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マリアナの七面鳥撃ち

昭和19年のマリアナ沖海戦についての質問です。  記録映画で観たのですが、航空機戦ではアメリカ軍が圧倒的に強く、のちに「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれたそうです。  日本のゼロ戦などはとても優秀で、小回りが利き、アメリカ戦闘機を寄せつかなかったと思うのですが、どうなってしまったのでしょう。  敵に背後をとられても三回転もすれば形勢が逆転したとききましたが。  少なくともミッドウェイ海戦の時点では、日本機はアメリカ戦闘機を問題をしないほどすぐれていたと同じ映画で解説していました。  日本の戦闘機は技術革新を行わなかったのでしょうか?

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回答No.2

お答えします。 そのとおり、日本の戦闘機は技術革新を行いませんでした。 零式艦上戦闘機、ゼロ戦は確かに戦争初期は優秀でした。ミッドウェー海戦の活躍はその通りです。 しかし、日本は攻撃一辺倒で防御・防弾を軽視したため、マリアナ沖海戦ではアメリカのグラマンF6Fヘルキャットの攻撃に負けました。この戦闘機はゼロ戦の特性を知り尽くした上で設計されました。 ゼロ戦が燃料タンクをやられるとすぐ燃え尽きてバラバラになるのに対し、ヘルキャットは燃料タンクを守るための特殊ゴムや操縦席を守るために防弾鋼板など 防御・防弾に力を尽くしました。 日本のゼロ戦にも防御をという意見はありました。 しかし、軍令部作戦課の源田 実中佐はこれを退け、防御装備はなされないままでした。 マリアナ沖海戦の敗因はヘルキャットのほかにも、レーダーやVT信管があげられます。これら防御兵器の前に日本の攻撃部隊は壊滅しました。その理由は攻撃一辺倒で防御を軽視したからです。 詳しくは角川文庫から出ているドキュメント太平洋戦争3「電子兵器カミカゼを制す」をお読み下さい(同じ内容で平成5年にNHKスペシャルをやっていました。この時の題は「エレクトロニクスが戦を制す」でした)。

epkakpe
質問者

お礼

ありがとうございます。 わずか二年で技術の差が逆転してしまったのですね。 ドイツでは戦争中もどんどん技術革新をして新兵器を導入していった印象があります。 日本も同じだと思ったのですが、違っていたようですね。 ゼロ戦に防御装備がないのは知っていましたが、これは重量を軽くするためで、諸刃の剣だったわけですね。

その他の回答 (5)

  • toro321
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回答No.6

零戦とF6Fとの大きな差はエンジンです。 零戦が1000馬力級なのに対し2000馬力でした。 このクラスの機体は後の烈風がそうです。 機体の開発に対し、エンジンの開発が遅れたため、零戦が現役を続けることとなりました。 マリアナはひどい敗戦になった原因として、この海戦で取ったアウトレンジ戦法がまずかったようです。 米機に対し日本機は航続距離が長いため、相手の航続距離より遠くから攻撃機を放ったのですが、未熟な上に長い洋上航行で相手を見つけた時にはへとへとと言う状態だったようです。 米機は攻撃ができないため、戦闘機は全部邀撃に上がってました。その中へ突っ込んで行ったのですから、結果は明らかですよね。 この海戦以降日本は空母航空機による攻撃が組織的にできなくなってしまいました。

  • YUZURU
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回答No.5

マリアナ沖海戦時には、当時最新の零戦52型が大量投入されました、例えばテニアン島には、150機もの新品の零戦52型が翼を連ねていました、攻撃機も天山艦上攻撃機、偵察機も彩雲と言った様に当時の日本海軍の最新鋭機種で固められていました。ただし他の方も書かれているようにパイロットは実戦経験のほとんど無い新米が多く、その多くは空母への着艦が出来ませんでした。また敵の数があまりに多く、索敵が思うように出来ず、結局、先のテニアン島の零戦150機も奇襲を受けその殆どが地上撃破されました(数人のベテランと止めるのを聞かず飛び上がった新米も圧倒的多数の敵機に撃墜されました)、隠していて助かった数十機も遅延信管付きの爆弾によって翌朝までに全滅しました。最大の戦力を失った日本軍には、各島の生き残りをかき集めての散発的な攻撃を終始し結局、マリアナの七面鳥撃ちの汚名を着ました。当時島は浮沈空母と言う設定でしたが、逆に言えば位置が判っている空母は、攻撃側が圧倒的に有利だと言う事です、いつでも攻撃側は好きな時に近寄って打撃を与えれますからね、それに対して島の側は、常に敵を索敵していつ攻撃されるか判らないままに備えねばなりません。(結果論ですけれど)マリアナ絶対防衛圏の思想自体に無理があったのです。

epkakpe
質問者

お礼

ありがとうございます。 マリアナ沖開戦空中戦の諸事情はわかりました。 もし日米同じ条件(パイロットが優秀)、同じ機数だけで空中対決したらどうなっていたでしょうか? やはりアメリカ優位は変わりませんか?

回答No.4

零戦があまりにも素晴らしかったために、零戦に代わる 新型機の開発が遅れていたのは事実です。 当時、アメリカ軍は、ほとんど無傷の日本の零戦を捕獲して徹底的に分析して、零戦の弱点を知り抜いていました。 おまけに、マリアナ沖海戦当時のF6Fの性能は、 何回もマイナーチェンジを繰り返していた零戦の性能を 大幅に上回っており、ミッドウェーの大敗で熟練のパイロットを多数失っていた海軍には、 性能を技量で挽回することは、もはや不可能だったのです。 ですから、レーダーで日本機の襲来を察知して大群で 迎撃してきた米戦闘機に対し、日本の護衛戦闘機は、なす すべがなかったのですね。これがマリアナの七面鳥撃ちと 呼ばれる所以です。 F6Fは空戦による被害は極めて少なかったのですが、 戦闘後の着艦時や陸上基地への着陸時に、数十機の被害 を出しているそうです。それほど、ヘタだったのです。 また、日本海軍に比較すると米軍の対空砲火のシステムは 非常に優秀でした。米軍は音に反応して破裂する新兵器「VT信管」付きの対空砲火で 多数の日本機をたたき落としたそうです。 米空母の対空砲火は、素人でも40~60時間程の実技講習を受ければ すぐに戦力になったほど扱いやすいものだったそうです。さらに、レーダー射撃装置も付いていました。

epkakpe
質問者

お礼

ありがとうございます。 >零戦があまりにも素晴らしかったために、零戦に代わる新型機の開発が遅れていたのは事実です。  「おごれる平氏は久しからず」ですね。 >F6Fは空戦による被害は極めて少なかったのですが、戦闘後の着艦時や陸上基地への着陸時に、数十機の被害を出しているそうです。    映像では、何機ものアメリカ飛行機が甲板で着陸失敗していました。

回答No.3

当然日本も改良をしていますが国力の差でアメリカが出してくる新型機の性能に太刀打ちできなくなったのだと思います。 設計上の性能は互角でも加工精度や燃料の品質が悪く十分な力が出なかったり。 一度に繰り出す数もアメリカの方が多かったし。 それ以上に問題なのは熟練搭乗員の不足でしょう。 どんなに良い機体が有ってもそれを飛ばす人間が下手では役に立ちません。 開戦時には十分に訓練され実戦経験豊富な搭乗員が大勢いましたが人命軽視の旧軍の体質で助かる人員も救助されずに見捨てられました。 その結果十分な訓練を受けれず前線に送られ「マリアナの七面鳥撃ち」なんて言われる結果になったのだと思いますよ。

epkakpe
質問者

お礼

ありがとうございます。 搭乗員の訓練不足も原因のひとつだったのですね。 それにしても旧軍の人命軽視の方針は世界に例がないのじゃないでしょうか? 今の世の中に生まれてよかったです。

  • No51
  • ベストアンサー率18% (25/136)
回答No.1

戦争末期に海軍航空隊にいた方から聞いた話です。 「俺の頃は、もう、ゼロ戦なんかないよ。  ベテランのパイロットもいなかった。    やっと、離陸ができるようになって、  着陸は、危ないかな?ってレベルのヒヨコが、  赤トンボに乗ってB29に向かっていったんだ。」   (赤トンボというのは練習機か何かだったと思います) いくら何でもこれは大げさだと思いますが、 (赤トンボは複葉機だったかな?) 当時の日本軍の悲惨な状況を的確に表している、 と思います。

epkakpe
質問者

お礼

ありがとうございます。 B29は一万メートルもの上空を飛ぶそうですが、赤トンボでそんな高度まで飛べたんでしょうか。 いずれにせよ、悲惨な話ですね。

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