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性善説への疑問と職場での経験
- 職場でクビか自主退職になりそうな方がいますが、その人の考え方が性善説だと最近気づきました。
- 現地採用の日本人特権は将来なくなり、現在も格差は是正されていません。職場の越南人は日本人を快く思っておらず、新しい越南人アシスタントに噛まれる結果となっています。
- 性悪説からの視点でみると、半クビになった日本人が彼を上手く利用できなかったことは残酷な現実です。
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#2です。補足です。 『歎異抄』の『歎異抄』の言葉がどう言う位置にあるのか、と言うのを忘れていました。僕は大乗仏教を日本国内で庶民のための他力本願を元にできた「浄土宗」の改訂版だと思っています。 だから性は善でも悪でも他力で往生できると言う日本「国内」だけに通用する見方です。しかし一歩「国外」に出るとそうは行きません、自力の世界です。ベトナムは小乗仏教で自力が、根底にあります。 日本の外交は、国外でも、約束は守られ、恩は忘れない、という日本国内の慣習が、国外からは、文句を言えばすぐ謝って金を出す「金持ちのお人好しで腰抜け」と見られていることです。 またその手引きをする反日要素が日本国内にも、通〇省などの偉いさんにもいます。欠陥品だが原〇をノーと言えずに買う政治家もいます。国際交渉には性悪説以外は、不要です。
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- SPS700
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よって僕は性善説を掲げる人間を全く信用していないですね。反論をどうぞよろしく。 なぜか知りませんが、『歎異抄』の「善人なおもって往生す。いわんや悪人をや」(普通親鸞の言葉とされていますが原著者は不明)が頭に浮かびました。 https://1kara.tulip-k.jp/wakaru/2016111279.html 反論したいのでウズウズしてるのですが、僕の娘が大学で知りあったベトナム語の先生に就職先を紹介され、面接の場所が変だったので行かなかったが東南アジアの売笑婦斡旋所だったそうです。 日本でも「人を見れば泥棒と思え」と申します。性悪説、大賛成です。
お礼
>> 反論したいのでウズウズしてるのですが、 >> 性悪説、大賛成です。 ?? 辻褄が合っていないですが・・ >> 東南アジアの売笑婦斡旋所だったそうです。 個人的に越南でもフィリピンでもこういった女性の知り合いは多いので、悪し様に言うつもりは全く無いですね。 ご回答ありがとうございました。
- tiltilmitil
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性悪説は『人間の本性は悪であるから悪であっても仕方がない』ではなく『人間の本性は悪であるから善になれるよう学ばなければならない』である。 なお性善説も『人間は善であるから自然にしていればいい』ではなく『人間の本性は善であるからきっちり学べば善人になる』であり、いずれにしても学びが大事であるというのに変わりはない。
お礼
所謂「善人」になるつもりはないですね。「善人」のフリをした日本人は自分が居る国には沢山いますけれども。そんなのを見ているから善人アレルギーです。 ご回答ありがとうございました。
お礼
>>日本の外交は、国外でも、約束は守られ、恩は忘れない、という日本国内の慣習が、国外からは、文句を言えばすぐ謝って金を出す「金持ちのお人好しで腰抜け」と見られていることです。 これは事実でしょう。 ふと思うのですが、文章内の日本人女性も1970~80年代に現在の年齢を生きていたら外の世界を知ることも無かっただろうし、こんな惨い経験をすることもなかったのでしょう。彼女に対して「何故、日本を出ようと思ったのだろう」と思うことがあります。*仮に僕が1970~80年代に30~40代だったら、ずっとフィリピンに居たでしょうね(EDSA革命をこの目で確認したかった)。マクドナルドの劣化版であるジョリビーが食文化に根付く以前は、比人も痩せた人が多かっただろうし、美人も現在より多かったと聞きますので。革命、女・・最高じゃないですか。 個人的な話ですが、2019年にマニラに滞在していました。19年暮れにホーチミン市に戻りましたが、以降、取り決めしていることがあり、それは「赤の他人と接することの無い住居環境は選ばない」ということです。海外に出る日本人の多くはプライベート空間の確保に拘るわけですが、それをやってしまうとお金を得るチャンスを逃すことになるからです。サイコロを振る回数が減ってしまうことは避けるというか。勿論、ノイズの中には紛いものも混じってきます。しかし、ノイズからチャンスを拾うことでずっと生き延びてきた自分には、その方法が一番しっくり来るのですよね。その際「性悪説優先説」で物事を見ていないと破滅するということです。 ご回答ありがとうございました。 *この話は深く、生存前提だと越南において「なぜ越南語取得より英語が重宝されるのか」といった話にも繋がります。