ghostbuster の回答履歴

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  • カント、ベンサムとミル

    ◎カント 「なんじの人格や他のあらゆる人の人格のうちにある人間性を、 いつも同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ扱わない様に行為せよ」 というのがありますが、自分の人格も他人の人格も目的として尊重しなさいということだと 解説にはありました。この「目的」のニュアンスがよくつかめません。 ◎ベンサムとミル 量的功利主義の快楽計算とは一般的な見方から考える幸福の価値観、 質的功利主義とはおのおの個人的な見方から考える幸福の価値観と考えても よいものなんですか?

  • カントの考える自由

    カントは義務に基づいた行為(道徳性をもった行為)をしなければならないとした。 もし義務を果たせなかったとしても 「果たすべきだったのに果たせなかった」と良心の呵責を感じる。 そしてそのとき自分は義務に従うことができたという自由を自覚する。 人間としてどういう風に行為すべきかと神剣に道徳法則に直面して 初めて自由の存在を知る。 ・「義務に従うことができたという自由を自覚する。」 ・「道徳法則に直面して初めて自由の存在を知る。」 この「自由」の意味がよくわかりません。道徳法則という束縛(?)の中で 自由を知るとはどういうことなんでしょうか?

  • 序破急

    物語の序破急に関しての質問です。 ネットで見ていると、序破急を起承転結と同じと捕らえている方、起承転結が四段構成であるのに対して、三段構成で展開が急な構成であると捕らえている方、起承転結が構成の話であるのに対して序破急は物語の緩急を指していて、はじめはゆっくり、最後は素早くという話運びのテクニックであると捕らえている方の三通りの意見がありました。 実際はどうなんでしょうか? 教えて下さい。

  • カント、ベンサムとミル

    ◎カント 「なんじの人格や他のあらゆる人の人格のうちにある人間性を、 いつも同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ扱わない様に行為せよ」 というのがありますが、自分の人格も他人の人格も目的として尊重しなさいということだと 解説にはありました。この「目的」のニュアンスがよくつかめません。 ◎ベンサムとミル 量的功利主義の快楽計算とは一般的な見方から考える幸福の価値観、 質的功利主義とはおのおの個人的な見方から考える幸福の価値観と考えても よいものなんですか?

  • こどもの地位について。

    過去から現在までのこどもの地位の変化、そして未来にむけて、社会においてこどもの地位はどのように変化していくのかを調べたいと思っているのですが、なかなかそのような内容の文献がみつからず、困っています。何かそのような内容の書物やHPがあれば教えてほしいです。よろしくお願いします。

  • ダン・ラザーのブッシュ大統領擁護発言について

     少し古い話です。 CBSイブニングニュースのアンカーマンであるダン・ラザーが9月11日のテロ後、ブッシュ大統領の演説を聞いて感動してらしく、「彼(大統領)は男の中の男だ!私は彼についていく」と言っていました。  大きな事件の後だとは言っても、あのクロンカイトの後継者である彼がアンカーマンという立場も忘れてしまったかのような発言をすることに驚きました。  また、その後のアメリカの狂ったような孤立主義を考えれば、今まである程度の評価を彼にしてきたことすら間違いであったかと考えてしまいます。 皆さんはこうした発言をどのように考えますか? また、彼の発言である「男の中の男。彼についていく」 とは英語でどう言ったのか知っている人がいましたら教えてください。

  • サイードについて、文献紹介してください

    とうとうエドワード・サイード氏が亡くなってしまいました。遅きに失しているかもしれませんが、いまこそサイードに取り組もうかと思っています。  そこでサイードの著書は簡単に調べられますが、サイードを論じている本・論文を教えていただけないでしょうか。批判でも解説でも何でもいいです。  またサイードを読むならこの本も読んでおくと視野がふくらむだろうという本の紹介も歓迎です。よろしくお願いします。  いまのところサイードでは『オリエンタリズム』と『イスラム報道』と『知識人とは何か』を読み、サイード論としてはジェイムズ・クリフォードの『文化の窮状』で一部扱われているのを読みました。

  • ストア哲学について教えてください。

    ストアが信じる(nothing can  make you happy や unhappy without your con-sent) とは、全ての不幸は悪い考えの結果だと説かれていますがこの nothing can make  you happy とはどういう意味なのでしょうか?私は何もない事が私の幸せだとは思えません。何かがあっての人生なのではないでしょうか?

  • 手品師の出てくる本

    主役でも脇役でもいいので、手品師、奇術師などが登場する本を教えてください! できれば小説がいいですが、漫画でも絵本でもOKです。 希望としては、あんまりタネやテクニックの説明に凝りまくってるようなのではなく、ストーリー重視のものがいいです。 今まで読んで良かったものは、ポール・ギャリコの「ほんものの魔法使い」、パトリック・A・ケリーの奇術師ハリーシリーズです。 お勧め本をご存知の方、どうぞよろしくお願いします!

    • ベストアンサー
    • noname#12970
    • 書籍・文庫
    • 回答数6
  • ジョイス・キャロル・オーツ

    ジョイス・キャロル・オーツの作品で「HEAT」と言う短編の訳を知りたいのですが・・・

  • 論理的思考と意識

    私は、物を考え創造するには、まず対象を分析しそれから発想が出ると思っていました。しかし、ある夢を見て自分の中にもう一人先行する意識があるのではないかと思うようになったのです。  その夢は、 ウレタン状の大きな四角いマット(縦横10mほど)その上部で十人程度のプロレスラーが2チームに別れて闘っている。マットの上辺には幅深さ1mほどの溝が中央を横断して掘られている。この溝を見て私は「何だろう?」とおもう。次ぎにカメラが変わり、プロレスラーの足元から見上げる角度になる。先ほどの溝はカメラのレールだった。と解する。・・・    この中で不思議なのは、マットの足元から見上げる位置にカメラを置くために、カメラレールを入れるというアイデアは分析と創造性が必要です。しかし、夢の中の私自身は、自分の脳味噌で考えたことにもかかわらず、その意味が理解していない、理解は後から追いついてくる。 あたかも、自分の意識以前に別の創造性を持った意識が先行して物事を考えている感じなのです。    これは意識をどのように解釈すればよいのでしょう。 単純に無意識のなせるワザというには高級すぎると思うのです。

  • 不特定多数への誹謗中傷とはなにか。

    誹謗中傷とは他者への悪口・謗りであるということは理解していますが、通常相手が特定(単数とは限らないが少なくとも個別に対象が特定…個人・団体等)されているべきものだと思ったのですが、実は違うのでしょうか? <不特定多数への誹謗中傷という概念>は果たして成立するものかどうかをお教えください。もし成立するということでしたら出来れば実例を添えて教えてください。 ある筋から「不特定多数への誹謗中傷は認めることは出来ない」というコメントをもらったのですが、直感的にこのような言い回しに疑問を抱いたのと、もし不特定多数への誹謗中傷なるものが成り立つとするならば、世の中にある啓蒙的な文言は全てこれにあたり、例えばある習慣を問いただす(禁煙者を否定するコメントはすべて禁煙者への誹謗中傷となってしまう)ような行為は全て認められなくなってしまうのではないかと思うのです。そうした矛盾についても言及していただけますとありがたいです。純粋に日本語的な問題と解釈してご回答いただいてかまいません。(といいますか、この質問への純粋な回答以外の内容をこの質問へかこつけて書き込むのはお避け下さい) 恒例ですが無用なトラブル回避のため、必要と考えた回答へのお礼と最小限の補足のみとさせていただきます。

  • 不特定多数への誹謗中傷とはなにか。

    誹謗中傷とは他者への悪口・謗りであるということは理解していますが、通常相手が特定(単数とは限らないが少なくとも個別に対象が特定…個人・団体等)されているべきものだと思ったのですが、実は違うのでしょうか? <不特定多数への誹謗中傷という概念>は果たして成立するものかどうかをお教えください。もし成立するということでしたら出来れば実例を添えて教えてください。 ある筋から「不特定多数への誹謗中傷は認めることは出来ない」というコメントをもらったのですが、直感的にこのような言い回しに疑問を抱いたのと、もし不特定多数への誹謗中傷なるものが成り立つとするならば、世の中にある啓蒙的な文言は全てこれにあたり、例えばある習慣を問いただす(禁煙者を否定するコメントはすべて禁煙者への誹謗中傷となってしまう)ような行為は全て認められなくなってしまうのではないかと思うのです。そうした矛盾についても言及していただけますとありがたいです。純粋に日本語的な問題と解釈してご回答いただいてかまいません。(といいますか、この質問への純粋な回答以外の内容をこの質問へかこつけて書き込むのはお避け下さい) 恒例ですが無用なトラブル回避のため、必要と考えた回答へのお礼と最小限の補足のみとさせていただきます。

  • 原稿用紙で読み仮名をつける

    レポートや小説を原稿用紙に書く場合ですが、読み仮名はその漢字の横の細い線(?)の部分に書いていいのでしょうか? それとも、その漢字を書いた後に括弧をつけて書いたがいいのでしょうか?(例えば 日本(にほん) という感じです) すいませんが、どなたか回答よろしくお願いします!

  • 骨董についてお訊きします

    先日骨董屋漫画を読んでいましたらこんなエピソードが出てきました。 骨董屋に客が来て 吉原辺りで花魁が使っていたとおぼしきたばこ盆。朱塗りで格子造り、蒔絵も何もないが下部の抽斗の金具が獅子の彫り、に合う煙管と火入れが欲しい と言う。 「二本置くなら煙管は朱塗りでない方がいいかな」 という店の者の台詞に応えて客が、茶席に使うわけじゃないから煙管は一本でいい、朱塗りで花魁が使うような長めの物を、と言う台詞が判りません。 後半の花魁が使うような長め、は判るのですが(そういう商売のひとが格子の向こうから煙管を伸ばして袖を引く、という描写を読んだことがある)茶席に使わないならなんで一本で良いんですか? あと、一本きりならたばこ盆とお揃いの朱塗りでよくて、二本なら揃ってない方がいいというのは何故? 更にそれを受けて、 「では火入れは染め付け、いや万暦様がいいですかね」 という台詞も出るのですが、それが何故かも判らない。何か、(染めの着物に織りの帯、みたいな)決めごとがあるのですか? 話が進んで、雁首と吸い口に牡丹の彫りがある煙管が出されてくるのですが、その煙管を見て客が 煙管に牡丹があるなら火入れは青磁か染め付けを置いてみよう と言うのも判らない。何故に牡丹だったら青磁か染め付け??(牡丹の煙管が出されてくる理由は判るのですが) 話は骨董と少しずれますが、骨董屋と客がこのたばこ盆を使っていたのはどんな花魁だったろうか、という話をしていて、 文殊菩薩を守りとしていたので獅子柄を好んだ、で、彼女の禿は猫を好んだだろう…と無責任に想像するわけですが。 文殊菩薩を守りにしていた女性が獅子柄を好む、という話の脈絡は“文殊菩薩は獅子に乗っている”の注釈で理解できましたが、その女性が使っていた禿は猫を好む、という話の繋がりが理解できません。 何故文殊菩薩→獅子→猫、なんですか?

  • ワトソンの広告業界での功績

    ワトソンは大学を追われたあと、広告業界で活躍したそうですが、どのような功績をおさめたのでしょうか。 教えてください。

  • エゴン・シーレについての本を探しています。

    最近、エゴン・シーレ(Egon Schiele,1890-1918)の絵を見ることがありました。 それ以来、虜になってしまったのですが、 彼の考えや絵について、割と詳しく書かれた本があれば、教えてください。

    • ベストアンサー
    • noname#5291
    • 書籍・文庫
    • 回答数3
  • モンテーニュ→フランシス・ベーコン。

    フランシス・ベーコンの四つのイドラについてですが、それに対してモンテーニュが批判をした、という話をどこぞで聞いたのですが、本当でしょうか? もし知っている方がいたら教えてください。 単に考え方の違いから結果的に批判したような感じになっているのか、本当に名指しで批判しているのか・・。 まずベーコンはわかるのですが、モンテーニュの考え方自体がよくわかってないのが問題ですが(笑) 参考文献でもよいので教えてくださると嬉しいです。

  • どこまでが「通俗的」か

    この手の本を読み始めて感じている疑問について質問します。 思想をカント的な意味での「批判」的に書こうとする人はたいてい、 通俗の説を避けますよね。あるいは俗説をひとつのテーゼとして仕立てて それに対するアンチテーゼとして自論を展開してオリジナルなものをつくって いこうという姿勢が、形はどうあれ、多くの書に通じますよね。 では通俗的とそれを隔てるものは何でしょうか。 もちろん、これは不毛な問いかもしれません。 しかし、それを含めて考察するのが哲学だ、とか、完全なオリジナルはない、とか、 そういうことを掲げても、それはそれでやっぱり不毛な議論になるほかないような気もします。 皆さんの中では「通俗的」という言葉をどう定義していますか?

  • どこまでが「通俗的」か

    この手の本を読み始めて感じている疑問について質問します。 思想をカント的な意味での「批判」的に書こうとする人はたいてい、 通俗の説を避けますよね。あるいは俗説をひとつのテーゼとして仕立てて それに対するアンチテーゼとして自論を展開してオリジナルなものをつくって いこうという姿勢が、形はどうあれ、多くの書に通じますよね。 では通俗的とそれを隔てるものは何でしょうか。 もちろん、これは不毛な問いかもしれません。 しかし、それを含めて考察するのが哲学だ、とか、完全なオリジナルはない、とか、 そういうことを掲げても、それはそれでやっぱり不毛な議論になるほかないような気もします。 皆さんの中では「通俗的」という言葉をどう定義していますか?