No3です
補足しますね
>私はサンタクロースを信じたことがありませんでした。実際プレゼントを持ってきてくれたことがないからです。しかし「目に見えるものしか信じない」のではなく、「科学的に証明されないものは信じない」です。
おっしゃることはわかりますよ。
私も昔から心霊番組やらUFOの類の番組は興味がないです。
いや、宇宙に生命体入る可能性は大きいと思うんですよ。
ただ、世の中にある宇宙人目撃情報みたいのは、眉唾物だと思います。
ただ、サンタは、妖精や、山の神みたいな、空想の世界のものとして否定する気は全くありませんし、
キリスト教布教+商業主義の副産物であることは否定もしません。
そもそも12月25はキリストの誕生日ではないし、
サンタが紅白の衣装を着ているのはコカコーラ社の陰謀ですし。
ただ、クリスマスになると、あちこち飾り付けしたり、誰かのためにプレゼントを考えたりといった、
家族や友人の喜ぶ顔が見たいからと、奔走したりあれこれ手間を惜しまないとことは、決して悪くはないと思います。
誰かが誰かの幸せを願っている、それをわかりやすい形にしたのがサンタクロースであると思います。
お正月には、100円のお賽銭で願うのは、まずは自分たちの幸せが最初でしょうが、
ときどきは、他人の幸せを祈ることって大事だと思います。
その機会の一つであると思います。
>しかし「クリスマスの夜にサンタクロースが姿を見せずにプレゼントを持ってくる」演技をすることに何の意味が???と考えてもわかりません。いっそサンタクロース姿の配達員に直接届けてもらえば?って思うんですが、伝説の通り、姿を見せずにプレゼントを届けないと意味がないことでしょうか?
本来は、伝統行事の一環ですから、、やる以上は「演技をすることを楽しむ」ことに意味があるんだと思います。
節分に「鬼が来るから豆をまく」ふりをしたり、
お盆には亡くなった方のために送り火をしたり。
そもそもどんな国だろうと、「文化」や「習慣化された儀式」は、たいてい非効率的で、理屈に合わなく、しちめんどうくさかったりするものです。
それこそが「味」なのです。
何気なくスルーしないでわざわざ形式化して手間暇かけるのが「文化」(行事なども含め広い意味でね)なのです。
理解しない人から見れば、「そんなの無意味じゃん」と思うのも当然です。
だったら理解しなくてもいいけれど、それをはなから否定するのは色気のないと思いませんか?
>また枕元に届けるのが定番ですが、ツリーの下とか、玄関とか、ものにより人により変わったりするようですが、“枕元”でないといけない理由はありますか?靴下の中、っていう定説もありますが、靴下に入るようなプレゼントはなかなかないらしく、これにこだわる人はいないようですね。
ちなみに枕元は、日本などですね、キリスト教国では、ツリーの下にプレゼントを並べますが、むかしはツリーなんてどの家庭にあるものでもないですし。
枕元に置くのは、別に冷蔵庫の中でも、ふろおけの中でもいいのかもしれませんが、
単に、朝起きた時に真っ先に見つけ喜ぶ顔が見たいからでしょう。
とくに深い意味なんてないのだと思いますよ。
靴下に入るようなプレゼントだと限られますからね。
豊かになる時代とともに、そのへんは都合よく変えていっているだけですね。
そういう変化は、日本の伝統行事でもありますよね。
お正月前後だけ見たって
「年越しそばは何時に食べるのが正解なのか?」とか「年賀状はいつ書くのがいいのか?」とか「お年玉」の存在とか・・・
まあ、「それを言っちゃあおしめえよ」の仲間です。
商業主義のクリスマスに反感を覚えるのはとてもいいことだと思います。私も覚えます。
しかし、行事だの伝説だのに、「意味はあるのか」とまじめに向き合うのは、
間違いではないと思いますが、なんだか野暮な気がします。
今から120年ほど前、「サンタクロースっているんですか?」と新聞社に問い合わせた8歳の女の子、バージニア・オハンロンさんを御存知でしょうか。
クリスマスの有名なお話です。
新聞の編集者の方の回答が新聞に載り、なかなかいいなあと高校生の時に思いました。
商業主義のクリスマスやサンタですが、
少なくとも、こういう小さい子供たちが、一時期だけでも、サンタの存在に胸をときめかせる思い出は、
否定するものではないと思います。
このお話(回答)は日本語訳にされ絵本にもなっていますし、ネットでも、探せば読めるかもしれませんね。
お礼
皆様ご回答ありがとうございました。サンタクロースの演出は、「伝統行事の一環」と明言されたこの方をベストアンサーとさせていただきます。この場を借りてまとめてお礼申し上げます。 伝統行事と言うからには、地域により各家庭により違いがあって当然なわけで、クリスマスの祝い方も人それぞれでいいと思います。徹底的にサンタを演じるのも、子どもに直接プレゼントを手渡すのも、子どもに対する愛情には変わらないと思います。何をもらうか、よりもどんな渡され方をするか、っていうほうが重要だとは思いません。手間を惜しんでいるというより手間を楽しむということも必要性もわからない、というだけです。しかしこの場合世間の流れに逆らうと「子どもがかわいそう」になるのではないかという懸念だけです。私個人的にはサプライスはどうも苦手です…。プレゼントもらうにしても、一緒に買いに行って直接手渡されるほうが好きですね…。わざわざ遠回しなことをされると対応にも困ります。サンタを信じる子どもたちも、毎年同じ日に、毎年希望の品がもらえることがわかっていて、本当にわくわくするものなのかどうか疑問がありますが…。何が入っているかわからない福袋開けるほうがよっぽどわくわくすると思うんですけどね。
補足
新聞社に「サンタクロースって本当にいるんですか」と問い合わせた女の子の話、実は高校の現代社会の授業で取り上げられました。その時は、なんでそんな話を学校の授業で取り上げるのか、不思議に思っていましたが、今頃になってサンタクロースを本気で信じている子どもがたくさんいることを知り、今は理解しています。新聞社さんの答えは肯定でも否定でもなく(まあ、肯定寄りですが、完全肯定でもなかったような)うまくけむに巻かれたような気がします。 「文化」「伝統行事」という言葉が出てきていますが、クリスマスは日本の行事ではないのでそんなに古い歴史があるとは思えませんし、形式にのっとることだけが文化の継承とも思っていません。つまり時代により各自の都合により、変遷していってもいいと考えています。例えばおせち料理ですが、一品一品に意味があるとわかってても、自分たちの嫌いなものは作りませんし、桜玉が売り切れていたら魚肉ソーセージで代用したりと臨機応変に対応しています。手間暇かけることを否定するのではなく、あくまで自分たちのやり方でいいのではないか?という考えです。子どもが生まれた時のお宮参りは行きましたが、お食い初め、一升餅はあまり意味がわからないのでしませんでした。何がなんでもやらなきゃ!っていう気負いがないのでしょうか…?ただ意味がわからないけどみんながやるからやる、っていうよりちゃんと意味も含めて子どもに伝えていったほうがいいと思います。