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江戸府内の時間「時の鐘」。

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お礼率 94% (1159/1227)

これまでに度々類似の質問がありましたが、回答を読めば読むほど新たな疑問が出てきましたので、教えてください。

1.江戸市中に時を告げる「時の鐘」は、最初、石町3丁目に設置されています。鐘を撞くのは民間人ですが、時間を測るのは幕府のしかるべき役人で、その役人が打つ太鼓の音を聴いてから石町の「時の鐘」を撞いたのですか。つまり、大元は幕府(江戸城)ですか。
それとも「時の鐘」鐘楼内に日時計や漏刻のようなものがあったのですか。

2.石町に最初に設置されてから、上野、浅草など次々と「時の鐘」が増えていきましたが、お寺の鐘を利用するのではなく、「時の鐘」用の鐘と鐘楼を作ったのですか。

3.武士階級は、時刻を「六ッ時」のように鐘の鳴る回数で呼ぶのではなく、
「干支」で表した時刻を多用したのですか。
幕府の記録や武家の日記には、時刻を「数」で表したものも多々ありますが…。

よろしくお願いします。
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回答 (全2件)

  • 回答No.1
レベル10

ベストアンサー率 52% (56/107)

1.下記サイト参照
時の鐘に時計はあった。 : 気ままに江戸 散歩・味・読書の記録
wheatbaku.exblog.jp/23360962/
抜粋
時の鐘があったとされる場所は次の9ヵ所です。本石町、浅草寺、上野寛永寺、本所横川町、目白不動、市谷八幡、赤坂田町、四谷天竜寺、芝切通し この中で、時計があったと思われるのが、「本石町」「上野寛永寺」「芝切通し」「四谷天龍寺」「本所横川町」です。
まず、本石町ですが、鐘撞役の辻源七の書留(享保年間)に 「時の勤方之儀は常香盤ならびに時斗(とけい)貮組(にくみ)を以て相勤申候」 と書かれています。

時の鐘 1 -石町の鐘- : 断想
ksei.exblog.jp/17534180/
抜粋
江戸で最初の 「時の鐘」 は、家康の入府に遡る。 老中たちに登城時間など公の時刻を知らせるため、江戸城の西の丸(現在、天皇の御在所)の鐘楼で朝夕2回、鐘を撞いたのが始まりだ。 二代将軍、秀忠の時代になると、一日を12等分して、昼夜2時間ごとに鳴らすようにしたが、御座所に近い鐘楼からの鐘の音が政務の妨げになるとして、鐘の代わりに櫓太鼓を定時に叩くことにし、時計奉行が3基の時計を見ながら時報を知らせた。
中略
江戸城の 「時の鐘」 が太鼓に代った後、鐘撞役を代々勤めてきた辻源七は、寛永三年(1626)、本石町(現在の日本橋本町4丁目、室町4丁目の一部)に200坪の土地を拝領し、新たに鋳造した鐘を鐘楼に懸け、ここに江戸最初の 「時の鐘」 が誕生した。

第73回 江戸の時計と季節 | web日本語
www.web-nihongo.com/edo/ed_p073/
抜粋
時計の普及は実は意外に早く、江戸時代半ばの18世紀になると急速に広がっている。江戸城では、寛永20年(1643)には表と中奧のあいだに土圭(時計)之間があって、奧坊主などが将軍の大奥へ入る時刻の管理をしていた。また、大名や格式の高い旗本(はたもと)の屋敷には時計は必需品で、登城に遅刻しないように、10分、20分刻みで生活していたようだ。
 文政7年(1824)に刊行された江戸全域の諸商売の案内記である『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』には、徳川御三家紀州と尾州(尾張)の御用時計師の名前が載っている。江戸市中にも百人前後の時計師が時計の製作・修理に追われていたろう。
 時の鐘で生活するのは時計を持たない下層町人だけで、奉公人のいる商家では置時計や柱時計があった。黄表紙(きびょうし)などには、時計が家具としてよく描かれている。時がくると時計の頭に備え付けの鐘を金属棒が叩くようになっていて、ギィーガチャンと鳴る仕掛けだ。

2、専用の鐘が設けられていました。
参考
花の雲 鐘は上野か 浅草か
www.inter-link.jp/back_no/tokushu/tokushu18_7.html
現存していて写真があります

3、幕府の記録や武家の日記には、時刻を「数」で表したものも多々ありますが…。
寡聞にして知りません。
身分に従って使う呼称を変えろなどという規則などどこにもありません。
江戸時代にこんな細々した事柄を一々具体的に決めた法令は寡聞にして知りません。
あくまでも習慣上の事柄です。
武家が干支を使ったのは城内で使われていたためです。
武家の日記や公文書でも市中の庶民が使っていた呼称を使うこともあるでしょう。
庶民でも時と場合によっては干支を使っていました。
習慣上の事柄に例外があるのはいつの時代どこの国でもあることです。
たまたま目にされた史料を基にそれが全てだと普遍化されるのは如何なものでしょうか

上記しましたように「時の鐘」に関しましてはネット上に幾らでも記事がありますので一度目を通してください。
お礼コメント
kouki-koureisya

お礼率 94% (1159/1227)

  
ご回答ありがとうございます。
質問(1)、(2)に対するご回答について。
よく分かりました。
江戸時代は270年間も続いたのですから初期、中期、後期では異なった部分もあったでしょう。

「江戸では上野寛永寺の鐘が基準で、これに従って江戸市中に設置されていた時の鐘を打っていました。」に疑問を持ち質問しましたが、
「江戸城の時計係が西洋時計の時刻を基に太鼓を打って知らせ、それを聞いた「時の鐘」のある寺などが撞く。場所によっては鐘の音を聞きそれを合図に「時の鐘」を撞く所もあり場所によって多少時差があったという。」
ということですね。

質問(3)に対するご回答について。

「身分によって時刻の言い方は違っていました。干支を日常的に使うのは武家階級の人達です。庶民は四ツ五ツ六ツなどを使っていました。」に疑問を持ち質問しましたが、
いい加減な根拠で質問しておりません。
「明六ツ」をキーワードにして、あと適当な言葉を加えて入力すれば、いくらでもヒットします。

大岡忠相が寺社奉行であった頃の日記には、時を「干支」より「数」で書いている方が圧倒的に多いです。ネットで読むことができます。

奈良奉行・戸田能登守が京都所司代脇坂淡路守に嘉永甲寅年の地震を報告した書状の「写し」
http://www.pref.nara.jp/secure/118509/naranosaigaisi2%E3%80%801-1.pdf#search=%27%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B9%95%E5%BA%9C+%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2%27

大坂町奉行・久須美祐明『浪華日記』、
http://ci.nii.ac.jp/els/contents110004688396.pdf?id=ART0007423890

紀州藩家老三浦家文書
http://ci.nii.ac.jp/els/contents110006998376.pdf?id=ART0008909906

安政二年十月二日江戸大地震 3 盛岡藩の対幕府応接 『御在府留』抄
http://www.komonjokan.net/cgi-bin/komon/index.cgi?cat=komonjo&mode=details&code_no=2588&start
一、昨二日夜四時頃地震ニ付、御上屋鋪御殿不残潰れ、御長屋通も相潰、所々より出火有之、御屋鋪内よりも出火に付、御上屋鋪不残御焼失に相成候、太守様無御障、以下略

姫路藩主・酒井家文書 (江戸留守居)日記、 同 奥用人日記 他 嘉永二年
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/48/saiho_48_047.html
「…神田上水神田橋御門内外樋筋御普請ニ付明十一日明け六時ゟ暮六時迄一日限り水留いたし、尤御成雨天は日送り之積此段組合中江不洩様通達可有之候、以上」
他、ほとんど「数」により時間を表示。



江戸城内でも門番役のマニュアルや引継ぎ書。
「江戸城 御門番 明6ツ」でヒットします。

国立歴史民俗博物館研究報告 第 183 集 2014 年 3 月「江戸城門番役の機能と情報管理」
www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/.../183009.pdf

上記は八戸藩の例ですが、庄内藩の例もあります。
「日常の職務の第一は、門の開閉である。門の開門の準備は、早朝毎晩七半時より始まる。まず、内腰掛の足軽番人より大番所幕下の足軽小頭に時刻の触れが伝えられ、準備にかかる。江戸城の明六時の太鼓が鳴ると、大番所の物頭らに連絡し、夜間に出していた挑灯台・箱行灯・箱番所を撤収する」
投稿日時 - 2017-07-21 20:32:54


  • 回答No.2
レベル10

ベストアンサー率 52% (56/107)

No.1です。
わざわざお礼を記入頂きありがとうございます

お礼にいろいろ文献を挙げられおられますが、いずれも日記や留書(メモ)かと思います。盛岡藩のものも武家どうしの連絡書の類です。
しかも時刻が記載されているのは、ご指摘の文章の一行みです。

回答は習慣としての話をしています。
この身分ならこの用語を使わなければならなかったなどとは申し上げていませんのでご注意願います。

ご指摘の国立歴史民俗博物館研究報告 第 183 集 2014 年 3 月「江戸城門番役の機能と情報管理」に

門番役の引き継ぎの際に利用された「申送」・「申合」、基本台帳としての置帳が、担当藩によって作成され、幕府は関与しなかった点である。門番役について幕府は基本法を作成したうえで、その都度指示を与えたが、その運用や先例の蓄積は各藩に依存していた。

と記載されていますが、この文中の幕府の基本法について下記のURLがあります。

境界としての江戸城大手三門 - 東京大学史料編纂所
www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/kiyo/22/kiyo0022-18.pdf

抜粋
享 保 六( 一 七 二 一 ) 年 に定 め ら れ た 武 器 ・ 人 数 と 職 務(「 御 定 書 」) が 幕 末 ま で 基 本 法 と し て 機 能し た 。
そ の 基 本 法 で は 、 門 の 重 要 度 か ら 、 A 大 手三 門(大 手 門 ・ 内桜 田 門 ・ 西 丸 大 手 門 ) と B 内 曲 輪 一 五 門
C 外 曲 輪一 一 門三 つ に 分 け て 規 定 を 設 け て い る 。
基 本 的 な職 務 は 、 門 の 開 閉 と 通 過 者 の 確 認 、 さ ら に 門 内 外 の 掃 除 や 空 間 の 管 理 、そ し て 将 軍 や 外 交 使 節 が 出 入 り す る 儀 礼 の 場 の 維 持 、 火 災 発 生 時 の 防 火で あ っ た 。
た だ し 、 そ れ ぞ れ の 門 で は 、 詰 め る 人 数 や 武 器 、 開門 時 間 や 職 務 内 容 の 詳 細 が 異 な っ て い た 。
B 内 曲 輪 門 で は 、 幕 閣 の 屋 敷 の あ る 西 丸下 ほ か 北 の 丸 の 出 入 り に か かわ る 門( 外 桜 田 門 ・ 馬 場 先 門 ・ 和 田倉 門 ・ 竹 橋 門 ) に 譜 代 大名が 、 大名 小 路 や 大 手 前 よ り 外 側 の 門 に 外 様 大名 が 配 置 さ れ た 。
ま た C 外曲 輪 門 は 、 幸 橋 門 以 外 は 旗 本 の 寄 合 が 任 じ ら れ た 。
開 門 時 間 は 、 B は外 門 は 一 日 中 、 内 門 が 卯 刻 よ り 酉 刻( 六 時 ~ 一 八 時 ) で く く り 戸 が 子 刻( 〇 時 ) ま で 、 C は 外 門 ・ 内 門 と も 一 日 中 で あ っ た 。 ま た 、 酉 刻 よ り 卯刻( 一 八 時 ~ 六 時 ) ま で 女 性 の 通 過 者 の 手 形 改 を 行 っ た 。

この論文によれば基本法では干支が使われています。

下記のURLでも干支が使われています。

古文書で見る「弘前城あれこれ」 - 弘前市
www.city.hirosaki.aomori.jp/tosho/old/hirosakijo-arekore-4-2...

抜粋
若殿様辰の刻御登城。この節御玄関下場畳左右へ御家老罷り出で、御用人東の方栗石へ罷り出で、その下へ大目付罷り出で候。

江戸城内での登城の合図には太鼓が打ち鳴らされ、登城する大名や旗本が出揃ったと思われるまで打ち続けられていました。
通称四つの太鼓などと説明されていますが、市中の時の鐘のようにこの時間だから幾つという考え方はしていませんでした。

尚このURLをお読みいただければ分かりますが、実際に立ち働いてたのは中間、足軽と称される人達です。
上記論文に
「儀 礼 の な い 平 日 の 当 番 勤 務 で は 、 桑名 藩 士 四 四 人 に対 し て 、 抱下 座 見 一 二 人 ・ 雇 足 軽 六 四 人 ・ 雇 中 間 六 六 人 の 計 一 四 二 人 が人 宿 か ら 雇 用 さ れ て い る。」
とありますように、この人達は身分としては町人です。
日常的に時刻を干支ではなく六ツだの四ツだのと使っていても不思議はありません。
(明治時代に戸籍に登録する際にこの人達も士族に登録されたことから非常に分かり難くなっています。)
このような人達を対象とした藩の規則ですから刻限も干支ではなく六ツだのなんだのが使われていても不思議はありません。

わずかな文例をもって歴史上の習慣的な物事をあれは違うのどうのと断定されるのは如何なものでしょうか
当サイトは議論の場ではありませんのでご注意願います。
お礼コメント
kouki-koureisya

お礼率 94% (1159/1227)

再度のご回答ありがとうございます。
もちろん議論などするつもりはありません。
ご回答のなかに疑問があるので、お聞きしているだけです。

整理します。
質問は、
「武士階級は、時刻を「六ッ時」のように鐘の鳴る回数で呼ぶのではなく、
「干支」で表した時刻を多用したのですか。
幕府の記録や武家の日記には、時刻を「数」で表したものも多々ありますが…。」

“多用”したのですか、と聞きました。
「多用していた」のであれば、その根拠を教えてください、ただそれだけのことです。
それが習慣だと言われても、江戸時代の武士の習慣を知らない私には、雲を掴むような話です。
実際のところ、調べようがないでしょうから、回答者様の主観で「そう思っている」「そのはずだ」でも結構です。
その程度の根拠か、で納得できます。
ご回答の中に、
「幕府の記録や武家の日記には、時刻を「数」で表したものを寡聞にして知りません。」ということでしたので、質問者として最低限の礼儀を尽くすべきと思い、ネットで簡単に見つけることができる記録や日記の事例を列挙しました。

これに対して「いずれも日記や留書(メモ)かと思います。盛岡藩のものも武家どうしの連絡書の類です。」と切り捨てられましたが、これは、寺社奉行・大岡忠相や姫路藩主・酒井候の日記などは、武士が時を「数」で表記した事例とはならないのですね。
また、奈良奉行・戸田能登守が京都所司代脇坂淡路守に嘉永甲寅年の地震を報告した書状の「写し」も、武家どうしの連絡書にすぎないので、事例にはならないのですね。
全て、例外にすぎない、ということですね。

ご回答の続きです。
「あくまでも習慣上の事柄です。
武家が干支を使ったのは城内で使われていたためです。
武家の日記や公文書でも市中の庶民が使っていた呼称を使うこともあるでしょう。
庶民でも時と場合によっては干支を使っていました。
習慣上の事柄に例外があるのはいつの時代どこの国でもあることです。」

そのとおりだと思います。
「身分によって時刻の言い方は違っていました。干支を日常的に使うのは武家階級の人達です。庶民は四ツ五ツ六ツなどを使っていました。」に比べると、かなり納得できます。


ご提示の「境界としての江戸城大手三門 - 東京大学史料編纂所」は、前もって読んでいましたから、#1のお礼に、庄内藩も門番は、時を「数」で表記していたと書いています。
ご回答に「この論文によれば基本法では干支が使われています。」とありますが、もちろん知っています。
「干支」が使われていて当然です。
しかし、「数」も同様に使われていたのでは、という疑問です。
ご回答に「実際に立ち働いてたのは中間、足軽と称される人達です。…中略…この人達は身分としては町人です。日常的に時刻を干支ではなく六ツだの四ツだのと使っていても不思議はありません。」とあります。
つまり、身分によって時刻の言い方が違っていたという主張の補強ですね。
この人たちの報告を頭役の藩士が、日々あるいは定期的に報告書にまとめて、幕府役人に提出したと思うのですが、この報告書では、「数」の時を「干支」に変換したのでしょう。


江戸城内では、基本法は「干支」であっても、実務では「干支」よりむしろ「数」の方が多いような気がします。
「江戸幕府行事儀礼図譜」を見ますと、
例えば「御本丸明細図(大番頭勤方絵図)」には、誰がどの位置に立つとか事細かに指図してありますが、時についても、「御能之日六半時分泰着(舞台?)」「朝五ツ時御成之節」
「与力番所暮五時迄ハ」など、見落としもあるかもしれませんが「数」表示です。
「両番頭年中勤方絵図」(書院番頭、小姓組番頭)も同様に事細かく「御供揃五半時」「○○六半時」「麻上下着用明七ツ時」など。
下っ端の小役人は、さらに下の者に分かるように、いつもの習慣で時を「数」で指示したのでしょう。

「幕府書物方日記」には、めったに「時」を記録していませんが、記録している箇所は、圧倒的に「数」で書いています。
例えば、「享保20年乙卯10月21日 九ツ前地震少」とあります。
多分、この日記を書く当番者は、日頃から「数」を使っていた習慣で、この場合も「数」で記録したのでしょう。
これも「日記」にすぎないですが…。

「徳川礼典録」では、時を「干支」で書いていますが、その「付録」には、時を「数」で書いた箇所も多数記載されています。
例えば、
左之通御目付より諸向ヘ達之
若君様御七夜御祝儀ニ付 御本丸西丸え諸大名より献上物多く有之に付…中略…朝六時より段々ニ献上物繰込申候、尤五時迄之内…以下略…。


以上、私は、基本法の類は原則、時を「干支」で表記し、実務面では、時を「数」で書き表していた方が多いのかな、と思っています。
投稿日時 - 2017-07-23 20:18:34
  • 回答数2
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