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それぞれ、一堂に会した事はありますか?
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三者が一堂に会した事はありますか? 武田信玄、上杉謙信、北条氏康の三者が一堂に会した事はありますか?
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元亀元年(1570年) 朝倉攻め 金ヶ崎の退き口で有名な戦いが記録上最初の信長、秀吉、家康三者揃い踏みの舞台です。 徳川実記では家康も殿軍に参加したことになっていますが、これには疑問を唱える学者もいます。 ただ、その場所にいたことは確かでしょうから、軍議の場で顔を合わせているでしょう。 信長36歳、秀吉33歳、家康27歳です。 元亀元年(1570年) 姉川の戦い 信長は虎御前山諸将を集めて軍議を開きました。 天正3年(1575年) 長篠の戦い 武田勝頼との決戦のため設楽原に到着した織田信長、徳川家康連合軍は極楽寺で軍議を開きます。 秀吉の陣地は信長本陣のすぐ隣でした。信長41歳、秀吉38歳、家康32歳です。 信長、秀吉、家康の三者が同じ時、同じ場所にいたのは以上三回です。 信玄、謙信、氏康の三者が一堂に会した事はありません。 信玄、謙信の二人に限っても直接対面したのは第四次川中島の戦いの一騎打ちの場面(それが事実だとして)だけです。もっとも、第四次川中島の戦いの発端は謙信VS氏康の小田原城の戦いに際して、氏康が同盟関係の信玄に援助要請したのがことの始まりですから、一堂に会さずとも三者それぞれ強く意識しあっていたでしょうね。
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- jkpawapuro
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家康と信長が直接顔をあわせたシーンは、清洲同盟と金ヶ崎と本能寺直前の3度少なくともありますよね。本能寺直前は秀吉は中国攻めの最中で畿内にいません。 金ヶ崎のときは秀吉は足軽大将くらいでしょうか?武将の一人として家康とともに軍義に加わっているはずです。 清洲同盟のときは、家康は奉行衆の一人です。普請奉行かな? ですので一堂に会するというのは大げさですが、清洲場内ですれ違うくらいはあってもおかしくないですね。
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- mshr1962
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織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三者が一堂に会した事はありますか? 1570年「金ヶ崎の退き口」 http://www.geocities.jp/hosinoufo3/kanegasakino-nokiguchi.html 武田信玄、上杉謙信、北条氏康の三者が一堂に会した事はありますか? 残念ながら無いようです。唯一の機会は 1569年「小田原城攻め」 http://www.geocities.jp/hosinoufo3/odawarajouzeme-takeda.html ですが、上杉謙信は出兵はしましたが、途中で終結したため帰国しているようです。
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