• ベストアンサー

終末と末法はカルトの証か

0fool0の回答

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.4

別にいいのですがね・・ 質問は礼を失していますよ。 それより大事な事は、貴方の心が其処に囚われていますよ。 それでは不自由です。

utayomi_2011
質問者

お礼

  哲学であるためにはあらゆる思い入れを排除し、全てのことについて等しく考えなければなりませぬ。  

関連するQ&A

  • 末法思想の根拠・起源は?

    無宗教ですが、仏教を勉強中のものです。 末法思想が浄土信仰(のちの浄土宗・浄土真宗)や日蓮宗の成立に大きくかかわっていますが、末法思想の根拠・起源は何ですか? 日本だけのものですか?外来のものですか? 布教のテクニックとして、末法とか世紀末とかの終末論で大衆の危機感を煽るのはわかるのですが、そういう意味ではなくて、どの経のどの記述が末法思想の根拠となっているということを知りたいです。 ある書籍では、正法=紀元前949年~、像法=52年~、末法=1052年~、と読んだのですが、こういった時期の根拠は何ですか? 法華経で示された釈迦の永遠性と、末法思想とは矛盾しているように思えるのですが、これはどう解釈したら良いのでしょうか? 「法華経入門」(菅野博史著)から該当箇所(P.70)を引用します。 『如来寿量品第十六では、弥勒菩薩の地涌の菩薩に関する質問を受けて、釈尊は自身が成仏したのは今世ではなく、五百塵点劫というはるか遠い過去においてであることを明かし、あわせて未来も不滅であるととく。つまり、「法華経」の中心思想の一つである「永遠の生命をもつ釈尊」の像が明らかにされる。』 お答えの際は、差し支えない範囲で、ご自身の宗教・宗派を書いていただけると助かります。

  • 日蓮、法華は自己矛盾をかかえてはいないか?

    日蓮系(創価学会含む)の方たちはどうこれに非情緒的に反論なさるのでしょうか? 「日蓮は自分は釈迦死後2000年後の末法に生まれたとしていますが、釈迦は紀元前800年にはまだ生まれておらず、それから3~400年後の人物。日蓮はまだ2000年後の末法になっていない時に生まれたにもかかわらず、末法だと誤って断定的に語ってしまった。 また、末法思想は大集経からで、釈迦は生前、末法だの正法だの口にしたことは一度もない。彼の死後数百年後の一集団が作ったフィクションでしかない。あるいは、法華経も「釈尊が説いた法華経」と言うが、法華経は釈尊死後数百年もたったある集団が創作したフィクションであり、紀元1世紀ごろのシロモノ。釈尊生存中に法華経の内容を直接語ったことなんぞない。そもそも本来の釈迦は、未来を予想したり、死後を語ることは、一切話さないという態度をとっている。」 これは現代の文献学、歴史学その他で解明されている最新のものであり、これに反論するには科学的論拠が必要だと思います。 私は、大乗非仏説論者ではなく、知的欲求として聞きたいのです。 どなたかよろしくお願いします。

  • 仏教に終末思想はあるのか?

    昨今の日本の集団的自衛権の解釈変更問題や、尖閣諸島や竹島の領土問題、シリアの内戦やウクライナ情勢を考えるにあたり、日本が本当に戦争せずに平和でいられるのかをかを考え、過去に学ぼうと、日本が愚かな第二次世界大戦に突入するきっかけをつくった、満州事変の首謀者である 石原莞爾の「最終戦争論」を読んでいるところです。 この著書の中で石原莞爾は自信の思想を正当化をすべく、「仏教の予言」という章を書いてます。 私は仏教については、ほとんど知識はありませんが、この哲学カテで仏教は口伝により伝達されたため、解釈がさまざまになり、多くの宗派が派生したことを知りました。 そのため、石原莞爾の言う「仏教の予言」たるものが、石原莞爾の勝手解釈あるいは、石原莞爾が所属した日蓮宗の分派の考えなのか、仏教の本質の考えか疑問になってきました。 この哲学カテには仏教の信者である、知識豊かな方々がたくさんいらしゃるようなので、下記の質問に回答をいただけると幸いです。 1)仏教の時代を「正法」「像法」「末法」に分けられるそうですが、末法の「闘じょう」の時代になると闘争が盛んになって普通の仏教の力はなくなるとお釈迦様は予言したと論じてますが、お釈迦様は本当にそんなことを言ったのでしょうか? 2)法華経には末法の闘争時代になったら節刀将軍を出すからその命令に従えとお釈迦様は言ったと論じてますが、節刀将軍なるものを検索しても出てきません。節刀将軍とは何者で、また、お釈迦様は本当にそのようなことを言ったのでしょうか? 3)「大集経」という経典にはお釈迦様がなくなられた仏滅後2500年の予言が書いてあり、それに従い2500年後に世界は統一するのだと石原莞爾は主張し、最終戦争を正当化してますが、「大集経」とはどの宗派の経典でそのようなことが書いてあるのでしょうか? 4)最後に石原莞爾ではなく私の疑問になりますが、キリスト教は初めがあり終わりがある「直線的」な世界観であるのに、仏教は「円的」な世界観であるとイメージしてます。お釈迦様の時代が終わったら、56億年後に弥勒菩薩が来るとのことですが、仏教には終末思想というものはないのでしょうか? 石原莞爾は頭が切れ、ある程度先を見通して「最終戦争論」を書いていると思いますが、現在において最終戦争など起こったら核で人類は滅亡し終末を向かえるのは必至と思います。 申し訳ありませんが、ご回答をいただければ幸いです。

  • 法華経について

    日蓮上人を祖とする仏教宗派は法華経を唯一絶対の経典と位置づけておりそれ以外の経典は方便の教えであるから正直に捨てなさいと教えます。それが出来ないのであれば法華経を誹謗している事になるので死後阿鼻地獄に落ちると脅します。そして現代を末法の時代であると迷信染みた事を強調し釈尊に次ぐ本仏日蓮大聖人の言葉を素直に受け入れなさい。本門戒壇之大御本尊を拝みなさい。それこそが唯一の成仏への道であると説きます。 非常に狭い物の見方であり危険だと思います。これではまるで釈尊は絶対神で日蓮上人は預言者、法華経は聖書みたいです。 これが中道を重んじられたお釈迦様のお言葉を綴った経典とはとても思えません。 お釈迦様は無宗教者で理論的思考の持ち主だったそうですが法華経を見る限りとてもそうは思えません。何やら分からない不思議な力や祟りがあると書かれており疑問に感じます。 それでは法華経を支持している天台宗や曹洞宗はその昔なぜ摂受だの折伏だのと騒がなかったのでしょうか?日蓮上人だけが暴走してしまったのでしょうか? 南岳大師や天台大師、日本の伝教大師は法華経至上主義を説かなかったのはなぜでしょうか? 弘法大師は法華経を第三位に位置づけて華厳経を理解する前に理解するように説かれたそうで尊んでいたことは間違いないですが最高の教えとまでは言っていません。 また仏典研究をよくしていた南都六宗は法華経をどのように解釈していたのでしょうか? 不思議でなりません。

  • 日蓮上人を肯定してください

    日蓮宗の開祖である日蓮上人の教えの良さがさっぱり理解できません。 キリスト教世界の各宗派を調べた時は、それぞれ良い所があり、反目しあっていてもお互いにもたらされる普遍的な救いは一緒という認識にたどりつけたのですが、今回はどうも自信がありません。  日蓮上人の教えの優れているところ、良いところ、絶対的なところなど、 わかりやすく語っていただければ嬉しいです。 ★親鸞の説いた絶対他力の教えに対して、『法華経』による現世での救いを説いたのはもっともな事のようにも思えるのですが、それにより他宗を徹底的に攻撃したことがひっかかります。  現代においても『末法の世』と解釈する事により、日蓮系を名乗る極端な宗派が活動する事は、日蓮上人の是認される事なのでしょうか。 *当方は、我が宗こそ日蓮上人の教えと名乗る団体(複数です。)と関わったことがあり、それが偏見につながっている可能性も否定できません。 質問に他意はありません。 歴史的背景・思想的背景・正当な解釈、切り口はなんでもかまいません。 どうか、日蓮上人を肯定していただけないでしょうか。

  • 神は信じるものではなく、感じるものである

      古来より神は信じるためのものとして人間によって作られた。 しかしいつの頃からか、人はこの神を信じさせようとするようになった。 信じるための神はこれを信じさせるために多くの人の命を要求した。 そのため世界各地で争いが起き、戦争が起き、多くの命が失われた。 それは今現在も同じである。 日本などはキリスト教国家によって2度も原爆を投下された。 ベトナムではこのキリスト教国家によって大量の枯葉剤が撒かれ多くの奇形児が生まれた。 また信じるための神イエス・キリストは多くの奇跡を用いた。 その結果この奇跡を求めて数限りないカルトが生まれた。 このようなカルトによって地下鉄でサリンが撒かれたりもした。   さらに聖書とキリスト教など信じるための神は終末思想を説いた。 この終末思想によって世界の倫理観は大きく傷つけられた。 結局のところ、信じるための神は多くの災いをもたらし、何一つ良いことはもたらさなかった。 信じるための神とこれを支える聖書とキリスト教および神学は偽りであることが分かってきた。 今や信じるための神は信じる必要はなくなった。 神は我々人間から隔たっているものではなく、常に接しているもの、信じる必要はないもの、感じることが出来るものでなければならない。 そしてその神が完全無欠であり、永遠不変であり、永遠不滅であり、永遠無限であるならば、それは唯一絶対なるもの宇宙の法則以外には有り得ない。 宇宙の法則を除いて如何なる神も存在しない。 これで良いのではないか。  

  • ファンダメンタリストとカルトの境界

    ファンダメンタリスト(キリスト教原理主義者)とは、聖書を文字どおり一字一句信じている人のことのようです。 1)しかし、ということは、普通の信者はキリストの奇跡を信じていないのでしょうか? 2)どの奇跡を信じるとカルトになり、どの奇跡を信じないと普通の信者になるのでしょう?線引きがよく分かりません。 常識では復活はアウトな考えだと思うのですが。オウムや新興宗教が信じているオカルとじみたとこはもちろんアウトな考えが多いような…

  • 『立正安国論』は正しいのでは?

    日蓮は、『立正安国論』の中で、相次ぐ災害の原因は人々が正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難したが、現在はこれにに似ていないか。 当時は元の侵略、天変地異、現在は中国・北朝鮮の侵略、天変地異である。 確かに、浄土宗には明確な正義がない。もし、法華経が正法であればそれを信じる門徒が宗教を否定する中国共産党を礼賛することは間違いであろう、しかし、間違った宗教団体もある。 ただ、日蓮の『立正安国論』の趣旨自体は現代に照らし合わせても正しいのではないかと思われるが、どうだろうか? 信仰を忘れ、正法を忘れ、唯物論思想にまみれた国民国家は日蓮の指摘のように滅びに至るのだろうか。日蓮の『立正安国論』が正しければ、そのようになるはずであろうと思われるが、どうだろうか?

  • 彼が宗教(法華経?)にはまり始めています。

    詳しくはわかりませんが法華経が関係あるようです。 会社の同僚に誘われ、深夜バスなどで集会に出かけています。 法華経のこともよくは知りませんが その宗派を語ってカルト宗教に入団や おかしな事に巻き込まれないかと心配してます。 わたしはご利益宗教は嫌いですし、集会などに参加して ほしくありません。 法華経に属する団体とかあるのでしょうか?? 集会に参加して、つぼを買わされてた人もいたそうです。 彼はお金は出さないといってますが、だまされやすいたちなので 心配です…。 詳しくご存知の方、アドバイス下さい。。

  • 阿弥陀仏は架空の仏

     お世話になります。最近日蓮聖人の思想を勉強しておるものです。ちょっと分からない所がありますので、教えてください。  日蓮聖人系の宗派のサイトを読んでいますと「阿弥陀仏は架空の仏であって、拝んでも何の意味も無い」という、批判があげられています。  問1、こういった考えは、日蓮聖人のどのような文章が論拠となっているのでしょうか??  また、『妙法蓮華経』の中にも 西方に二仏、一を阿弥陀と名け、二を度一切世間苦悩と名く。(化城喩品) 若し如来の滅後後の五百歳の中に、若し女人あって是の経典を聞いて説の如く修行せば、此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん。」(薬王品) と、迹門本門通して阿弥陀仏が説かれておりますが、『法華経』に説かれている阿弥陀仏と、『浄土三部経』で説かれている阿弥陀仏と違いはあるのでしょうか?真実の経に、架空の仏が説かれているというのも、不思議な気がします。  このような問いに関しては、例えば中国唐代の天台宗の僧湛然は「『観無量寿経』に説かれている弥陀とは違う」といい、また恵心は「『法華経』に弥陀は、西方の弥陀ではなく、己心弥陀である」と解釈しています。 問2、日蓮聖人は『法華経』に説かれている阿弥陀仏にはどのような解釈を加えておられるのでしょうか?(特にこちらの文章が見つからず困っています。) 問1、問2、どちらかでも分かる方は教えてくさい。