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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本は植民地にされる恐れは無かったのだろうか?)

日本が植民地にされる恐れは無かったのか?

このQ&Aのポイント
  • 坂の上の雲を通じて感じる日本の民族主義と危険な時代
  • 日本の一方的な先制攻撃と日露戦争礼賛の声
  • 日本が植民地にされる恐れは無かったのか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • seble
  • ベストアンサー率27% (4041/14683)
回答No.4

鎖国時代の開国要求と、日露戦争はだいぶ違うと思います。 ロシアにとって日本とは、シベリアの果てのさらに先にあるそれこそ名実ともに極東です。 現代ならいざしらず、アラスカを1億ドル程度でアメリカへ売っちゃうような状況の中で、半島の植民地化など、構想はあったかもしれませんが重要視していたとは思えません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AB しかも革命勃発で、極東の最果ての日本なんかどうでも良かったと思います。 シベリア鉄道が開通したのはそのあとの話。 中国の方がまだ可能性はあったと思いますが、当時の中国は逆の立場であり、欧米列強に食い物にされていましたから、日本をどうこうしようなどという余裕など全くありません。 ただ、逆にそういう例が間近にあるので、欧米列強に肩を並べるには >植民地を持つ国にならねばならない という思想はかなりあったようです。 ただ、具体的に植民地化されるという懸念が分析されていた訳ではなく (そうであれば革命でゴタゴタしているロシアなどより、実際にアジアに植民地を持っているイギリス、フランス、オランダ、アメリカなどの方がよほど脅威だったはず) 世界情勢などよく理解できないまま、単純にやられる前にやっちゃえ、という論理だと思います。 ですから、防衛という思想ではなく、何が何でも富国強兵、強ければ正義、勝てば官軍、攻撃は最大の防御、先に攻撃した方が勝ち、闇討ちが有利(中世から日本の武士道はこればっかりですね)という思想に基づいての行動だろうと思います。 そして、日清、日露で良い思いをしたから次を狙って日中、そのままずるずると真珠湾攻撃(これも闇討ちですね)となったと思います。 きっかけとか背景とか色々ありますが、そんなものは枝葉末節に過ぎない事だろうと、、 >馬鹿な戦争をしたものだ!」という反省が伝わってこない しょせんTVですからね。1億総白痴ですから。

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その他の回答 (10)

回答No.11

今までの回答をまとめてみますと・・・ 「日本は植民地にされる恐れはあったか?」という質問に対して、10の回答があって、そのうち9回答が「恐れあり」というものと読みました。その「恐れ有り」の内容をまとめて、それについての私見をつけて見ました。 まとめ(1) 幕末に露西亜が現に侵略している。(露寇事件など)(NO.2、8,9) (私見)当時北海道はアイヌ人領であって、日本領と確定しておらず、明治になって日本の植民地一号としたものです。つまり国境画定紛争であって、侵略とはいえない。また露西亜としての行為ではなくて、現地暴走だったので、撤退命令を受けている。 まとめ(2)現在、沖縄(アメリカに)、北方領土を実際に侵略占領されている。(NO.3,7、8) (私見)だからと言って、戦争をして取り戻そうとは誰も考えていない。 まとめ(3)露西亜は不凍港を求めていた。(NO.6) (私見)ウラジオストク、旅順を既に持っていて、それ以上必要としなかった。 ということで、「植民地にされる恐れがあった根拠」としては薄弱と読みました 私は、NO.4の回答を支持します。

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  • odokunoo
  • ベストアンサー率25% (1/4)
回答No.10

no.2,no.6さんに言いたいことを殆ど言われてしまっているので、少し補足するだけになりますが、 アジアでは1911年まで清国の支配下にあったタンヌ・ ウリャンハイ(唐努烏梁海)地方が1921年にソ連に侵略されますし、ヨーロッパではポーランドやバルト三国がソ連の侵略を受けております。 これらの国はすべて 弱かったから 侵略されたのでしょう。

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回答No.9

実際に植民地化され得たかどうかではなく、 当時の日本人にとって、その脅威が感じられたか どうかが問題です。 「日本はすでに組織化された軍事力があったから 植民地化される恐れはなかった」というのは、当人に とって、“死力を尽くせば植民地されずに済む”という 事をしか意味せず、『それならば事前に討って出よう』 と考えて当然です。 当時の東アジアは、日本とタイ以外は全て植民地化 されていた状況であり、『日本は大丈夫』と思うには、 よほど楽天的でなければならなかったでしょう。

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  • drmuraberg
  • ベストアンサー率71% (847/1183)
回答No.8

歴史とは、人間の営みを時の流れに沿って綴った記録です。 その分厚い書を後生の人は紐解き、解釈し理解しようと努めます。 その際に大事な事は、その当時の人々がどのように考え行動しその結果が どうだったかと云うことです。 それを現在の基準で判定し、意に沿った様に解釈し、今と将来に生きる 人々を操作する為に使おうとするのは邪道です。 幕末から明治維新を経て新しい政治体制が確立され殖民地化の危機が 去ったから、「この時期に日本は植民地にされる恐れは無かった」と 言うのは近視眼的で、動きと言う流れを見ないスローモーション観察的 史観です。 幕末と明治維新を生きた人々は、後生の人が高みの見物から「危機は 去っていたから、その後は不要で間違い」と言える様な精神状況には 無かったはずです。 彼らにとっては、実現の可能性が有ろうが無かろうが「尊皇攘夷」で、 「独立、不平等条約の改正(国家としての認知)」、そして「富国強兵 (列強と肩を並べること)」が一貫したその時代の流れだったのです。 幕末から明治期にかけての植民地化の危険性に付いてはNo.6の回答で ほぼ言い尽くされていると思います。 危機が去った背景には、薩英戦争等に見られる頑強な抵抗精神が武装地方 政権の連合である日本を征服する事の困難さを認識させた、英国・フランス・ 米国・ロシア等の強国間の駆け引き、そして清国と云う日本より魅力的な 獲物が隣に存在したと云う事実が有ったからです。 薩英戦争では、鹿児島市街は全焼したが、英国艦隊にも戦闘続行を困難と させる程の大きな損害が出ました。しかし、薩摩が英国と和議を結び 賠償金まで払ったのは、相手の優れた軍事技術に気付き「攘夷」の愚と 「殖民地化」の危険性を悟ったからです。 この転換とその後の維新と国家建設を担ったのは侍階級とその出身者から 成る支配階級でした。彼らが共有したのは「殖民地化に対する危機意識」と 「武人としての思考」でした。 彼らはそれらを明治の間を通して保持し伝え続けたのです。 支配し命令する事に長けた彼らと彼らに従う勤勉な一般国民、この組合せは 「帝国主義の時代」を生き抜き「富国強兵」を達成し、短期間に帝国を 建設するには最適でした。したがって当時、犠牲を払うことが馬鹿げた事だ とか言う人々は少数でした。反戦平和から反対する人を居りましたが。 世論は圧倒的に「ロシア撃つべし」で「講話反対」でした。 それら当時の状況に配慮せず、解釈し議論するのは注意すべきだと思います。 歴史の資料やドラマを見る時は、色眼鏡では無く補正眼鏡を掛けられる様 お勧めします。 <戦争を回避すべしという勅令を発していたにもかかわらず>小説中でも ドラマ中でも「現地司令官に依って勅令は放置されていた」と説明が有ります。 <日本側が一方的に先制攻撃で開戦した>当時も太平洋戦争時でも、敵対関係に 有る国の最後通告や国交断絶は開戦の意思表示と見られ宣戦布告は特に必要と されていません。 <無謀な突撃で数万の死者を出した旅順攻撃>は数万が5,6万とすると 事実と相違します。 事実は:第一次総攻撃、参加50,700余、死傷将兵15,800; 第二次総攻撃、参加44,000余、死傷将兵3,830;第三次総攻撃、参加64,000余、 死傷17,000;総計、参加158,700余、死傷将兵36,630、(日露陸戦新史、 大正12年編集、岩波新書S11.11.15)です。 ちなみに同書によれば、日露戦争参加将兵約100万、死亡将兵84,400、 負傷将兵143,000、戦費13億7千5百万円、だそうです。 <司馬氏は「この時の世界は、植民地にされないためには・・・>は変だと 思います。司馬氏は「殖民地化」の言葉を「主」では無く「帝国主義の時代」を 主として「殖民地」はその時代を特徴付ける「従」の言葉として使っています。 <この論理の間違いを「日本は植民地にされる恐れは無かった」という・・> とんでも無い本を読まされそうで、怖いが愉しみでも有ります。お化け屋敷の 期待感でしょうか。 司馬氏はこの小説の映画化やテレビ化には反対していたそうです。彼の死後、 NHKが遺族へ根気強い説得を行い承諾が得られたと聞いています。 「エピソード日露戦争」化しそうな危険性を十分認識していたものと思われます。 司馬氏の著書には賛否両論が有り、「司馬史観」なる語も有りますが、小生は 好きです。司馬氏の小説に案内されて入り、気に成った事実を確認し、彼とは 違う観点から眺めたりして愉しんでいます。 「坂の上の雲」で彼が伝えたかったのは、青春期に有り「まだ(当時の時代精神と しては)健全だった」国家の姿を伝え、その後の彼の嫌う軍国日本に何故成って しまったのかと言う自問の様な気がします。 歴史小説の中心に、坂本龍馬や大村益次郎やこの度の青春群像の様な人を据える 限り、多少の脚色は避けられないと思います。事実を克明に記録する作家の 代表例は児島襄氏でしょうが、克明すぎて躍動感が欠け、読破するのは難行苦行 です。最近、彼の「朝鮮戦争」を再読しました。読むのが難解なだけに、この愚にも 付かない戦争から北朝鮮は何も習って居ないのだろうかと不安になります。 歴史的精神は受け継がれると言うことはNo.7の回答にも示されています。 1945年8月15日の降伏後も、ソビエト(ロシア)は日本の南樺太、千島を 攻撃し現地日本軍守備隊と交戦し、その後これらを占拠しています。 終戦後も北海道の統治を要求し、連合国に拒否された一連の事実は、幕末から 日露戦争を経て現在まで続く「殖民地化」の歴史です。 そういえば、沖縄も「文明国亜米利加様」に占領され殖民地化されたままの様に 思えますが。 歴史から読取るべきは、問題のドラマにも垣間見られた、天皇による乃木更迭 の拒否(後日の統帥権に関連)、その後の乃木と東郷の神格化です。 乃木の神格化は日本陸軍の極度な精神主義に、東郷の神格化は彼の海軍人事と 政策への影響となり、後日の軍国主義化への萌芽とも解釈できます。 「日露陸戦新史」は公式戦史を補完する意味で纏められたもので、動員や兵力 展開の困難や兵站が主で、戦力を集中し一大会戦で戦争の帰趨を決する事が できなかった事の反省の書です。 後日の「寡兵よく敵を制す」の青春主義とか「兵站無しの現地調達主義」の点は 見られず、この時代はまだ「健全な発展過程」に有ることが伺えます。

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回答No.7

あの~、現実にロシアは日本の領土の一部である国後、択捉を植民地にしているんですが・・・ (厳密に言うとロシア→ソ連→またロシア、ですけどね。)

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  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.6

日本が植民地化される可能性は、低かったがゼロではありません。 特にロシアはかなり危険だったといえます。ロシアが日本を(一部でも)植民地化または領土化したいと思う理由は十分にあったからです。 これには当時の状況と、日本の地政学的な立場を見る必要があります。 当時の欧米列強は大体200年ぐらいをかけて、アフリカ・中近東から西アジア・東南アジア・東アジアと徐々に侵略してきています。そのうち「無主の地」または政治的に成熟していない地域(社会)については、占領し宣教することでキリスト教化と植民地化を進めていき、政治的に一定の勢力を保っている地域については、その政府に介入することで事実上の植民地化(傀儡政権化)していきました。 前者の代表は、マレーシアやインドネシアで、後者の代表は清国だったといえます。 日本については、出島を通じて西欧諸国に知られると同時に、日本も西欧の動きをある程度まで確認していました。一般的に西洋の認識では「日本は武装化した地域領主がエドの盟主を中心に合同し、かなり大規模な社会体系を持っており、また人口も非常に多い」という具合で「植民地化はかなり難しい」というのが一般的になものだったようです。 その後ペリーの来航と開国要求に始まり、各国の要求も不平等条約とは言え、開港と通商の要求だけだったことに注意が必要です。つまりこの時点では、植民地化の意思(と実力行使)は、なかったわけです。 ところが、この時点で唯一領土拡張の意思を持っていた国があります。それがロシアです。 露寇事件だけでなく、ロシアと日本(当時は江戸幕府)は千島諸島や樺太それに北海道の領有権を争っており、ゴローニン事件など数々の衝突を繰り返しています。また間宮林蔵による樺太探検も「近代国家の領土主権の主張」というテーマにそって「日本に所属する地域の確定とその正確な地勢の把握」が主な焦点でした。 ロシアはシベリア半島を極東まで行き着き、その後の拡張のために不凍港を欲していたからです。 これが明治維新までのロシアとの状況であり、明治以後もこう着状態であって解決したとはいえない状態でした。また、ロシアは他の西洋国に比べて遅れて帝国主義に乗り出したこともあり、その方法は他国と違って、ウラル半島を陸路で越えてシベリアを領地化するというのが主な方法でした。 ロシアはモスクワの近郊であっても、他国のように1年を通じて自由に出入りができる港をほとんど持たず、またアジア(主にインド洋)に出るには、他国の港に寄港して食料などを補充し、スエズ運河などを利用して移動するために、莫大な経費がかかったからです。 ロシアとしても「農業生産性が高く肥沃で暖かい土地がほしい」と思うのは当然ですが、今までやりかたでは、経費のほうがかかりすぎますし、なによりロシアの帝国主義的意欲は、ロシアが寄港せざるを得ない地域の圧力で簡単に挫折せざるをえなかったからです。 そうなるとロシアの要求はただひとつ「なんとしても自由に一年中出入りができ、アジアまで簡単にいける港がほしい」ということなのです。 実際に非常に苦労してシベリア鉄道をモスクワからウラジオストクまで敷設したのは「自由に出入りできる港」がカムチャツカだったからです。 シベリア鉄道はウラジオストク港から先の、船による貿易(またはその先の植民地からの収奪)で初めて採算が取れるというものだったのです。 この性格はいまでも変わっていません。 しかし、現在のおいてもロシア(ソ連)のこの意思を邪魔するのが日本列島の地政学的な立ち居地です。 そうなると当時の力学では「従わせるか、従うか」しかありません。日本列島全部を植民地化する必要はありませんが、日本から莫大な賠償金を取るとともに北海道を接収し、新潟と長崎を香港のように租借すれば、ロシアの覇権は強力なものになるといえます。その上で旅順や大連をロシアの支配下に置けば、アメリカに対して日本列島が楯になり、その他の西欧諸国大してはシベリアで領地を接しているというのが最大のメリットになります。 ロシアはシベリア鉄道で自由に兵員や物資を移動して、陸路で中国大陸からアジアを侵攻できるのに対して、それを阻止する他の西洋諸国はすべて船でしか輸送できないからです(日本はロシアに負けて傀儡になっているので、協力できないことになります) これがロシア帝国としての意思です。その前に日本が清国と戦争をして清(とその後ろの海外列強)の領土拡張の意思を挫いたため、ロシアにとって「日本を倒さないとその先にある果実(戦争に負けたばかりの清国)を取ることができない」ということになります。 もちろん、日本が邪魔をしないでいてくれたら戦争をしないでもいいわけですが、当時の日本は明確に中国東北地方(満州)に進出する意思がありましたから、ロシアの南下と日本の西進(大陸進出)は交わらざるを得ず、その交点が戦争の中心地になったということでもあるわけです。 当時の日本は植民地化される恐れは「他の植民地にされた国や地域」に比べれば各段に低かったといえるでしょう。しかし、ロシアはあわよくば日本の一部(特に北海道)を占領する意思はありましたし、その他の西洋諸国とも日清戦争後の処理でギクシャクし始めましたので、戦争そのものに至る過程には必然性も十分条件も整っていたといえます。 もちろん、戦争に至らず回避する可能性もあったとは思いますが「日本が植民地化される恐れ」が「無かった」ということは出来ないといえます。

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回答No.5

「坂の上の雲」の登場人物が犬死、無駄死、馬鹿死ばかりだったらドラマとして売れなかったでしょうね。 >それにも関わらず、未だに日露戦争礼賛の声が圧倒的に多いようです。 買った戦争を礼賛するのは万国共通の国民感情であって何ら不思議ではありません。 負けた戦争を礼賛する日教組の方が精神分析の対象として稀有・貴重です。

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回答No.3

あれ?今の日本って、アメリカ合衆国の植民地じゃないんですか?。

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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

露寇てのを知りませんか? 1806年、ロシアが日本を侵略した事件です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E9%9C%B2%E5%AF%87 欧米列強がアジアを侵略しようとしていたのは 御存知だと思いますが、日本が最も怖れたのがロシアでした。 日清戦争、日露戦争とも、半島を巡る戦争でしたが 日本が戦争を起こしたのは、その半島をロシアが狙って いたからです。 半島にロシアの軍事基地が出来たらどうなるか。 米国は、キューバにミサイル基地が出来る、というだけで 第三次大戦覚悟で海上封鎖に出ました。 隣国に、敵の軍事基地が出来る、というのは安全保障上 大変なことなのです。 ロシアはシベリア鉄道を建設し、アジア侵略を虎視眈々と 狙っていましたよ。 それを阻止しようと日本が立ち上がっただけです。

hgf02421
質問者

お礼

回答有難うございました。お礼が遅れてすみません。 日本は満韓交換を要求して、ロシアはそれを了解したのですから、日本側に戦争をする理由はなかったと思うのですが・・・・。

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noname#148411
noname#148411
回答No.1

あのー史実と小説(想像)を一緒にして考えるのを辞めませんか? 司馬氏は想像だよ^^

hgf02421
質問者

お礼

回答有難うございました。お礼が遅れてすみません。 なるほど、坂の上の雲は小説で、フィクションですね・・・。 しかし史観はフィクションではなくて、司馬氏の本心だと思いました。

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このQ&Aのポイント
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