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仏教で、社会的弱者を不要とする考えを戒める教えは?
自然界では弱肉強食なのに、なぜ人間社会では弱者を助けることが必要なのか と、障碍者や高齢者と言った弱者を邪魔者扱いするヤカラに対して その反論と言える仏教の教えや、お経の詩句はありますか。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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回答No.3
釈迦の生存中の生き方の全てが君の探している教えだよねえ。 わざわざ、要素を切り取って条文化したのなんて、別にいらない気がするし、聞いたことがないよ。
- kurinal2
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回答No.2
jipponge様、こんばんは。 (曰く)「人間とは、何か」 なかなかに難しい問いである、と、習いました。
- NOMED
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回答No.1
怨憎会苦(おんぞうえく) 怨憎会苦とは、「生きていれば恨みや憎しみを抱く相手にも出会う」という意味です 世の中には多種多様な人がいます 人生で出会う人のなかには、性格や考え方が合わない人もいるでしょう 恨みや憎しみの感情を抱かず生きていくのは難しいという教えです 諸法無我(しょほうむが) 諸法無我には、「すべては繋がっている」という意味があります 世の中に独立しているものはありません あらゆる物事は、互いに何らかの影響を与えることによって存在しているという教えです 自分という存在も、すべての繋がりのなかで「生かされているのだ」と考えれば、苦しみから解放されるでしょう 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう) 涅槃寂静は「悟りの境地」を表した言葉で、すべての煩悩と苦しみをなくし、安らぎの境地に辿り着くことを指します 人は不平不満を感じたとき、自分以外の存在に対して怒りを向けてしまうものです しかし、仏教では、怒りは相手に対する疑念や誤解、プライド、欲望など自分の煩悩が原因だと考えます 他人に必要以上の憎悪・執念・執着を感じることは、まことにおかしいことと、仏教は説いています