• ベストアンサー

身分制度について

中国では科挙の試験で身分を問わず登用する慣わしだった様ですが日本はなぜそれを習わなかったのですか?やっぱ身分が卑しいと蔑まれ易さが取れなかったのですか?

  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数2

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#30758
noname#30758
回答No.4

科挙が始まったのは隋ですが、それ以前の時代は(秦を除いて)地方の豪族や貴族の勢力が強く、皇帝といえど無視できないような力を持っていました。特に南北朝時代の南朝は貴族政治といわれるように、皇帝を上に乗っけてはいるが実際は貴族たちが政治を行っているような状態でした。 南北朝を統一した隋とそれを継いだ唐の皇族は北のほうの軍閥の出身で、純粋の漢族ではなく鮮卑系です。土地に根を張った貴族たちからすれば「よそもの」だったわけです。基本的には皇帝のほうが武力で優越していましたので直接の反乱はあまりありませんでしたが、不服従の態度をとる貴族が多く、支配者(皇帝)と貴族の間に対立が起きます。そこで隋の文帝は、貴族に対抗するため官僚を募ったのです。これが科挙です。 ちなみに、唐の時代には貴族と科挙出の官僚が対立しますが、唐末から五代十国時代の戦乱で貴族層が没落したため、宋に至って官僚的皇帝専制が確立します。 ひるがえって日本では支配者(天皇)と貴族の間に特に対立がなく、官僚を募集する必要がなかったのです。 武家との対立はありましたが、これも中国とは違い武家のほうが武力で優越していましたので、科挙などのシステムを取り入れる暇もなく実権力が武家に移ってしまったわけです。

その他の回答 (4)

noname#113260
noname#113260
回答No.5

中国の場合、支配者が徳を失うと政権が交代します。 隋の煬帝(ようだい)→唐 のように。 官僚も徳のある方が上になり、徳のない方が下になればよいのですが、これでは誰に徳があり誰にないかが分かりませんから、それを計る物差しとして科挙が採用されました。 この科挙という制度は身分に囚われず、優秀な人間が国の舵を取るという、非常に平等な制度ですが、日本の場合、(建前として)政権交代がなく、身分と門閥が決まってしまい、争いを避けるという考えがあります。 戦国大名朝倉家の家訓に  1.宿老を置いてはいけない  2.身分や先祖の手柄に依らず、本人の能力により登用せよ というものがありますが、代が下がるとおざなりにされ、細川藤孝(後の肥後熊本藩主)や明智光秀など、優秀な武士が頼ってきても用いることなく、織田家に逃げられます。 日本の風土として、競争は余り好まれなかった結果かと思います。 明治以降は学歴というものが科挙のようなものとして採用され、帝国大学には皇族といえど試験を受けなければ入学出来ず、帝大の卒業順位によりその後の出世が決まるシステムを作りました。

noname#12704
noname#12704
回答No.3

中国は歴史が長いので、一口に言うのは難しいのですが、簡単にまとめると日本と中国の政治体制の違いだと思います。 中国は、皇帝が身分上はもとより、政治権力においても頂点にいます。日本の天皇とは違いますよね。 中国の皇帝にとって必要なのは、自分のために動いてくれる忠実で有能な部下です。貴族は必要ありません。というか、貴族とはしばしば利害が対立します。中国にも貴族はもちろんいますが、皇帝の忠実ではない部下ではないこともあります。世襲の貴族は、どうしても既得権益の確保に走るでしょう。それに有能とも限りません。 となれば、貴族ではなくて、有能な「官僚」によって、周囲を固める必要があります。これが中国の政治体制です。皇帝の意志は全国一律で徹底されるべきとう政治です。皇帝が政治を行うことを念頭に政治体制ができています。有能な皇帝は、寝食をわすれて政治を執り行います。大変な激務です。ヒマな時代の多かった日本の天皇とは比較になりません。中国にも貴族の力が強い時代もあったのですが、基本的に皇帝による独裁政治です。 ですから、日本の場合でも、聖徳太子など天皇による中央集権政治を考えた政治家はやはり貴族よりも官僚の充実をはかりますよね。後醍醐天皇の建武の親政が失敗したのも、能力主義にしなかったというのはひとつあるでしょうね。 鎌倉時代にしても、室町時代にしても、江戸時代にしてもそうなんですが、将軍なり最高権力者が政治を独断的に行おうとすると、既得権益をもつ階層とぶつかりますが、そうしたことがほとんどなかったからでしょう。中央集権でもありません。諸藩の財産と政治的自由を大幅に剥奪して将軍に権力を集中させようとか考えたら、身分の低いものをもっと取り立てたでしょうね。

  • pk7743
  • ベストアンサー率23% (211/896)
回答No.2

中国にも身分差別はありましたよ。 下記のサイトを参照してください。

参考URL:
http://blhrri.org/kenkyu/project/mibun/mibun_0002.htm
  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

>中国では科挙の試験で身分を問わず登用する慣わしだった様ですが日本はなぜそれを習わなかったのですか 身分は確かに関係ないようですが、実質的には過酷な試験をパスするためにはそれだけの裕福な層でなければ受験できなかったようです。 また、中国で科挙が本格的に運用されるようになった頃には日本では天皇には権力がなくなっていた(摂関政治、武家政権)ためではないでしょうか。

関連するQ&A

  • 日本でも昔官吏登用試験のような試験がありましたか。その試験の上からの三位は何と呼ぶのでしょうか。

     日本語を勉強中の中国人です。日本語を勉強するとともに、日本の歴史も少し勉強したいと思います。  中国には昔科挙試験という官吏登用試験があります。科挙の最終試験で首席合格したものを「状元」と言います。二位を「榜眼」、三位を「探花」と言います。  そこでお伺いしたいですが、日本でも昔官吏登用試験のような試験がありましたか。その試験の上からの三位は何と呼ぶのでしょうか。  自然な日本語の文章を書きたいと思いますので、よろしければ質問文の添削もお願いできると有り難く思います。

  • どうして日本は科挙を取り入れなかったのか

    同時代の日本人は中国に科挙という効率的な人材登用システムがあることを知ってたと思うのですが、どうして科挙を取り入れなかったのでしょうか?

  • 日本で科挙のような官吏登用試験がありましたか?

    中国、韓国には科挙という官吏登用制度がありました。 日本にこれとどうような制度があったのでしょうか? なかったとしたらどうしてなかったのでしょうか? 中国の制度を取り入れるのが多いのですが。 よろしくお願いします。

  • 中国人の身分制度

    中国人には2つの身分制度があって、一つは 富裕層で一つは貧困層で、生まれたときから 一生その身分がついて回るそうですが、その 制度について具体的に教えてください。

  • 中国の身分制度について書かれているもの

    最近 インドのカースト制度に関する本を読みました。「女盗賊 プーラン」です。この時代においても まだ 根強くある身分制度に驚きました。そこで 中国にも身分制度があると聞いています。それらが わかりやすく織り込まれた本や映画物語などあれば 教えてほしいです。よろしくお願いいたします。

  • 1700年代の身分制度について 中国 日本 インド

    中国、日本、インドの1700年代の身分制度と現代の身分制度の比較をしているのですが、 中国の身分制度についてがいまいちわかりません… 日本は江戸時代、士農工商で、インドはカースト制度、中国はどのような制度だっらのでしょうか? どなたかお願いします。

  • 科挙の制度

    ヨーロッパには中国や朝鮮のような科挙の制度みたいなものはなかったのでしたっけ?

  • なぜ身分制度を復活させないのか?

    日本では、所得格差が広がった。これは民意である。 よって、格差が好きな民族なのです。 であるならば、新たに、年収による身分を定めるべきである。 でないと、わかりにくい。身分毎に腕章を付けるべきである。 皆さんはどう思うか?

  • 中国の科挙と九品官人法について

    中国史の官吏登用制であった、九品官人法と科挙について の内容とその制度の目的、またそれらによって引き起こされた問題など詳しく知りたいのでよろしくお願いします。

  • 武士と士大夫

    日本と朝鮮半島や中国の 封建時代の社会制度を比べてみて 日本の武士と朝鮮、中国の士大夫では どちらが優れていると みなさんは考えていますか? 私は科挙試験の制度を持ち、 厳しい学科試験を通じて人材の育成、 選抜に取り組んでいた朝鮮、中国の 士大夫の制度の方が 優れているんじゃないかと思いました。 日本の武士にとって学問は趣味の範囲だったようで、 文字の読めない武士までいたようですし。 科挙試験のような制度は現代にも繋がる 良い制度だったんじゃないかなと思います。