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エホバの証人へ:バビロンの滅び以前の前兆は?

皆さんのご意見を聞かせてください。 ものみの塔誌はハルマゲドンに至る大患難の始まりが大いなるバビロンの滅びによって生じると述べてきました。私もそれには同意です。 しかし、私はこのような聖句を見出しました。 「今は,裁きが神の家から始まる定めの時だからです。さて,それがまずわたしたちから始まるのであれば,神の良いたよりに従順でない者たちの終わりはどうなるでしょうか。」ペテロ第一4:17。 「見よ,わたしは災いをもたらすことを,わたしの名をもってとなえられている都市から開始するからである。それなのに,あなた方は処罰を免れられるとでもいうのか」エレミヤ25:29。 「・・・身に印のある者にはだれにも近づいてはならない。あなた方はわたしの聖なる所から始めるべきである。」エゼキエル9:6。 以上の聖句は、(大いなるバビロンを含めた)諸国民に対する裁きよりも前に、エホバの真の民が裁かれ、精錬されるということを意味していないでしょうか? 過去、J・F・ラザフォードの時代に、やはり組織の精錬がありました。それは、イエスによる検分とみなされてきました。同じように、今後、ハルマゲドンの前に、組織は精錬されるのではないでしょうか? それとも、今のままでエホバの組織が(すべてのエホバの証人が)ハルマゲドンを通過すると思いますか? イエスが再び検分に来る、そして、彼を迎え入れる用意をすべき、というのが、私の考えですが、それに対する皆さん各自のご意見をお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.2

こんにちは。 ☆☆☆☆☆☆ (旧約)聖書の一部分だけを取り出し、それを証明とするのは危険なのではないでしょうか。文脈の流れに則して考えるべきではないでしょうか。 「今は,裁きが神の家から始まる定めの時だからです。さて,それがまずわたしたちから始まるのであれば,神の良いたよりに従順でない者たちの終わりはどうなるでしょうか。」ペテロ第一4:17。 の《今》は、現代ではなく、ペテロの生きていた時代。《神の家》は《キリスト教の教会》もしくは《キリスト者》、《裁き》は《大いなる苦難》や《宗教的弾圧》と読むべきではないでしょうか。 ペテロの時代にキリスト者に弾圧が行われた、そして今後も続く。 素直にこう読んだ方が《筋》が通ると思います。 「見よ,わたしは災いをもたらすことを,わたしの名をもってとなえられている都市から開始するからである。それなのに,あなた方は処罰を免れられるとでもいうのか」エレミヤ25:29。 これは新バビロニア王ネブガドネザルによるエルサレム陥落の事ではないでしょうか。 「・・・身に印のある者にはだれにも近づいてはならない。あなた方はわたしの聖なる所から始めるべきである。」エゼキエル9:6。 の前に 「時にエホバかれに言たまひけるは 邑(まち)の中 エルサレムのうちをめぐれ  しこうして 邑のうちに行なはるるところの もろもろの憎むべきことのために  嘆きかなしむ人々の額にしるしををつけよと」 (エゼキル書 9・4) とあり、《聖なる所》=《エルサレム》と考える方が自然ではないでしょうか。 そして、同書17・12には 「また言へ   視よ バビロンの王 エルサレムに来たりて その王とその牧伯(きみ)たちをとらへて  バビロンに曳(ひき)ゆけり」 とあります。 新バビロニア王ネブガトネザルによるイスラエル陥落と、エルサレム神殿の破壊、バビロン捕囚etcについて記されていると考える方が自然ではないでしょうか。 旧約聖書などの記述を、《今》を《現代》に、そして、《自分》に引きつけて読む。そこから現代という時代に生きるわれわれへの教えを読みとる、という読み方を否定するつもりはありませんけれど(いや、むしろ、どんどんやるべきでしょう)、 旧約聖書本来の意味を忘れてはいけないと思います。

noname#259625
質問者

お礼

ペテロ第一4:7では「しかし,すべての事物の終わりが近づきました」とあり、以後、質問で挙げた17節に続きます。 確かに、ペテロは1世紀の読者に書いていましたが、その同じパターンが現代(終わりの直前)にも繰り返し生じるという意味でした。 他の二つの聖句についても同じことが言えます。

回答No.1

神様なんておらへん。 大人なら下らんこというてんと、目を覚ませ。 宗教なんて、金を吸い取られるだけや。

noname#259625
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私は聖書を勉強し始めて20年経ちますが、一度もお金をだまし取られたことはありませんでした。献金もごくわずかです。 確かにご指摘のような宗教もあるかと。しかし、すべてがそうだとも言えないかと。

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