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感謝をする心の欠落

masatoshi-mの回答

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回答No.7

 こんにちは! adelaideさん。ちょっと手が透きましたのでので、このスキに手短に回答をば…。(はれ~、け、決して仕事をサボってここに来たわけでは、あ、ありませんっ!(断言))  幾つかが複合的に絡み合って原因をなしていると思いますが、先ず考えられるのが「食生活のあり方の貧困化」。  振り返って考えてみれば、言葉の習慣を身につけ始めた幼少時、私たちは食事の時に最も強く親の躾を受けていたような気がします。「いただきます」も「おご馳走様でした」も即ち「ありがとう」の感謝の気持ち。ご飯茶碗にこびりついた米粒一つ残すことすら、許されてはおりませんでした。「お百姓さん(ん?禁止用語? でも「農民」とは言ってなかったんだもん)が汗水流して作ってくれたものを粗末にするな」と…。幼少時に受けたそういう教育は本当にその人の感覚を一生左右するようです。私は未だに(当然ですが)米粒ひとつでも残っていたりすると居心地が悪いのです。そう考えてくると、幼少時に食生活のあり方が貧しかった人々(勿論食卓に並ぶ内容のことではありません。賢明なるadelaideさんのこと、ご推察頂けると思います)が「感謝の心」を育み損ねてしまったのではないでしょうか。  次に思うのは「人間関係の希薄化」。  心と心の触れ合い…それが様々な感情を生み、「ありがとう」や「ごめんなさい」等の言葉を生み出してきたのではないかと考えているのですが、自動販売機の隆盛、レジでの無機質なお金や物のやり取り、その他にも人間関係を希薄にしてきたものは数多く見られます。少しのことにも相手を煩わせたりすればやはり「ありがとう」「申し訳ない」との感情が生まれてくるのが自然ですが、昔と違い、少しのことは機械や文明品がやってくれるようにもなりましたからね。さすがに機械相手に「ありがとう」は言わないでしょうから、「ありがとう」を言う機会(シャレではありませんからね)が確実に減ってきているのは間違いないでしょう。私たちの少年時代にはこうした意味での「人間関係」というのはホントに豊かで、従って自然と「感情表現」も鍛えられていきました。「ああ、ボクの為に(店の)おばちゃん、動いてくれてるんだなぁ」と日々実感することができていましたもの…(って、毎日駄菓子屋通いしとったんかいっ!)。  次に、妙に合理的な考え方の、社会への浸透を感じます。「私はこれだけの代価を払っているんだから、これだけのサービスを受けて当たり前。特別に感謝する必要はない」と…。確かに1000円を払って焼肉定食を食べているのだから客側だけがお店の人に感謝する必要はないのかもしれない。同様に焼肉定食を食べさせたのだからお店側の方も…。少し極端に書き過ぎたかもしれませんが、「然るべきサービスを受けて当然」とドライに受け止め始めた人間が勢いを増してきているのではないでしょうか。    飽食の時代に育った若者たち、便利な文明機器に囲まれて人間関係をうまく築いてこられなかった若者たち。ものを食べられると言うことの幸せ、それが何かの命の犠牲の上に成り立っていることへの畏れと感謝。そうした思いを先人(祖父母・両親・先生等々)からうまく伝えてもらえなかったのでしょうか…。ある意味でかわいそうな人たちではあります。  私も何かをして頂いたら、感謝せずにはいられませんし、一言感謝の言葉を申し述べなければ気持ちが悪くて、その居心地の悪さに耐えられません(ご飯粒の時と同じです)。例えばここで質問してその回答者にたった一言のお礼の言葉すら述べられない人…「困ったものだ」と心底思うのですが、また同時にいろんな事情も考えます。私はこのサイトを「ある意味世の中の姿を凝縮したものだ」と考えておりますので、お礼をしない人がいてもあまり気に留めません(これがいいことだとは決して思いませんが、やむを得ないことだと、ある種諦めております。あまり良い姿勢ではないかもしれませんね。(^_^;))  すみません、今時間がないものですから(「やっぱり仕事をサボってたの?」というツッコミは勘弁してくだしゃ~い)尻切れとんぼの形で文章を強制終了せざるを得ません。そ、それではまた、何処かでお会いしましょう。何度も繰り返しになって自分でも笑ってしまいますが、「どうぞよいお年をお迎え下さい♪」(^.^)/~~~

adelaide
質問者

お礼

masatoshi-mさん、ご回答をありがとうございました。 12月29日に、さあ、お礼を差し上げようと思ったらフリーズし、そのままの状態で年を越し、今日1月4日になって、日も昇り、やっと溶け出して来て動き始めた・・・という感じです。(わたしは雪だるまか?) 何はともあれ、本年もよろしくおねがいいたします♪ さて、「食生活の貧困化」と「人間関係の希薄化」は、とてもよくわかります。 食生活の貧困化に関しては、昨今の第○次グルメブーム(?)の中で、美味しい物を求める人々を見ていると、日本の将来はどうなってしまうのだろうか?という事まで考えてしまいます。もちろん誰にとっても不味いものよりは美味しいものの方が良いはずですが、美味しいものに慣れてしまって、美味しいものの有難さがわからず、それが当たり前になってしまって、将来何かがあって美味しいものが食べられなくなったら、一体どうなってしまうのだろうかと考える訳です。 だって、食欲は人間の本能の欲の中のひとつだから、想像以上に辛い生活が待っている事になると思うのです。 だから、食べられる事の有難さを感謝し、日頃から「立ち止まって振り返る」ことを習慣にすべきなのではないかと。 人間関係の希薄化に関しては、戦後、長い時間をかけてジワジワと進んで来たように思えるんですよ。住宅事情や都市機能の一極集中化、物価など、希薄とならざるを得ないようなものを感じるのです。だから、これまた時間をかけて適度な距離の人間関係を社会的に築いて行かなければならないのではないかと。見て見ぬふりはいけないなと思います。 だから、見ず知らずの他人でも、悪い時には忠告し、良い時には賞賛のまなざしを向ける・・・などするようにしているつもりです。 でも、masatoshi-mさんのご回答の中で一番「これだ!」と感じたのは、 >妙に合理的な考え方の、社会への浸透 です。 もともと日本って、人間の感性や情がいろいろな事に大きく影響する傾向があって、欧米のような合理性に欠けていたと思うのです。つまり、合理的な考え方の歴史が浅い訳です。 そういう中で、勘違いする人間が多く、合理性や自己の確立など、しっかりとした考えをもつべき分野において、浅はかな考えで感謝の心を忘れた「自己中」が生まれ、それが蔓延しつつあるように思えるのです。 だから、日本の精神文化は軟弱だなぁ・・・とも感じるのです。 でも、もっと何か別の原因があるのではないかとも思えます。

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