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俳優の演技についての質問です
- 韓流ドラマでよく見かける悲しい場面での俳優の演技について疑問があります。
- 演技が上手い俳優は本当に悲しい気持ちで演じているのでしょうか?
- 俳優が真に悲しい表情を作り出すには、どれだけの感情表現の技術が必要なのでしょうか?
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#3です 実は何も考えなくてもできる人と こういう風に考えてとか こういう感じもあるよね、とか言わないとわからない人と 言ってもわからない人と居ます これは演技の時自分の心とか感情とかがどれだけ 裸になっているかどうかで変わってきます 何か鎧を着ているとどんなに感情的なせりふでも 受け手からは上っ面で滑っていくような印象を受ける演技ってありますよね どこか他人事みたいな 演技に対して素直になっていない どこか恥ずかしい感じがある 演技に違和感がある 本業であれば自分の話したい台詞と台詞が違うなどで ちょっとしたことが出てしまうことも多いんですよ 噛み砕いて自分のものにしてしまえばいいんですが 時間をかけてできる人と 出来ない人と、これも両者いますので
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- yuyuyunn
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#3です 1. それでも花開くかどうかは本人の才能が大きいですよね 多いと思いますよもっと違った目線ですが 社会人の皆さん、学生の皆さんでも ほんとの自分ではない社会人の自分を演じている方も多いのではないでしょうか? それでも社長や自分のなりたかった地位まで上り詰めたり 反対に定年まで勤め上げてもよくがんばった演じた40年だったと言う方も多いでしょう 2. 今は受け手(見る方)の要望で演じているというのが大きいのではないでしょうか? たとえNHKでもですよ 3. ほとんど韓国物は見ないので少ない情報からですが アップで撮るからではないですか?
補足
しばらく放置して失礼しました。 興味ある質問回答を見つけました。→ http://okwave.jp/qa/q4974201.html 役柄によって雰囲気まで変えることが出来る俳優と、どの役柄をやっても同じ雰囲気しか出せない俳優というのは、 何が違うのですか? 貴方のいう、後者の俳優は、結局引き出しを1つしか持ってない ということになるのでしょうかね? キムタクに関しては、私の娘も言ってましたね「どんな映画に出てもキムタクにしか見えない」と。 いくら人気があるからと言って、こんな大根役者を使い続ける製作側にも腹が立つし、だから、日本の映画が海外に出て行けないのだと思います。 さて、映画とテレビと舞台では、相当演じ方が違うそうですが、貴方はどこの分野でやっておられるのでしょうか? 舞台俳優はテレビ、映画でも通用しそうですが(素人判断ですが)その逆はダメなんですかね? 最後に、貴方が評価する日本の俳優、どこを評価するのか、短くて結構ですからその理由と、 有名だけれど評価できない俳優とその理由を聞かせて下さいませんか? 決して誹謗中傷に当たるものではなく、視聴者が色々と評価を論じ合わないと、日本のレベルも上がって行かないと思うのです。
- yuyuyunn
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#3です 実は私は考えないで出来る人です プロになるのは1が多いと思います >割合としては、やっぱり、2.に属する人が多いのでしょうね? これはまちまちですけどね >それから、人間にはそれぞれの性格があります。遠慮がちで控え目、弱気な性格の人は、ドラマでもやはりそういう役柄は演じやすいし余り努力せずとも演じれるのでしょうね。 其れが難しいと思います 個性が強い方が切り替えが出来るし この人は(役柄)お酒が強いとか 口紅は必ず赤、とか想像できやすいですけど 控えめな人はどんな靴下はいているんだろうとか 好きな人の前ではどうかな?とか個性が強い人よりも難しい部分もありますよ 裏の裏の顔ですよね 自分とかけ離れているとやりやすい部分はあります まったくの想像ですし第三者の目で演じやすいですから >どんな役柄を演じても、上手にその雰囲気を出せる俳優というのは、自分の性格のなかに「飲んだくれ」のような自堕落な部分、「マフィアの親分」のような性格の部分、そのどちらもを持っているということでしょうか? 上記に書きましたように想像力がついてきているということです 多分デニーロさんでも いろいろ絵を見たり映画を見たり、人を観察したりしてタバコはこう吹かすとか 目線はこう、とか計算している部分と なりきって自然に出てくる(言葉は悪いですが乗移る感じがあります)こともあります >俳優を目指す人には、引っ込み思案で控え目な性格の人は余りいないと思うのですが、そういう人でも修練によって、自分の中にはない性格の人間を演じることが出来るのでしょうか? いえいえいますよ。結構多いとおもいます 渥美清さんとか >それで、俳優というの自分の中に色々な要素を持っていて、それを役柄に応じて出すのだろうか?などと疑問に思っていたのです。 引き出しが多くないと役者は出来ないです 浅くても良いのでたくさんの引き出しを持つべきです 引き出しの少ない人は同じような役しか出来ないです
補足
実際に演劇に携わる方からの回答を頂くのは初めてで、貴重な機会なので、今しばらくお付き合い下さいませんか。 >プロになるのは1が多いと思います やはり、天性に勝るものはないんですね。 貴方の回答から、数年来の疑問が解けるものがあり、ありがたく思います。 また質問になりますが・・・ 1.渥美清の例を上げられましたが、あの時代は貧乏と混乱の時代で、俳優に成りたくてなったというより、成り行きでなってしまったというのが実情ではないでしょうか? 今は、自分の自由意志で俳優を目指す方が多いのでは?現在の話ですが「俺(私)は俳優になるんだ!」といってこの世界に入って来る人たちでも、結構内向的な性格の方が多いということですか?私は、一昔前と現在を区別して考えているのですが。 2.一昔前までの日本の時代劇では、侍の雰囲気を持った侍が普通に出ていましたが、この頃のNHKの時代劇などでは、侍や奥方の凛々しい雰囲気を持った人が出ておらず、侍でもバラエティーなどに出ている「お兄ちゃん」という雰囲気なんです。 これは今の演出家や監督が、以前の監督たちが描いた侍の雰囲気を知らないからですか?それとも、知ってはいるんだが、こだわっていないということでしょうか? 3.韓国ドラマでは顔の表情と目の動かし方による感情の表現を非常に重要視しているように思います。 日本や西欧ではそれほどではないように思うのですが、日本の演劇技術はどこの国のものを土台にしているのでしょうか? 他のアジアの国のドラマ・映画も時々観るのですが、韓国が特別のようです。韓国はどこかの国の演技技術を土台にしているのでしょうか?もしご存知であれば、で結構です。 門外漢の細かい質問で申し訳ありません。参考になることがあれば教えて下さい。
- yuyuyunn
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自分の意志とは別に涙が出てくることもありますよ ググッとこみあげてくるというんですかね 泣いてください、というオーデションとかもありますので 泣けるようには心の準備はできている状態というのでしょうか あとは自分の気持とか言葉にアクセントをつけるとか 言葉にならない部分で 戦場に我が子を送り出す 苦しい悲しいけれど立派な子供だとか お母さんもお父さんも頑張るよ、とか 国のために頑張れ、とかいろんな気持ちを込めるわけです それがあるかどうかが演技の深みがあるかないかに あらわれてくると思います
補足
私の求めている回答を下さりありがとうございます。 涙を自在に出すくらいは、演技としては初歩的なものになっているのでしょうか? 感心する場面の1つは、悲痛な場面で喜びを表現する時があり、ほんの微かに笑う時があります。見落としてしまうくらい僅かなんですが、やはり上手いなあと感心するのです。 >言葉にならない部分で 戦場に我が子を送り出す 苦しい悲しいけれど立派な子供だとか お母さんもお父さんも頑張るよ、とか 国のために頑張れ、とかいろんな気持ちを込めるわけです ドラマを見ていて、複数の感情が同時に表情に出ている時があり、上手いなあと思っているのですが、これが出来るようになるには、数年はかかるものなんでしょうか?勿論、個人差はあるでしょうが、一般的に言ってですが。
- TANUHACHI
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こんな話がありました。 『レ・ミゼラブル』の上演権を得た東宝は、「全キャストを全てオーディションで選ぶ」との方針を史上初めて選択し、オーディションではオリジナルの脚本家・演出家・振付家・音楽監督の立ち会いの下で行った。 その際に「骨のない生き物になったと考えて、どのような動き方をするか」を見せて下さいと、風変わりな求めをしたそうです。 既に舞台経験のある役者さんや役者を目指す一般の方々は「動いた」ようでしたが、鳳蘭さんだけは「じっとその場に這いつくばっていた」との話をしていたと、再演時か何かのプログラムに書かれておりました。 骨がなければ関節もないはずですから、動くことが如何に困難か、そうした想像力も役者さんにとっては大切かもしれませんね。 遙か昔、銀座のセゾン劇場の柿落とし公演でピーター・ブルックか誰かの演出に基づく舞台作品がありましたが、何かへんてこりんな印象しかありませんでした。演劇理論に基づいても観客の視線を引きつけることができなければ、それは単なる自己満足や独りよがりでしかないと思いますよ。 歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』で語られる松王丸の物語などを観ますと、身を引き裂かれんばかりの悲しみは文字どうりの紅涙ともなります。そうした細やかな部分も能や歌舞伎にはきちんと綴られてもいて、そうした「形」を理解せねば、型破りとはなりません。単なる自信過剰な跳ね上がりだけです。
お礼
回答ありがとうございます。 骨のない生き物と言えば、蛸とかナメクジとかクラゲとか、 ホント、随分奇抜な質問を出すものですね。 その答えから、どういう評価をするのか、知ってみたいですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%83%E3%83%89%E6%BC%94%E6%8A%80%E6%B3%95 歌舞伎みたいに大げさに芝居っぽく芝居をするのが芝居だと思っているのは日本の大根役者たちだけで世界の演技理論は進化しています。メソッドに限りません。
補足
メソッド演技法によると、つまりは、実際に悲しんでいるということですね?
お礼
>これは演技の時自分の心とか感情とかがどれだけ 裸になっているかどうかで変わってきます 生来持っている人間の性格というのは、なかなか捨て切れるものではないと思いますが、つまりは、一旦全部捨てろということですね。「無」になれということですね。 なかなか難しいでしょ?
補足
再度の回答ありがとうございます。 この世界にお詳しい方のようなので、ついでに質問させていただきます。 どこの世界にも三種類の人間がいるものなんですね! 1.特に努力を必要としないで、天性で出来る人。 2.努力工夫して出来るようになる人。 3.努力しても出来ない人。 割合としては、やっぱり、2.に属する人が多いのでしょうね? それから、人間にはそれぞれの性格があります。遠慮がちで控え目、弱気な性格の人は、ドラマでもやはりそういう役柄は演じやすいし余り努力せずとも演じれるのでしょうね。 逆にそういう弱気な性格の人は、強気な性格(自信過剰、俺について来い式の)の人間は演じてもしっくり行きにくいのでしょうね?しかし、努力によってそれは克服できるのでしょうか? 私の娘によると、米俳優にロバートデニーロという方がいますが、「飲んだくれ」を演じた時は正に、飲んだくれの雰囲気、「マフィアの親分」を演じた時は、正にマフィアの親分の雰囲気を漂わせていてすっかり感心したと言ってました。 どんな役柄を演じても、上手にその雰囲気を出せる俳優というのは、自分の性格のなかに「飲んだくれ」のような自堕落な部分、「マフィアの親分」のような性格の部分、そのどちらもを持っているということでしょうか? 俳優を目指す人には、引っ込み思案で控え目な性格の人は余りいないと思うのですが、そういう人でも修練によって、自分の中にはない性格の人間を演じることが出来るのでしょうか? 昔アランドロンが「暗殺者のメロディー」という映画で、神経質な暗殺者を演じました。その神経過敏ぶりがよく伝わって来て、それまでの彼の雰囲気とは丸きり違っていたのでびっくりしたのです。 それで、俳優というの自分の中に色々な要素を持っていて、それを役柄に応じて出すのだろうか?などと疑問に思っていたのです。 としたら、余り一方向に偏った性格の人間は俳優として不利~失格となりますね。 「性格学」に興味を持って勉強して来た者ですので、色々と考えてしまいます。 強気の性格を持つ人間が、どうしても弱気の人間の演技が出来ない時、それが3番目に当たるのかも知れませんね。