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セレブ芸能人?

デヴィ夫人が一部報道で出ておりましたが、そもそもこの人って何者なんですか? 発展途上国の元独裁者の愛人ってだけですよね?発言内容も知性を感じないし、知識も薄っぺらだし。 どんなスキルとメリットがあってテレビに出ているのでしょうか? どなたか分かりやすく説明していただけますか?

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11065/34486)
回答No.2

どこの国にも、社会的に身分の高い人のための高級娼婦といったような女性が存在します。政治家や財界人、芸能人なども人の子ですし男ですから若くて綺麗な女性とセックスしたくなりますが、社会的な立場がある彼らからするとそういう遊びをしているというのは公けにはできません。 ですから、そのお相手になる女性は容姿端麗なのはもちろんですが、「私、誰々とセックスしちゃった」なんてことをペラペラ喋らない人である必要があります。 なのでそこまでのレベルの人となると、なんというかまあ豊富な「実績」をお持ちです。あの子は必ず秘密を守ってくれると。そしてその実績とルックスに見合った報酬が約束されます。 「デヴィ夫人 若い頃」で検索すると分かりますが、お若い頃は大変にお綺麗な方でした。スカルノ大統領に見初められる前は赤坂の高級クラブで働いていたといいますね。 そういった職歴がありますから、財界などの偉いおじさんたちに顔が利くのだと思います。ただ彼女は「私のバックには誰々がついてるのよ」なんてことを自ら口走るようなことはしません。しませんけど、彼女が怒るとそのバックについてる偉いおじさんを動かすことができるのでしょう。 時々芸人さんがネタまじりに「デヴィ夫人を怒らすとテレビに出られなくなる」というのを示唆する発言をしますが、たぶん彼女はバラエティ番組のキャスティングに口出しできるくらいの「影の力」は持っているのでしょうね。だからこそ、どこの民放も(そういえば、彼女はNHKでお見かけする記憶が余りないですね)彼女を出演させるのでしょう。

y-bankrupt
質問者

お礼

なるほど! 回り回って政財界ともつながりがあるのですね。発言についてはおおよそセレブと言い難いほど知性の欠片もないのに、テレビに出続けることの真相がわかったような気がしました。

その他の回答 (2)

  • unnoun
  • ベストアンサー率16% (409/2496)
回答No.3

愛人ではなくきちんとした妻です。第ナニ夫人か何かで、クーデターがおこったときに、おしめに大量の財産を抱えて亡命してきたんでしょう。中学卒業後は、東京都立高校の定時制部に進学すると同時に、150倍の難関を突破して千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社しましたが、昼休みや休日にも貧しい家計を維持するため、喫茶店などでのアルバイトを掛け持ちする日々を送ったそうです。 1955年(昭和30年)、15歳の時、新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』(白黒映画)にエキストラ出演しています。 1956年に父が亡くなった事に伴い高校を中退した後、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働くなど、その貧しさがうかがえます。 1959年(昭和34年)に転機が訪れます。 19歳のときに、インドネシアへの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれたらしい。 東西冷戦下にあったインドネシアにおいて、スカルノ大統領は日本外交や資金援助の取り付け等を特に重要視していました。 そのためインドネシアに渡って数年はスカルノ大統領の愛人の1人だったそうですが、昭和37年にスカルノ大統領と正式に結婚し第3夫人になったのだとか 1965年9月30日にインドネシアでは軍事クーデター(9月30日事件)が起こり、スカルノ大統領が失脚が、代わりにスハルトが大統領となりました。 当時はデヴィ夫人を含むスカルノ元大統領の第2夫人以外の夫人は皆大統領のもとを離れ逃げ切ったといいます。 1967年(昭和42年)3月11日、都内病院にて娘のカリナさんを出産。 スカルノ大統領の8番目の子供です。しかしながら、実弟は、ノイローゼになった母を、亡くして自殺されてます。 デヴィ夫人は政治的に亡命者に寛容なフランスを亡命先に選びます。現在の収入源はタレント活動、講演活動、資産運用益、事業収入などのものがあるのではないかと言われています。 となると、デヴィ夫人は自らが代表取締役を務める『株式会社デヴィーナ・ソサエティ』という法人であったり、不動産による収入や、1980年に起業したインドネシアの石油関連事業などで資産が発生していたのではと予想されています。石油事業で成功が実は一番大きいのではないでしょうか? 資産の土台となっているのはスカルノ元大統領の遺産ではないかという意見も多く、その遺産から起業などで資産を増やした可能性もあります。1992年(平成4年)1月2日にアメリカ合衆国のスキー・リゾート地、コロラド州アスペンで、セルヒオ・オスメニャ第4代フィリピン大統領の孫娘のミニー・オスメニャ(Minnie Osmena)の顔をシャンパングラスで殴打し、37針縫う大けがを負わせてしまい、逮捕されたというものです。 この逮捕により、デヴィ夫人は禁固60日・罰金700ドルの実刑判決が出て、34日間収監された。

y-bankrupt
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 資産もありセレブと崇めたてられても、テレビにでて目立ちたいという承認欲はいくつになっても消えないものなのですね。

回答No.1

Wikipediaを詳しく読めば分かると思いますよ。

y-bankrupt
質問者

お礼

ありがとうございます。Wikipediaみてみます

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