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JR事故の際のマスコミの人間愛について

chibifuku02の回答

回答No.7

現場活動を職とする人々は(警察・消防・自衛隊・医療従事者など。私もそうですが) マスコミに対しては、相当な不快感を抱いている人も少なくないと思います。 災害現場に行く。カメラで撮影。近所の住民や被害に遭っている方にマイクを向ける。 はっきり言って、活動の邪魔以外の何者でもありません。 挙句の果てには「知る権利」「報道の自由」で我を通そうとする。 逆に「応急消火義務者」「バイスタンダー」だと言って 全員、関係者の前で土下座でもさせたい気分なのですが、現場ではそんな余裕はありません^^; そもそも、JRの事故に関わらず、目の前で災害が発生していて 実際、負傷者などがいる場合でも、何もしないどころか、人の不幸をカメラに収めるのが報道。 それを、「よくぞ撮った」と褒め称えるのが報道。 それを番組で流して、視聴者に見せて「うちのスクープです」と自慢するのが報道。 自分としては、そういう観点でしか見ていません。 人間愛という言葉からは程遠い存在でしかないと思っています。 中には、そんなことよりも救助をする方もいるかもしれませんが 遺族に平気でマイクを向け、幼い負傷者に惨状を無理にでも聞きだそうとしたり 亡くなられた方の葬儀を舐めるようにカメラに収めて流す人達に 心があるとは、到底思えません。 あんな報道機関なら、いりませんね。TVで流さなくて結構。 新聞に記載しなくて大いに結構。邪魔するくらいなら潰れてくれた方が周りのためです。

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