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金正日のノーベル平和賞受賞
エジプトの故サダト大統領がエルサレムを訪問しノーベル平和賞を受賞した際には相手方のベギン首相も同時に受賞していますが、韓国の金大中元大統領が平壌を訪問してノーベル平和賞を受賞した際には、相手方の金正日総書記は受賞ていません。 ベギンが受賞できたのですから当然金正日も受賞してしかるべきだと思いますが、なぜ金正日にはノーベル平和賞は与えられなかったのでしょうか?
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- gusin
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それは、金正恩を八つ裂きにしてからの話にしましょうね?wwwwwwwwwwwwwwwww
- bigskull2
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平和賞の選定に恣意や主観が無いとすれば一体何によって選ばれるというのでしょうね? ひとつの人物や事柄についてさまざまな見方があるのはわかりますが完全に計量的で客観的な基準でも作れるのでしょうか。 ついでを言うと別に私はベギンとサダトの優劣を論じたつもりはありませんが。曲解です。 過去の問題がありながらも、中東和平の前進を前向きに評価しようという政治的な意味合いも含めて、歴史的な役割を果たした点を評価したということでしょう。 私は別にサダトとベギンの比較ではなく、ベギンと金正日の比較として申し上げたわけです。 ご質問の内容自体がもともと、ベギンと金正日の比較という観点から書かれていたわけですので。 ついでのついでとして書かせてもらいますと、ベギンが元テロリストだという言い方が良くされるけど、ユダヤ人にとっては彼はユダヤ民族自決実現の功労者であるわけだし、似たような言い方をすればアラファトも"ヨルダン・エジプト・イスラエルの和平実現後も執拗に武装闘争を続けたテロリスト"となります。 さらに南北首脳会談と和平合意では政治力学的な意味付けに大きな差があります。南北対立の根本は東西対立にあり、世界史的には南北関係よりもむしろ米朝・米中・米ソ関係の方が大きかったわけで、南北首脳会談が朝鮮半島の平和にそのまま直接結びつくとは当時考えられていなかったと思います。実際問題として金大中の受賞理由は南北対話の進展だけではなく、民主化とか人権とか、いろいろな理由がついていたわけで。 金正日とサダトとの比較、あるいは金正日と金大中の比較で言うと、サダトはエジプト民主化、金大中は朝鮮半島南部の民主化や東南アジアの民主化運動の功労者で、金正日は朝鮮半島北部における社会主義・独裁体制確立の功労者となります。 受賞の決め手としては、「○○は××だから重要で△△すべきだ」というような"国際世論"的な一種の"恣意"のようなものも働いているのは間違い無いでしょうね。 ですがそれが必ずしも悪いこととは私は思いません。
- bigskull2
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ベギンが受賞した理由は自分で関係正常化を発議し、歴史的和平合意にこぎつけ、シナイからの撤退や領土の返還を実現したから。 金大中が受賞したのは、北朝鮮に対し太陽政策と称される穏健な姿勢で臨み、南北首脳会談を実現したから。 南北首脳会談は金正日が自分で積極的に動いて実現したわけではありません。むしろ消極的で、最後までなかなか警戒感を解きませんでした。 サダト大統領は発議した側の人間ではありませんでしたが、社会主義体制を改め、イスラエルも含めて西側諸国にも接近し、和平に対しても積極的だった。 受賞後ですが和平合意の2年後、受賞の1年後にはイスラエルとエジプトは平和条約締結にもこぎつけており、 ものごとの背景・状況が違うと思いますよ。 またノーベル平和賞はノルウェー国会の議決によって決まりますが、「人間性」など明確な基準があるわけでもなく、そのときの「時の人」が受賞する傾向にあります。
お礼
回答有難うございます。 ベギンが自ら和平を発議したのに対し、金正日は和平に消極的だったからというのが理由ということだと思いますが、 今ひとつ私には納得できないところがあります。 回答者様の回答を読むと、ベギンこそ平和賞受賞に値し、サダトはついでに受賞したかのような印象を受けてしまいますが、サダトが受賞した当時、「サダトはよいが、ベギンは何故?」といった批判が強かったように記憶していますし、ベギンが発議したとしても、実際に行動したのはサダトであり、その行為が賞賛された結果としての平和賞受賞だったのではないでしょうか。 また受賞後にどうなったかということは受賞の理由とは無関係です。 サダトと金大中の平和賞受賞はもちろん「背景・状況」は異なりますが、敵対していた相手国に自ら乗り込んで和平の足掛かりを作ったという点において極めて類似した状況であり、似たような平和賞の授賞となって然るべきだったと思いますが、現実には異なった形での授賞となってしまいました。 「時の人」という観点からすると、金大中と金正日、両者ともまさに当時の「時の人」だった訳ですが、平和賞選考委員会は意図的に金正日を無視したとの印象を拭いきれません。
- mtld
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ご存知の通り北朝鮮は鎖国政策でベールに包まれた国ですので中身が見えません 平壌訪問受け入れ実現は誰の意思かもはっきりしません TV等で知る限り軍部の力が強大で その上に共産党が乗っかっている状態の模様です 軍部無視では物事は進まないのでは?と憶測したりしますが 不審船、埒事件、偽札事件、麻薬事件等 一体誰が指示したのかも はっきりしてませんね? 形の上ではトップに責任がある訳ではありますが 要は中身が見えないからと考えます 上記の事件について北朝鮮は認める訳はありませんし 解らない事ばかりです オマケに核爆弾を既に持っていると述べたりで平和を望んでいるようには見えないのです でも平壌訪問受け入れ実現した事で 少しはその意思があるかも知れないと言う程度です
お礼
回答有難うございます。 北朝鮮は「ベールに包まれて」中身が良く判らない国で、「平和」を積極的に希求しているわけではないから、ノーベル平和賞に値するほどではないということだと思いますが、基本的には私も金正日がノーベル平和賞に値するような実績を上げたとは考えていません。 ただ故ベギン元首相(質問では故人であるベギンに故の文字をつけるのを忘れていましたので訂正します)が受賞したときと極めて酷似した条件下で一方は受賞し、一方は受賞しなかったことが著しく公平さに欠いているのではないかと思い、この質問を発している次第です。 拉致に関しても核疑惑に関しても先輩格であるイスラエルの首相が過去に受賞しているのですから、後輩格の北朝鮮の総書記が受賞できなかった理由がわかりません。
実際問題として平和賞に値する人間だと思いますか?
お礼
有難うございます。 ベギンが平和賞に値する人間だとすれば、金正日も平和賞に値する人間だと思いますが… 実際問題として平和賞に値する人間だと思われない人間であるベギンが受賞しているので、この質問をしているのですが、質問の意味を汲み取っていただけてないようなので残念です。
- tatsumi01
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北朝鮮が申請しなかったからです。 金正日も当然受賞でいきると思っていたようで、単独受賞と知って側近を怒鳴りつけたという話(怪しげ)があります。
お礼
回答有難うございます。 単純な理由ですが、本当かもしれませんね。 真にノーベル平和賞を受賞するに値するような人ならば、 自分で受賞を申請するということはしそうもないですから、 今まで、ろくでもない輩がノーベル平和賞を受賞してきたことも、これで説明できそうです。
お礼
再び回答有難うございます。 回答を誘導するようなことは避ける為、質問時に自分の考えは述べませんでしたが、私自身はサダトにもベギンにも金正日にも良い印象はもっておりませんし、強いて言えばベギンは大嫌いです。彼らが平和賞に値する活動をしたとは少しも持っておりません。ただ金大中が平和賞受賞と聞いて、過去の例から金正日も当然受賞するのだろうと思っていたのですが、結局受賞できなかったのが何か不公平で腹が立ちました。 平和賞選考委員会の人間はヨーロッパのキリスト教社会の人間でシオニズムには極めて同情的なためにベギンに賞を与え、アジア人に対しては偏見を持ち蔑視しているから金正日は賞を貰えなかったのではと考えました。 変な言い方ですが私は金正日は平和賞に相応しい人間だとは思いませんが、ノーベル平和賞は是非とって頂きたいと熱望しています。 なお今回質問したことによって#1の回答からは、ユダヤ人団体が受賞工作を行った結果、ベギンの受賞に繋がったのではとの考えが新たに浮かびましたが、これについては調べてみる必要があると思っています。 また回答者様の回答からは、ベギンは実際には平和賞に相応しい人間だとする考え方もあることも解りました。 しかし私にはベギンが平和賞に相応しい人間であるとは全く思えません。実際エジプトととは国交を樹立しシナイ半島の占領地を返還しましたが、ヨルダン川西岸やガザ地区、ゴラン高原は相変わらず占領したままで、占領地のパレスチナ人に弾圧を加えながら何故平和賞を受賞できたのか不思議です。 欧米諸国はパレスチナ問題の解決にはアラブ諸国がイスラエルの生存権を認めることが最も重要であると考えていたようで、実際その通りに行動したのがサダトだった訳ですが、私にはサダトは単にイスラエルと単独和平を結んだだけでパレスチナ問題の解決には何ら貢献しているとは思えません。イスラエルの生存権というものは聖書にイスラエルの再建が予言され、それを自明の真実のように受け入れるキリスト教社会の人間にとっては、空気のように当たり前のことなのかも知れませんが、非キリスト教社会の人間にとっては一方的に押し付けられた受け入れがたい事柄でしかないと思います。 話が脱線しましたが、最後まで読んで頂いて感謝しております。
補足
>完全に計量的で客観的な基準でも作れるのでしょうか。 完全に計量的で客観的な基準を作ることは難しいでしょうけれど、サダトの受賞はその後の同様な受賞(マンデラとデクラーク、アラファトとペレス、ラビン)の基準となっていたと思います。金大中の受賞の場合だけこの基準が適用されなかったので奇異に感じています。 >曲解です 私の認識として、サダトがメインでベギンはオマケ、金大中がメインで金正日はオマケといった考えがありました。 実際には同時受賞ですからメインかオマケかというような優劣はありませんし、私以外の人間も私の認識を共有しているわけではないといった当たり前のことに思いが及ばず、回答者様の回答を曲解していたようです。 >"国際世論"的な一種の"恣意"のようなものも働いている 善し悪しは別として、ベギンの受賞時と、金正日の非受賞時にはそれぞれどのような「"国際世論"的な一種の"恣意"のようなもの」が働いたとお考えになりますか?宜しかったら回答者様のお考えをお聞かせ下さい。