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日露

日露戦争で日本は勝ったのに増税になっちゃたそうです。なぜですか?

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  • 10pph
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回答No.4

まず、日露戦争はあくまで極東での局地戦であり、日本が「勝った」と言っているのは、旅順や奉天での陸戦、日本海海戦での勝利の事を言っているだけです。 第一次世界大戦や第二次世界大戦のように「降伏文書」が取り交わされたわけではありません。 明確な勝者や敗者が存在しないのです。 では、何故、ポーツマス会議が開かれたのか?。 それは#3さんの回答にある通りです。 補足するなら、日本は戦費をイギリスやアメリカの資本家に国債を引き受けてもらって調達し、ロシアはフランスの資本家から調達していました。 戦争を継続すれば、国力の劣る日本が最終的に敗北して、日本の国債が紙屑となり、イギリスやアメリカの資本家が大打撃を受ける可能性がありました。そこで、アメリカのルーズヴェルト大統領が講和の斡旋をしたのです。 講和会議が始まると、ロシアの全権代表ウィッテはアメリカのマスコミを味方につけて交渉を有利に進めました。賠償金の獲得にこだわる日本はルーズヴェルト大統領にも愛想を尽かされ、アメリカは講和会議から手を退きそうな状況となりました。 そうなれば、日露の戦争は再開されてしまいます。 すでに国家予算の3倍以上の20億円を費やしていた日本にその余力はなかったのです。 ルーズヴェルト大統領の勧告に従って賠償金を諦めるしかありませんでした。 そのため、戦争のため調達した戦時国債は増税して得たお金で償還しようとしたのです。

その他の回答 (4)

  • jk7
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回答No.5

当初の予算をはるかに超える戦費がかかり、日本は英米に借金までして戦争を続けました。 借金の返済が可能かどうか不安になったところで、米大統領ルーズヴェルトが日露を調停して、ポーツマス条約締結になったわけです。 ところがこの条約でロシアは、敗北を認めなかったので、日本は賠償金を得られなかったのです。 だから当然増税となるわけです。

回答No.3

皆さんおっしゃられているように、戦争のために多額の借金をしていたのに、ロシアから賠償金が手に入らなかったからです。 日本は、それだけ無理な戦いをしていたということなのですが・・・。 ではなぜ、日本がそんな見込み違いの賠償金をあてにしていたのか? それは、日露戦争から遡ること約十年前の、日清戦争(講和は下関条約)で、多額の賠償金を手にしていたからです(ちなみにその賠償金を元手に福岡の八幡製鉄所を作りました)。 日清戦争で賠償金の味をしめた日本は、日露戦争でも、その賠償金をあてにしていました(取らぬ狸の何とかです)。 「戦争で勝ちさえすれば、また同じように賠償金が手に入る。だから、一時的に戦費がかさんでも、勝ちさえすれば問題ない」という考え方だったのだと思います。 ちなみに、うろ覚えなのですが、日露戦争の戦費だけで、当時の国家予算の5~15倍(人によって換算方法が違うのか、はっきりした年数は不明)程度の借金をしたそうです。 今でさえ国の借金は、国家予算の7,8倍程度(隠れ債務を除いた600兆円程度で計算)ですから、その借金を、一年だけで作ると言うのは、とんでもない話だといえますね。 で、話を元に戻すと、日本は、海戦では圧勝したものの、陸戦では多大な犠牲を払って勝利を収めており、もはや戦争を継続する力は残っていませんでした。つまり、早くこの戦争にケリをつけてしまいたかったのです。 一方ロシアも、国内に政情不安を抱え、本音では戦争をやめたがっていました。しかし、戦費はまだ潤沢にあり、日本よりも遥かに余力がありました。ですから、賠償金まで払って戦争をやめる気は、全くありませんでした。 そのため講和交渉では、余力のない日本が、賠償金についてロシアに譲歩するよりほかありませんでした(しかしそれでも満州の権益や南樺太を手に入れることができたのは、当時の外相・小村寿太郎の政治手腕のお陰だったと、近年再評価が進んでいます)。 結局、賠償金は手に入らず、借金だけが残りました(そのせいで日比谷焼討ち事件など暴動が起こったりもします)。 ただ、日本はそれを地道に返済していきます。勿論、増税効果もあったわけですが、それ以外にも、経済成長、日本の大陸進出、そして何より、後の第一次大戦時の好況が、その借金返済を可能にした、と言われていますね。 すみません。長くなりましたが、以上です。

  • rarike
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回答No.2

日露戦争は勝ったといっても薄氷の勝利でした。戦費も莫大に係り、もう1会戦行っていたら、国家財政が破綻するところでした。(戦費調達のために、外国にも多大の借金をしています) 賠償金が取れなかったのも、上記の状況を踏まえれば、ある意味しかたがなかったともいえるのです。 そういう状況だったので、戦後の増税もやむを得なかったのですが、勝ったと思っていた国民には理解がむずかしかったでしょうね。

回答No.1

たしか日露戦争ではロシアからの賠償金の支払いがなかったような。そのせいかも。

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