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幕末の仏師雲蝶の作品には西洋彫刻の影響がありますか
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>仏師石川雲蝶 石川雲蝶は仏師ではありません。 宮彫りをする彫物大工でした。 >下の写真をご覧になって純粋の江戸彫刻なのか西洋の影響を受けていると感じるかお教え下さい。 江戸彫刻という言葉があるのかどうかは知りません。 江戸時代には「宮彫り」と呼ばれる神社仏閣の建物の装飾彫刻が盛んになりました。 職人も彫物大工と呼ばれました。 このような意味ではご指摘の永林寺の装飾彫刻は江戸時代の時流に乗った作品だとは思います。 参考 宮彫りとは|神奈川の宮彫り ~龍の寺社装飾~ - 観光かながわNow https://www.kanagawa-kankou.or.jp/miyabori/about.php 西洋の影響は何処にもみられません。 日本では彫刻の顔の表現技術は古くから能面として発達していました。 筋肉等の表現はヨーロッパのルネッサンス以前に四天王像などで発達していました。 つまり幕末期に活躍した石川雲蝶などに取っては西洋の影響なしに表現する技術は充分備わっていました。 >作風についてどの解説にも出ていません。 ??? 石川雲蝶の作品に関する書籍は多数出版されています。 Amazonなどのネットショップでも購入可能です。 構図が大胆で彫りが深く繊細であることは新潟県や魚沼市のパンフレット等の解説にも度々記載されています。 参考 日本のミケランジェロ・石川雲蝶が残した傑作をガイド付きバスツアーで ... http://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_2197/ 尚、石川雲蝶が越後のミケランジェロなどと呼ばれるようになったのは骨董屋と言うかTVなどで古美術鑑定家と称していた中島誠之助が言い出したことに由来します。 西洋の影響というよりも石川雲蝶が従来の伝統に拘らず自由奔放な構図で彫り上げていたことを指した言葉かと思います。 蛇足 インドで生まれた仏教には仏を表す仏像は元々ありませんでした。 寺院の外壁などを装飾する仏以外の彫刻物はありました。 仏教が紀元前後にヒマラヤを越えてガンダーラ地方に広がった時期にギリシャ彫刻の影響をうけて仏像が作られるようになりました。 仏には人間とは異なるという意味で三十二相八十種好、というものが定められていました。 個々の仏を表す印相というルールもありました。 仏像を彫る際にはこの仏の特徴を表す必用がありました。 これをマスターした上で独自の表現(デザイン)で創作できる人を仏師と呼んでいました。 日本では戦国時代以降江戸時代も含めて新たな仏像の需要が減り仏師は途絶えがちでした。 これに対して日光東照宮を嚆矢に神社仏閣の建築意匠としての装飾彫刻が求められるようになりました。 「宮彫り」と呼ばれました。 これを手がける彫刻家が彫物大工として発達しました。 建物の装飾であることから仏師のようなやかましいルールに囚われませんでした。 独自の構図で自由に創作できました。 石川雲蝶が活躍できたのも仏師ではなかったことが幸いしました。
お礼
完璧なるご回答を有り難うございました。 >筋肉等の表現はヨーロッパのルネッサンス以前に四天王像などで発達していました・・・ ルネサンスの人体比例や観察による写実が写実の原理だという 観念にとらわれていたと感じました。 四天王や雲蝶の筋肉表現が西洋の写実とは違う原理の 写実であることが分かりました。 有り難うございました。