- ベストアンサー
フォーシュリークとリムジン河の秘話
- 1968年、フォーシュリークという早稲田大学生のグループが発売したレコード「リムジン河」の秘話を紹介します。
- フォーシュリークがリムジン河を歌うきっかけとは何だったのか、そのエピソードをご紹介します。
- 他のグループが発売禁止になった曲をフォーシュリークが10ヶ月後に発売した理由についても解説します。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ザ・フォーシュリークがリリースしたのは「リムジン江」というタイトルで、フォーククルセダースの「イムジン河」とは違うバージョン(原曲に忠実なメロディ・リズムと朝鮮総連が指定した訳詞)だそうです。 詳しくはこちらをご参照下さい。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B8%E3%83%B3%E6%B2%B3 「フォーシュリークがリムジン河を歌うことになったきっかけ」ですが、推測ではありますが、フォークル版が当時「内容が南側に偏っている」と朝鮮総連からの抗議を受けて発売自粛となったため、朝鮮総連側が改めて作って歌わせたと思っています。当時の早稲田大学には左翼系のセクトが多数あったため、そのつながりでザ・フォーシュリークに白羽の矢を立てたのではないでしょうか。 でも、ザ・フォーシュリークの「リムジン江」がオリコン19位までチャートを上げていたのは知りませんでした。
その他の回答 (2)
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
フォークルのイムジン河は発売前から放送されていて私は曲も歌詞もいまだに憶えているぐらい何度も聴いています。そうやって盛り上がったところで発売の予定だったのでしょう。 曲自体はフォークル当初からのレパートリーで、レコード化は「帰ってきたヨッパライ」の次はこれというのもレコードデビュー時から決まっていたとの話です。 発売中止回収になったのはすでに話題になっていたあとで、すでにお店には配られていて回収不能だったのが今高値で売られているようです。 中止の理由は「作者不明」としていたのが実は調べればわかる現存していた北朝鮮の人だった事しかわかっていません。そのあとの交渉その他はいまだに不明ですけどレコード会社としては面倒だから交渉も避けたというところなんではないでしょうか。プロデューサーやファンは気に入ってましたが会社としてはそうじゃなかったという事でしょう。 発売中止になってからも放送している局は結構あったように記憶しています。 フォーシュリークとやらのレコードについては大阪労音という団体が制作したものです。発売はされていますがヒットはしていませんので私は聴いたことがないです。 https://www.facebook.com/imujingawa/posts/727478150701079/ 著作権さえクリアできれば別のレコード会社が売ろうと思ったら発売はできるわけです。つまり戦前じゃないので歌詞内容による発売禁止はできません。それに著作権はフォークルのものでもなかった。編曲メロディもフォークルのものとは違うようですので編曲の著作権もクリアしています。訳詞も多分違うのでしょう。 当時のEPレコードは紙の袋に入れて歌詞と表紙を兼ねたペラペラの紙に挟んでビニール袋に入れてある物なんで書かれている仕様は当時として普通のものです。 https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c766935834 ちょっと古い話なんで憶測で色々御自分の持論に都合よく話をでっちあげる人もいるので慎重になった方がいいと思います。
お礼
ありがとうございました。レコードでしか聞く機会がなかったので知りませんでしたし、レコードも見たことがありません。 一方、フォーシュリークのレコードはよく知っておりまして、たちまち火が付きましてあっという間に人気も上昇していった矢先、1ヶ月するかしないかのうちに突如販売禁止になっときは信じられませんでした。 フォーク・クルセダーズの中止の情報が得られていればりりースされなかったはずですから、 どういう経路であの曲にたどり着いか疑問でした。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
「放送禁止」ではなかったと思いますよ。扱いとしては「放送自粛」というもののはずです。 その昔、フジテレビの深夜番組で放送した『「放送禁止歌」~歌っているのは誰? 規制しているのは誰?~』という番組をリアルタイムで見ました。放送が1999年でビデオ録画したのではなく本放送を見ただけなのでうろ覚えですが、その番組の中で「実は『放送禁止』の楽曲というのはない。全て放送局側が『自主規制』という形式になっている」と説明されていました。 ちなみにいわゆる「放送禁止用語」というのも同じで、国やどこかの団体から「禁止」とされているのではなく、自主規制です。あくまで自主規制ですから昔はセーフだったけど今はアウト、あるいはその逆もあります。 楽曲でいうと、私の世代はザ・ブルーハーツの「チェルノブイリ」を思い出します。これもいわゆる「放送禁止歌」ですが、表向きは「発売自粛」です。この曲は今でもタブーですね。いや、今の方がタブーかもしれません。チェルノブイリを・・・おおっと、これ以上は私も怖くて書けません・笑。 ですから「禁止」というものはないので、フォーシュリークバージョンは元からそんなにゴリゴリに売る気はなく、60年代のことですから誰にも気づかれないうちに自然消滅したと考えたほうが自然なのではないでしょうか。 「イムジン河」で検索すると、モノクロの映像が出てきます。これはどこかのテレビ局で放送されたと思わしき映像で、つまり本当に最初は問題にならなかったのだと思います。 イムジン河が放送できなくなった経緯は前述の番組でもかなり時間を割いて紹介されましたが、あれってどこかから圧力があったというより「忖度が忖度を呼んでタブー化していった」ということだったんですよ。もちろん、朝鮮総連と揉めたというのはあるのですが、フォーククルセダーズは民謡だと思っていたら民謡ではなく、作曲者がいるからという話から政治的な問題が絡んでさわれなくなった、という流れだと思います。 私がイムジン河について最後に聞いた情報は「今はほとんどの放送局で放送できるが、兵庫県などの一部地域の放送局では未だに自主規制から解かれていない」ということでした。さて、今はどうなっているのでしょうね?
お礼
ありがとうございました。よく調べてみるとフォーク・クルセダーズが1968年以前から唄っていたようですが何しろレコードしか聞く機会がなかったものですから耳にすることがありませんでした。発売日前日にボツになったらしですね。あのジャケットも知りません。 知っているのは「悲しくてやりきれない」と「コブのない駱駝」のカップリングレコードです。 そういうわけでフォーシュリークでリムジン江というレコードを聞いたのが初めてで、よいものは誰が聞いてもよいというわけでグングン売れていきまして、そのままならどこまで伸びるのか検討も付きませんでした。 が、1ヶ月過ぎていたかもっと早かったか、突然販売禁止になりこんな残念なことはありませんでした。 フォーク・クルセダーズの事情を知らなくて発売したということでしょうが、そうなると同じ年にこの曲にたどり着いたいきさつを知りたいと思いました。
お礼
ありがとうございました。 >フォークル版が当時「内容が南側に偏っている」と朝鮮総連からの抗議を受けて発売自粛となったため、朝鮮総連側が改めて作って歌わせたと思っています なるほど、歌詞が北に配慮されていますね。 >でも、ザ・フォーシュリークの「リムジン江」がオリコン19位までチャートを上げていたのは知りませんでした。 たちまち火が付きましたから。それが上昇中に突然販売中止となり残念でたまりませんでした。 2002年急遽フォーク・クルセダーズのCDシングルが発売に至りましたが、あの社会情勢ですからもうフォーシュリークバージョンは唄えなくなっていてまたまた惜しい。何しろ初めてきいた問いたときのインパクトがあまりに強すぎましたから。 そうですか、大学内で芽生えてリリースに至ったのですか。