違うのではないかと思います。別の文脈なら「女をゲットする」の意味になり得ますが、ここでは「どこに位置付ける・分類する」の意味だろうと思います。

noname#136055
質問者

お礼

興味深いご回答有難うございます。 引用は、1968年 大月書店 第9刷となっていますね、古い(笑。 てっきり、「ヘンリー四世」というタイトルから 「舞踏会の主役の、美しい未亡人、男達は、捕まえたくても捕まえられない者」 以上のような理解をしていましたが、違ってましたね。「カワウソ」ですか、 正に、個々の認識は個々の経験に依存しているのですね、教養不足でした。 訳文が逆転していることは、私としては問題ありません、 マルクス個人が、どのような意図だったのか、 私見では、マルクスは価値を理解したと信じたようですから、 質問文の訳が妥当ですが、原理主義や原典には拘りませんので 時間が出来たら前後関係を調べてみます、 岩波も、新訳を文庫で出していますから、観て見たいですね。 翻訳は難しいのですね、有難うございました、 「マダム・クィックリ」誉め言葉に使わないのが無難、助かりました。

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noname#41299
noname#41299
回答No.2

すみません、#1の者です。どうも私が引用したサイトのほうが間違っていたようです。おっしゃるとおり、「商品の価値対象性は、どうにもつかまえどころのないという点で、マダム・クイックリーとは違っている」(宮川實訳)となっています。正しい訳です。訂正しておわびいたします。 マルクスの念頭にあったシェイクスピアのヘンリー4世の場面は、次のようです。(脚色してます) フォルスタッフ:この捉えどころのない、カワウソめ!おまえは、魚でも、獣でもない!人はおまえをどう分類していいかわかんねえよ! クイックリー女将:ひ、ひどい!なんてこと言うの!私は、どんな人にとっても、わかりやすい人よ! こんな風に、演じられます。クイックリーはちなみに、「はやくヤラセてくれる、軽い女」の意味もあります。現代語では "quicky"(手軽にヤルこと) です。てっとりばやくやらせてくれる、ニュアンス。で、マルクスはどうもフォルスタッフの言い分ではなく、マダムのほうの言い分を採ったようなのです。つまり、「マダム・クィックリーはわかりやすい人物だ。」と。先のメッセージで私が書いたことと正反対ですね。でも、フォルスタッフは確かにクィックリーがわかりにくい、と言ったんですけどね。 で、マダム・クィックリーは捉えどころのない価値対象性(Wertgegenstaendlichkeit)(The reality of the value of commodities)とは正反対だ、という流れです。 ちなみにクイックリーはフォルスタッフを詐欺で訴えるのですが、でもなんだかんだ言ってフォルスタッフのことが好きなのです。 マダムはいかがわしい宿兼飲み屋(タバーン)の女将です。売春もやらせていました。なにしろ East Cheap ですからね。現在でもロンドンの East End あたりは庶民の町ですからね。

noname#136055
質問者

お礼

>マダムはいかがわしい宿兼飲み屋(タバーン)の女将です。売春もやらせていました。なにしろ East Cheap ですからね。現在でもロンドンの East End あたりは庶民の町ですからね。 >現代語では "quicky"(手軽にヤルこと) です。 あらまぁ、私の理解は全く正反対でしたね。貴婦人といかがわしい飲み屋の女将。 もし、シェークスピアに詳しい方と、「貴婦人」のつもりで、 「Mistress Quickly」等と喩えたら、軽蔑されるところでした、危ない、危ない。 >マダムのほうの言い分を採ったようなのです。つまり、「マダム・クィックリーはわかりやすい人物だ。」と。 こちらの可能性も有りますね、無前提にフォルスタッフの主張を認めては不平等。 でも、今日のニュースで、マダム・クィックリーは有罪になったようです。(売春禁止法・場所の提供) わざわざご確認を頂ようでお手数をお掛けしました、有難うございます。 二人の面白いやり取りも、目に浮かぶようで、 マルクスのお茶目な一面か、あの髭面からは想像し難いですね(笑。

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