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ロシアの皇帝軍は、なんでボリシェヴィキに?
ロシアの皇帝軍は、なんでボリシェヴィキに勝てなかったんでしょうか?
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この問題に対するポイントは2つあります。 1つは目はケレンスキーの活躍。 ケレンスキーとは、前の方の言われる二月革命で出来た臨時政府の首班です。そのため他の革命派の人々と同様、軍部が革命に反対することを警戒していました。 そのため革命によって政治の実権を得ると、軍の中枢を自分たちに賛同している将校たちで固めます。 またそれぞれの部隊に政治委員を送り込み、それまでの指揮官たちは純粋に軍事作戦だけを担当するものとしました。 そうやって「皇帝の軍隊」を「臨時政府の軍隊」に変えようとしたのです。 その頃はすでに自国民の虐殺、政治の腐敗、長引く戦争などが重なって皇帝であるニコライ2世の威信は完全に傾いていました。 そのため軍人ではありながら皇帝に反感を覚える者も多く、大きな混乱を起こしながらこれらの処置も受け入れられていきました。 つまりボルシェビキによる革命が始まった時には、皇帝のため軍部がまとまって戦うこと自体が難しくなっていたのです。 では、皇帝だけではなくケレンスキーの臨時政府もボルシェビキに負けたのはなぜか、ですが…。 それは2つ目の理由である、多くの一般市民がボルシェビキの側についていた事、に関連しています。 当時のロシア軍は徴兵された人々から成り立っていました。そのためもともと士気や忠誠心はあまり高くありませんでした。 しかも劣悪な装備のまま戦わされ、各地で敗北を重ねるドイツとの戦争には反対する者も多かったのです。 そのころ一般市民の多くは、戦争継続を訴える皇帝に反発していました。と同時に、せっかく皇帝に取って代わりながらやはり戦争を続けるケレンスキーにもやはり反感を募らせるようになっていたのです。 そのため、主要な勢力では唯一停戦を訴えていたボルシェビキを支持する人が次第に増えているところでした。 その結果、故郷に居たころの自分と同じような市民たちが「停戦」を訴え始めると、徴兵されたので仕方なく戦争しているだけの兵士たちは、それに賛同する姿勢を見せるようになります。 結局、逃亡兵が相次ぐようになった軍は弱体化するより他ありませんでした。 つまりまとめると ・皇帝が信頼を失い、ケレンスキーによって改革された結果、軍と皇帝の間に距離ができていた。 ・徴兵されて来た多くの兵士が、無謀な戦争へ反対する市民に賛同した。そのため軍そのものが混乱し弱体化していた。 となります。 政治の腐敗を放置し、国民の多くに貧しい生活をさせながら、する意味の分からない負け戦だけは意地になって続ける…。 それでは多くの兵士たちが、皇帝と、ケレンスキー率いる臨時政府を見限り、ボルシェビキを支持するようになっても仕方なかったと言えるでしょう。
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- f272
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ロシアの皇帝軍なんてものは2月革命でなくなりました。ボリシェヴィキと戦っていません。
- oska2
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>ロシアの皇帝軍は、なんでボリシェヴィキに勝てなかったんでしょうか? クリミア戦争で敗れ+日ロ戦争で敗れ・・・。 ロシア国民・経済は、戦争に疲弊していたのです。 同時に、皇帝に対する信頼は低下します。 「もう、この皇帝じゃ駄目じゃね?」 「自分たちで、政治をした方が良くね?」 タイミングよく、不安をまとめるボリシェヴィキが存在したのです。 日本でも、諺にありますよね。 「沈む船から、ネズミは逃げる」 皇帝側の兵士も、反乱軍側に多くが流れたのです。 この歴史的な現実は、今でも独裁国家指導者の反面教師になっています。 常に敵・敵国をもって、国民が反政府に動かない様にする。 某国の「反日政策・反日思想教育」も、これらの一環です。 日本・日本人に危害を加えても、処罰をしません。 最近では、日本で犯罪を犯して帰国。 国際指名手配を受けた人物が、再度日本に犯罪目的で入国。 日本で逮捕。 祖国では、英雄視され警察・公安は何もしなかった証拠ですね。^^;
お礼