• ベストアンサー

西国武士の俸禄

shigure136の回答

  • ベストアンサー
回答No.1

以下の文献を読むと俸禄が銀で支払われたこともあるのかもしれませんが、西国武士の場合かどうかは確認出来ませんでした。 江戸時代に入ると,独自に領国を支配していた諸大名も改めて徳川将軍から俸禄を与えられた近世大名として再編成された。その過程で将軍・大名の家臣として組織された武士は,居住地を離れて主君の城下に集住させられた。 江戸時代初期にはこのような武士の俸禄として,知行する所領を与える地方(じかた)知行と,直接,米・金を給する蔵米給与の形態があった。しかし幕藩体制の確立とともに,家臣団の知行権は制限されてしだいに蔵米給与に切り替えられ,武士と所領との関係が断ち切られるようになった。 こうして知行取りといわれた上級の家臣も,ほとんどは知行高に一定の年貢の割合を乗じたものを主君の蔵米から支給されるにすぎなくなった。たとえば知行500石取りの者は,四つ物成(ものなり)なら200石,三つ五分なら175石が与えられるわけであるが,【しばしばその一部を金に換算して渡された。】 また地方知行がもとのまま残っている場合も年貢として徴収できる現物の数量は主君によって定められていた。知行地とまったく関係のない蔵米給与は,切米(きりまい)と扶持米(ふちまい)に大別できる。切米は中・下級の家臣に与えられる俸禄で何石ないし何俵で示され,初め年俸として1回に支給したが,しだいに2回に分けさらに3回に分けて春借米・夏借米・冬切米と呼ぶようになった。これに対して扶持米は下級の家臣に与えられるもので,1人1日5合の割で計算した年間の玄米の量を一人扶持とし,何人扶持で示し毎月支給した。切米・扶持米も金に替えて支給することがしばしば行われた。これらの俸禄は家禄・世禄となり職務と対応しなくなっていったので,役職につくと種々の役俸がついた。やがて明治維新を迎え金禄公債発行をもって近世的俸禄は廃止された。 また、他の記事では、 江戸時代、武士の俸禄は米が基本だが、『蝦夷国まぼろし』(夏堀正元著・中公文庫)によると、米の取れなかった松前藩では、米の代わりに沿岸の漁場を区分して、家臣たちに分配していたそうだ。 これを「場所」といい、重臣ほど多くの場所を持ち、下級武士の一部や足軽などには、東北地方から買い入れた扶持米が与えられた。 家臣たちはその場所=漁場から獲れた海産物を商人と直接取引して、生活を立てるのが建前だったが、実際には近江商人を主とする人たち(=場所請負人)に場所の管理を代行せていたという。 場所からとれる海産物の花形は、ニシン(鯡)。「ニシンは米とおなじ、いや、それ以上の価値がある。ニシンはしたがって、魚ニ非ラズ」ということからいつのまにか「鯡」という言葉が生まれたくらいだ。 このように俸禄制度は、時代と土地で流動的に運用されていたことも考えられます。 銀で支払われる事は大変な事かもしれませんが、金が使われていた事を考えると、あながち否定は出来ないかもしれませんね。

mersess
質問者

お礼

わざわざ調べてくださったのですね。利用させていただきます。ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 鎌倉初期の西国武士の勢力

    ある歴史の本を読みましたが、そこには承久の乱以前の西国では荘園領主(いわゆる皇室、公家、社寺)の力が強かったので武士の土地支配は未熟だった旨の記述がありました。  そこで質問します。なぜ、またどのくらい荘園領主の力が強かったのでしょうか。相変わらず在地地主(実際に荘園を管理している現地の有力者の意味)は荘園領主に搾取されていたのでしょうか。西国に幕府の力が及んでいなかったとはいえ、在地地主は武力を持っていたし、平安時代に比べ荘園領主からかなり取り分を奪っていたと思うのですが。げんに東国では武士が自分たちによる土地所有、収益権を実現しています。  自分では以下のように推理したのですが、この件に詳しい方がいらっしゃれば、誤りの指摘も含めてご教授願います。 (1) 西国武士も自身による土地支配を望んでいたが、彼らの権利を保障して くれるであろう鎌倉幕府の傘下に入る気がしなかった。これは西国武士と 源氏の主従関係が希薄であったためである。 (2) 西国では、在地地主は荘園領主に抵抗できるほど武装化していなかっ  た。

  • 武士から見た江戸時代とは?

    武士から見た江戸時代とは? 武士から見た江戸時代とはどんな感じだったんですか?

  • 武士

    武士が身分を剥奪されて農民や賎民に落とされた事はあったのでしょうか?特に江戸時代はどうだったのでしょうか。

  • 武士でもお墓ないかたがいましたか?

    決して貧しいわけでもなく、むしろ暮らしに余裕のある郷士(武士)でも 江戸時代中期ぐらいまで、お墓を建てなかった郷士のかたがいたみたいですが 江戸時代の武士は江戸時代初期から、みんなお墓は建てると思ってましたが、そうではないのですか?

  • 武士の

     江戸時代、貰っている禄高の大小により武士を区別する呼び名もしくは俗称(蔑称も含む)があったら教えて下さい。

  • 武士の性癖??

    江戸時代の武士は小姓を雑用として使っていたっと授業で昔聞いたことがあります。 男色といって、夜の相手を小姓にさせていたと友人は言ってますが、これはホントの話でしょうか? そうなると、少し下品な話になりますが、男と男がSEX していたことになりますが、武士は皆ホモだったのでしょうか? これは、武士としての誇りがけなされる行為ではないかと自分は思うのですが、江戸時代の武士の間では普通だったのでしょうか?庶民もそういう趣向があったのですか??

  • 武士の生活について

    江戸時代の武士がどのような生活を送っていたのか、様子を知りたいと思っています。どなたかご教授願います。 参考になる書籍でもかまいません。 ちなみに武士道はすでに読みましたので、それ以外に何かありましたらご伝授願います。

  • 武士

    江戸時代の武士の食生活はどんな感じだったのでしょうか?庶民よりは良い物を食べていたのでしょうか。 具体的にどんな物を食べていたのでしょうか。 宜しければご回答お願い致します。

  • 武士の言葉遣い

    時代劇を見ていると、ある程度身分ある武士はいわゆる武家言葉でしゃべっています。 一方、奉行所の同心や下級の御家人、浪人者などは町民と同じ江戸っ子口調が多いです。 時代劇の考証が正しいのかがまず疑問ですが、実際の江戸時代でも階級によって武士の言葉遣いは違ったのでしょうか? その場合どのくらいの身分で分かれていたのでしょうか? 時代劇の金さんや鬼平みたいに、身分が高くても個人的好みで江戸っ子口調の人もいたんでしょうか?

  • 鎌倉時代の武士も暇?

    江戸時代の武士は相当暇だったと聞きました。 鎌倉時代の武士も同じように暇だったのでしょうか?