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ルールと品格
基本スポーツは見ないのですが、昨日大相撲で横綱鶴竜が「変わった」ことを「横綱の品格にかける」と非難されているようです。 反則技を使ったわけではなし、ルールの範囲で最大限の技を使うことに何の問題があるのかと思うのですが、皆さんの考えを教えてください。 野球に限らすスポーツ全体でも結構です。 (1)ルールの範囲でどんな技を使ってもいい。 (2)平幕やそれ以下なら許されることだが、リーダー的な横綱がこんな技を使ってはいけない。 (3)アマチュアなら許されるが、プロは技を見せて報酬を得ているのだからこんな技を使うべきではな い。 (4)プロなら一つの勝利が地位や収入に結び付くからやむを得ないが、アマがやるべきではない。 (5)ルールでは許されていても卑怯な技だからプロもアマもやるべきではない。 矛盾しているかもしれませんが、昔星稜の松井を明徳義塾が全打席敬遠した時にはルールの範囲でも違和感を感じました。
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- dell_OK
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1、と言うか、ルールの範囲外でもどんな技を使ってもいい。 反則技でも構わない。それはそれで負けになるのだから。 とは言え、鶴竜は私のお気に入りの力士で、 なんだかつまらない取組だったとは思う。 情けないなあと思う。 負けてうだうだ言われるのもいやだが、勝ってうだうだ言われるのもいやだろうに、 どっちを選ぶかは、本人や、親方や、協会の決める事で、私はただただ見ているだけだ。 つまらなかろうと、情けなかろうと、鶴竜が私のお気に入りに変わりはない。 質問者様も言われているように、野球の敬遠なんか、似たようなもんだと思います。 私にはルールなんてどうでもいいです。 面白い勝負が見たいだけです。
- uniquepro
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意見は色々分かれていると思いますが、私見として。 大相撲を「何」と捉えるかで答えはまるで違ってくると思います。地鎮を基にした「神事」なのか、日本古来の「武道」なのか、それとも紛れもなく(純然たる)「格闘技」なのか。 神事であるとするなら、その頂点たる横綱には当然品格が必要です。ただそれを取組の場で見せるものかどうかは別問題だと思います。実際、横綱を先頭に役付の力士は本場所前の土俵祭りではその格にふさわしい所作を見せて神事に参加もしています。本場所の取組内容で品格が欠如、というのはいささか飛躍しすぎではないかと。 武道であるというなら、今度は取組にもある程度の美しい所作が必要になります。日本の武道で「型」のないものはありませんし(柔道・剣道・空手・合気道なども含め、道と付くものはほぼ間違いなく)。しかし、大相撲を見る限り「型」に填め込むのはどだい無理があります。技は決められているとしても、そこに入るまでの「工程」が大相撲の妙であり、相対する2力士の「攻防」が立ち替わりつつ展開するから面白いわけで、武道においての品格を大相撲に求めるのも無理があります。 格闘技であれば、目標はたった1つ「勝つこと」ですから(プロレスを除く)、そこまでの工程は反則でない限り「自由」であるべきです。私見で言うなら、大相撲はあくまでも「事前の神事を伴う格闘技」であると思っています。神の手から人の手に渡った土俵の上で行われる力士同士の攻防は、禁じ手以外は「全て許容すべき」と考えます。 そもそも今回の鶴竜の変化について、なぜ鶴竜にばかり批判が集まるのか。引き・はたきが卑怯であるとすれば、当然対するべき稀勢の里はそれを凌駕すべき。しかし、思えばかつて稀勢の里も(当時現役だった)大関把瑠都と共に変化相撲で大ブーイングを浴びた力士です。結果的にあの時の経験が日本人力士としては現在頂点である稀勢の里を「永遠の迷大関」に貶め、あれほどの才能を持っていた把瑠都を角界から放逐したと言っても間違いではないはずです。 極論で言うなら、横綱の品格なんてものは「辞めてから評価」すればいいものです。過去の横綱をすべて辿ってみればよく分かる。どれほどの人数「心技体充実」な人格者が存在したか。少なくとも、昭和から辿ればただの1人もいません。どいつもこいつも品格に限れば欠陥だらけ。ただそれでもよほどの悪評が出ないのは(朝青龍は例外中の例外。あれは間違いなく不適合)、引退後親方として残るとしても、廃業し角界を出たとしても、大きなトラブルを起こしていないから(輪島の花籠時代の話をどう見るかは人それぞれ)。 土俵に上がった以上は横綱だろうが平幕だろうが1人の力士。相対する力士に「如何にして勝つか」を考え、実行する。これの何が悪いのでしょうか。いっそ日馬富士辺り(体格上横綱相撲を15日間とり続けるのは厳しい)が本場所15番すべて変化で勝ってもいいと思っているくらい。別に変化相撲が「弱い力士の特権」というわけではない。まして「横綱相撲」などというのは、 「引退した後に記録映像などを見て「強かったね~」と感心させられる取組はすべて横綱相撲」 なのですから。実際、横綱相撲と称される取組を「横綱以外」がしてもそう呼ばれるのですから、横綱だから横綱相撲以外は卑怯で品格に欠ける、というのは横綱という格式の一面しか見えていないだけ、ということだと。 品格ある弱い横綱を誰が尊敬しますか?前述の朝青龍にしても、あれでたいした成績でなければ今頃記憶からも消えています。紛れもなく現役時代の朝青龍は綱を張るにふさわしい強さを誇っていた。それを相殺してなおマイナスになるほど、晩年から引退後までがあまりに「人格欠如」が著しいから問題なだけで、現役時代は「横綱は勝ってナンボ」です。鶴竜はそれを忠実に遂行しただけで、何の批判にも当たりません。 そもそも取組一つ一つに外野(観客・ネット民)がケチを付け始めたのが、日本人力士の昇進を妨げ、神経が図太く目的意識のある外国人力士の躍進につながっているのではないでしょうか?特に、昨今のブーイングやら時間いっぱい前の観客席からの力士名連呼の応援など、力士の品格より観客の下品さをまず反省すべきでは?国技を観戦する者としては明らかにふさわしくない。思えば今、古典芸能(歌舞伎や能楽、落語など)の鑑賞でも客席からの迷惑行為は問題らしいですが。 横綱になる前に横綱の品格を求められたら(特に体面を気にしがちな日本人が)大関以上に上がれる訳ありませんから。もうしばらく幕内上位は外国人勢が支配することになるのでしょう。番付は強さの指標、その意味では「正常」な流れだと思います。 長文失礼しました。
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「正面から正々堂々と勝負するべき」などとしたら、小兵力士が横綱を張る可能性はまずありませんね。千代の富士などは例外中の例外です。ありがとうございました。
- skyhigh555
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(2)と(3)ですね。満員札止めの国技館で、14日目に、結びの横綱対大関の対戦である事を考えれば、プロの、少なくとも今場所はNO1の地位に居る鶴竜が取る相撲ではありません。
- technatama
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既回答でも指摘されていますが、大相撲は純粋なスポーツではありません。 勿論スポーツの要素も大きいことも間違いではないのですが、起源は神事であり、お互いの力士が対戦するまでの所作(まず土俵の俵の外で観客に向って四股を踏み、ちり手水をした後、土俵の俵の手前でお互いに向かい合って柏手を打つ、土俵中央に進んで再度四股を踏む、蹲踞して相手力士と顔を合わせる、その後仕切りに入る)にも、神事としての意味がそれぞれにあるのです。 実際に戦い始めるまでに、このような所作をするような純粋スポーツが他にあるでしょうか。 横綱の免許状には、「品格、力量が抜群であるため横綱免許を与える」との主旨の文言が入っています。 ですから、ただ強いだけでは駄目であり、むしろ品格の方が先に求められています。 ですから、横綱相撲とは跳んだりはねたりして勝てばよいと言うものではないのです。 逆に言えば、それだけの力量があって初めて横綱です。 下位の力士であれば、その強い横綱に勝つためならばあらゆる手段を取ったとしても許されます。それ程の力量の差があると認められているからです。 横綱は、正攻法でがっちりと受け止めて勝つことが基本です。 本当に強い大横綱と呼ばれる力士たちは、ほぼそのような取り口でした。 近年から順に見ていくと、白鵬・朝青龍・貴乃花・千代の富士・北の湖・大鵬などいずれも立派な取り口です。 今回、鶴竜が批判されているのは、勝つためにはどんな手段を取ってもよい、という考えが背景にあることが見え見えだったからでしょう。 そもそも私には、鶴竜が横綱になったこと自体が間違いだと思っています。 これまでの強い横綱には、横綱らしい強さを本当に感じていました。 しかし鶴竜には、技能的な上手さは感じるものの、強さは感じません。 もともと引き技も多く、土俵際での逆転勝ちが多い力士です。 まあせいぜい大関止まりだったら、それでも構わないと思うのですが。 名大関と言われた貴ノ花と、土俵際の逆転勝ちなどは似ているような気もしますが、彼の相撲っぷりには、華がありました。鶴竜の場合は地味過ぎて印象が薄過ぎです。 でも今場所の星取表を後年の人が見たら、白星がついているだけで、どんな勝ち方をしたのかは分かりません。結局その白星ひとつのためなら何をしてもよいという、スポーツ感覚しか無かったとしか、私には言いようがありません。
お礼
名誉と報酬目当てで入門してくる外国人力士に「神事」の概念が理解できるものでしょうか。ほとんどは十代や二十歳くらいの若い子たちだし、いっそのことルールとして「大関以上が使ったら負けとみなす」と決めたほうが分かりやすくなるかもしれませんね。
- crazythunder
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私は相撲には興味ないので鶴竜がどんな変わったことをしたか知らないうえで答えます。 (1)プロの格闘技である大相撲なんだからルール内ならどんな技を使っても良い (2)横綱だろうが平幕だろうが勝つためには使ってはいけない技などない (3)プロだからこそ勝敗が報酬に結びつくのだから使っても問題ない (4)アマチュアだからやってはいけないという理論はおかしい。勝負にこだわるなら使っても構わない (5)ルール内の技なら卑怯もクソもない。こんなことが問題になるのは大相撲だけだ と思います。
- ミッタン(@michiyo19750208)
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私も相撲は見ないのでチョット的外れ回答になりますがお許しを… プロである以上、お給料が発生しますし、興行収入もありますので、それに恥じるようではアウトです 今夜、井岡一翔のタイトルマッチがありますが、面白そうですよ ボクシングとなると必ず亀田一家が引き合いに出されますが、格下としか試合しない、ちょっとしたことですぐクリンチ、手数少ない=おもんないです 野球などではデッドボールしちゃうと投手はさりげなく帽子を脱いでお辞儀します ゴルフやテニスでも「大人の対応」が要求されます ギャラリーに野次られたからって「アホボケカス」とレスポンスしているようではまだまだ この中でしたら(3)かな? でも、アマだから許されるの部分は違います 松井秀喜さんは同級生なので、明徳の5打席連続敬遠はよ~く覚えています 勝負に拘る明徳の言い分もわからんではないですが、あれはちょっとやり過ぎ 堂々と勝負して欲しかったですね
- IDii24
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相撲と野球を比べても? 相撲は神にささげる「儀」なんで、品格は一番大事。ルールではなく決め事。礼儀なんですね。このへん外人にはわからないかもしれないけど、前の回答にもあるように日本にはゲームは無いんです。高校野球はどうかと思うけど。ゲームはおはじき、蹴鞠程度です。蹴鞠はサッカーに通じますよね。つまり日本ではサッカーも遊びにカテゴリーされますので、欧米のスポーツはゲームであり、おはじき、メンコ、ビー玉と同じ部類なんです。 日本は武道が中心でありこれを欧米に当てはめれば、レスリング、フェッシングにあたります。フェッシングなどはやはり品格を気にします。
お礼
すみません。「相撲に限らず」を書き間違えてしまいました。今後お答えいただく方はここを読み替えてお願いします。
- jusimatsu
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大相撲や剣道、柔道、高校野球などは欧米人が言うところのスポーツではありません。
お礼
後から周囲がグダグダいうくらいなら、ルールとして明文化すればいいのです。世界中から力士が集まっている以上、「暗黙の了解」などというものは通用しません。これは力士に限らずすべての分野に言えることです。皆さんの回答を見ているうちにそう思えてきました。