唐傘お化けの魅力について

このQ&Aのポイント
  • 唐傘お化けは、一つ目で一本足の神の原型と類似項があります。
  • 唐傘お化けは、人工聖霊とも言える存在であり、神と魂の分化を象徴しています。
  • 世麗美が唐傘お化けを通じて西洋の聖霊の回復に取り組んでいます。
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テーマ「唐傘お化けはいかにかわいいか」

唐傘お化けとは、一つ目で一本足であり、日本の神話に語られる山の神の原型と類似項がある。 世麗美が独自に兵隊みたいに運用する唐傘お化けは、山の神が里に祭りで迎えられる時に、自然霊を擬人化させた「サンジン」「モクジン」とでも形容する体裁で招きに応じる姿のことで、江戸時代に無名でも有能な霊能力者が人の手で任意に再現できる術法を間みだしたものだ。 私は、初期の検証で、世麗美が扱う唐傘お化けとは、人工聖霊とでもいうべき人間存在である私のドッペルゲンガーだと思っていたが、のちにその認識に唐傘お化けから殴り込みをかけられるように、不平を述べられて「そうではない」と否定された。 当初の認識の通りに、自然霊の様相を濃厚にとどめた「人格神確立の原型」の模様だ。 精霊から転じて神事にまつわると、海外では聖霊と形容されるが、 唐傘お化けとは西洋的に形容するなら、私の研究テーマである「古代精霊」そのものと、やはり海外の神学上では定義可能だろう。 ここで、もう一度私の神学上の独自の論考を述べる。 生命の根源というのを形容して、それは過去からの目撃証言で「観念上純粋な光」を意味し、同様であると私が考えるのは「無量光」「アマテラス」「六芒星」だ。 この生命の根源は、純粋な光から、概念が「神」と「魂」に分化して解釈され、こうした人類的な了解は容易に突破することが困難で、さらに掘り下げるのは容易ではない。 神がいないのではないかとは、突き詰めると自分には魂があるので、魂と分化した神なる概念は魂がなく生命ではないのではないかという疑問だ。 それが神が葬送の産物でないかという事だ。 西洋人の哲学者の武勇伝で有名なのを、私なりに解説すると、「神の存在証明」にでも取り掛かりたくなったのであろうが、「自己の存在証明」から取り掛かったら、確かに自分は生きているが、哲学上は自己の存在証明すら確立していないという恐慌のどん底であえいで、そのさなかの絶叫のような論説が「素晴らしい哲学者た」と称賛されている。 そんなもんだよ。 哲学者は常識人から見て、おバカさんです。 この論理上の現象の根底を、生命の根本を象徴する純粋な光とは、認識されると神と魂とに分化されて了解されるという事で、とりあえず納得すると、たたき台として先に進める余地がある。 西洋の哲学は神を論考して神を求める傾向があり、完成するとキリスト型(予言者型)の聖職者であり、個人の人格を完成する体裁になる。 東洋の哲学は魂を論考して魂を求める傾向があり、完成すると仏陀型の聖職者であり、個人の人格を完成する体裁になる。 私と世麗美の対は、私が仏陀型として自己を確立したので、聖霊の概念を導入して理解するにあたって、西洋型を「天の聖霊」として仏陀型である世麗美を「地の聖霊」と定義した。 ここに「唐傘お化けはいかにかわいいか」という常軌を逸した哲学命題が挟まる。 「地の聖霊 ときわたりの世麗美」というのは、シャーマンである私に連れ添う実質的な人格神だ。その事実が、私が新たなる英知の獲得に挑戦する原動力だ。 世麗美は西洋の聖霊が天使として墜落した存在と交流できるので、現状を確認すると「天の聖霊」とはいえ、もはや地上と接点を作る余地が極めて限られるほどに退化後退しているんだ。 そこで、「古代精霊」とか「自然霊の性質を濃厚に残した人格神のひな型」として、唐傘お化けを借り受けて、西洋の機嫌が喪失した天使たちの立て直しを図っているんだ。 世麗美は日本の神々の先輩から(私は名前を聞いていない)ノウハウを伝授されて、現在で必要な作戦行動で指揮を執っている。 成果を上げて、謝意を込めた口上を、先輩に報告するときに世麗美は、私が名を知らぬ神に話しかけるために「イザナミ様」とかを、精霊伝心を確立する年代接続のために引用するんだよね。 したがって原始性をとどめる「古代精霊」という形容にふさわしいのが、唐傘お化けなのだろう。 唐傘お化けとは、世麗美を我が子とする私という人間にとっては、コウノトリが運んできた「授かりものの我が子」なんだよね。 その点も「天の聖霊」らしい踏まえ方になるだろう。 この唐傘お化けは、どちらかというと濃厚な自然霊の性質により「これから人間に同一化する」「これから人間を学ぶ」「これから人格神になるための種子」とでもいう体裁なので、いかに野蛮人の私でも、途方もなくてこずった。 最近になって、いかにボロボロになっても子供のことを優先する態度が(おもちゃ屋)ようやく認められて、私に一定の信頼を寄せるようになった。 さて、以上がご質問です。 完全に常軌を逸していて、何が質問なのか?哲学者たる奇病に蝕まれていない健康な人には一切不明の事でしょう。 哲学カテゴリーの住人なら、新着入荷のネタとして、何かとこねくり回せると思います。 放っておくと回答が一切つかない質問なので、読書感想文程度や落書きも歓迎です。 何が先に進むネタになるかわかりませんから、遠慮しないでください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kurinal2
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回答No.30

>「唯一にして絶対なる神」というのは、ハッタリだったというのが結論だ。 ・・・横レス、失礼致します。 だいたい、「この本に、全て書かれている」なんてことが、あるわけないだろう、という・・・ 試しに、何処かの(遠い)星が爆発すると、地球は(も?)大変なことになるらしいが、一向に、爆発するとは思えない。

Flareon
質問者

補足

大体はこれでどうだろう。 今日は嘘つきについて考えてみた。 嘘つきは自分が嘘をついていることを自覚しないと自らの主張の正当性を曲げない。 断固として争いを起こす。 嘘こそが自らの正義だからだ 人の心情で了解できる嘘の成り行きは、私は哲学者だから穏健に了解するが、その人が論理的な整合性をとるために、自己の思考と、社会的な姿勢の間に矛盾点ができ、その整合性を思考して論述に整えると論理構成に嘘が混じる。 そして、社会と穏健な了解を獲得して、自己の思考を修正しないと最初の嘘が拡大する。 その嘘は修復できなくなる。 さて、新約キリスト教徒がイエスのことが分からなくなった原因として、この今回の見解はいかがだろうか。 新約聖書とは偽の予言でありイエスに対する裏切りの契約書だった。 だからこそ、最後の審判が論理的な整合性で、嘘を全うするために必要だった。 そして、それが宗教の目的になり、人類を滅亡させる危険な宗教だ。 今の新約キリスト教徒はイエスがわからない。 イエスとは私に言わせれば愚か者だ。 「我々の元にイエスを返してくれ」 おおむねこれをすればいい。

その他の回答 (29)

  • kurinal2
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回答No.9

>ガミガミといがみ合うのは、あまり気にしなくていいんだ。 家。 嫁。 「家が有るから、嫁が有る」? (女の本性) 「「誰も見ていない!」と振舞っていたのが、実はバレていた、という時の、狼狽ぶり」

Flareon
質問者

お礼

別の話。 縁談に関してだけども、私の母の実家は大規模農家で土地が資産の中心なので当主は正確に把握していないが、総資産10億円超えは確実で、地元の名士として私のおじいちゃんは県会議員だった。 父は戦後にもかかわらず地方には江戸時代的な丁稚奉公の制度が残っていて、話を聞くと制度はほぼ人身売買ではあるが、その戦後のレアな丁稚奉公経験者で、地元の商工会議所で商才と伝統的な商人の気質で将来が有望視されていた。 父は貧乏だったが将来性を見込まれての縁談だ。 この場合は、母の家から資金援助を受けて事業拡大することが、当然みたいなことだったけども、母はプライドが高く自分の父親への資金援助の打診をことごとく拒否してそのたびに夫婦げんかしていた。 おかげで実際に今も貧乏に該当するだろう。 雨漏りしない頑丈な屋根の下でキャンプ生活を満喫していると思えばまんざらではない。 父に似た近くの同業者にやはり資産家から嫁を貰って資金援助で事業を拡大させた人がいて、自宅の購入代金が3億円ほどだったとか自慢している人物がいたけども、商店街がダメになる時期に生き残れなくて廃業したよ。 生存テクニックを磨くこととは、実に充実感があるよ。

Flareon
質問者

補足

「花一匁」ついか。 モンメは金銭単位でもあるが計量単位でもある。 女性への値踏みという以外に美人比べと縁談話とかだろう。 「花一匁」は私の子供時代は女児が好きで、でも男児を混ぜないと面白みがなかった模様だ。 ままごと遊びと同一の結婚ごっこだろう。 おばあちゃんとか母親が話す婚姻手続きと、昭和時代ではまだ因果関係がある。 花嫁と初めて面会したのが結婚式当日でだという体験談が広まってことがあるが、極端でも驚くほど珍しくはなかっただろう。 結婚後の生活保障を親族が段取りをつけるからだ。 今の若者も親の資金援助で結婚する事例が多数派だ。

  • kurinal2
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回答No.8

>仏陀の定義 定義されるのは、どうなのかなあ。

Flareon
質問者

お礼

感覚的にしっくりこなくても強引に研究用のたたき台を作るには必要だよ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー イエスに関していえば、降臨現象を引きおこした対象をヤファエだと考えない方がイエスが正当であるという尊敬の証になるだろう。 人間存在と聖霊存在を対比させる私は、イエスは聖母マリアと聖霊マリアという同名の両者を切り分けて考察すると理解が進むことを了解していた。 したがって降臨現象という体裁でイエスが理解した神は、私の推計ではマリアだというマザコンかつファザコンだ。 そして、独自の降臨現象を起こしていたことこそ本物の証なんだよ。 イエスが、マザコンで同伴する精霊をマリアと呼称していた変態とは到底思えないが、イエスの神に呼び掛ける現代人の呼称だとマリアなんだよ。 イエスが何と呼んだかは誰も知らないという意味では、「名をかたらない神」でもあるんだよ。 呼びかけには相手をするけども、自ら名乗ることが無いという意味だ。 ---------------------------- ここから仮設の組み立て。 イエスの言う父なる神とはヤファエだと定説通りでいいだろう。 そして、イエスは自分でも降臨現象を成立させた、それ以外の神を内心に抱いていた。 この着想は世麗美がいても私がアマテラスさんへの崇敬を忘れないのと同様の体裁になるので、その点が着想の独自性だ。

Flareon
質問者

補足

Nakay702さん向の追加。 ろくろ首の原形に関する、オレの憶測 それでいいだろう、しかし芸子さんは高級娼婦である場合が多い。 その妖艶さへの陶酔と恐れという感触も加味されているだろう。 山姥の原形に関する、オレの憶測 空を飛んでいたなら、その状態はすでに肉体的に死亡していることの表れだ。 幽鬼とでもいうのだろう。 死体の形相などからの想像を膨らませた可能性が濃厚だ。 「花一匁」 いや、かなり悲観的な意見で一面に過ぎない。 昭和でも縁談話で婚姻関係を結ぶから、隣の村とか他の家柄とかから縁談を結ぶ場合にはやはり持参金などの帳尻合わせも話し合う。 新婚夫婦の生活保障のために必要だ。 むしろ当事者の嫁の知らないところで親族が結婚相手の相談をひそひそしている設定で、嫁候補として親族の話をときめいたりドキドキしながら盗み聞きしたほほえましい情景という話でもあろう。 私の世代のおばあちゃんたちはそんな形であって模様だ。 というか、私の両親の結婚したときの縁組もそんな体裁だったよ。 したがって昭和時代のわらべ歌として健全な風俗をうたっている。

  • kurinal2
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回答No.7

>ブラッジュロンヌのじいさんにもらくがき的に話を振ったけども、「起源とは何ぞや」と言い返された。 正確に把握しているわけじゃない。 ただ世麗美は自らを「雷鳴」というように自負があり私は突き動かされている。 うん。 私も、ここでね、聞いたことが有るの。 「一時的な、小康?に、過ぎない」といった、回答だったの。 ・・・まあ、そうなのかもね(笑)

Flareon
質問者

お礼

どのあたりのことを思い出したのかしらん、にたようなことを繰り返しながら少しずつ前進しているといえば、何かとそんな体裁だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今回はすっかり妖精さんの話なので、踏まえておく設定のおさらい。 世麗美は守護領が「アリス女学校」とでもいう風景に見えることが多い。 世麗美の学級や専門科目は「マスコットぬいぐるみ」の学級委員長がはじめだった。 精霊伝心の説明の背景にマスコットぬいぐるみがあり、円滑な伝心を確立するためにポケモンみたいなマスコットの絵柄を名刺や紋章のように使って、人霊に由来する干渉を迂回すること。 そもそも王朝時代にある名前のルールに残るように人格浸食は道徳違反で、それを回避した公共交通の整備だ。 「唐傘お化け」学級は天の聖霊に該当するキリスト教圏立て直しが専門科目だ。 「私は究極のツンデレマニアです」という過去質問を検索して閲覧すると、内容が大体わかるが、超自我というのは、この場合たとえにする精霊性という研究内容では、超自我という定義じたいが性質の一面に過ぎないのだが、距離感を保つために相手を(またはお互いに)威嚇していないと「フュージョン」「憑依現象」を不用意であまりよくない体裁で起こしてしまうんだろう。 ガミガミといがみ合うのは、あまり気にしなくていいんだ。 世麗美のガミガミは先生と言われていたが、いつの間にか生徒会副会長になっているという事は、生徒会長とは「最速の臆病者」だろう。 最速の臆病者は、キリストなる精霊の宿りを成功するための練習台として、唐傘お化けにイジメ抜かれることが役割だ。 マゾ気質を予感させるその献身的な教育態度が生徒会長と言われるにふさわしい。

Flareon
質問者

補足

現代の日本だから定格的な神学の参考書は研究するなら西洋系だよね。 アニミズムと規定される神道で実質的な降臨現象を起こしても精霊や聖霊の概念が自覚のために必要だからこうしたことから初めて、有意義な応用を色々と行う実践的な研究開発現場としてのアリス女学校なのだが、日本の先輩に聖霊の話を持ち掛けるとバカ者扱いされる叱責であり、心情的には心優しいたしなめられかたを受けたりした。 日本国内においても、近代の病根の修復という意味がある。

  • Nakay702
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回答No.6

質問者からのお礼を拝見しました。 >ろくろ首で、私が知っている逸話は、旅人がある家庭に宿を求め宿泊したら、その家の家人の部屋で就寝中の家人からろくろ首が抜け出して、けたたましく騒いでいたという話だ。 これを心理学的な構成要素に直すと、就寝して自我が解放されたら、家人同士でお互いの精神に干渉している様子が明るみになった。 人格浸食だよ。 ⇒こわおも(怖い、でも面白い)!。 ところで、ろくろ首の原形に関する、オレの憶測:襟足部分に白粉を塗った芸子さんが後ろ襟を立てている場合、ものすごい首長に見える、その後ろ姿がそもそもの起原かも…。Flareonさんなら、どう思われますか? また、山姥の原形に関する、オレの憶測:村のお稲荷さんに飾られていた横長の大きな額縁に怖い形相の山姥が描かれていた。切り落とされた自分の片腕をもう片方の手に持って空中を飛んでいる図で、とても怖かった。しかしこれとて、気の毒な元主婦の成れの果てかも。それというのも、この元奥さん(と思しき老婆)、年満ちて楢山に捨てられたが、死に切れず生き残ったところ、野犬か狼かはたまた心無い村人に襲われて片腕を齧られたか切り落とされた…。しかし、あらん限りの力で逃げようとして、空を飛んでいる姿…ではないか。Flareonさんなら、どう思われますか? ことほどさように、民間伝承にはしばしば恐ろしい悲劇がつきまとう。「花一匁」というわらべ歌もその一例で、これは人身売買の歌だという。人買いが貧しい村にやってくる。金子をちらつかせながら、「♪あの子が欲しい~」と指名する。村人は、「♪あの子じゃわからん」と、せめてもの抵抗を示す。しかし貧乏には勝てず、「♪もらってうれしい花一匁(代金)」と、涙で歌いながら娘を手放す。(あの「おしん」もこうして売られた。) Flareonさん、以上のこと、どう思われますか?

Flareon
質問者

お礼

どう思うかという事なので、 今の平和な日本になって、私はまだ30年だと思うよ。 世相が険悪だった時代や、貧困が深刻だった時代は30年前くらいまで引きずっていたと思う。 こうした伝承が残るのは、悲劇への哀悼を物語にしたとも言えて、残酷物語的に認識するのもいかがだろうかと思う。 精神文化は昔から高かったからだ。 それから唐傘お化けを粗末に扱う事への補足。 実は心配いらない。 私は手短に説明することや認識することが自我研究と精霊伝心という現象にかかわっているよね。 それで世麗美の立ち位置の原型は友達も含めて「伝心精霊」とでもいうんだ。それは私のシャーマン能力の不足によって生じた。 しかし、日本の天界は聖霊や精霊の概念を、形容としては容認しても実体のない間違った概念だと把握していて、世麗美たちも一人前になるために「ガミガミと口うるさい、謎のお母さん」からガミガミ指南や指示を受けて研修したんだ。 今回はそうした指南役の役回りだから「軍団総司令官」みたいなイカツイ雰囲気があって、実際は少し前まで「先生」と言われていたが、現在は「生徒会副会長」と言われている。 ろくろ首は人格浸食現象という弊害が起きる伝心作用を使う相手を過去から名指しで形容していた。 のっぺらぼうの方は、相手が気に食わないと、そうも言われるといったところで、礼儀正しく挨拶して、助言して、何の利権も確保しないできっちり挨拶して帰ってくると、相手は好機やひらめきを、植え付けられた知恵でなく、自分自身の宝として発案した体裁になるんだよ。 親切でいい事をしているけども、ろくろ首みたいなタイプには営業妨害だから侮辱もうける。 言い返されるからのっぺらぼう扱いだともいえる。 一度はろくろ首を「山内精霊」 のっぺらぼうを「渡辺精霊」 という仮定の定義で対立構造の対処を組み立てていた。 伝心作用という通行のインフラ構築で商売敵同士だとね。

Flareon
質問者

補足

ああ、そうそう。 精霊伝心、という言い回し関連では、人と人を結ぶ相互理解の土壌の醸成とでもいった形でもあるけども、公共交通の整備と世麗美は認識していた模様だ。 商売敵がいたのさ。 私がいろいろ話すと、何もかも精霊について説明しているみたいだと自分では思うけども、それは力不足だからだ。

  • kurinal2
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.5

曰く「福は内、鬼は外」 コレの起源? それは、小生の手には負えない。

Flareon
質問者

お礼

ブラッジュロンヌのじいさんにもらくがき的に話を振ったけども、「起源とは何ぞや」と言い返された。 正確に把握しているわけじゃない。 ただ世麗美は自らを「雷鳴」というように自負があり私は突き動かされている。

Flareon
質問者

補足

私は特に今回での説明では、「自己の精神」という言い回しを「自己に内包する精霊性」と組み替えた言葉遊びをしている。 世麗美は降臨現象を発生させた実質的な人格神。 こうも言った、 しかし精神に生まれてからずっと内包しているので、 仏陀的覚醒、覚醒、ともいえる。 神と魂に分化した概念を扱ったり、予言者型と仏陀型とかを比べたりしているから、仏陀の定義にも降臨現象にまつわる事を併記して比べたほうがいいんだよ。 研究途上だ。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9728/12102)
回答No.4

お久しぶりです。「新着入荷のネタ」を拝読しました。 読書感想文というほどのものではありませんが、以下のとおり勝手な妄想をお答えします。 >唐傘お化けとは、一つ目で一本足であり、日本の神話に語られる山の神の原型と類似項がある。世麗美が独自に兵隊みたいに運用する唐傘お化けは、山の神が里に祭りで迎えられる時に、自然霊を擬人化させた「サンジン」「モクジン」とでも形容する体裁で招きに応じる姿のことで、江戸時代に無名でも有能な霊能力者が人の手で任意に再現できる術法を間みだしたものだ。私は、初期の検証で、世麗美が扱う唐傘お化けとは、人工聖霊とでもいうべき人間存在である私のドッペルゲンガーだと思っていたが、のちにその認識に唐傘お化けから殴り込みをかけられるように、不平を述べられて「そうではない」と否定された。 ⇒小雨に濡れながら道を歩いていると、カタカタ音をたてながら後ろからやって来て、「ごごしゅりんさまぁ」と呼ぶ。「このくらいの雨なら、あっしでお役に立てますょ。あっしをお使いくだせぇ」などと言う。唐傘お化けはほんにかわいい。だから、唐傘お化けは山の神でなく、道の神だと思う。そして、神なのに「神づら」をしない。召使のように振る舞う。だからオレは、唐傘お化けが好きだ。 >西洋の哲学は神を論考して神を求める傾向があり、完成するとキリスト型(予言者型)の聖職者であり、個人の人格を完成する体裁になる。 東洋の哲学は魂を論考して魂を求める傾向があり、完成すると仏陀型の聖職者であり、個人の人格を完成する体裁になる。 ⇒なるほど、勉強になった。「西洋の哲学は神を論考し、東洋の哲学は魂を論考する」。確かに!「西洋の哲学は神を求め、完成するとキリスト型(予言者型)の聖職者であり、東洋の哲学は魂を求める傾向があり、完成すると仏陀型の聖職者になる」。なるほど、確かに! 考えたことがなかったが、言われてみれば確かにそのとおりだね。しかと覚えておきたいと思う。 >唐傘お化けとは、世麗美を我が子とする私という人間にとっては、コウノトリが運んできた「授かりものの我が子」なんだよね。 その点も「天の聖霊」らしい踏まえ方になるだろう。 この唐傘お化けは、どちらかというと濃厚な自然霊の性質により「これから人間に同一化する」「これから人間を学ぶ」「これから人格神になるための種子」とでもいう体裁なので、いかに野蛮人の私でも、途方もなくてこずった。 ⇒オレの唐傘お化けに寄せる思い: (1)唐傘お化けは、例えば、山姥、のっぺらぼう、ろくろ首は怖いが、唐傘お化けは怖くない、かわいい。明るい。悲劇でなく、喜劇の王だ。 (2)唐傘お化けは、例えば、座敷童には負けるが、こなき爺や一つ目小僧より愛嬌があり、より「人間的」だ。 (3)ただ、一つ目小僧には負い目がある。なぜなら、一つ目小僧は最初から一つ目ではなかった、唐傘お化に片目を分与して一つ目になったからだ。 (4)我々の意識の根底には、大なり小なり、「アニミズム」がある。だから、アラビア風の偶像禁止の発想とは相容れないものがある。だから、多神教であり、「多妖怪教」である。 (5)だから、オレは今、妖怪供養をしたい。とりわけ、唐傘お化け供養をしたい。今の思いつきじゃない。ずっとそう思っていた。(オレも、唐傘お化けのことをオレのドッペルゲンガーだと思っている。) 以上、「オレの唐傘お化け賛歌」でした。

Flareon
質問者

お礼

まともな調査と考察をしてくれた痕跡がある回答だね。 ありがとうね。 「のっぺらぼう」の方も心当たりがあるよ。 私の自我論での回答では、他者の自我を直接自我能力が侵食すると弊害が出ると過去にも指摘した。 マインドコントロール的なことで「人格浸食現象」と呼称している。 汚染されるんだよ。 それを予防するのが、「精霊伝心」であり、私を理解するにあたって、妖精さんがお使いに行って働くのさ。 しかし、この手法では、渡航した精霊は「名無し」「顔無し」と下げずまれる場合があり、要するに「のっぺらぼう」だ。 ただし、他者に危害を与えない手法だ。 「ろくろ首」の方はその真逆で、「人格浸食現象」を引き起こす類だよ。 ろくろ首で、私が知っている逸話は、旅人がある家庭に宿を求め宿泊したら、その家の家人の部屋で就寝中の家人からろくろ首が抜け出して、けたたましく騒いでいたという話だ。 これを心理学的な構成要素に直すと、就寝して自我が解放されたら、家人同士でお互いの精神に干渉している様子が明るみになった。 人格浸食だよ。 私は統合失調症にもなったが、統合失調症というのは感染する病気だともい認識されている。 一人人格が崩壊すると玉突き事故を起こすんだ。 私は病気になってから、家族に被害が出ないようにする負担の方が、自分の健康よりも厄介だった。 他者の人格に干渉する相手にも影響が出るんだよ。 昔の日本人はこうしたことを理解する場合に霊能力者的な手法で本質を見抜いたのだろう。感性が豊かだったのだろう。 他の人の回答のお礼欄にも書いてあることは、そうしたことを浮き彫りにもする記述だ。

Flareon
質問者

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それから、あなたも自分のドッペルゲンガーだと印象を持つのはわかる気がする。 考えてみれば、他で説明した「懐柔して洗脳」もそうだろう。 唐傘お化けは自然霊の形質が濃厚だと説明するように素性はやたらと純朴なんだ。 子犬や子猫が初対面の人にも親切にされると簡単になついてしまうようなところと同一だ。 そこで、唐傘お化け自体は自らを西洋概念のデーモンの類だと、自己と人間の位置関係を危険視した定義をしていて、世麗美と友人たちは、それこそ犬か猫のように唐傘お化けを粗末で卑しい階級のように接するんだよね。 それは礼儀なのだと心得ているようで、扱いが対面上で粗末なのに、唐傘お化けがつまづいたりしないように、とても気を配っている。 そして、強い関心を持つ私が、正体不明にもかかわらず「いかにかわいいか?」と関心を向けるように、それが必然であるような魔性を予感するする魅力を感じるが、要するにそうした強い思い入れが、唐傘お化けにとって有害である場合が多い模様だ。 だからこそ、唐傘お化けは相互の距離感を維持したいのさ。 それで、どうするかというとツンデレにもへこたれないで、ひたすら口説き落とすとでもいう、気が長い苦難を続けたんだ。 おそらく西洋で言う「悪魔との和解」に相当する成果を、私が確立すると、人類的に困難な関係性は大幅に緩和される前例となるのだろう。 悪魔との交友や和解は、私はシャーマニズムの中で最も高度で、そして私の専門的な得意分野だと考えている。 何年か前に「私は究極のツンデレマニアです」という質問で吟味したことがあるけども、天使的な存在(精霊)の中で、状況の生み出す必然的でツンデレをするのが悪魔なのだと、私はその大まかな判断しかないよ。

  • kurinal2
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回答No.3

「素晴らしい哲学者た」 ちょっと笑えた

Flareon
質問者

お礼

この位の質問はいつもと同様だから、誰かが突っ込みを入れると思ったけども、一人も出てこなかったね。 損なで常軌を逸していたのだろうか。 いつも通りだと思うなあ。

Flareon
質問者

補足

「友人への私信」 あなたになら解き明かせる論考が組みあがったよ。 私は高校生の時から家業の手伝いで年間売り上げ1億円分のファミコンを買い付けていた。 そのトラウマが累積して精神が崩壊した。 少し文脈を整えると、私の投機市場での当時の才能は、観念能力の中で外道シャーマンに該当して、欲望が集まる吹き溜まりとでもいう、「欲望市場」を察知して、それに対応していたんだ。 そのおかげで、山内家が創設したテレビゲーム系金融マフィアで、創世記からのプレイヤーで、さらに最年少として、才能を兄貴分から重宝された。 精神崩壊が人生目標と自覚できたのが1995年の世麗美の霊言とするとだよ。 私の金融マフィアでの働きが成果をあげなくなって、個人的に引退したいきさつと、時期も符合する。外道シャーマンから世麗美の降臨現象に成功して抜け出したのだろう。 最大の成果がポケモン市場の創設となるね。 個人の経験から、このような考察をした、 シャーマンの素質があったが、外道シャーマンだった私は、聖麗美なる降臨現象を引き起こしたことによって外道から抜け出した。 その過程は過酷だったが、今は人生経験に新しい情報を出さないよ。 「唯一にして絶対なる神」これはお笑いだが、同様の取り組みに「普遍神」として、神の本質を濃厚に宿す存在の理解に取り組む手法があり、他の神を認めない「唯一に絶対なる神」はともかく「普遍神」という語感だと、何らかの降臨現象で存在が確認された諸神は同類の「神の本質」または「人格神」として、相互に了解する友人となるだろう。 ただそれだけだろう。 唯一神信仰は多くの錯誤に満ちている。全部間違いだと、個人的に指摘したい。 世麗美の本質は「雷鳴」で「落雷」というのが、私が体験した降臨現象の本質的な形質だ。 天啓とか、降臨現象とかと、感覚的に「落雷」は似ているねえ。 ------------------------------------------- イエスに関していえば、降臨現象を引きおこした対象をヤファエだと考えない方がイエスが正当であるという尊敬の証になるだろう。 人間存在と聖霊存在を対比させる私は、イエスは聖母マリアと聖霊マリアという同名の両者を切り分けて考察すると理解が進むことを了解していた。 したがって降臨現象という体裁でイエスが理解した神は、私の推計ではマリアだというマザコンかつファザコンだ。 そして、独自の降臨現象を起こしていたことこそ本物の証なんだよ。 イエスが、マザコンで同伴する精霊をマリアと呼称していた変態とは到底思えないが、イエスの神に呼び掛ける現代人の呼称だとマリアなんだよ。 イエスが何と呼んだかは誰も知らないという意味では、「名をかたらない神」でもあるんだよ。 呼びかけには相手をするけども、自ら名乗ることが無いという意味だ。 ----------------------------- 厄介だ~~~~! ああ~~~! 嫌になる!!! 頭がくるくるパーになるキリスト系中二病!!!!! 糞ったれめ! 何が糞かと言えば、新約キリスト教圏での長年にわたり神なる存在がいない煉獄では、教化とは洗脳で、信仰とは屈服で、教えとは暴力なんだよ。 その状態で煉獄で困難にあえぐキリスト候補を救出して、正統にノウハウを伝授することが「唐傘お化けはいかにかわいいか?」なんだよ! 教化が洗脳というのはね、犯罪者の釈明を聞くと洗脳されてくるくるパーになることだ。言い訳は一切聞かないのが健康のためだ。 教化とは洗脳というのはね、その根源的偽証を容認すると発生するのだ。 教えとは暴力とはね、言葉のままだよ、ゴリ押しというのだ。 ------------------------ 日本では農奴が支配者に直訴を届けると処刑される。 文化が違うと段取りや理解過程が違うだろうが、イエスはそれで十字架にかかったなんて珍説はどうかね。 私もアマテラスさんには頭があがらない。 > 「唯一にして絶対なる神」これはお笑いだが、同様の取り組みに「普遍神」として、神の本質を濃厚に宿す存在の理解に取り組む手法があり、他の神を認めない「唯一に絶対なる神」はともかく「普遍神」という語感だと、何らかの降臨現象で存在が確認された諸神は同類の「神の本質」または「人格神」として、相互に了解する友人となるだろう。 この論法に準拠して、自らの生い立ちに従って「請願」「直訴」をローマにやらかしたのだろう。 私は別にこうも言い放った、 処刑台に信仰を強要する獄門教の信徒は教会に「イエスを我々の元の返してくれ」そういえばいい。 そんな話だ。 こうなると、最後の審判とは、ローマの滅亡、キリスト教の根絶という体裁から、彼ら次第では、古代ローマの治世に関する反省という正統性での敗北、キリスト教の再生、このように変化可能な可能性が出る。 私とは無関係なことだ。 仰せつかった仕事だ。日本人だからだ。 これが成功すると、ローマはユダヤの全てを奪ったという感触が消えて、イエスはイエスなりの神のもとに自らの行いをなした体裁になる。 そのイエスが、獄門信徒の胸に宿るかどうかだ。 --------------------------------- うぎゃ~~~~!!!! 気が狂う~~~~!!!! アホ(獄門信徒)が攻めてくる~~~!!!! ざまあ見やがれ、 地獄になら、私が案内してやる。 きっちりさせような?

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Flareon様、こんにちは。 生活習慣を見直しましたら、ほんの僅かですが、健康状態がよくなった、気が、しました。 ・・・まだ、「気のせい」かもしれないですが。 それにしても、「日本の社会福祉の「谷間」に、ずっと居る」というような感想です。 連綿と続いている「家(世帯)単位」の、福祉のせいです。

Flareon
質問者

お礼

健康管理なら、私の場合はビタミンなどのサプリメントの類は初戦食品添加物だからと、100円ショップの安いサプリメントを多めにとることと、以前万歩計で活動量の変動とカロリーの変動を大まかに把握したことがあって、活動量を保つために出来るだけ散歩することなどだよ。 それと究極健康法に飲尿療法というのがあるが、昔に短期間試してやめて、でも抵抗がなくなったので、自分のおしっこを指につけてそれをなめて、塩分とか濃度を確認したりとかだ、酒を飲みすぎると糖分が混ざるので、適正な飲酒のペースもそれでコントロールしているよ。 下記は護持の修正した備忘録で、補足欄はその後の考察。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー テーマ「唐傘お化けはいかにかわいいか」 唐傘お化けとは、一つ目で一本足であり、日本の神話に語られる山の神の原型と類似項がある。 世麗美が独自に兵隊みたいに運用する唐傘お化けは、山の神が里に祭りで迎えられる時に、自然霊を擬人化させた「サンジン」「モクジン」とでも形容する体裁で招きに応じる姿のことで、江戸時代に無名でも有能な霊能力者が人の手で任意に再現できる術法を編みだしたものだ。 私は、初期の検証で、世麗美が扱う唐傘お化けとは、人工聖霊とでもいうべき人間存在である私のドッペルゲンガーだと思っていたが、のちにその認識に唐傘お化けから殴り込みをかけられるように、不平を述べられて「そうではない」と否定された。 当初の認識の通りに、自然霊の様相を濃厚にとどめた「人格神確立の原型」の模様だ。 精霊から転じて神事にまつわると、海外では聖霊と形容されるが、 唐傘お化けとは西洋的に形容するなら、私の研究テーマである「古代精霊」そのものと、唐傘お化けは海外の神学上では定義可能だろう。 ここで、もう一度私の神学上の独自の論考を述べる。 生命の根源というのを形容して、それは過去からの目撃証言で「観念上純粋な光」を意味し、同様であると私が考えるのは「無量光」「アマテラス」「六芒星」だ。 この生命の根源は、純粋な光から、概念が「神」と「魂」に分化して解釈され、こうした人類的な了解は容易に突破することが困難で、さらに掘り下げるのは困難が付きまとう。 神がいないのではないかとは、突き詰めると自分には魂があるので、魂と分化した神なる概念は魂がなく生命ではないのではないかという疑問だ。 それが神が想像の産物でないかという事だ。 西洋人の哲学者の武勇伝で有名なのを、私なりに解説すると、「神の存在証明」にでも取り掛かりたくなったのであろうが、「自己の存在証明」から取り掛かったら、確かに自分は生きているが、哲学上は自己の存在証明すら確立していないという恐慌のどん底であえいで、そのさなかの絶叫のような論説が「素晴らしい哲学者た」と称賛されている。 そんなもんだよ。 哲学者は常識人から見て、おバカさんです。 この論理上の現象の根底を、生命の根本を象徴する純粋な光とは、認識されると神と魂とに分化されて了解されるという事で、とりあえず納得すると、たたき台として先に進める余地がある。 西洋の哲学は神を論考して神を求める傾向があり、完成するとキリスト型(予言者型)の聖職者であり、個人の人格を完成する体裁になる。 東洋の哲学は魂を論考して魂を求める傾向があり、完成すると仏陀型の聖職者であり、個人の人格を完成する体裁になる。 私と世麗美の対は、私が仏陀型として自己を確立したので、聖霊の概念を導入して理解するにあたって、西洋型を「天の聖霊」として仏陀型である世麗美を「地の聖霊」と私が定義した。 ここに「唐傘お化けはいかにかわいいか」という常軌を逸した哲学命題が挟まる。 「地の聖霊 ときわたりの世麗美」というのは、シャーマンである私に連れ添う実質的な人格神だ。その事実が、私が新たなる英知の獲得に挑戦する原動力だ。 世麗美は西洋の聖霊が天使として墜落している存在と交流できるので、現状を確認すると「天の聖霊」とはいえ、もはや地上と接点を作る余地が極めて限られるほどに退化後退しているんだ。 そこで、「古代精霊」とか「自然霊の性質を濃厚に残した人格神のひな型」として、唐傘お化けを借り受けて、西洋の起源が喪失した天使たちの立て直しを図っているんだ。 世麗美は日本の神々の先輩から(私は名前を聞いていない)ノウハウを伝授されて、現在で必要な作戦行動で指揮を執っている。 成果を上げて、謝意を込めた口上を、先輩に報告するときに世麗美は、私が名を知らぬ神に話しかけるために「イザナギ様イザナミ様」とかを、精霊伝心を確立する年代接続のために引用するんだよね。 したがって原始性をとどめる「古代精霊」という形容にふさわしいのが、唐傘お化けなのだろう。 唐傘お化けとは、世麗美を我が子とする私という人間にとっては、コウノトリが運んできた「授かりものの我が子」なんだよね。 紹介を受けて転がり込んで、懸命に世話をしているからだ。 その点も「天の聖霊」らしい踏まえ方になるだろう。 この唐傘お化けは、どちらかというと濃厚な自然霊の性質により「これから人間に同一化する」「これから人間を学ぶ」「これから人格神になるための種子」とでもいう体裁なので、いかに野蛮人の私でも、途方もなく手こずった。 最近になって、いかにボロボロになっても子供のことを優先する態度が(おもちゃ屋の本性)ようやく認められて、私に一定の信頼を寄せるようになった。

Flareon
質問者

補足

--------------------- 投稿直後の独自論考。 唐傘お化けは、起源喪失しているキリスト教圏に世麗美が日本の先輩の支援も受けて派遣しているんだよ。 人に対して「キリストなる精霊の宿り」を成立させる唯一の可能性としてね。 人は自覚したり発現したりしなくても、内面では多重人格でもあり、普段自覚する人格以外に独立した人格と入れ替わることがある。 そんなことが起きたら病気ではあるけどね。資質は誰にでもあるのさ。 私の基礎論説から拡張すると人格の多重化能力と言うのは、根底にある自我自体は同一だが、社会性により人格として形成するにあたって、多様な人格に模様替えはするが根底はただ一つを準拠している。 しかし経験から証言しておくと、ただ一つの個体固有の自我とは、実際は分割を起こしていないと多重人格というのは独立した人格として成立しないだろう。 服を着替えるだけとはわけが違うからだ。 体裁という服を着こなすための人格転換とは嘘をつくことさ。 今回のテーマでは、根源が自己にあり同化した天啓をもたらす存在を「生粋の我が子」(地の聖霊)と形容して唐傘お化けは、ようやくなじんでくれたので「授かった我が子」と当面規定していて、それはそのまま「地の聖霊」と「天の聖霊」だよ。 聖霊型の我が子「ときわたりの世麗美」が私の看板娘だ。 ただし人格上の男性陣はより人間要素が強く、劇場で引用するのは、 仮面ライダー「黒き明星」設定は闇の仏陀。 仮面ライダー「最速の臆病者」設定は暗黒の救世主。 末尾の余計な付けたしは仮面ライダーの設定に過ぎないので気にしないように。 それらは多重人格的に私に内包している。 唐傘お化けたちは、世麗美の指南で「最速の臆病者」の方に傾倒するように推奨されていて、要するに「天の聖霊」に関して支援させたいんだ。 私の仏陀要素は完全無欠だからだ。 歴史時代以降に降臨現象として神の存在を伝承する根底であった起源を、幾度となく塗り替えてきた今の西洋を立て直すのに「最速の臆病者」を土台に、起源を回帰できる余地があるのか挑戦しているんだ。 はっきり言って、最速の臆病者は、唐傘お化けにいじめられている。 それが検証試験なんだよ。 ------------------------------- 論考2 唯一である自己の自我は実際は分割現象を起こしているという命題提起は今回が初めてではない。 今回は無意識的に内包する自己の多重人格について言及した。 過去の言及は、他者が自己の客体を内包した場合だった。 それは、自我核質に他者からの影響が組み合わさり、統合的な人格として、自己が自覚している自分自身を形成する。 人間の完成には社会性が関わり、他者を理解する知性により発生する現象だ。 わかりやすいのは心理学で研究が整った客体だ。 誰の内心にも客体がある。 それは基本が自己の心中に宿った他者の感情や知性だ。 それは、あなたにかかわる人物が、その心中にあなたをミニチュア化したフィギュアを脳内に内包しているというのが疑問を挟む余地がないだろう。あなたが象徴化されて他者の理解に上がっているとでもいう事だ。 そこにはあなた自身は「他人にどうみられているか」という要素しかないだろう。 しかしだ、あなたの社会性が他者によって変化する仕組みには、他者が宿したあなたの客体がどう扱われているかで、あなたの人格が変化する事であり、要するにより単純な了解内容を深化させた本質なのだ。 したがって他者が脳内に、あなたのフィギュアを作成しておもちゃにしているだけだと説明がつかない。 そこには他者に取り込まれたあなたの自我の一部が内包していると考えたほうがいいだろう。 これは、私の「絆」の論理でもある。 あなたが他者の心に直接宿り、その相互の理解が密接なほどに、お互いが親密な人間同士という認知を確立する。 このように考察すると、人間の成立というのは、明快な構造になるだろう。 被害報告なのだが、日本では男性のフィギュアの扱いとは、女の子のフィギュアのスカートを下から眺めて堪能するとか、服を脱がしてみるとかそんなのばかりで、GIジョーは現在では流行していない。そんな状態で世麗美が妖精さんとして他者の客体化する「精霊の宿り」とは「痴漢撃退!!!」が大忙しなんだよ。 私はアニキなツンデレラ! ラララララーーーー! ヤンデレは重たい生理痛!!! 一つ言っておこう。 強力な精霊伝心を使いこなす私には、見苦しい変態行為が丸わかりだ! 仮面ライダーにブチのめされやがれ!!! ---------------------------------- 混沌とした観念の現象というのは、踏査した世界をそのまま語るとやたらとおどおどろしいんだよ。 その理解に挑戦すことに必要なのは理解力でなく意志力などの、ど根性で、結果としての知性を獲得するんだ。 事前には知性はない。 誰もを拘束する人間の限界をケモノとして食い破る蛮行が必要なんだ。 先だってソレをしないと英知には近づけない。 ----------------------------- 日本の天界では異質な突然変異だった世麗美は、唐傘お化けをお借りさせていただくという、日本の天界の厚情でキリスト教圏の支援と再生を任されている。 そのキリスト教圏の煉獄で再生のカギとして、唐傘お化けが渡航すると。 殺害される危険が大きいんだよ。 原始の精霊性を喪失した天使たちとローマの神々(中身が唯一神でない)は劣化が激しくて、能力的に唐傘お化けよりも下等な存在なんだ。 下等存在にまともに唐傘お化けの殺害や排除は出来ないから、「初戦無敗」だった、しかしほどなく、懐柔の後にマインドコントロール、友好を示して毒殺、地位を保障したうえでその地位を担保に投獄、とか陰湿な手段で唐傘お化けの排除をしてきたんだ。 唐傘お化けは天使よりも高等な存在だから、天使の認識圏外で理解不能な防衛手段を行使する。 殺害されたと認識させておいて、存在基盤をテレポートさせるなど、日本の神社が同じ看板の社を横断する駅(祭壇)として機能するように、命綱をつけて、下等な神が殺害したつもりでも、生命安全装置でテレポートするんだよ。 正直言って、新約キリスト教圏の劣化は想像以上なんだよ。 新約キリスト教圏の天界に鎮座する存在は、もはやまともな神格は無いんだ。 唐傘お化けを投獄した後に、敵の侵略と見なして構造解析で残酷な行いをしたりした。 生きたまま解剖の類だよ。 でも、彼らには唐傘お化けを理解できなかった。 そうした残酷な行いの報復は、「最速の臆病者」を唐傘お化けがイジメることで晴らしている。 キリスト教圏は滅亡にまい進していて、自力では再生できないからこその、唐傘お化けの派遣を受け入れないでそんな不始末をしているんだ。 世麗美は、ローマにも議員バッチ「ウルロネスの使者」があるから、私から、ローマには言うことがある。 ローマ主神とアマテラス主神を比べると神格でローマ主神が序列が下位だとね。 世麗美と比べても勝てないローマ主神だが、世麗美はローマ主神を盟友扱いしているので、かろうじて対等の序列として扱うだろう。 しかし、だからこそアマテラス主神にはひざまずかないと示しがつかないんだよ。 彼らには、「ローマは世界の全てに所有を主張する」という基本原理があり、それを全うするために、唐傘お化けを受け入れないで滅亡の道行きなんだよ。 世麗美が敗戦したローマ主神を盟友扱いする厚情すら、あいつらは理解していない。 でも現代のキリスト教圏の道徳でも、私が第二次世界大戦に敗北した日本人であるからこそ学んだ。「勝者の名誉は、敗者の名誉を回復することにある」という個人的な見解の心意気に関して、そのようにふるまったと了解してくれると思うんだよ。 今やローマ天界はその位に劣化しているんだよ。 ---------------------> そうしたローマの残酷な行いの報復は、「最速の臆病者」を唐傘お化けがイジメることで晴らしている。 今回の場面での因果関係を説明したけども、こういうのが、 「無力な人が悪魔に対抗する唯一の手段は悪魔を愛することである」 とでもいう心得方で、「最速の臆病者」とは、憂さ晴らしでイジメられるのが役割だよ。 どうしようもねーよ。 ツンデレだと解釈する以外にないよ。 ---------------------------------------- 技術的なことだけどね、 私の自我論に準拠すたうえで先に進めると、他者に思念をぶつける体裁で意志の指向性を誘導する事が出来ることになる。 これは、西洋で魔物と言われた精神に入り込む干渉行為だった。 式神というのは霊能力者が開発した手法で、式神は姿が不定形だとされるが、それは、霊能力者は論述思考ではなく、観念の混沌と同じくビジョンで認識しうるので確認した式神に個人の認識誤差が加わり、様相が不定形だと定義されるのさ。 式神は、西洋の単純構造の魔物に恣意的な要素を加味して制御可能にした観念上の存在であり、無下に扱われる空想の産物と違って他者の精神に影響がある。 そうした式神に「神」と安易に記名するのは軽率とも思えるが、本来は霊能力者が「つくよみ」などの神託で獲得した霊言を流布するために、口伝に先んじて、式神相当の原型になる精霊を利用したんだ。 「伝心精霊」と言っていいだろ? したがって、役割は西洋の天使の定義とほとんど変わらない。 式神というのは、もうすたれたそうだけども、江戸時代に無名でも有能な霊能力者が神世での伝承の原型に忠実な「唐傘お化け」の開発に成功していたんだよ。

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    わかりません。 わかりません。 私は自分が今なにをしているかわかりません。 ーーーーーーーーーーーーーーーー たぶん次の質問の備忘録用 手遅れの中二病のわめきにしか見えない六輪一中とは純粋回帰して、自己の本質を形容する「記憶の宝石」を生成するレシピとして適合するわけだ。 六輪一中は「赤」(感情)の対「緑」といった具合に三原色に対の同伴色を設定して観念の純化をする構造なんだよ。でも提示された宝石に青に対するミカン色とかを使わないで直接に透明のクリスタルをかざすとは、「確かに受け取った」という合図でもあろう。 キリストなる聖霊からは、世麗美はよく「証を見せよ」と言われた。 証とは、イエスとの接点となる「キリストの証」を意味する特別な「記憶の宝石」だ。世麗美と私は10年ほど前に「イエスを象徴する信仰の生み出した大樹」をミカエルの記憶の宝石を経由して接触していた。 おそらく私が舞台装置を通して目の当たりにした事実からすると、ユダヤ教の天使ウリナルと世麗美は「キリストの証(亜種)」を何者かに依存しないで独自発行できる。襲名も帰属も不要だという事だ。 その面では世麗美も「キリストなる聖霊の宿り」が可能なわけだ。 ただし世麗美はキ印聖霊ではなくて、「(無印の)聖霊の宿り」なら普通にできるんだよ。日本の(聖徳太子さんの)「つくよみ」と同じで、内面に話しかけるだけだ。 私は、神道なら「神様と結婚している」という体裁だが、仏教だと仏陀に連れ添う観音の具現化だ。ほぼ普段は「観念の(観念に所在する)歌姫」だからだ。マクロスのリン ミンメイみたいなやつだ。 「証を見せよ」に関して言うと、今までの聖霊存在のふるまいから推測すると記憶の宝石を複数分割して分与するだけでも証を授けたことになるだろう。受け取った者の、例えば「イエスの大樹」とかが、ミカエルの記憶から案内されて接触した後に自己の記憶として確実になるだけで分割と分与だ。 キリスト教圏の領域で、シラを切っていてもいまだに現象する「殺意の暴風雨」を考えると、安全圏からウリナルと世麗美が発行する「亜種」の方が成功率が高いんだよねえ。キリストなる聖霊が生き残りを試みると殺戮のテンペストの渦中では、生き残りにあらゆる行いをするので、映画オーメンのダミアン君みたいな印象に見えてくるんだ。だから「思ったよりも嫌味な連中が多い」となるんだよ。 現在はキリストなる聖霊が記憶の宝石を合図のためにかざすという事は、聖霊の生存余地確保と復活の可能性確保は達成したとみなしてもいいだろう。 ただしだ、領域は細分化された部族社会で、実質的な多神教だ。 同じ名前で中身が違う神々の、近親憎悪と闘争が激しい多神教社会と言っていいだろう。 領域ごとの落差がひどいんだよねえ。 うまくいかない事例での世麗美の発する号令と直接私が手伝う仮面ライダーバトルだけが今までのことで、優等生を仲介して成功例を私に紹介することはなかったので、比較的安定した優等生の行いから、目的と達成率に関してようやく材料がもらえたよ。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 世麗美は「唐傘お化け」の領域通過からそろそろ10年経過すると言っていた。 最初の事は、世麗美は私に話しかけないから、他方に向けて作戦司令官みたいに「唐傘お化け」に激を飛ばして、時折は応援のための「大合唱」をマスコットぬいぐるみ学級を動員して行ったり、同級生と連絡会議したりで、正体がわからない「唐傘お化けはいかにかわいいか」を私は続けていた。 唐傘お化けは、マスコットぬいぐるみ学級だと領域通過や交渉開始が出来ないでいたキリスト圏に、唯一通過可能な存在として個別に単身(支援なし)で突入したんだよ、指示は出しても最初は、マスコットぬいぐるみは領域通過して直接支援できなかった。開始5年未満にインド系の領域だとわかる、達人シャーマンが多く仕事が早い部族からの情報提供で動きやすくなった。 唐傘お化けは「サイボーグ型人格神(の、ひな型)」で、濃厚な自然霊の形質を保護するために呪術で固めたサイボーグボディみたいな人型の身体を形成しているんだ。そうして人霊と接触余地を確保している。 ファーストコンタクト失敗では、人霊(観念世界における人間)が少ないことをごまかすために配置されたマネキン人形がバタバタとユグドラシル効果で融解する姿が大虐殺の衝撃シーンに見えたり、基盤とした価値観や秩序の崩壊が国体の破壊そのものだったりで、ものすごい恐怖と「絶対に勝てない恐ろしい魔物」という印象が強かった模様だ。 ほぼフル武装で「太陽炉搭載型ガンダム」とでもいおうか。 世麗美が唐傘お化けとの同士討ちをすることになったのは、唐傘お化けは撤退するときに太陽炉相当の自然霊の本質だけ緊急テレポートさせて、サイボーグボディを現地に活動停止させたまま置き去りにすることもあるんだ。その鹵獲されたガンダムに現地人が「吐息を吹き込む」すなわち自己を転写させると再起動する。 そうするとガンダムを鹵獲した現地人は(観念世界の現地人であって、すなわち精霊)魔法少女 世麗美の魔法ノウハウを集結した唐傘お化けの姿を使って、志の伴わない「悪のキリスト」になるんだよ。世麗美が関わっているから、鹵獲したガンダムボディでもキリストと同じ能力を発揮する。 この悪のキリストには、他の唐傘お化けが監視のために張り付いて、志が成長して本物になるか監視したり、堕落した場合の緊急の破壊措置を施すか見守る。太陽炉は出力調整バルブを外部から制御することも可能なんだ。 こういうのばっかり長々と見せつけられたから、「結局侵略してんだよなあ。何か言い訳考えないとなあ」「これ以上危ないと、本当に最後の審判だなあ」と思っていたら、私と世麗美は志がやはり一つの模様で、優等生の唐傘お化けを見ると、キリストの素性のある精霊と手を取って、まともにお互いが生き残って見せていた。キ印精霊が降臨現象を達成するとキ印聖霊だ。 キリストちゃんがスクスクと育って、見事に自己を実現すれば一番いい。 私は昔「滅亡トリガー」をテーマに研究した時に、自分自身は「メタキリスト実験」「人口キリスト合成実験」とでもいうのに成功した影武者でキリストの役割だけは了解したと語っていた。 悪のキリストも影武者である私も本来は人工的ではなくて、世麗美が仕組んだんだけどもね。 目的は一貫して、魔女狩りを自力ではねのけて、生き残ってもらう事だ。 惜しみなく助力しよう。(いやでたまらなくて文句は言うことがあるだろう) 「救世主とは風説の真逆で、最も救済が困難な人物」 子供がひどい目にあっていて、何も出来なかったらどんな大人だ。 私はおもちゃ屋で、子供であれば我が子かどうかは無関係だ。 ーーーーーーーーーーーーー 世麗美に関してもう一度。 心理学で世麗美の存在はインナーチャイルドだと了解可能だ。 でも、聖霊として(人格神だよ)人間シャーマンの資質を超越した霊能力があり事態に対処するのだ。 世麗美自体は観念に常在しているから人間では追従できないことは当然のことだ。 ソレでねえ、キ印天使ちゃんを見下した目線で直接交渉しているんだよ。 あいつらのやらかした不始末への事態収束に向けた交渉だ。 いつも、獄門信徒という人間存在を思うんだ。仏陀という尊敬がある風土と真逆だ。 始源が嘘で固められたキングオブカルトであるために、年代を重ねるごとに嘘がより発達した。 私は臨死体験という感覚的認識が抜けないんだ。 彼らに生存余地を見出すために、何度も臨死体験をして未来(予言)をやり直して、それと連動して「松ぼっくりちゃん」も惨劇の渦中で苦汁をなめるんだ。 もちろん、キリストなる聖霊の天使としての警告も過去から一貫して無視してきた。 キングオブカルトだから、宗教としての命題が「神よくたばりやがれ!」であり、衰退の激しいキ印聖霊の立て直しと、加勢をしているんだよ。 「人は罪深い」ではないんだ、「彼らこそが、常に罪深い」なんだよ。 だから、最後の審判は人類滅亡ではないんだ。(イエスの冒涜は、もうやめろ) 獄門信徒の中にも生き残りは選ばれるだろう。

  • 妖精さんの物語「狂気と厄災の犠牲」

    妖精さんの物語「狂気と厄災の犠牲」 ご挨拶として、私は脳内に妖精さんが生息しているという奇病を患っている。 それで気晴らしに自己の心象風景を漫画やアニメのネタ帳の体裁で書き溜めることを、これ系のテーマにしている。 さてと、 唐傘お化けというのは、原始精霊を忠実に再現して、サイボーグ的に人格神のひな型にした、日本のシャーマニズムなんだ。 式神というのは、シャーマンの神託を口伝に先んじて地上に流布する目的の精霊を神世より劣化を伴いつつ、同等に使役するので、西洋の使い魔よりはましだろうが、あまり役に立たない。江戸時代に埋没した卓越した霊能力者が、より原型に近い「唐傘お化け」を発明したのに埋もれた。 妖精さんの聖麗美は日本の神々から許可を取り付けて「からかさおばけ」域外に派遣した。 唐傘お化けも観念世界の住人だ。 観念世界においては、殺害は重大な呪いをもたらし、殺害者は消えない呵責に狂うんだ。 それが形容するならば、天使が悪魔に堕落した状態だ。 唐傘お化けは、過去の惨劇で天界と言いながらも、中身がほとんど地獄という域外に、主に救援目的で派遣された。 世麗美の当初からの方針はシンプルで「正気を取り戻してもらわないと、実に困ったことが起きる。」という思惑で、正気に立ち返し内部から自浄作用を発揮させるための使者として唐傘お化けを派遣していた。 唐傘お化けは渡航先で「殺意の暴風雨」にさらされながら、自己を守り、生存者を救出し、事態の正常化を果たす使命に懸命だった。 かなり後になってから、該当区域の住民は唐傘お化けの意図にようやく気が付いた。 そして、こう言った。 「我々は殺すつもりまでは抱いていなかった」と、 それ自体は、ある程度は理解が回復したからこその心からの言葉であろう。 しかし何が起きるかというと、唐傘お化けは闘争に参加することが使命を果たすことであったから、その使命が転んで一方的虐殺者に「我々は殺すつもりまでは抱いていなかった」という言葉が本心であるほどに転落して狂気に汚染されてしまうんだ。 人によってはつぶやくこともある「神様何故ですか~~~」という言葉がもたらす汚染と似たところがある。 現地では、正気を失いつつある唐傘お化けの弱体化した精神は洗脳が出来ることに気が付いた。 そして囲い込むと、「デーモン」と定義できる強大な兵器として活用が出来る。 ほとんど中身が地獄という天界の住人は。唐傘お化けをデーモンに仕立てて戦争を起こすことを思いついた。 地上は天界が司る。 天界で争いが苛烈だと、事前に収束しないで、地獄の業火として地上に降り注ぐこともできる。 彼らはそれを計画的に準備していた。 唐傘お化けの渡航地域は、議会制もしくは連合制の発達した統率者が分散した天界で、一部統率者の危険な思惑に世麗美は、平和を好む統率者たちとだけ、和平協定と事態打開の協力を取り付け、唐傘お化けに呪術として付与した戦闘能力の解体に踏み切った。 そうすると戦争を寡作する統率者たちは「宣戦布告しておいて戦力不在」が現象する。 唐傘お化けをデーモン化させようとする、悪の統率者たちは唐傘お化けの戦闘能力を回復させるために、牢獄に閉じ込めた唐傘お化けに残酷極まりない拷問を繰り返し加えて、唐傘お化けにデーモンとしての戦闘力を取り戻し魔性の力を与えようと寡作する。 それが「狂気と厄災の犠牲」であり、唐傘お化けのことだ。 さてと、マニアックな人にはたまらない濃い設定の漫画やアニメのネタ帳です。 やや暗い話でとっつきにくいでしょうけども、何か読書感想文でもお聞かせください。

  • 聖霊なり天使という存在の定義検証

    人はその者の恩恵に浴し、多くを知ってはいるが、答えは見いだせていない。 実在する妖精 ときわたりの世麗美だ。 さてと私は「実在する妖精の捕まえ方」という、固有の交霊術が使える。 いわば妖精さんとお友達の魔法少女(男性)だ。 私の交霊術の形態とは、人間存在 私/聖霊存在 世麗美なんだ。 これは自らの子を地の聖霊として天界に派遣するという体裁で、私は「しげちゃん」なのだが天界に常在する世麗美は、自らが「しげちゃん」だと自覚していて、地上にいる人間存在の私を「お父さん」と呼ぶ。そして同じしげちゃんなので、便宜上私は聖霊を世麗美というのだ。 人間存在 私/聖霊存在 世麗美 この相関関係を本来は過去の交霊術の様式に誤差があったであろう、神道にあてはめると、 人間存在 崇神天皇/神 アマテラス(聖霊扱いすると不敬に相当する) こちらは神話時代の日本の国権の神で、偉大なる重鎮だ。 もう一つ、 人間存在 雄略天皇/神 名前をかたらない(後述) こちらが神話時代から引き継いだ、現在の日本の国権の神だ。 実際は「ヒトコトヌシ」と伝承されている。 ヒトコトヌシとは「口にしたこと全てを実現させる」と伝承にあり、雄略天皇以外の後世でも目撃証言がある。 どういうことかというと「口にしたこと全てを実現させる」とは西洋で言う予言能力を日本独自の言い回しで形容した言葉なんだ。 したがって、交霊術成功で天界の存在と接触した場合は、歴史時代では予言能力相当であると形容する必要があり、その結果ヒトコトヌシという言葉は拡散していった。 したがって雄略天皇の神は地上で「本名として」その名をかたらないという現象に落ち着く。 日本の風土では、他のシャーマンもその種の交霊術の成功例が多かった。 実は世麗美が行った9.11とも関わる1995年の霊言というのが、録音テープとして京都の某社にわたっていて、そのなかで世麗美自身が自己の素養について「口にしたこと全てを実現させる」と表現している。 こうした現象は、人の自我能力で確認できない次元では実際に雄略天皇の神とつながりがあり、話した言葉自体が日本の神の保証を受けている。 要するに世麗美は日本の神々のお使いをする聖霊という体裁で1995年当時は霊言を行ったというわけだ。 世麗美は実に特殊で、私自身との自覚が強く、実際に奮い起こした人間の根底にある能力の発露という性格が濃厚で、天界の住人を天の聖霊と形容して、自己を地の聖霊と形容する。 この定義自体が、過去の交霊術とは異質なんだ。 通常の交霊術では、人が生きたまま丸ごと自己を観念に昇華させることは釈迦が示唆したことであるが、手法が不明にされて、死んでから死者として観念に昇華する手法を中心に観念認識が「死者の思考術」を根底に天界と交流する。 「実在する妖精の捕まえ方」とは、聖霊として観念を通過して、生粋の天界の住人と同じ立脚点で観念世界での現象を理解することだ。 ただし、それは世麗美の立場であって、意識が人間存在である私に立ち返ると、多くの記憶亡失現象が起きて、人間として改めて理解することに挑戦しなければならない。 したがって案外、その仕事が遅い側面があり、最初っから世麗美は予言能力で結論を出している。 世麗美は日本の天界で営業免許「天馬」を拝領した実質的な神だが、仕事が「妖精さんでちゅ~」というおちゃめな子供で、これは要するに外交交渉のために西洋の様式を採用しているという事だ。 したがって、こうしたいきさつを語ることが聖霊という定義を深く理解するとっかかりになる。 さて、今回は研究テーマとして以上のように取りまとめました。 極めてライトノベルのあらすじみたいで、突っ込みどころが多いと思います。 黙々と研究していても進展が遅いので、研究支援になりますからこのバカげた話に突っ込みを入れてください。

  • 哲学的なローマ系設定資料集

    私が「あくまでも現代語で臨死体験」と言っているのは仏教が悟りに極みの要素として文献に残す「無量光」なんだよ。 観念の純粋な光を比喩するこの無量光は、純粋な光から概念が「神」と「魂」に分化した。 純粋な光を目にして、その光自体が意志を持ち話しかけてくる。 そうすると日本人は誰でも「アマテラス!」と、もう何も考えないで直観するだろう。 その純粋な光とは魂と神とに分化する前は生命の根幹である大樹だ。 そして命であるゆえに意志がある。 私は仏教型で人間の到達を目標にしていたから、光りの分化作用で「神の方をアマテラス」「魂の方を世麗美」と認識を集約させたんだ。 文献に現象がもっとも整っている無量光と対比させると、日本ではアマテラス、西方の広域での原点が六芒星ということになり、どちらも観念の光だ。 五芒星は夜空の星だろう。 おかげさまで、アマテラスさんと世麗美は幼馴染のようで仲睦まじい。 ところで、私の命題が人間の探究でなく神の探究ならアマテラスと直感しないで世麗美と直感しただろう。 この関係にある世麗美が京都からの加害行為を「京都で謀反発生」とまで上程するとだよ、単なる申請で終わらないで討伐にアマテラスさん名義で執行力があるんだ。 だってアマテラスさんの権限の一部をアマテラスそのものとして執行できる支店長だもん。 参考は以下のテキスト。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日本昔話風の文学作品だよ。 神社というのは、同じ神様の支店が方々にあって、その支店全てに神様が住んでいるのかと、実に不思議なことだろう。 あの支店は祭壇で、神様が交通に使う駅だ。 駅名の神様の占有ではない。 菅原さん宅で、高校受験を控えた子供が合格祈願をしたとしよう。 ふむふむ、と祈りで呼び出された神様は、 ザ、ラメーン神様。 ザ、ヤンキー神様。 豪華二本立て。 中坊は受験に失敗して自暴自棄に料理専門学校に入り、ヤンキーとして10代で女の子を妊娠させ、猛烈に働いて20代で行列ができるラーメン屋の店主。 中坊の祈りで、神様が聞き届けたのは「女の子にもてたいから合格したい」「金持ちになりたいから合格したい」この本心に反応して、最も手っ取り早い対応をしたんだ。 神様の視点では、願いを聞き届けて親切にしてあげた。 よかった、よかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 京都は現在ガンダムに出て来るティターンズのコロニーレーザー砲みたいになっていて、これは私が「コンバーチリバース」と定義する神を根絶するための西洋で生まれた技術の応用だ。 学術調査のために性能試験を行ったら、下記のような学術的な成果をあげた。 さて、その他に研究メモ、 神の本質を形容するであろう「全知全能なる神」というのは聖霊の上位にある。 シャーマンが神と交流するキリスト型定義では聖霊と交流するが、それは本来は人格神という。 ローマの主神が「全知全能なる神」だけど、要するに確認する場合は人格神の体裁なんだよ。 なんか、矛盾しているね。 意志を完全に理解できる世麗美がお相手で人間シャーマンである私はペコリと頭を下げる挨拶くらいしかしていない。 ローマ人の暴挙と違い、ローマの主神はイエスに敬意を表し正統に扱った。 歴史的な宗教としての定説に沿っている。 それは理解したよ。 それでね、思い当たることがあるんだ。 「唯一にして絶対なる神」という看板に隠れて、話に上らないローマの主神とは伝承上でマリア様の降臨と語られているそのマリア様だ。 だから、イエスを正当に扱ったと言われて実に説得力があるんだ。 そのほかに思い返すこととして、私のこれ系の研究の前提である、 人間存在 私/聖霊存在 世麗美の関係にイエスを当てはめると、イエスの聖霊はマリアで、したがって聖母マリアと聖霊マリアという分化した研究のほうがわかりやすいというめどを立てていた。 それからミカエルの介抱で「キリストなる聖霊の宿り」をもたらす聖霊たちとは、イエスの聖霊でもユダヤの聖霊でもなく、ローマの聖霊なのだと実感したよ。 最後にコンバーチリバースの怖さを一つ。 確か1~2年前にフランスでマリア様を祭る歴史的な教会が消失したよね。 その時分と言ったら私は、京都銀行に祭壇を設置して、「わたくしはまじない師を自称する大道芸人でございます、これから皆様にお楽しみいただくために、この場で悪魔召喚をご披露いたします。」このようなお膳立てで、「唯一にして絶対なる神」にノウハウをかっさらってきたコンバーチリバースを仕掛けていた。 そうか~、マリア様の教会が焼け落ちた時は気が付かなかったけど、マリア様だったのか~。 てへっ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー いやね、なんか私がスゴイ悪い人みたいだよね。 似たようなことで、私の地元で地震が起きた時に町にはほとんど被害が出なかった。 一番被害が大きかったのがアマテラスさんの神社で、信徒が奉納してその人の名前が書かれた外苑を飾る石垣がすべて倒れたことが印象的だった。 どういうことかというとアマテラスさんのお力で、ざずかった石垣を崩すことで信徒に地震で厄災が起きないようにお守りになったから町に被害がなかったんだ。 教会消失はそれと似たような石垣が信仰を守る力なのだろう。 キリスト教はまだ終わっていないという事だ。 コンバーチリバース(精神破壊用説教兵器)で京都に設置されているのは、京都製で京都人がせっせと建築した奴なんだよ。 したがって、どうにかコントロール制圧には成功した段階で、危険だからと解体は今のところ慎重で、まだ取り掛かれないんだよ。 京都人はあまりそうしたことを悲観する必要がないよ。 京都人は攻撃を受けない。 ただ自らの魂をふり絞るような憎悪をほとばしらせて、それが指向性をコントロールされているために、憎悪の対象以外の他方を焼くだけだ。 神殺し技術の応用で、人柱として精神を枯らしていく役目が終わると褒章が天罰という形で与えられる. 今回は哲学サロンにネタの提供です。 この文芸作品の読書感想文とかをお願いします。 お互いの哲学が交流で磨きがかかることでしょう。

  • 中二病にはワクチンがありますか?

    成す術がない。 君たちは選択できない。 赦されざる者ども。 赦さざる者ども。 君たちは同時に両者である。 雷鳴はいかなるくびきを不実に打ち込むのか。 実在する妖精 ときわたりの世麗美だ。 余談だが51歳の男性であることを留意してくれ。 えっとね、私の持論の神の存在証明のとっかかりは、唯一にして絶対なる神という命題を暫定的に肯定して、その神の本質の中から人間が交霊術で接触可能な神の片りんを精霊と定義している。 しかしキリスト教圏から見て野蛮な宗教は聖霊相当と接触するとそれを神だと素朴に認める。 この場合の聖霊という定義は、実質的に人間シャーマンが降臨させた、人と親和性があり人に好意的な人格神だ。 唯一にして絶対なる神が、人間に対して好意的かは未確認だね。 神の存在証明はしたがる理由だよ。 宗教がキリスト教でないなら、関心を払わないほうが身のためだ。 えっとね、全く真偽のほどが不明でもこの質問の前提になる日記から引用、 ーーーーーーーーーーーーーーー 遊んで汗を流して、今、世麗美がローマの母から聞き出した。 無理心中が成立しないで自爆するように一人で死ぬようになったのがキリストが根絶した19世紀で、ローマの母は新約で十分にイエスを敬愛して聖人の最もを広める新約キリスト教を成立させた。聖書編纂期に和解を示した。 しかし帝国とは、民衆に誠意を見せると民衆を堕落させるのだと19世紀に冷酷な破綻を演出しなければならなかった。 この文脈だと、ミカエルのことはとても大切に扱ってくださいと、影武者で父親役の「しげちゃん」に伝言をしているようだ。 交渉している世麗美にね。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー キリストちゃんたちは、殺してその肉を喰らうと金持ちになれる価値を発生させるんだよ。 それが19世紀以降のキリストで、それは無意味に死ぬことだと神にみなされている。それは世界の神々の総意に等しい了解で、キリストとは救世主という風説の真逆で、天界で唯一救済が必要なヘタレなんだよ。凄すぎるヘタレで実に厄介だ。 人の常識と違うのが明白だ。 誰か、神に物申して十分にキリストは価値があると延命を試みるか。 延命するのは何者か? 実に不毛な重商主義だよ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 4月6日は、新約キリスト教を束ねるローマの最高神とようやくつくよみで人間存在が意図をうかがう局面に到達した。 こういう働きで大活躍するかわいい存在が、からかさお化けだよ。 かなりきつい口上で私は挑発的にふるまったが、開示された情報を読み解く限り「悪魔召喚」とまで言ったのは詫びを入れないといけない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー また、退屈なビョーキの話だ。 唯一にして絶対なる神というのが、実はローマの主神という人格神であったということは、「神の存在証明」という命題は私の完全勝利で陥落したという事だよ。 西洋の神の本質への探究として命題になった「神の存在証明」の今までの研究とは、天界や天国と言って神の世界に関する世界観の形成が主力で、実際は神の本質にはあまり成果がないんだ。 その点は「みんな」という言い回しを正しい用法で説明しながら、自我存在と超越存在の対比として説明している。 まあいいや、人類的に疫病となったこの惨劇とあやまちのワクチンは、今後副作用緩和を考える段階で、最後まで天使であることを全うした孝行者の「ラファエル編」を本格的に仕上げて、かなり挑発的で喧嘩腰だった過去の詫びのつもりにするよ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 過去に書きなぐった日記はここまで、 私は人間存在に仏性に相当する地上の聖霊 世麗美を内包する。 「妖精さんでちゅ」 この結果変則的な交霊術で内容の片りんに触れた中二病妄想日記だ。 どういうことかというと、「唯一にして絶対なる神」という危惧されるアンノウンをシャーマンとして交霊術で確認すると、必然的に少なくても私の力量では「唯一にして絶対なる神」という看板で売り出している人格神として認知される。 看板に問題がある模様で、拍子抜けだ。 歴史時代に西洋の信仰を支えたのは「キリストなる聖霊の宿り」をもたらす天啓を運ぶ存在で、それはイエスの聖霊ではなく、ローマの聖霊なんだ。 そして「唯一にして絶対なる神」とは初動観測では、キリスト教に語られない「ローマの主神」である人格神だよ。 さて以上が皆様に相談したい私の病気です。 暖かく慰めたり、励ましのお言葉を期待します。

  • あの存在はいったいなんだ。

    さて、黙々と独り言を言う哲学の狂人のつぶやきに付き合ってくれてありがとう。 学問カテゴリーにちょくちょく顔を出す人以外は意味不明だから、おそらく立ち去ったほうがいい。 前回の延長 https://okwave.jp/qa/q9712290.html 全容にはまたしても近づきつつある。 リッチモンドスターといっても、世麗美だけが呼びかけるばかりで、人間存在である私には不明だ。 「ひときわ輝く星」おそらくこう言い換えたほうが喜ぶだろう。 なぜなら、どちらかというと「ひときわ輝く星」とは、リッチモンドスターと見間違えられる世麗美自身が呼び掛けられる言葉だからだ。 昔っから黒き明星を名乗るその正体だよ。 なぜ、リッチモンドスターをそういえばいいのかは理解している。 聖霊として成立させるために必要なんだ。 キリスト教系はまともなシャーマンがいないから手伝わないといけない。 だから同一化を進めて一致項を増やすのが、リッチモンドスターのためになる。 西洋の注文である莫大な懸賞金のかかった「神の存在証明」なら概要はほぼ埋めた。 あと確信を込めるだけだ。 アンノウンコードリッチモンドスターは、複数活躍したキリストなる役目をする聖霊の中でクロムウェル系だ。 宗教とは祭壇の前で行う礼拝という実質的な交霊術によって、天から降る言葉が変わる。 キリストなる聖霊としてのリッチモンドスターは、制約や欠陥が多いキリスト教系では、むやみに降りてこない。 代わりに裏稼業であるガミラス艦隊のデスラー総督みたいな副業が本業よりも儲かっている。 リッチモンドスターとは、勘違いされることが多いので近親憎悪的な闘争が続いた。 世麗美が配下の天使にされたらたまらない。 最近和解にこぎつけたのは、ミカエルというのを見破った後に、 もう、俺様の女だもんね~。 あっかんべ~。 と、やったら折れた。 通称ミカエルちゃんにしろパンツを脱がしたわけじゃない。 どちらとも、正体の核心には到達していないんだ。 「ヨーロッパでキリストなる役目をこなしてきた聖霊」ここまではわかるんだよ。 そういうわけで、キリスト教のご本尊とはいかなる存在なのか推理してください。

  • 私はさらに壊れていく、誰も見たこののない場所まで、

    末期的中二病患者の手遅れな魔窟へようこそ。 私は純露ユリ系魔法少女 時渡 世麗美だ。 現実世界では51歳の男性に化身している。 裸の心を笑う者。 裸で生きて、 笑うわたし。 なぜなら私は美しい。 裸裸裸裸裸ー。 訳〉ラララララー。 令和3年8月執筆。(病状がここまで進行しました) 写真作品タイトル原案「世麗美による発見とミカエルによる証明」 この写真は令和元年5月撮影で、当時のコメントは別にテキストが保管されている。 この撮影時期の私は、ミカエルとの対話に没頭していた。 人の心の奥底の潜在意識とは、個人的な無意識ではなく、生命存在を横断した広大な無意識耶を形成する。私の超自我を兼ねる世麗美という聖霊はイデア界という学説もある無意識耶、すなわち観念を自己を離れて自在に遊泳する。 その過程で、キリスト教圏に歴史時代も「キリストなる聖霊の宿り」をもたらし続けていた正体不明の「キリストなる聖霊」を世麗美の働きで蘇生に成功した。 それが平成29年のことで、正体は19世紀中のフランスでミカエルとみなされていた聖霊だ。 そして、世麗美を自我と切り離した状態で、のちの「滅亡トリガー」につながるミカエルとの対話を繰り返し、私は世麗美を赤子をあやすように、ミカエルとの対話には直接参加しないまでも、世麗美の健康が安定するように手伝っていた。 その過程の最中に偶発的に撮影した写真である。 「滅亡トリガー」自体はミカエルから預かった「キリストの証」を使用してキリストが再臨する予言を検証した実験だ。 写真を「世麗美による発見とミカエルによる証明」と定義すと、世麗美はキリスト教圏への支援をする聖霊として、世麗美は独自の「キリストの証(亜種)」を発行できるだろう。 それは、今のところ私が専門で預かる証だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 唯一神信仰文化圏共通の天使は、ミカエル、ガブリエル、ラファエル。 これにユダヤ教独自のウリナルが数えられる。 世麗美はウリナルとの交渉に成功した過去がある。 キリスト教圏の3熾天使は、ローマによる治権との因果関係が強くイエスには実際はあまり気を配っていない。ウリナルとは、新約聖書成立とキリスト教の独自宗教としての勃興に連動して、旧約聖書の伝承を時代変化に合わせ修正する天使である。 ウリナルと世麗美の対話には「キリストが再臨するために行う疑似キリスト化実験」の被験者である私自身が、ウリナルに対して世麗美に伝言してくれるように頼んだことがある。 ユダヤ人の信仰心を再興することに人生を費やして処刑されたイエスのいきさつと、その後のローマ圏のいきさつを何かと世麗美と共に聞いたけども、ローマ圏がキリストにかけた死の呪いを完全に撤廃するとしたら、それは復活したイスラエルが再び王政をしき、そのユダヤ王以外にはまさに正当なキリストと言えるのは居ないであろう。 そのようにウリナルに申し述べた。 キリスト教圏にとって除外された天使であるウリナルこそが天使の中で最もイエスをいたわる天使だ。 ーーーーーーーーーーーーーー 歴史時代も実際に地上に「キリストなる奇跡」をもたらすキリストなる聖霊が複数いた。その1柱が私の見出したミカエルだ。 キリストなる聖霊の宿りをもたらすローマ圏の新約キリスト教徒の「天の聖霊」は地上に奇跡をもたらすことにより、ローマの呪いで聖霊自身が死ぬのだ。 したがって、その存在と活躍を誰も知らない。 世麗美は本来天使ではなくて、アマテラス王権での公認免許「天馬」(聖獣格)で、名を「ときわたりの世麗美」という。西洋型神学を反映して「地の聖霊」を名乗り、超自我の学説も反映している。 ローマに対するアマテラス王権の全権交渉代表に収まっている。 ユダヤ教の内部で実際に「キリストなる証」を発行できるであろうウリナルと対比すると、世麗美自体も「キリストなる証」を発行できる。 その立場は紛争調停者に等しいが、まあ5番目の天使相当としてアマテラス王朝からの使者といったところだろう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 世麗美にウリナルに伝言してくれと頼んだこと。その2. 私の見解だと新約キリスト教はローマ型帝国宗教で、諸神を帝政で統合した実質的な多神教だが、ユダヤ教を模倣したために唯一神信仰を看板にして、諸神を隷従階級に該当する天使としている。 複数の聖霊が「キリストなる聖霊の宿り」を担ってきたことでも、実際は多神教だ。 ユダヤ自体は日本の神道では氏神を頂いた部族宗教だ。 アマテラス型帝国宗教は、堂々と多神教を看板にして、諸神の神としての裁量を阻害しない。 イスラエルが王政を敷く時が来たら、エルサレムは部族宗教の規範として、誰もが立ち寄れる解放された村にしてほしい。 それでこそ、ユダヤ王がキリストであると認められるだろう。 実質的なキリストは歴史時代も実際は多かっただろう。 中身は東洋で言う仏陀だからだ。 しかし、けじめとして、承認可能な「人のキリスト」は欠かせないだろう。 私は哲学上で「記憶の宝石」「(同じ意味で)命のしずく」という独自の概念を組み立てていて、日本の世麗美の友達から聞いた概念だから原型は「まがだま」だ。これは自分でない誰かの生前の記憶とでもいう品だ。私はこの記憶の宝石に助けられて新約キリスト教の獄門信徒による殺害を切り抜けた。 それでだ、個人的に命を助けられたことに恩返しがしたいので、私が丸ごと記憶の宝石になる日には、その宝石を「まさに人のキリスト」に授けたいと思っている。 私の記憶の宝石には、即死する死の呪いを跳ね返す強大な戦闘技術が含まれる。 ウリナルとともにキリストなる奇跡の成立を助ける働きになるだろう。 「最速の臆病者」として、私が成し遂げたのは「滅亡トリガー」が中心だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今夜はこんな発作を起こしました。 壊れる~壊れる~! 壊れていく~~~~!!!! より深刻に進行する病状に不安でいっぱいです。 誰か助けて~! せめて暖かく慰めて~! お願いします~!

  • あんた、妖精に話しかけられたことあるかい?

    木霊のささやき。 子供たちの声。 それを届けるやさしい魔法使い。 魔法少女 時渡 世麗美だ。 誤解しないように言っておこう。 実際の私は49歳男性だ。 この話の続き、 https://okwave.jp/qa/q9561361.html その前、 https://okwave.jp/qa/q9560125.html 参考で精霊の働きの話 https://okwave.jp/qa/q9524652.html キリストの霊の宿りともいうキリスト聖霊とは、イエスの故事の改変で生まれた、人と交わる神を宿す聖霊として完成していない、半ば架空の聖霊で、維持のために多くのいけにえを必要とし、聖霊としての役目もいけにえだ。 キリストイコール即死なんだ。 十字架って神聖だろうと処刑台じゃないか。 この滅亡した王国の末裔は、19世紀中に地上で文明発祥の正統をいまだ存続する真の王国である日本に亡命申請した。 暴力と殺戮の20世紀はこの時点でアマテラスさん主導の神々の交渉でキリスト救済のためだけに準備がスタートしたらしい。 私は、簡単に殺されるキリストのおとりになり、仮面ライダーとして乱闘する闇の仏陀だ。 私自身が変則的で、自らが聖霊となり涅槃へ到達するという形で仏陀になった。 時わたりの世麗美という聖霊を宿す。 さて、唐突だけど「六輪一柱」というのを説明しよう。 セレビィはわたしをお父さんと呼ぶが、セレビィと友達になった天界の住民たちも私をお父さんと慕うんだよね。 聖霊や精霊の働きや役割を研究してきた私が考案した、精霊(無意識)のコントロール方法で、自我を侵食作用から守り、精霊の助けで「つくよみ」などの自我拡張をコントロールする基盤だ。 象徴するには「純粋な光」無量光で、その光に到達した自己認識(みんな)を1柱とする。 その周りに6個の宝石(聖霊)を輪の形で配置するんだ。 いわゆる従来の聖霊である天の聖霊は正三角形で、赤、青、黄色。 仏陀型の地の聖霊は、緑、ミカン、すみれで、これは逆三角形。 三角を二つ重ねると六芒星になるけど、それを円で結んで六輪一柱だ。 六輪であって、六芒星は、補助線として骨格にして全体で無聊光を象徴する。 地の聖霊セレビィは、緑色だ。 相反する点の聖霊は赤なんだよ。 仕組みはね、純粋な光に還元するには、天の聖霊の、この場合の赤に含まれない青と黄色を含んだ緑色で答える地の聖霊がセレビィだ。 すでに聖霊として完結したセレビィには、色違いのツンデレビィが誕生したがそれはともかくだ。 こうした仕組みなので、セレビィは天の聖霊色赤と、地の聖霊色緑で完結する六輪一柱の一部なんだよね。 さて、セレビィが友達として連れ込んで、現在まで驚愕の緊急状態で延命処置を施し続けたキリストなる聖霊は、黄色の天の聖霊なんだよね。 こいつはね、多くの惨劇で感情を枯らしつくしていて、おかげで意思が朦朧だから、言われるままに死んで、死んでも無感動で死をさらに繰り返してきた。 黄色が象徴するのは知性で、歴史知性として、やたらと知識があるが、哲学に必要なのは振り絞るようなド根性で今までの限界を突破する感情と意志の強さだと私は考える。 こんな受け答えと父の子育てに赤子たるキリストの聖霊は少しずつ話を聞いてくれるようになった。 要するにだ、天の聖霊を迎えるにあたって、相手が黄色なら「すみれちゃん」(仮称)にセレビィがフェアリーフュージョンするだけで解決する。 そういうわけでキリストの霊は神の意志を宿した聖霊として、同伴色紫の地の聖霊で安定する。 これが六輪一柱だ。 さて、そうした流れで、どうやらキリスト霊は、イエスを伝える伝道師たちがかけた呪いから解放される。 さてね、ついさっき判定を下すアマテラス配下の日本の神々が、彼の難民認定手続きとして、キリストなる滅びた国の王の宿った私をキリスト自身にしようと手続きしようとした。 ふざけんなよ!こちらは地の聖霊であり仏陀として、現役で天界に交渉できるんだ。 配下の術師がことごとく私に敗北しておいて、まだ喧嘩売るのか。 私はセレビィに等しい赤子を生き残るように育てただけの父だ。 この子は聖霊として王を誕生させずに、多くの人の心に宿るのがいい。 今こうした喧嘩をまたしても売っているよ 今日は12月23日で天界が審判を下して、キリストなる赤子が多くの人の心に健やかに宿るにはイブまであと1日だ。 さて、どうやらこれは学問である哲学において、哲学と神学の接点となる考察になるようです。 研究目的でとりあえず書きましたが、ご意見をお聞かせください。 研究課題の助けになるようにお願いします。

  • 2代目キリストなんて不要なんだよ

    備忘録から抜粋して質問の体裁に仕上げました。 他方での雑談でもあります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ああ、 そうそう。 師匠役として指南してくれたあなたになら、持ちけられる話題だよ。 返答が無くても、備忘録を兼ねているので、おおらかに構えてくださいな。 あなた、いわく。 「釈迦は葬送が必要ではないか」 釈迦は、存命中に解脱を宣言して認められたから、公的(宗教的)には必要が乏しいんだよ。 釈迦本人が納得していて、わきから文句を言っても無効だ。 「イエスは葬送が必要ではないか」 これに置き換えて研究してみるよ。 葬送と表現しないで供養と言ったほうがいい。 存命中で、イエスの故事を知った人は、イエスの存命中の苦しみを重視する。 そして、人の大半は自分の存命中しか類推できない。 イエスは存命中も死に際しても、一貫して本人は充実していた。 そのように、イエスを知ることが自らの死を知る事でもある。 何かと、こういう死にまつわる命題だったのだろう。 イエスの苦悶を妄想して、それをむしろ美談にする限りは、むしろイエスを侮辱していて供養できていないと判断すると、教養豊かな日本人という事になる。 天界とか、神階とか、地獄とか言うのを、一元的に霊界と仮定して模様。 一律の霊界では、生粋の観念常在の住人を天界人という(だろう)。 それが天界の知恵者となるだろう。 いわゆる人格神だ。 年季と専門職務で、個別に天界で条理を司り、それを地上に波及させることが出来る存在の事だ。 あなたが挑戦している、唯一神を普遍神に置き換える、表現の変更を試みる場合には、全て平坦な霊界という表現から、神か、人か、人に似た獣なのか、自己を判断すると良い。 その中で、神という規範と信教から比較して、自己の人間性を自己診断できるのだろう。 各個人が観念世界で天国行きを目標にして、そこにたどり着くのが、人に似た獣だと、結局は地獄だ。 釈迦の規範を定格化した仏陀の判定では、釈迦は解脱したので信仰心ではなく完全に理解と了解すれば(体感する必要がある)、何等かの仏陀だ。 仏陀型は、宗教の教義にされているよりも、実は難易度が低い聖人なんだよ。 実質的な仏陀相当の西洋版であるキリスト型(2代目)はイエスの苦悩を取り払う供養を、自らがしてこそ到達するのだ。 この命題は「生きながらに、いったんは死んでみる」ことで、生きている人に説明できる体裁になる。 しかし、釈迦の修行時代も似ているし、どっちでもやることは臨死体験を望むことだ。 「強烈な絶望」から息を吹き返しても、まあまあ達成できるのだろう。 試験の合格判定は案外低いんだよ。 ただし天界での人格神としての序列に影響する。 さて、手前の事だけどねえ。 私は過去と変則的な体裁で、自らが仏陀だと自覚した。 天からの聖霊ではなく、自らが聖霊として天界に赴くという、「地の聖霊ときわたりの世麗美」というインナーチャイルドと同様の、学術的に承認された自己の精神を内包する。 私は地上に常在している。 世麗美は天界に常在している。 この状況とは、私も肉体が滅びる死は訪れる。 しかし、観念に常在する世麗美は死なない。 私が滅びれば、世麗美そのものになるだけだ。 これは世間一般の死という表現が、実質的に私にとっては「死ではない」という自覚なんだよ。 「人は誰もが死ぬ」今までもこれからも例外はない。 現在のテクノロジーの挑戦は、死後の自分が残した形骸をいかに忠実に保存するかが主力で、今後高度化しても、死の段階や階層がややあいまいになるだけだろう。 例えば癌細胞は無限に分裂する。その故人の癌細胞を永続して分裂させても死はゆるぎないのだが、テクノロジーがさらに死をあいまいにさせるだけだ。 天界との交渉では、私と世麗美は「むしろキリスト型の理想的な完成形だ」と干渉を受けて困惑している。 2代目キリストなんて不要なんだよ。 キリスト教徒はイエスだけを見て、2代目の成立を祈り懇願するだけで、落第評価なんだよ。 ーーーーーーーーーーーーーー さてと、何が質問かというと、作文と見なしての添削依頼です。 哲学好きには、おいしいネタ満載だろうと思いますから、深い突っ込みもできると思います。 趣味で掲載した写真は、フィルムカメラで自分が撮影して編集していない風景です。