- ベストアンサー
愛し続けた人を亡くした仏教的見地からの疑問
akiyoteaの回答
- akiyotea
- ベストアンサー率36% (18/50)
ご丁寧なおへんじをいただきまして 有難うございました。 あなたに 早くお元気になってほしいと投稿しましたのに、なんだか逆に 私が癒されているようです。 実は あなたの質問を拝見した5月9日と言う日は 父の命日だったのです。 「あぁ 今日は父がなくなった日・・・・」と、また色々と思い出を反芻しながら OKウェヴを開いたんです。 魂があるのなら 父があなたの質問に引き合わせたのかもしれませんよね。 私は 仮に無いにしても、何かしら形を変えてこの世界の何処か(宇宙かも?)に 父の魂?(なんと呼んでよいのかわからない)が存在しているのかも?と考えたりもしました。 まったく無いと言うのも 変な話でエネルギー不滅の法則?からすると、こころや意識もエネルギーだし、無になるなんて それも変?? などと よくあれこれ考えます。 結局 わからなくなって やはり無なのだ、と思ってしまうのですが、 今回 こんな形であなたが私を癒してくださったこと、あなたがおっしゃるように 魂は、無くなった方の心は、存在するのかもしれませんね。 あなたが読んでいらっしゃる本、私も読んでみますね。
関連するQ&A
- 仏教とブッダ
いちおう検索したのですが答えが見つからず仏教での知り合いに聞いてもwikiを参照してくださいといわれ、見てみても答えがでなかったので質問させていただきます。 仏教とはブッダの教えが元でつくられた思想ですよね?(もしかしたら違うのかな) そして、検索してわかったのですが、ブッダは魂の存在を否定していたらしいです。 なのに何故、今現在の仏教は魂の存在を認めているというか、魂の存在が前提みたいな考えなのでしょうか? そもそも何故、ルーツはブッダの教えひとつなのに世界にはこんなに多くの宗派が存在しているのですか? 教えてください。自分だけでは正しい答えが出そうもありません。
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
- 仏教など文化の伝来、そして宗派仏教
1. 稲作など、日本への文化朝鮮半島を媒介しての伝来だとの講義でしたが、朝鮮半島を経由しない太平洋沿岸から伝来した文化はないのでしょうか?或いは朝鮮半島を経由しない中国大陸からの文化伝来はなかったのでしょうか?(自治体のシニア対象講座を聞いていて判らなく為りまして、・・・。) cf. 大野普(誤字かな)さんの言語(と人)の伝播では、南アジア、南インドから、海洋を経由して伝播してくることも不可能ではないというようなお話も思い出しておりまして。 2. 仏教が奈良時代に伝来したとの事ですが、これは何宗というものではないのですね。何宗でもない仏教とは、今の私たちには理解しにくいのですが、鎮護国家の仏教でもないのですね。どんな仏教なのでしょう? 3. 宗派仏教は弘法大師(空海)の真言密教が伝来の最初でしょうか? 4. 宗派仏教とはどこで何時ごろ生まれているのでしょうか? 5. 他のアジア諸国にはこの、宗派仏教というのがやはり伝播しているのでしょうか? どうかなにとぞよろしくお願い申しあげます。
- ベストアンサー
- 歴史
- 仏教について。
今日、 「手塚治虫のブッダ」 について解説した本を読みました。 現在、仏教には 日蓮宗、曹洞宗、臨済宗、その他多数の宗派があると思います。 これらのうち、 主だった差異は一体なんでしょうか。 又、 「祀っている人が違う」のが大きな対立点であるということはありますか? もしそうである場合、 「統一宗派」を作って (具体的には、中国の孔子が偉人とされているけれどそれは実は複数の偉大な思想を組み合わせて1人の人間の思想とした、という仮説がある様に) 「新しく、1人の仏を作り出してしまう」事などはよい解決の策ではないかと思うのですが、 この場合各宗派にとって何か問題はありますか? あるとしたら、どんな問題があるか教えて下さると幸いです。 皆さんは、 「仏教界の統一」のためにはどんな手段がいいと思いますか?意見を聞かせてください。 又、創価学会についてですが、 これを情報機関やマスコミ工作で潰すばっかりだと、本当に説き伏せたとは言えない気がしています。 「仏教を統べずして世界宗教の統べなし。」という考えを持っている私としては、 創価学会までも説き伏せなければいけないと考えています。 これについて、みなさんの意見をお聞かせください。 最後に、 以前顕正会という宗教法人に、 突然部屋に連れていかれ、 半ば監禁に近い形で折伏を受けました。 日蓮は 「折伏」を進めたらしいのですが、 仮にそれを日本の天皇が否定した場合、 顕正会は 天皇に翻意を迫るか 自分達が折伏をやめるか、どちらになるかお考えをお願いします。 又、 日蓮は 「鎌倉の末法」に限らず 今の世の中や未来に至るまで、 「常に折伏するべし」と言ったのですか? よろしくお願いします。 特に、 「仏教を統べるためには仏教の統一宗派を作って統一聖人を立てるべし」という意見についていただければ幸いです。 仏教の統一について熱い意見をお願い思案す。 それでは。
- 締切済み
- その他(社会)
- 仏教で、家の宗派と違う宗派のイベントに参加したい
今まで家のお墓があるお寺の宗派の特徴なども知らないほど仏教の知識がありませんでした。 最近になり自分の家の宗派の特徴くらいはわかっていようと調べ始めたのですが、他の宗派の方に興味が沸いてしまいました。 そこで質問です。 ・家の宗派以外のイベント事などに参加することは問題ないのでしょうか? ・問題なく参加できる場合、何か注意すべき点はありますか?例えば家の宗派は言わない方がいいなど。 ・家の宗派と違う宗派を信仰するのは例外なのでしょうか?それともありふれたことでしょうか? ・仏教を信仰している方は、複数の宗派を信仰するようなことはないのでしょうか? 素朴な質問ですが、よろしくお願いします。 家の宗派と書きましたが、「お墓があるお寺の宗派」くらいで、私同様、家族皆特に深く信仰している訳ではありません。
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
- (~_~) 仏教とおカネの関係‥‥‥
定期的な法事のとき、お坊さんにお礼をしますが、その額が少ないせいかどうかわかりませんが、お坊さんの読経の時間がみじかいような気がします。お礼を受けとるときのお坊さんの表情も、なんだか不満そうでし…… 疑心暗鬼というものかもしれませんが、お礼の額によって、やっぱり読経に力が入るとか入らないとかが、あるんでしょうか? 人生のさまざまな迷い・悩み・苦しみから人々を救うために、おしゃかさんが仏教を始められたと聞いてますが、いまどき、お寺やお坊さんを通じて仏教とかかわりをもつと、なにかにつけて定価不明のおカネがつきまとっ て、いくら支払ったらいいのか、不安で、いつも迷い、悩みますし、支払ったあとでも、「あれでは少なかったんじゃないかなあ……」なんて、いつまでも疑心暗鬼におちいって、心がやすまりません。 なんだか、いまの仏教って、おカネのことで人々を迷わせ、悩ませるために存在しているように思うことさえあります。 ほかに、これといって、仏教とかかわることはありませんし…… いい対処法をお教え願います。
- ベストアンサー
- マナー・冠婚葬祭
- にわか仏教徒
義理の父が亡くなるまで、仏壇のない家でした。 結婚式は教会、お正月は神社に初詣、お寺に行くのはお彼岸だけ、という家でした。 しかし、義理の父が亡くなってから、仏事に明け暮れるようになりました。 お墓を新しく購入しましたので、今までは何の縁もゆかりもないお寺ですし、宗派です。 大事な人を亡くした義理の母の心のうちを考えれば、当然のこととも思えますが、毎日お線香をあげる生活に、違和感を感じます。 正直な話、私は仏壇が苦手です。 菊の花も苦手です。 仏様にお供え物を上げるときの、あの小さい食器も苦手です。 お線香の匂いも、苦手です。 お寺も、苦手です。 お経を上げてもらうと、ありがたい気もしますが、基本的には苦手です。 当の義理の母も、仏壇の前に座っていると気がめいる、と言って、リビングに義理の父の写真を飾って、そちらにもお茶をあげています。 大切な人の死を受け入れ、乗り越えていく為には、宗教や、色々な行事が必要なのはわかるのですが、今まで宗教と無縁だったせいか、どうしても違和感を感じずにはいられません。 リビングや、食卓に、亡くなった大事な人の写真を飾り、好きなお花を飾り、好きだった食べ物をあげるのでは、やはり亡くなった人は浮かばれないのでしょうか? 宗教的な意味合いではなく、節目節目で、親しい人やゆかりのある方で、故人を偲ぶお食事会を開いたりするのではダメなのでしょうか? 義理の仲だからそんな事が言えるのだ、と言われそうで、身近な人には私の本心は言えません。 私のようなにわか仏教徒の方、また、小さい頃から仏事に慣れ親しんでいる方、仏教以外の宗教を信仰していらっしゃる方、いろいろな方からご意見うかがいたいと思っています。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
- 心の癒しとしての信仰
質問番号:5353017と関わってくるのですが、みなさんの意見をお聞かせください。妻が、心の悩みを解くために、仏教のある宗派(檀家とかではありません)の信者になりたいらしいのです。本人が「生きるため」というのであれば仕方ないと思うのですが、今後、人生の岐路や、選択する場面に遭遇した時、夫婦間の話し合いではなく、信仰のままに人生を歩んでいこうとするかもしれないのが心配です。(妻はやや感化されやすい性格なので) この件で、喧嘩になったりするのは私の心の器が小さいのかなとも思っています。 こんな考えが出てくる私は考えすぎでしょうか? 様々な意見をいただければと思っています。宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- 夫婦・家族
- 高校の倫理の宿題を解いてください!(急ぎ)
冬休みの宿題に倫理のプリントがあるのですが、どうしても分からない問題があります。>< 答えがついておらず困っています…詳しい方といてください!お願いします。 ※<>内は単元名です。 <諸子百家と孔子の思想> 1、偽りのない誠実な心と他人を心から思いやることを何というか 2、道徳のあらゆる要素がまんべんなく備わっていることを何というか 3、本来は生活全般の決まりであり法律と儀礼作法を含むものであったが、子牛は精神としての仁が外面に現れた社会的規範とした。これは何。 <儒教思想の発展> 4、人為的な外的規範による礼によって、政治を行う主義を何というか 5、朱子が強調した人間修養の根本のあり方で物の理をきわめて知をつくすことを何というか <老子思想と道教> 6、何事にも作為を労せず自然の道に素直にしたがって生きることを何と呼ぶか <仏教の需要と発展> 7、現実の人生において神仏から得られる利益を何というか 8、末法思想の広がりと共に発達した来世での往生を願う進行を何というか 9、インドの大乗仏教で説かれ中国で発達した死後に往生できると説く教えを何というか <鎌倉仏教> 10、浄土諸宗にみられる阿弥陀仏の本願で必ず救われるとする立場を何というか 11、浄土宗の一派で半生を常に臨終のときと思って称名念仏することを説いた宗派は何か 13、12世紀末に伝えられた一派で鎌倉幕府・室町幕府の保護を受けて発達した宗派は何か 14、臨済宗において師が弟子に悟りを得させるため与える問題を何というか 15、13世紀の初めに宋より伝えられた禅宗の一派で坐禅そのものが仏法であり悟りであると説いた宗派は何か 以上です分かる物だけでも良いのでお願いします。(「〇番は多分これです」とかでもいいです。)
- ベストアンサー
- 高校
- 虫の知らせ?
私の祖父、83歳は胃癌の末期です。腹膜に転移ありで医師に年を越せるかなと言われています。今は、元気にいます、食事もしますが。。 いつ逝くか分からないので覚悟はしています。 気になることですが、虫の知らせ?ような出来事があったので書き込みします。 まず、ここ最近やけに家の前にカラス・むく鳥が来て悲しげな泣き方をします。 また、町内の親しい人が何年かぶりに家に訪ねて来ました。突然来たので、驚きました。 虫の知らせ?と思いましたが、どうでしょうか?
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
お礼
akiyoteaさんのお気持ちを癒しただなんて・・・とんでもないという思いで、はずかしいやらうれしいやらという感じです。 お父様のお命日に引き合わせていただいたのは、きっと「仏縁」というものなのかもしれません。 お父様は、akiyoteaさんがお線香をあげられた時やお花やお供えをあげられた時、お墓参りにいらした時、そして合掌された時、きっと喜んでいらっしゃるのですよ。そんな時にも虚しいお気持ちの貴女にご自分のお気持ちを知っていただきたかったのではないでしょうか? おすすめした本は、先日の書店では汚れていた為、別の書店で取り寄せていました。さっき届いたと電話が入り、今週末は、ゆっくりと読んでみたいと思います。 もしかしたら、このインターネット上の貴女のご回答をお父様は貴女の隣でお読みになり、「そうそう、そうなんだよ!それが言いたかったんだよ!」って思っていらっしゃる・・・かもしれませんね。
補足
akiyoteaさん、再三のアドバイス、どうもありがとうございました。 わたしはもともとお鮨が好きなのですが、彼が亡くなってから、無性にお鮨が食べたくなる事があり、病の為にあまりお鮨が食べられなかった彼が、わたしと一緒に食べたがっているのかと感じたりしています。 (鮨好きの単なる言い訳という可能性もアリ・・・) 以前お薦めした本、もしお時間のある時に、P96~P101の「死後の世界」と「死者への供養」をお読みになってみて下さい。わたしはあの辺りが一番、心癒されます。 それから、仏教の本は、専門用語が多く、とてもわかりづらいのが悩みでしたが、瀬戸内寂聴さんの「痛快!寂聴 仏教塾」集英社を今読んでいますが、子供でもわかりやすい内容で、ちびまるこちゃんも多々出演していて、とてもわかりやすい内容です。わかりやすいだけに、心に響くものもあります。 もしよろしければ、書店でお手に取ってご覧になってみて下さい。 喧嘩別れのようなかたちで会わなくなって3年以上経つのに、恐らくわたしに自分が亡くなった事を知らせてくれた彼の愛情を、最近になって感じ、また悲しさが増します。 また、大切な存在の人の死による心の傷は、誰の心でも永遠に癒される事は無いのではないかと最近思えます。でも、それでいいのだと思います。心に傷の無い人間はいませんし、それが人の一生だとも思えます。 この質問を締め切るにあたり、ポイントをさしあげたいのですが、ご回答下さった方々皆さんに差し上げる分のポイントがありません。 ですから、質問本来の「仏教的見地」からご回答下さった方のみにポイントをさしあげたいと思います。ごめんなさい。 でも、たくさんの貴重なアドバイスを本当にありがとうございました。 心より感謝申し上げます。 そして、どこかにいらっしゃるはずのお父様の魂にどうぞ宜しくお伝えください!