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南北線のルートについて
南北線が開通したのは92年ですが、 Q1.停車駅とルート(どこを通過する)決定はいつですか。 Q2.東大前駅付近と言いながら、北側を掠めているだけなのは後楽園~飯田橋~溜池山王ルートが確定していて、もう少し南下するとカーブがきつくなるなるからですか? 正門まで延びれば東大関係者には便利だったとおもうのですが。 もう少し言えば、本郷3丁目まで延びていれば、丸ノ内線とも接続できました。 北西から南東の路線の多さに対して、 北東から南西の路線は少ないので補完する意味です。 Q3.単に南下するだけなら、靖国神社脇を通る、現在の半蔵門線の九段下と半蔵門の間ルートでをよいと感じました。 飯田橋~市ヶ谷間は JRと有楽町線も通っているのに、お役所のキャリアの?幕僚長の?事情がプンプンします。 Q4添付の青ルート案はありましたか?
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以前読んだ「東京の地下鉄がわかる事典」という本によると、1962年に都市計画7号線として、目黒・溜池・市ヶ谷・駒込・王子・岩淵町という路線が計画されたということです。 都市交通審議会の答申の中では、大雑把な地名程度なので、厳密に今ある駅が確定したのは、1984年に免許取得して着工するまでのいずれかの時期ということになるでしょう。 ただ、ほぼ当初の計画通りのルートになっているので、1962年の後、何回か行われた答申の中でも、青ルート案はありません。 Q2,3については、まとめてしまいますと、Googleマップなどを見ればよく分かりますが、地下鉄の路線の多くの部分は大通りの下を通っています。 それらの多くは国道や都道であることから、用地取得という点で有利と思われますし、広い道路なら工事のために車線を減らしながらも、ある程度の交通を確保できるということも考えられます。 東大前駅の位置に関しても、正門の方に本郷通りの下を延長してしまうと、後楽園方面に抜ける線路は狭い道の多いところをかなり進む必要があります。 東大の都合を考えても、今ある場所だと地震研究所や農学部は便利です。
お礼
詳しくご丁寧な回答ありがとうこざいます。 1962年に大まかな地点が決定、1984年の免許取得から着工までの間に、ほぼ当初の計画通りに厳密なルートが決定したこと、 地下鉄は、大通りの下を通すことで、用地と交通の確保がしやすいこと (狭い道の下は工事がしにくいこと) 青ルートの案はなかったこと、 理解しました。 我田引鉄的な思惑は薄そうであると感じ、 よかったです。