• ベストアンサー

乃木将軍は愚将でしたか?

司馬遼太郎の「殉死」には乃木将軍は愚将だと書かれています。 その根拠は203高地での軍事作戦にあったようです。 ところで他の文献で乃木将軍が愚将だったというような話は見たことがありません。 実際のところどうだったのでしょうか? よろしくお願いします。

  • 歴史
  • 回答数15
  • ありがとう数13

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.6

 司馬遼太郎は嫌いな人を悪く書く癖があります。それも人が信じるような書き方をします。作家としてのモラル(自分の執筆物の影響性など)がないのだと思うのですが…  さて、旅順要塞攻撃に関しては何度か書いているのですが、別の方も書いていますが、元々は陸軍の攻撃計画にはありませんでした。海軍が自ら攻略するということで、陸軍はこの問題に触れることはできませんでした。ですがいざ戦争になると、海軍では攻略できないことが判明しまして、急遽第三軍を旅順に派遣することになったのです。  第三軍司令部は、旅順を逃げ出した中国人労働者などを捕らえ、要塞の全貌を掴みました。その結果、正攻法以外の攻撃方法はなく、要塞線の盲点はニ龍山から松樹山に至るラインであることを掴んでいたようです。そこで、この方面に向けて重砲隊が配置されました。この作戦は攻略に1年ほど必要とする方法なのですが、総司令部及び海軍は早急なる攻略を要求し、決済された攻撃方法を破棄させられ、要塞としては手薄な盤龍山への強襲攻撃を行うという戦術に切り替えさせられたのです。この作戦には2個師団が投入され、第一師団のみは当初の計画通り攻撃を行いました。  第一次総攻撃では、初日に山頂の制圧に成功します。しかし、ロシア側の必死の反撃と支援野砲部隊の弾薬枯渇により山頂の制圧が困難になったため後退を余儀なくされます。ですが、第一師団は予定通りの進出に成功します。  9月、重砲陣地の設置場所確保のため松樹山とニ龍山の砲台に対して集中砲火を浴びせ、高崎山(これは高崎の連隊が山を攻略したため付いた名前)を制圧します。  10月、総司令部の要求に従い、正攻法と強襲攻撃の併用による総攻撃を行います。これにより望台の制圧に成功します。一方、二百三高地への攻撃ルートを確保します。  11月、第一師団が西に動いたため穴埋めとして各師団より志願選抜された中村支隊が編成され、第一師団と第九師団の間に配備されます。また、第七師団の増援が決定します。11月、再度総攻撃が開始され、中村支隊は2キロの敵陣地制圧に成功しますが、敵の対歩兵防御陣地としては最も強固な場所を攻めたため壊滅状態になります。一方二百三高地方面に進んだ第一師団は、急勾配な高地地帯のため進撃が思うように進みませんでした。そこで第七師団を投入します。二百三高地を巡る争奪戦は過酷を極めましたが、ロシア側の戦力が底を尽きまして遂に制圧に成功します。その時点で第7師団は7割の被害を被っていました。  防衛線の縮小を余儀なくされたロシア側は要塞線の放棄を余儀なくされ、更に名将コンドラチェンコも戦死してしまいます。明治38年正月、遂に降伏となりました。  まず勘違いしてはいけないのが、強襲攻撃は銃剣による突撃ではありません。強襲攻撃がその方式になるのは明治43年以降です。日露戦争では銃剣突撃の命令は記録上一度も発動されていません。当時の日本は砲兵と機関砲の支援の下で攻めるが基本であったのに歩兵のみの力で敵陣地を攻略するのが強襲攻撃です。  もし、日露戦争においてもっとも愚劣な日本軍指揮官を挙げろと言われたら児玉源太郎と思われます。旅順での強襲攻撃、攻略が困難な二百三高地への攻撃要求など、現場を知らずに無理難題を第三軍に押し付けたのです。沙河及び黒溝台でも第八師団及び秋山支隊の機転が無ければ日本軍側のラインは崩壊していました。奉天会戦でも第三軍が間に合ったから良かったもののもし間に合わなかったら日本は敗北していました。

その他の回答 (14)

  • 1582
  • ベストアンサー率10% (293/2664)
回答No.4

あの戦いはもともと海軍の失敗によるもので予定にはなく情報がまったくない状態で戦なくてはならず苦戦はしかたのないものだった しかも陸軍は戦いの前に旅順の情報を集めようとしたが海軍の横槍で(俺たちが負けると思ってんのかと怒鳴り込んできた)情報収集を中断させられたともいわれている

回答No.3

少なくとも名将ではなかったでしょう。それまでの戦争では少々の流血を恐れなければ勇敢な突撃で強固な陣地も陥落可能、というのが常識だったのである意味常識人だったともいえます。当時の軍事常識にのっとっての攻撃を繰り返したところ、セメントで固めた要塞と機関銃(それまでも同種の兵器はあったがロシア軍の機関銃は性能が格段の向上)の前に兵士の屍の山を築きました。 これは10年後の第一次大戦で欧州の名将とされた軍人たちも同様の戦術をとってているので乃木一人を愚将と決め付けるのは酷かもしれません。 乃木の場合は 1)突撃失敗が一度でなく、数度同じパターンを繰り返し、結局自分ではどうしようもなくなったこと(若年期の経験を生涯抱え込む→新しい技術についていけない日本型マジメ人間が晩年失敗する典型) 2)指揮を事実上交代した児玉源太郎が天才的な武人であったため指揮官交代後は容易に旅順が陥落した(ように思われた)こと で愚将のイメージが強まったのではないでしょうか。

  • sgi1962
  • ベストアンサー率12% (46/367)
回答No.2

倒幕家 尊王家としては立派だったようですが 軍人としては、あまりにも戦死者を出しすぎましたね。 国内召還の話もあったほどですから

回答No.1

軍事的に見れば愚将ですが、人柄は良かったというのが相場だと思います

関連するQ&A

  • 乃木将軍は愚将?名将?

    どっちだと思いますか? 理由も合わせて回答願います。

  • 「竜馬がゆく」を読み終えました

    司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読み終えて寂しくてたまりません。 長い時間をかけて読んだのでもうすっかり生活の一部に竜馬が入りこんでいて、彼がもういないのだと思うと悲しくて悲しくて泣けてきます。 こんな私にまたどっぷりとその世界に浸かる事のできる本を紹介してください。 ちなみに司馬遼太郎さんの本では「燃えよ剣」「坂の上の雲」「殉死」「この国のかたち」を読みました。 最近ずっと司馬遼太郎さんの本ばかり読んでいたのでたまには他の著者の本が読みたいです。 尚、私は元々歴史小説が好きな訳ではありませんので現代小説大歓迎です。 ただ、竜馬のようにどっぷりとその世界に浸かれるようなドラマチックでキラキラと輝く力があるような物語が読みたいです。 作品というか作家さんの紹介でもかまいません。 他に好きな作家は塩野七生です。 逆に井上靖さんや吉川なんとかさん・・時代物の。。は、難しくて読めませんでした。 宜しくお願いします!!

  • 竜馬の持っていたもの

    坂本竜馬が、携帯するものを刀からピストルに替え、それをまた「万国公法」に替えて「これからはこれじゃ」といったという話は有名だそうですが、どこかにそれが記されている文献をご存知な方はいませんか? 司馬遼太郎も書いていたような気もするのですが。

  • 司馬遼太郎さんの人間関係

    司馬遼太郎が雑誌を辞めたいとき永井路子が受賞するまでは待つぜ! という話を聞いたんですが 司馬遼太郎は永井路子の他にお気に入りの時代小説家はいたでしょうか? 知らなければ、あなたが好きな時代小説の作家とその作家のおすすめ小説教えてください!

  • 趙高について知りたい

    私は司馬遼太郎の「項羽と劉邦」という小説で 初めて趙高という宦官の存在を知りました。 それ以来、趙高にかなりハマっています。 Wikipediaなどで調べたりもしました。 もし、趙高に詳しい方がいらっしゃったら 他に良い文献をおすすめしてください。 また趙高の佞的にすごいところをもっともっと知りたいです。 いろいろ教えてください。

  • 児玉源太郎の第三軍指揮権代行を証明する資料

    日露戦争の旅順攻略戦で、なかなか旅順要塞を陥落させられない第三軍に業を煮やした満州軍総参謀長の児玉源太郎が、第三軍司令官乃木希典の指揮権を一時取り上げて、自ら指揮し要塞を陥落させたという話が有名になっています。 しかし、考えてみると軍司令官は天皇の親補職でその指揮権は天皇の軍事権の代行であるというのが建前だったはずです。天皇の勅許ないしは内諾なしに上位指揮官でもない児玉源太郎が、勝手に指揮権を代行する事などが本当にできたのでしょうか。 司馬遼太郎さんの小説が有名になりすぎて、あたかも定説のようにとなえられていますが、この件について、本当にそのようなことがあったと証明する資料が現存しているのでしょうか。 詳しい方、御教示下さい。

  • イタリア統一戦争の話

    最近世界史でイタリア統一戦争について勉強したのですが 、その授業のなかでマッツィーニやガリバルディの活躍の話を聞いてなんていうか司馬遼太郎さんの明治維新に関した本を読んだ時のようにとても興味を持ちました。そこでイタリア統一戦争に関連する文献や小説がありましたら紹介してもらいたいのです。質問という主旨から少しずれていますがお願いします 

  • 司馬遼太郎の良さを教えてください

    ここ最近は、浅田次郎の「蒼穹の昴」、山崎豊子の「不毛地帯」、佐藤賢一の「双頭の鷲」、高野和明の「ジェノサイド」、貴志祐介の「新世界より」、など他多数の小説に感動した、いち読者です。 タイトル通り、司馬遼太郎の「燃えよ剣」の上巻、「坂の上の雲」の1巻にチャレンジしましたが、面白さがわからず、挫折しました。 原因を自分なりに分析してみましたが、司馬遼太郎の文章の書き方が、物語というより報告書のように感じられ、登場人物に感情移入できないのだと思われます。 かといって、自分と同じように感じる読者がいないかネットで探せば、司馬の良さがわからないとあると、「それはあなたの感受性が低いからだ」と逆に非難されているので、自分はおかしいのか?とふと心配に思い、質問トピを書いた次第です。 先ほど、司馬の文章が報告書のようだ、と書きましたが、その理由としては、(1)登場人物同士の会話がほとんど無い、(2)登場人物の人柄を、文章でそのまま『この人物は、強情で一徹である。』と説明してしまうことにより、読者に感じさせたり考えさせたりする”遊び”の部分が無い、のこの2点だと考えられます。 手元には、未読の「最後の将軍」があります。この作品を楽しみたいので、どういった読み方をすればよいか教えてください。

  • 土佐藩『おこしょ組』の名前の由来は?

    土佐藩『おこしょ組』の名前の由来は?  先週、NHKの龍馬伝を見ていたら「おこしょ組」(もしくはオコジョ組?)に関するセリフを吉田東洋役の俳優が喋っていました。    以下、私の曖昧な記憶ですが……  司馬遼太郎氏のいずれかの小説に『おこしょ組の名には、おもしろい由来がある。小説の内容に反れるので、いずれ機会があれば触れる』との表記があったかのように思えます。(おそらく『竜馬がゆく』で記述)  また、この組は上士身分の者で組織され、後藤象二郎・板垣退助も加盟していたかのように思えます。  ……以上をふまえ、質問がございます。 【質問1】 おこしょ組の名前の由来はどういったものなんでしょうか? 【質問2】 おこしょ組はどういった活動をしていたのでしょうか? 【質問3】 司馬遼太郎はおこしょ組の解説をその後したのでしょうか? 詳しい解説があれば、その小説の題名を教えてください。また、その他参考文献があれば教えてください。 よろしくお願いします。

  • 『竜馬がゆく』はラストまで面白いですか?

    司馬遼太郎『竜馬がゆく』(文春文庫)を高く評価する人は多くいます。 アマゾンのブックレビューなどを見ても明らかです。 『竜馬がゆく』は司馬の代表作とも言って過言でない作品なので、途中途中に読み応えのあるクライマックスが用意されていることは容易に想像できます。 今まで司馬の作品は『国盗り物語』『燃えよ剣』『峠』『最後の将軍』『功名が辻』『世に棲む日日』を読んできました。 どの作品も読みどころがあり決してつまらない作品ではないのですが、大体の作品が主人公が最後ポックリ死んでおしまい(死の瞬間まで鮮やかに書いたのは『燃えよ剣』くらいではないでしょうか)と言う幕の引き方が、どうも自分と馴染みません。 「楽しませてくれたのに、最後それで終わりなの?」ってつっこみたくなります。 例えば北方謙三『水滸伝』などは死に際こそがクライマックスで、そこで読者を高ぶらせますが、司馬の作品にそのようなものは感じないのです。 この度、まとまった時間ができたので、これまで敬遠してきた『竜馬がゆく』でもそろそろ読んでみようかと思っています。 その『竜馬がゆく』、果たしてラストまで面白いのでしょうか? 司馬作品の傾向同様、近江屋で暗殺されてハイおしまいと言うようなラストなのでしょうか? そういう作品でもあえて読むべきと言う価値のある作品なのでしょうか? 多少ネタバレになっても構わないので、「それでも『竜馬がゆく』は面白い」と言う方の話を聞いてみたいです。 よろしくお願いします。