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お釈迦様は神様ですか

仏教では、神の概念はどういうものでしょうか。仏教では誰を神として崇めているのですか。 ゴータマ・シッダルタは、神として崇められているのでしょうか。釈迦は「仏になった」とよく言いますが「仏」とは何でしょうか。神とはどう違うのでしょうか。 私は仏教の基本的なことが分りません。どなたか詳しい方、教えてください。 また、一般向けの易しい仏教の教えを概説した本でお勧めがあれば教えてください。 よろしくお願いします。

みんなの回答

noname#232424
noname#232424
回答No.5

No.4の追記。 とくに日本では,原始時代から信じられてきた「神」と,あなたも日本史で習ったように輸入品の「仏」とが混在して,ややこしくなるのですね。さらにそれぞれ国家に利用されたり,「神仏習合」なんていう折衷案もあったり,生物学的にどうみてもヒトでありながら神(ないしその直系子孫)を名乗る人物もでてきたり 笑。 誕生,七五三,合格祈願,結婚,地鎮祭などは神社の収入源となり,死んだらお寺のお世話になる(神道は浄・仏教は不浄と分業してきたから)。こんな精神分裂症の民族は珍しいんじゃないですかね。だから,「どちらも超越した存在」と割り切り,適当にお金を払っておく。 あるいは,ぼくみたいにいっさいを信じず参詣もせず,「火葬した灰はみんな火葬場で捨てちまえ」と遺言する。でも,もし死後に霊魂みたいなものが残るなら,ぼくはヒトが絶滅するまで観察したいと思っています。いわば地縛霊 爆。

shimaenaga
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。

noname#232424
noname#232424
回答No.4

「<ヒトを超越した存在>という空想の産物であり,善悪の規範となり,罰や救済を与える」という点では,神(人格神)も仏も同格でしょう。手塚治虫が描く「火の鳥」も,銀河連合最高評議会も。 生い立ちとして異なるのは,神はヒトよりも先に問答無用で存在していたとされるのに対し,仏はヒトが悟りをひらいて変身する(成仏する)こともある点でしょう。 なお,生きていたときのシッダルタは,現世で悟りをひらくことを究極の目標とし,自分が死後に成仏するとは考えていなかったはずです(根本仏教)。死後の彼を「超越した存在」にまつりあげ,さらにヒンドゥの神々も融合させていまの仏教をつくったのは,後世のヒトです。 「5分で答えろ」といわれれば,このくらい。

shimaenaga
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 勉強させていただきます。

回答No.3

仏教ではなく、仏陀の人生をカンタンに知りたいなら、手塚治虫 の ブッタ をオススメします。 手塚治虫のライフワークは火の鳥が有名ですが、ブッタもライフワークのひとつでした。 仏教そのものの本だと、岩波文庫にわりと揃っています。 http://www.iwanami.co.jp/theme/bukkyo2.html

shimaenaga
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ブッダは私も読みました。マンガが私の仏教への興味のきっかけです。

noname#205881
noname#205881
回答No.2

お釈迦様は神様ですか  ピンポ-ン 貴方も神様だよ 人間皆神様だよ 人は百八の神の分け御魂だよ 百八の神は自分達の分け御魂を五色人に分けて世界中に振り分けた 五色人の名残が神社やお寺に五色の旗として残っている 白人、黒人、黄色人種とか 神様も観音様に成ったり大日如来様にも成ったりする お釈迦様は神である梵天の声に励まされて仏教を広めた モ-ゼもキリストも同じ神の声に励まされてお教えを広めた モ-ゼの墓は青森地方に有る モ-ゼの家紋はカゴメのマ-ク キリストは日本に来て天空坊と名乗っていた 十字架に掛かって処刑されたのはイエスキリストでは無く弟のイスズキリストで有る イエスキリストはゼッセ沼で慟哭を上げて弟のしを悲しみのちに日本え来た 神代の時代に天照大神様は天の岩戸にお隠れなさった その名残が沢山有る カゴメの歌もそうだ かごめかごめ篭の中の鳥はいついつでやる夜明けの晩にと歌われているが実は 天の岩戸から夜明けの晩に出てこいと言ってる 夜明けの晩なんて無いよ 節分の豆まきもそう 炒り豆を天照大神様にぶつけてこの豆に花が咲く頃出てこいと蒔いた 炒り豆に花なんか咲くことは無いから天の岩戸から出て来るなと言うことだ お正月のお雑煮もそうだ天の岩戸にお隠れなさるときに今度出たときに活躍できるように金の龍体を置いていったのをその龍の臓物を酒の肴にして食べた名残が雑煮で有る 色々調べると結構面白いかもね。

shimaenaga
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。

回答No.1

 今の日本の宗教情勢を見れば、釈尊が神と崇められているように見えるのは致し方ないような気もしますが、全く違います。  釈尊は、この世が苦しみに満ちた六道輪廻の繰り返しであり、人間に限らず全ての生命は因果応報の輪の中から抜け出せない、苦しみから逃れられない存在であるとし、自分の内面を見つめ修行を積み、悟りを開いてそれまでの業を清算することで、その輪廻の呪縛から「解脱」することができ、それこそが人間の真の幸福であると説き、仏教を開きました。  仏とは解脱を成し遂げた者、偉大な先駆者達のことで、神とは違うということです。  まさにこの点が、キリスト教やイスラム教とは異なります。  キリスト教もイスラム教も、そのごく初期の段階から、唯一神への絶対的な帰依と、異教徒の排除を掲げてきました。  イスラム教に至っては、祈りの言葉がそのまま他の神を否定する言葉です。  それら、貧しいやせた土地で他者を滅ぼし資源を略奪して繁栄することを目的とした宗教とは異なり、豊かな水と森と温暖な気候であるインドの地にはぐくまれた仏教は、人間の外側の存在を崇め奉るのではなく、人間の内面を見つめ修行を積むことで、人間自身の行いによって苦しみから解放されることを目的としてきました。  今日、様々な派生仏教が、如来や菩薩、羅漢や観音の偶像を崇めているように見えるのは、布教のため、分かりやすくするためであり、基本的には仏教は人間の内面を見つめることで成り立っています。  この仏教の基本的な考え方を分かりやすく学ぶためには、なんといってもブッダの伝記を読むのが良いでしょう。  近年の日本の仏教書など呼んでも、難しいばかりで基本理念は分かりません。  漫画やアニメになっているものもありますし、映画化もされていますね。  「解脱」や「悟り」というと、どうしてもオウムや新興宗教のイメージがあるかもしれませんが、本来は仏教の考え方で、新興宗教がそれを利用しているだけです。

shimaenaga
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。

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