• 締切済み

水島新司さんは「巨人の星」を受けて野球漫画を書いた

水島新司さんは、梶原一騎・川崎のぼるの「巨人の星」が大ヒット漫画になったことに触発されて野球漫画を書くようになったのでしょうか? ウィキペディアとかを読んでも「巨人の星」のことは書いていませんが、水島新司さんが野球漫画を書き始めたのは「巨人の星」の大ヒットの時期だから、そうではないかと思うのですが、違いますか?

みんなの回答

  • smoon465
  • ベストアンサー率8% (28/323)
回答No.2

さぁ、どうでしょうね。 答えは分かりませんが、推測は出来るというか有るというか。 本人が巨人の星が受けているから俺もという考えは、殆どないと思う。 それは、世間や関係者から真似したと言われるから。 ただ、編集者が野球漫画を書け、書いた方がいい、スポーツ漫画を書けという話は大いに有る。 どんな編集者でも、売れっ子漫画家の担当になりたいからね。

tabuqarn
質問者

お礼

>本人が巨人の星が受けているから俺もという考えは、殆どないと思う。 いいえ、私は水島新司さんは、「巨人の星が受けているから俺も」と考えたのだと思いますよ。 >それは、世間や関係者から真似したと言われるから。 その通りです。水島新司さんその他の野球漫画を書いた人たちは、みんな「巨人の星」を真似したのだと思います。

回答No.1

ご本人しか分からないとは思いますが、私は多分違うと思っています。 水島先生の最初の連載野球漫画は「男ドアホウ甲子園」ですが、これは原作付きのマンガでした(原作者・佐々木守)。水島先生はもともと野球好きでしたが、「巨人の星」のような根性もの・魔球ものが好きではなかったため、各雑誌からの連載依頼がなかったようです。そのため、野球以外のシーンが多い「男ドアホウ甲子園」の連載となりましたが、原作者があまり野球を知らなかったため(笑)、試合のシーンになると「ここから先はよろしく」と言って水島先生に丸投げしていたのです(笑)。 ところが、魔球も登場しない当時としては地味な野球漫画が人気を得たため、各少年誌が水島先生を多く起用するようになったと推測しています。

tabuqarn
質問者

お礼

あなたのご意見は間違っていると思います。 「巨人の星」が出たから多くの漫画家が「野球選手を主人公にした漫画を書こう」という企画を思い付いたのではないでしょうか? もし「巨人の星」が存在しなかったら、水島新司さんも佐々木守さんも、「野球選手を主人公にした漫画を書こう」ということを思い付かなかっただろうと私は思います。 「男どアホウ甲子園」という漫画の企画も思い付かなかったと思います。 水島新司さんと梶原一騎さんの作風が違うのは分かりますが、水島新司さんに「野球選手を主人公にした漫画をこれから書こう」と思い付かせたのは、「巨人の星」が存在したからだと思うのです。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう