stmim の回答履歴

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  • 精神は性質で出来ている か?

     敢えて言うなら、私はこの世の中のものは全てエネルギーと性質が織り成していると考えているのですが(もしそうでないものがあれば上げてください 例えば霊が独立して存在する事はありません DNAは物質であり本能は性質です 情報も概念も性質です) では精神はエネルギーの一形態か性質か、最近では脳の働きもかなり解明されていますが(ニューロンや脳内伝達物質 脳内モルヒネや脳波 といった物質や微弱な電磁波など)、パソコンにたとえればハードが脳、ソフトが精神と考えていいでしょう。もちろんハードも大切ですが、インターネットにしてもゲームにしてもその情報をいくらでもコピーできるし、人に教えることもできます(エネルギー保存則に当てはまらない)。  精神も多くは親や環境から伝わってきた部分が多く、エネルギーとしての移動ではないでしょう。つまりソフトも精神も情報も物質ではありません、エネルギーでもありません、性質を言っていると考えるべきでしょう。少なくとも性質に反応していると言えると思います 例えば新聞の印刷でも物凄いスピードで情報をコピーしています  人間の精神も動物だった頃の神経の反応が複雑に反応し合った結果生まれてきたものです 原生動物では光や熱や水に反応します  それは外界や内部の刺激やサイクルで受けた性質に反応したものです 人間も色々なものを見聞きしますがエネルギーも脳まで入っていく訳ですがその反応も色々です その脳の性質として反応します 感覚神経から神経中枢に伝わり、脳の中で活発に神経伝達物質が反応しますが それは性質にそって反応しているのです 神経伝達物質はエネルギー(物質)としては微量ですが その命令で人間が行動を起こせばスイッチ一つで・・・ということにもなります したがって精神活動はエネルギーとしての存在ではなく性質としての存在が主であり問題になるのです。  精神は性質で出来ていると考えますが どうでしょうか?どうかよろしく。

  • 宗教が屁の河童だとなれば 患者の半分は元気になる

     組織シュウキョウは 百害あって一利なしですが――   cf. 【Q:宗教は 百害あって一利なし。】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8372936.html   (オシエは 考えるものであるのでもしそれを信じるのなら セイシンサクランである)。  ――そのオシエを無条件に受け容れ《信じる》人がいるので その精神錯乱をまわりの人びとは アース役となって静かにおさめてやらなければならない。  そのとき あたかもそのシュウキョウ患者に代わって疾病に罹るかのように からだや気に差し障りをもたらすかも知れない。  だから もしシュウキョウが こんなものは屁の河童なのだとその場や情況が―― 一般にクウキとしても――成り変わったなら もう疾患の原因は取り除かれるわけである。  シュウキョウなるオシエを自分からすすんで求めた人びともいるかも知れないので その割り合いを 半々だとすれば シュウキョウの不必要なるクウキが《はびこる》なら 患っていた人びとの半数は ピンピンとして元気に成る。  クウキ感染もなくなること 請け合いである。  社会保障費すらが半減し 財政はプライマリーバランスを回復するといういいこと尽くめである。  そのためにも ひとは 個人の信仰と集団的なる宗教とを峻別しなければならない。ただちにいますぐに。  どうでしょう?  悠長にしていていいはずがない。という問いです。

  • 精神は性質で出来ている か?

     敢えて言うなら、私はこの世の中のものは全てエネルギーと性質が織り成していると考えているのですが(もしそうでないものがあれば上げてください 例えば霊が独立して存在する事はありません DNAは物質であり本能は性質です 情報も概念も性質です) では精神はエネルギーの一形態か性質か、最近では脳の働きもかなり解明されていますが(ニューロンや脳内伝達物質 脳内モルヒネや脳波 といった物質や微弱な電磁波など)、パソコンにたとえればハードが脳、ソフトが精神と考えていいでしょう。もちろんハードも大切ですが、インターネットにしてもゲームにしてもその情報をいくらでもコピーできるし、人に教えることもできます(エネルギー保存則に当てはまらない)。  精神も多くは親や環境から伝わってきた部分が多く、エネルギーとしての移動ではないでしょう。つまりソフトも精神も情報も物質ではありません、エネルギーでもありません、性質を言っていると考えるべきでしょう。少なくとも性質に反応していると言えると思います 例えば新聞の印刷でも物凄いスピードで情報をコピーしています  人間の精神も動物だった頃の神経の反応が複雑に反応し合った結果生まれてきたものです 原生動物では光や熱や水に反応します  それは外界や内部の刺激やサイクルで受けた性質に反応したものです 人間も色々なものを見聞きしますがエネルギーも脳まで入っていく訳ですがその反応も色々です その脳の性質として反応します 感覚神経から神経中枢に伝わり、脳の中で活発に神経伝達物質が反応しますが それは性質にそって反応しているのです 神経伝達物質はエネルギー(物質)としては微量ですが その命令で人間が行動を起こせばスイッチ一つで・・・ということにもなります したがって精神活動はエネルギーとしての存在ではなく性質としての存在が主であり問題になるのです。  精神は性質で出来ていると考えますが どうでしょうか?どうかよろしく。

  • 精神は性質で出来ている か?

     敢えて言うなら、私はこの世の中のものは全てエネルギーと性質が織り成していると考えているのですが(もしそうでないものがあれば上げてください 例えば霊が独立して存在する事はありません DNAは物質であり本能は性質です 情報も概念も性質です) では精神はエネルギーの一形態か性質か、最近では脳の働きもかなり解明されていますが(ニューロンや脳内伝達物質 脳内モルヒネや脳波 といった物質や微弱な電磁波など)、パソコンにたとえればハードが脳、ソフトが精神と考えていいでしょう。もちろんハードも大切ですが、インターネットにしてもゲームにしてもその情報をいくらでもコピーできるし、人に教えることもできます(エネルギー保存則に当てはまらない)。  精神も多くは親や環境から伝わってきた部分が多く、エネルギーとしての移動ではないでしょう。つまりソフトも精神も情報も物質ではありません、エネルギーでもありません、性質を言っていると考えるべきでしょう。少なくとも性質に反応していると言えると思います 例えば新聞の印刷でも物凄いスピードで情報をコピーしています  人間の精神も動物だった頃の神経の反応が複雑に反応し合った結果生まれてきたものです 原生動物では光や熱や水に反応します  それは外界や内部の刺激やサイクルで受けた性質に反応したものです 人間も色々なものを見聞きしますがエネルギーも脳まで入っていく訳ですがその反応も色々です その脳の性質として反応します 感覚神経から神経中枢に伝わり、脳の中で活発に神経伝達物質が反応しますが それは性質にそって反応しているのです 神経伝達物質はエネルギー(物質)としては微量ですが その命令で人間が行動を起こせばスイッチ一つで・・・ということにもなります したがって精神活動はエネルギーとしての存在ではなく性質としての存在が主であり問題になるのです。  精神は性質で出来ていると考えますが どうでしょうか?どうかよろしく。

  • 仮にイルカが地上に上がる進化をすれば足は復活する?

    生物学好きな方がいらしたら、思考実験と思って遊んでください イルカ、クジラが水中生活に進化していく過程を見ていてふと疑問に思ったので。 仮に地上の生物がほぼ絶滅してしまうような、大量絶滅が起こってしまったとして そこにイルカから進化した生物が地上に適応したとするなら 一度失った足(特に後足)を取り戻す可能性はどれくらいあるでしょうか? 自分なりに考えた範囲だと、次の3案が出てきました 1.先祖が四足動物だった時の遺伝子が発現して、先祖と同じ様な骨格の足を復活させる 2.一度失った足の代わりに、何処か他の器官を発達させ直して同じ様な機能の足を復活させる 3.イルカには既に足になれる可能性のある器官はないので足のない進化しかできない どうしてこれに深い疑問を持ったのかというと、幼形成熟というものが何処まで強力に起きるのかが分からなかったからです。 仮に足の機能だけを先祖の機能から復活させたとして、足の系統発生をそこで止めたままで一生を送ることはできるのか?とか考えているうちに今の質問に至りました。 私の出した3案、それぞれに可能性はゼロではないでしょうが、可能性の高い、低いはあると思います。 みなさんなりに案と、その理由を答えてください。

  • 哲学から得られた知恵は何かありますか?

    前回「哲学の結論は何か?」と言うような事を質問しましたが 漠然として答えが出ませんでした(いい答えもありましたが) それでもうちょっとスモールに 哲学からあなたが得た知恵を教えてください。 この様な事が分かった。と言う事を。 人生観、世界観という範囲も良いと思います。 出来れば端的に この様な知恵に至った と言う事を教えて下さい。 よろしくおねがいします。

  • エントロピーの増大則に例外はあるか?

    この世界は、この宇宙は、ビッグバンから始まってどんどん拡散、崩壊して行き 最後はエントロピーが増大し切って崩壊し尽くして 熱死と言う状態になるとも言われます 「宇宙も終わる」という本も有名な科学者が書いています。 我々も宇宙と一緒に滅びる運命なら 結果はどう足掻いても熱死です。 それなら何も苦しまなくても 人が死ぬなら仕方ない 自分が死ぬのも仕方ない 楽しければ人生それでよしと まあ刹那的な価値観になってしまうと思います。 現にそうなってる様な気も。その割には現実には地獄のような世界 何時までも死にたくない という気持ちがあります。 私は思うのですが 矢張りエントロピーの増大説には例外があるのでは?ないでしょうか? みなさんはどう思われますか?世界も宇宙も早晩終わる?それとも永遠を目指すべき? その辺を教えてください。よろしくお願いします。

  • この文章が解る方 誰かいませんか?

     もしエネルギーに、性質と言う普遍的な法則に則った、目に見えないものが存在していなければ、エネルギーは無秩序な、カオスにもならないと言っていいでしょう。 この文章 私が考えたのですが 分かる人があまりいないんです。誰か分かりませんか?  そのエネルギーによる引力や斥力や電磁波のような波としての性質が織り成したのが私達の知る宇宙です(⇒量子力学) 特にこの引力はエントロピーを維持しあるいは減少させます。  もしこの引力がなければ物質は秩序をなし得ませんし、天体も形をなし得ないでしょう。  そしてそのエネルギーの持つ性質が 同時にそのエネルギーに態を与えているのです 性質がフィードバックをしてその存在を更に在らしめているのです(→亀の存在性 動物の存在性 進化論 例えば食べるという性質が体を維持する 見るという性質が交通事故を避ける等 因果) 場の中で。 でなければ存在を保つことはできません。  性質は法則に則ってエネルギーに現れ、その性質がそのエネルギーに態を与えます。「酸素原子の存在性」を参考にされてください。(性質も変化し続けます) どうか考察されたし。酷い非難はご遠慮下さい。

  • 人口爆発、戦争、格差から人権を守る思想はないか?

    人口爆発はもう始まっています。アフリカ諸国では出生率が5以上が多いです 世界の人口は70億とも。飢えてる人達も沢山います。人権はありません。 戦争でもISISの侵略や米軍等の空爆で多くの人が被害に遇っています。 人権どころではありません。ウクライナでも、パレスチナでも、スーダンでも 人権は奪われています。 格差で貧困に喘いでる人は 日本にも多いし世界にはもっともっと多いです。 とても基本的人権が守られている状態ではありません。 日本では、生活保護は10万以上が多いですが、年金は7万以下の人も多いです これでは明らかに基本的人権の文化的生活が送れてる状態ではありません。 貧困国の格差や中国の格差も酷いです。アメリカの格差も酷いです。 この様に人権が守られてない中 それを守るべく訴える思想はないでしょうか? 日本の労働状態も問題があります。あなたの感覚で 人権は守られなくても 仕方ないでしょうか? それとも?

  • 哲学の結論は何か?

     つまり人間は存在をせめぎ合っているわけですが そのせめぎ合いが生存競争のような弱肉強食のようなものになっては動物に逆戻りです。  人間は頭で進化するわけですから 教育 学習 再発見 勉強 適度な競争 試行錯誤 感動 発見 その他諸々の精神的な進化が求められるのです。  その為にはいずれにしても急速な発展進化はスピードの出すぎのようなもので コントロール出来ないのでむしろ危険です ゆっくりとした 真の目的を目標にした進化で 必要十分な経済活動で発展して行ければいいと思います。                      存在としては 存在性を求めて創意工夫していくのが人間ですから 人間とは存在性であると言うところの新しい人間が実現する事を願っています。  存在しなければ 何も無いのですから存在しなければ話になりません。命を絶つような人は もう一度考え直して もう一度人生をやり直せないかと考え直してもらいたいと思います。  日本の精神状況は複雑で辛いものがあります。しかし存在していればまだ生きる道はあります 治らない病気 末期癌と言われても 死ぬまでに何か出来るはずです 言葉を残すとか思い出を残すとか爪痕を残すとか。。。       存在性理論は存在性の追究が存在を勝ち取り 新しい未来を開くと述べています。心の問題 精神の問題をもっと踏み込みたいところですが 人間の心は自由でなければならない 人間は愛し愛されなければ生きる希望もなくなります。  ぜひ存在性理論を読んでその奥義を活かして下さい。100歳までも 孫子の代までも 存在し続けましょう 1千年後の人類が 幸せである事を祈ります。存在する事が目的であり、存在する事が価値であり、存在する事が意味の根拠であり、正義の根拠でもあり、存在する事にに意義があります。存在する為に生きているのです 存在肯定の哲学です。 これが僕のサイトの結論部分です。貴方の結論はどの様なものでしょうか? もうあまり時間がありません。世界に人口爆発と戦争と飢餓が迫っています。 是非分かり易く 今思うところの結論めいたものを教えて下さい。よろしくお願いします。

  • 囲碁と将棋の違い(囲碁の魅力について)

    囲碁と将棋のどっちが面白いかとかどっちが奥が深いかいう質問はなんどかされていますが、各回答者が自分が好きなほうを勝手に正当化するような回答も多く、読んでいて面白くありません。 そこで、ちょっと自分で気がついたこともあり、別の角度から似たような質問をしてみます。 私は囲碁も将棋もまあまあ程度やるのですが、結局、自分にとっては将棋のほうが面白く、結局囲碁をほとんどやらなくなってしまいました。それでなぜかと考えていて、ふと気がついたことがあるんです。 それは、将棋だと私のレベルでもいま優勢とか劣勢とかある程度わかるし、特に終盤はこの一手で勝てるとか自分なりに確信を持って指すことができるので、まあ、たとえているなら、駒音たかく、これでどうだと、びしっ!!と指すことができるわけです。ところが、囲碁の場合、私のレベルだと、まあ、おおきく石を取られたとかいう場合ならわかりますが、結果的に、5目程度しか違わないような差だとか、ましてプロ同士のように、1目とか2目の差なんていうレベルだと、勝負が終わって陣地を数えなおして、初めて、ああ勝ってたんだ、とか、負けてたんだとかわかるんです。だから囲碁を打ってる途中では、せいぜい(勝ってるといいな)という感覚で石を置いている感じで、これで勝つ、びしっ!というような感覚をもてないんです。 そこのしびれる感覚が自分のレベルだともてないのが、私が囲碁になじめなくなった一要因だと思うようになりました。 そこで質問は、囲碁はどの程度強くなると、打っている最中に、このままいくと5目差とか1目差で勝つとかいうことがわかるようになるんでしょうか?で、そういうことがわかるようになるレベルまで達すると、やはり打っている最中からしびれるような感覚を味わえるようになって、それまでとは違った感覚になるんでしょうか?あるいは、そういうレベルにまで達していない場合、ふたを開けてみるまで結果がわからないことについて、どういう印象をもたれているのでしょうか?ということについて、囲碁がお好きな方に(できれば将棋も好きで両方の魅力がわかる方に)意見を聞かせていただければと思います。

  • 唯心論の心は性質、唯物論の物の性質 同じでは?

    もっと絞り込みます 私は唯心論の心・精神は性質で出来ていると考えるに至りました。 その性質とは唯物論で言う物質の性質と同じもの、同質のものです つまり脳という物質や脳波・神経などの電気信号等の現象の性質面が精神なのです。 この考えで唯物論と唯心論がつながって人間や世界が分かります 他にも色々考えがあるのですが 何処かおかしいでしょうか? にわかに信じがたいでしょうか?

  • 唯心論の心は性質、唯物論の物の性質 同じでは?

    もっと絞り込みます 私は唯心論の心・精神は性質で出来ていると考えるに至りました。 その性質とは唯物論で言う物質の性質と同じもの、同質のものです つまり脳という物質や脳波・神経などの電気信号等の現象の性質面が精神なのです。 この考えで唯物論と唯心論がつながって人間や世界が分かります 他にも色々考えがあるのですが 何処かおかしいでしょうか? にわかに信じがたいでしょうか?

  • 唯心論の心は性質、唯物論の物の性質 同じでは?

    もっと絞り込みます 私は唯心論の心・精神は性質で出来ていると考えるに至りました。 その性質とは唯物論で言う物質の性質と同じもの、同質のものです つまり脳という物質や脳波・神経などの電気信号等の現象の性質面が精神なのです。 この考えで唯物論と唯心論がつながって人間や世界が分かります 他にも色々考えがあるのですが 何処かおかしいでしょうか? にわかに信じがたいでしょうか?

  • 脳を持った体と脳由来の精神で人間?

    人間とは何か?と問えば 私は 人間とは精神であると考えています。 常識では人間とは体を持って心(精神)を持つもの と考えるかもしれませんが 体は猿でも持っています。猿なら色んな種類がありますし 交配不能なものもあるのでは? 人間とはその動物の猿の事ではありません。 経済社会、特に資本主義では猿山のような上下関係がありますが その様なものが人間ではありません、人間性ではありません 人間性とは猿の様にではなく 言葉を持ち、智慧を持ち、文化文明に浴して 己の理性と良心と感性で言動するものです。ユーモアやアイロニーを持ち 笑って握手して平和を望むものです。 人間性が戦争を望んだら 人間はおしまいです。 人間とはなんだと思いますか?異論・反論オブジェクション!?

  • 精神も性質も目に見えず、情報を持ったものです?

    精神も性質もセイシ まで一緒です。ひょっとして語源も? 僕が考えられる範囲で精神の存在を説明するとすれば 脳の脳内伝達物質やニューロンの電気伝達や、ホルモンゃ脳波や・・・ そう言った物質的、エネルギー的現象の「性質面」 その様な現象によって目に見えない性質の反応が複雑かつ組織的に起こり 我々の知る自我、我、意識、心、精神を実現していると考えます(後は言葉の問題) 異論のある方は持論を御提示下さい よろしくお願いします。 精神は何ものであるか?です。

  • 人生は矛盾だらけ!

    私の質問をご覧くださりありがとうございます。 タイトルの通り、人生は矛盾だらけだなと最近強く意識しています。例えば… ・勤勉でないと失敗する可能性が高いけれど、人間には怠け者の側面がある ・人を信じすぎると痛い目を見るけど、疑いすぎるのもよくない ・社交辞令は円滑な人間関係の為に大事だけど、本音を全く言わない人は信用されない ・他者と何かを共有する事からコミュニケーションが生まれるが、他人に合わせてばかりで自分のオリジナリティを発揮できないと人生がつまらない こういった矛盾に対し、適度なバランスで生活できる人が「器用な人」なのだと思います。哲学的に言えばアウフヘーベンって言うんですかね。 私と似た事を日頃考えてる方はいらっしゃるでしょうか? またはそうでない方も、何でもいいので、書き残していってくれると嬉しいです! それでは失礼します。

  • 精神は性質で出来ている か?

    私は色々考えた挙句 精神は脳の物質反応による性質のハタラキによって出来ていると考えます。 それ以外に説明がつきません そうだと言う方 そうじゃないと言う方の精神の存在の説明をお願いします。 性質というのは物質にもあり、生命・生物にもあり 人間にもあるものです。 性質とはその存在が持つ力 によるハタラキ そしてそのシルシでもあると思います。 これは結構大きな問題です。精神とは何か? 性質で出来ているか? [勿論環境(文明文化とか)や食物なども精神には関わってきます]

  • 精神は性質で出来ている か?

    私は色々考えた挙句 精神は脳の物質反応による性質のハタラキによって出来ていると考えます。 それ以外に説明がつきません そうだと言う方 そうじゃないと言う方の精神の存在の説明をお願いします。 性質というのは物質にもあり、生命・生物にもあり 人間にもあるものです。 性質とはその存在が持つ力 によるハタラキ そしてそのシルシでもあると思います。 これは結構大きな問題です。精神とは何か? 性質で出来ているか? [勿論環境(文明文化とか)や食物なども精神には関わってきます]

  • 哲学と宇宙論

    診ていただいてありがとうございます。さっそくですが Rμv-1/2gμvR-Λgμv=(8πG/c^4)Tμv というアインシュタインの一般相対性理論の基本式がありますが そりゃねえ、望遠鏡で観測できる範囲ならそれでもいいかもしれないけども、宇宙全般について、そんなシンプルな式で表されてもね、江戸っ子としては納得いかないわけですよ。雨の日もありゃ晴れの日だってあるんだし、はっつあんの腹んなかと源さんの腹んなかは違うんですから、ひとくくりにされちゃた日にゃ、そりゃフンドシの紐が緩んじまうって話ですよ。 だから人生いろいろなんだから宇宙もいろいろあっていいと思うんです。 ウキペデアに書いてあったんですけど、四つの力のうち、電磁相互作用と重力については影響範囲が無限大だって、それ見たときに家の猫がひっくり返ってへそで茶を沸かしましたよ。もし書いてある通り無限大なら、宇宙は無限だってことになるでしょ。数学のほうへ外注しすぎて変な方向へ行っちゃってるんじゃないでしょうか。変な式をいつまでも野放しにしておくと学生たちが「どうせ世の中変わらないんだろう」って投げやりになり勉強しなくなるので、ここらでひとつ、宇宙は哲学でできているということを見せつけてやりたいのです。 ここでやっと質問です。 宇宙論の分野で、哲学の学生がかかわれる部分はあるのでしょうか。ニーチェは耳にタコができたのでいりませんので、よろしくおたのもうします。