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橋爪功・若村麻由美出演の「Le Père 父」
先日、東京芸術劇場で橋爪功・若村麻由美出演の舞台劇「Le Père 父」を楽しく観劇しました。パンフレットを読んでも判らなかった点があるので、舞台を御覧になった方々に質問させていただきます。 認知症の父アンドレ(橋爪功)には、娘はアンヌ(若村麻由美)一人しかいなかったのか?、それともアンヌの下に妹が一人いて、アンドレには二人の娘がいたのか?、どちらなのかが判らなかったのです。 アンドレ(橋爪)が「私はアンヌ(若村)よりアンヌの妹の×××(名前は失念)のほうが好きなんだ」というセリフが出てきて、もう1回妹のことについてアンドレが話すシーンがあります。妹に関するアンドレのセリフは2回だけでした。 しかし、妹はアンドレのセリフに2回出てくるだけで、妹は舞台には一度も登場しませんでした。 物語の序盤、アンヌ(若村)が一度家を出ます。アンドレ(橋爪)がアンヌ(若村)を家で待っていたら、アンヌと全く同じ服装・髪型の女(壮一帆)が家に入ってきました。私は「この女(壮一帆)がアンヌ(若村)の妹なのか?」と思っていたら、アンドレ(橋爪)はアンヌ(若村)の顔が別人(壮一帆)に変わっているのを見て困惑しているようなのです。これが現実であろうが非現実であろうが、この女はアンヌなのです。つまり、アンドレはアンヌの顔を認識できなくなっていることが観客に伝わります。 結局、アンヌの妹は本当に存在していたと考えていいのでしょうか?私は「いい」と解釈しています。 妹は会話に出てくるだけの存在で、アンドレの認知症とは関係ないと私は解釈しています。 このとらえ方でいいですよね?もし間違っている場合は、正しいことをお教え下さい。宜しくお願い致します。
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- nagata2017
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アンドレの視点から構成されているので 見えているものは現実とはちがうものが含まれている。 という解釈で 妹は実在しないと見ていいと思います。
補足
現実と非現実と「現実or非現実の区別がアンドレにも観客にも判断できないもの」の3つが混沌としていることは私も理解しています。妹の存在が非現実であるという根拠、つまり妹の存在が現実ではないという根拠を知りたいのです。ちなみに、はじめに舞台の真ん中に飾ってあったペンキをぶっかけたような絵(右半分が人の顔に見えます)をアンドレが指して「この絵は妹の×××が描いたんだ」と言っていました。