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人生
みなさま、どうもこんばんは。 質問します。 あなたは自分の身に降りかかるすべてのできごとを どう受け止めていますか? 楽しいこと、嬉しいこと、寂しいこと、旗の立つこと、 人生にはいろんなことが起こります。 現実というものをどう理解するべきでしょうか?
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感情は自己防衛本能に起因する部分が大きいと思ってます。自分にメリットがある事は嬉しく感じ、大いに受け入れようとするし、社会から疎外される事は不都合なので孤独感はイヤな気分として自覚されます。自分を軽視、蔑視、否定される事に敏感に反応して生まれる怒りの感情は、危険要素を排除しようという攻撃性に結びつきます。 それぞれがそんな感情を抱えていきているのですから、人との関わりで折り合いがつかない事も当然起こるでしょう。 また、天災や偶発的な事故などというものも、科学の進歩で少なくなったとはいえ完全に避けられるものでもありません。培われた知恵が全く無力なものに対しては「不運」という言葉を当てますが、自分の無力さを認めるよりも「他者の陰謀」「神の悪意」などという風に憎悪の対象を見つける事に執心する傾向もあるような気がします。自分で防衛できなかった事は受け入れるしかないのであって、その後の事をどうするか、という事に知恵を使うべきだろうと考えてます。(難しい事ではありますね) 自分の言動と無関係に起こる事態にも原因はあるものですから、押し付けられた現実を理不尽に感じたりするのは、イヤな言い方をすれば「自分の都合」であって主観的なものだと思います。自覚できていないところで本人にも起因しているのかもしれませんし。 自分の環境が不公平に思える事もありますが、他人には自分が気にしていない部分で悩みを抱えているのだろう、と、なかば強引に自分を納得させるようにしています。 現実は、諸々の原因の当然の結果として現れてきますが、主観的なタイミングや無自覚によって、悪意を持つものに思えたり、思い掛けないものになったりするのではないでしょうか。 その度に感情が揺さぶられるのは、自分が生きようとして防衛本能を発揮している事の現れだと思ってます。
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- akatyan
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良いことも悪いことも全て自分のせいだと考えています。 そして全ての現象の中には絶対に何らかの学ぶべき事が含まれているんだと考えています。 一見最悪に見えることも、そのおくには必ず私達が幸せになるために絶対不可欠のことなんだというふうに考えます。後、何が起こってもそこには目に見えない力に守られている自分達がいると思います。 2ヶ月前に死産を経験しました。何の異常もないカワイイ赤ちゃんでした。そこにも常に守られている私達があったのだと感じています。そして感謝しています。
- nagomi26
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私は輪廻転生をなんとなく信じています。前世の記憶も何もない凡人だけどなぜかそう思えます。 現実(現世)とは自分という魂が、肉体を借りて修行をする場所で修行の内容は自分の魂が決めたこと。つまり私達はそれぞれ課題を持って人間として生まれてきているのだと思う。 人生の中でいろんな問題にぶち当たるのは、その問題に自分が学ぶべき課題があるから。それに気づかず、通りすぎるとまた違った形でその課題をクリアするためのチャンス(問題)がやってくる。 よく体に不自由な方を笑う方がいますが、それは大きな間違い。 その方の魂は、そんな過酷なハンデを敢えて選んでこの現世に生まれてきたのですから。すごい方たちだと思います。 「悪い事ばかりしていると、次世は畜生か虫だぞ!」 これも私的には違います。 動物達(人間以外の)は生きることに一生懸命で素直で、ステキです。 雑草などは踏まれても刈られても、また太洋に向かって成長する。強いです! 私という魂は、まだまだ未熟で五体満足の体がなければ人間生活を送ることができません。障害者の方達に向けられる偏見の目や、哀れみの言葉、生活の不自由さに私の魂は絶えられない。 踏みつけられたら太洋を見ることさえ臆病になってしまう私の魂では、雑草として生まれる資格はありません。 これから先、ずっと後世で雑草に転生できるように、そんな修行の為の現実なのだと理解(思いこみ)しています。 つらい事を、悲しい事を、腹の立つことを、乗り越えるための私の作り話です。
- rosepink
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良い事も悪いことも、ラッキーだったことも不愉快だったことも、全てが自分の人生に必要なことだと思っています。 自分にとって幸福であると感じる事ばかりが続くと、人間は幸福に慣れてしまってそれを幸福と思わなくなる。 好物だって、食べ続ければ飽きてしまうのと同じです。 自分にとって不幸なこと、不愉快なことが起こることによって、今まで見逃してきた幸福に気付くことができる。 無くして初めて大切な人(物)だったということに気付くことは、少なくないですよね。 今、自分が持っている小さな幸せに気付かず、とどまるところを知らない欲求を持ち続けることが、人間の最大の不幸なんじゃないかなと思います。(私も含めての話です) 今ある幸せに気付く努力も必要だと思います。 私も努力していますが・・・これがなかなか難しいもので、ついグチばかりこぼしてます。
- hiro1001
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昔から”人生万事塞翁が馬”とか、”禍福は糾(あざな)える縄の如し ”とか言います。 身に降りかかる物事は、その時の判断だけでは良い悪いは判りません。 人生何があってもひょうひょうと生きていく。 時間が経てば、考えもそのようになっていくものです。 現実は確かに厳しくその時を凌ぎきるのはかなりのエネルギーを必要としますが、凌ぎきると不思議と何でもなかったりします。 要は、現実とは最後まで諦めずに対処する楽しみの一つであると言えるかも知れません。 悪く言えばゲーム感覚でしょうか。 現実はそこで終わってしまうものではなく、それが影響して未来永劫どこまでも繋がっていくものです。 現実は大きな流れの一断面です。 どんなことも楽しんでみては如何でしょうか。
- hebi
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人は、泣きながら生まれてくる そう思っています
良い事なら“お蔭様”と感じ、悪いことなら“自業自得”と感じるようになりました。自尊心と劣等感の両方が強く内在する民族だそうですが、人生、のた打ち回った結果、そう感じるのが最も自然なことと思えるようになりました。恨んだり拗ねたりするのって結構エネルギーを使いますし、それで居て解決はしません。ずっと以前TVで見た林屋三平さんの家では、些細なことでも一家で大喜びする(例えば饅頭一個を誰かが貰ってくると皆がワッと集まってワクワクニコニコ分け合って食べる)のだそうです。大げさと思いつつ感心しました。成長は無いかもしれませんが、欲求次元を下げると言うことは平和が創れますし慣れると幸福が家庭内にゴロゴロです。三平さん宅は次元を下げた訳ではなく心のゆとりとしてであり、我が家は正しく次元を下げていると言う違いはありますが。何しろ有名と無名、有能と無能の違いがありますから。 成長って本当に必要なのでしょうか? 知人に経営者が居ますが、数字をナゼ追うのか私には疑問です。その業種で日本一を維持するのって、本当に必要なことなのでしょうか。実力よりちょっと低い目標設定で愉快に過ごせないものでしょうか? 国の経済成長もそうですが。ナゼ低成長、マイナス成長では悪いのでしょうか? 緩やかに下降上昇を繰り返してもよいと思うのですが。心豊かに含蓄のある国民になり、質素に我慢強く毅然として、悪癖を廃し社会構造を明瞭にする。経済力を今の半分にしても全員が幸福な日々を送れるのではないかと考えますが。
若い頃は、苦しいことや悲しいことがあると、 「なんで私だけが?」とよく思っていたのですが、 最近はこれも1つの成長過程かな?と思うようにしています。 ゲームのRPGで言えば「経験値を稼いでいる」でしょうか。 腹の立つことは、山ほどありますけど、 その原因となる人の多くは、長続きしないのが世の常のようですし (そう信じたいですね) その人たちだって、そういう事態になったら大変な目に遭うはずです。 人生経験に免疫力のない人たちは、大変だろうな~と思ってしまいます。 自慢できることもなく、お金はないし、モテないですけど、 幸い五体満足で健康でいられるのなら、どんなに運が悪くても 「運が良かったんだ」と思うようになりました。 これに加えて、楽しいことや嬉しいことがあれば、 なんて幸せなことでしょう! まずは人間として生まれてきたこと、そして五体満足であること、 日本人であること、男であること(個人的に)、この時代に生まれてきたこと とりあえず真面目に働いていること、考える時間があること、 こういった意見を述べさせてもらえること、等々、 変な言い方をすれば「選ばれし者」と考えてもイイんじゃないでしょうか? 例えば世界人口が現在50億人として、そのうちの日本人は 1億人ですから、確率は50分の1ですよね。 で、男ですから100分の1になります。 云々かんぬん・・・ 人間として生まれてきたことや現代に生まれてきたこと とかを掛け合わせると、今自分が存在している確率は ものすごい低い確率で存在しているわけですから、 この人生、大事にしなければいけないと思いませんか?
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kakinotaneさん、こんにちは。 自分の身にふりかかることをどう受け止めるか。 いいことがあれば、ああよかったーとおもい、 悪いことが起これば、自分は生きてきて損したとおもいます。 人生は、ベルトコンベアーの上を流れているものだと おもえば、すこしは、楽におもえるでしょう。
お礼
みなさま回答くださりありがとうございます。 本来なら各方々へお返事をするのがれいぎだと思いますが お許しください。 みなさんの考えを読ませてもらって思ったことは現実はどんなことでも まちがいなく自分に起こったことであり私はそれを素直に受け入れなけ ればならないのだと感じました。 私は辛いことなどに対して何か現実逃避のような方法を求めていたよう な気がします。 まだ、自分なりに納得できる答えはでていませんが、これから考えてい きたいと思います。