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安徳天皇の歌
30年ほど前に小学校の修学旅行で山口県の赤間神宮へ行きました。 そのときに住んでいた広島で、安徳天皇の歌を教えてもらったのですが、一部しか分からず、もやもやしています。 もし、歌詞を全部知っている方がいたら教えてくださいませんか? よろしくお願いします。 入水されて幼くして亡くなられた安徳天皇のことを歌っていて、物悲しい曲でした。 歌詞の一部分↓ おちゅうしんとなぁ~って~ ついて~いきたやぁ~ しも~のせ~き~(下関)
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覚えていらっしゃる歌詞からすると、山口県(長州、萩)の民謡「男なら」(オーシャリ節)の1番ではないかと思います。 ♪男なら お槍担いで お中間(ちゅうげん)となって ついて行きたや下関 国の大事と聞くからは 女ながらも武士の妻 まさかの時には締め襷 神功皇后さんの雄々しき姿が 鑑じゃないかいな オーシャーリシャーリ 民謡「男なら」は、安徳天皇を歌ったものではありません。幕末の長州で、外国船打ち払いのために下関に集結した(下関戦争)藩士を見送る女性の立場で歌ったものです。 ・Wikipedia「男なら」より https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E3%81%AA%E3%82%89 > 「(もしも自分が)男だったなら、槍を担いで中間(ちゅうげん)として下関について行き、(外国との戦争に参加し)たい。 >自分も女ではあるが、武士の妻であるから、 >(外国の軍勢が萩に攻めてくるようなことがあっても)神功皇后のようにこの国を守る」 >1番の歌詞は以上のような内容である。 3番まであるので、2番以降の歌詞や音源は、「民謡 男なら」で検索してみてください。 修学旅行のときには、赤間神宮以外に、萩や下関には行きませんでしたか? 萩や下関の関連で聞いたものを、赤間神宮と混同したかもしれませんね。
お礼
回答ありがとうございました 下関、行きました、関門海峡を歩いて渡りました 安徳天皇の歌ではなかったのですね お答えくださり、すっきりしました 本当にありがとうございました