• ベストアンサー

武家の出身

自分は武家の家柄だとか、 先祖が武士だったと言って 自慢気な人がたまに居ますよね。 でも武士って人殺しですよ。 武士道とか精神的に素晴らしい ところは分かりますが、それでも 人殺しは人殺しですし。 「武家の出身」イコール「人殺しの 家系」と見ることも出来ると思い ますが、そうならないのは何故 なのでしょうか? 教えて下さい。

  • hok
  • お礼率99% (370/373)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#146626
noname#146626
回答No.3

日本には沢山の武家の子孫がいるので、すべてはわかりませんが。 私は武家の子孫です。先祖が何をしたか、どれだけの罪を犯したか、目を背けても教科書で嫌でも教えられました。 あなたの仰るように、人殺し一族、と何度言われたかわかりません。 私は自分がその子孫であることを、今でも隠しています。 ですが、血に恥じないよう、家柄に恥じないよう一生をかけて立派に生き抜いた身内を沢山みてきました。 そんな生き方までは批判したくないのです。 私たちは、源氏と平氏の両家の血をひいたばかりに、苦しい思いもしてきました。 一部なのでしょうが、平家は今なお、源氏を許してはいないからです。 末代まで、先祖の罪を償って生きていくことが役目なのではないかと思います。 答えになっているでしょうか。私一個人の思いなので、お気に障ったらごめんなさい。

hok
質問者

お礼

あなた様のような考えの方が いらっしゃるとは思いも しませんでした。 私のイメージでは自慢気の 人しか知りませんでしたので。 実は今回このような質問を したのは、私自身がかつて 自慢気だったからです。 本家の本家に家系図が有ると 噂で聞いただけで、本当か どうか確かめてませんが。 ある日、妻に質問したような ことを言われて、確かにそう いう見方も出来ると思った しだいです。 あなた様の回答はとても勉強 になりました。 ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • 777oichan
  • ベストアンサー率28% (1059/3688)
回答No.2

職場にもお殿様の家系とかで本人は自慢はしていないようでしたが、回りがなにかと話題にのせていた事があります。でも素直に感心するわけでもなくどちらかと言うと違和感と否定的な扱いでしたね。私の先祖は百姓ですが、会った事も無く、、ああそうなんだ~ということで何も感じません。士農工商の最上位との優越感があるのでしょうね。

hok
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#186980
noname#186980
回答No.1

自慢と言いますか、その事しか自分が輝けないのですね。同和もそうですが、人間は自分より下の存在が必要と思っているんですね。2000年前はみんな狩猟をしていたのに、いつしか穢れた人間がやるものだとかいう風になってしまいました。士農工商の身分制度の副産物ですね。武士が歴史文化を作ったという思いがあるからではないでしょうか。

hok
質問者

お礼

ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 先祖が武士って凄いのですか?

    彼は親を含む親戚が公務員や教員や国会議員や医者で 立派な家系であり 更に江戸時代の先祖が武士だったそうです 彼からその話を何度もされますが 先祖が武士ってどのくらい凄いのですか? 親が立派な職業についていたら自慢したくなる気持ちは 解らなくもないですが 武士と言うのがどのくらい凄いのかがわかりません 普通 先祖が武士って事は人に自慢したくなるものでしょうか?

  • 家系に意味があるか

    自分の家柄の族称を調べることに意味があるのか思っています。 なぜなら、大昔、人が生まれた時、お前は天皇、貴族、武士、農民等の族称(階級)を持って来たわけでもないはず。元は云えば皆同じ階級。俺の先祖は貴族だの武士だの云っても意味があるのかと想うしだい。家系に意味があるのでしょうか。

  • 「明治生まれ・クリスチャン・英語が得意」なぜ「武家」?

    私は祖父母の代からのクリスチャン(プロテスタント)の家庭で育ちました。 昔、私を除く家族全員がクリスチャンであることを、当時おつきあいしていた人に話したら 「あなたの家の先祖は、隠れキリシタンだったのではないの?」 と冗談で訊かれたことがありました。 そこで 「先祖のことはわからない。ハッキリしているのは、明治生まれの祖父が、敬虔なクリスチャンだった。祖父は、明治生まれの人にしてはハイカラな人で、英語が得意で、老後は自宅で英語塾をやっていた。ベレー帽にステッキにスーツという、おしゃれな人だった」 という話をしたのです。 そうしたら、その話を聞いたその人は突然真面目な顔になり、 「あなたの家は、おそらく、武家だね…」 と言いました。 私は 「先祖が、姫路城に仕えていた武士だったということを、祖父が言っていたらしいが、現在は祖父も故人なので、詳しいことはわからない」 と答えたのですが(祖父は姫路の生まれ育ちです)、最近になって、その時、その人が、 「明治生まれ・クリスチャン・英語が得意」 という3つのキーワードだけで、なぜ 「武家」 と判断したのか、今になって不思議に感じます。 その人は知識が豊富な人だったので、3つのキーワードで判断したようですが、なぜ、その3つが武家であったことの判断基準になるのでしょうか? おわかりになる方、ご回答をお願いいたします。

  • 武家政権になってからの朝廷と幕府の関係について

    源平の合戦に勝った源頼朝が、朝廷より征夷大将軍に任じられて、鎌倉に幕府を開いた。これより明治維新まで武士の政治の時代が始まる…… ここまでは小中学生でも知っている歴史的事実かと思うのですが 最近このプロセスに疑問を感じまして、質問させていただきました。 武家政権に政治の実権を取られても、京に天皇や朝廷は存続し、形式的には天皇が武家よりも上位でしたよね。この上下関係が残ったからこそ、朝廷が位を武士に「授けて」いましたし、また武士のトップも朝廷の承認を受けてから幕府を開いていました。 そこで質問です。 ・なぜ朝廷は、武士に実権を握られてからも、まるで「お飾り」としてでも存続でき、それどころか形式的には上位の存在であり続けられたのでしょうか? 現代を生きる私の感覚からしてみれば、戦に勝って実権を握ってしまえば、朝廷や天皇を無視しても(もしくは西洋の革命のように処刑しても)かまわないような気がしてならないのです。しかしそうはならず、「武士のトップが天皇や朝廷の承認をいただいて政治を行う」というプロセスが鎌倉、室町、江戸時代と律儀に守られ続けました。 きっと当時の人たちにとっては、そうでなければならない理由があったのではと思います。 (武士にとっては朝廷の承認が無いと、権威の正当性を主張できず、また民衆にとっても、それが無いと権力者として認められない事情や心情があったのかと思います。) 当方歴史の勉学については中等教育レベルで止まっている者です。ご指導のほどをよろしくお願いします。

  • 自分のご先祖様のことをどの程度知っていますか?

    自分の家系や、ご先祖様のことについてどの程度知っていますか? 知っている方は差し支えのない程度に、ご先祖様や家系のことについて教えてください。 ちなみに私の場合、父方の家は源氏の武士だったそうです。 家来が数人はいたような武士だったとのこと。 家には十二単や日本刀、鎧、槍などが残っていたそうです。 ちなみに刀や鎧は戦争中に差し出したそうで残っていません。 家系図などもあったそうですが三陸大津波で流されてしまったそうです (十二単などもその時になくなったらしい) 江戸末期まで武士だったかどうかはわからないそうですが、 (もしかしたら町人に成り下がっていたかもしれないとのこと) 明治になっても昔の身分の違いが残っていたために、うちの家の 土間より上には上がらなかった人達もいたそうです。 それからわりと最近のご先祖様(といっても4~5代前くらい?)は 天皇にお仕えしていたそうです。絵姿になるほどの美人もいたとのこと。 話を聞いた時は、家系図や刀が今でも残っていたらなぁと思いました。 皆さんのお家はどうなんだろう?と思い質問させていただきました。

  • 自己紹介で、自分の先祖は「武士」

    (1)自己紹介で自分の先祖は「武士」という人がいます。 どのようにお感じになりますか? (2)自己紹介で自分は早稲田大学出身という人がいます。 どのようにお感じになりますか? (本サイトの自己紹介です)

  • 井原西鶴 武家義理物語の小判の話

    井原西鶴の武家義理物語の小判の話の内容について教えてください。今アメリカに住んでいて井原西鶴の武家義理物語が手に入らないので、困っています。読んだことがある方、できるだけ詳しく小判の話について教えてください。どうやらその話は、、。武士が集まって小判の見せ合いをしていたら、小判が無くなってしまった。他の人が疑われてはいけないと泥棒をかばって自分の小判を置いていったら小判がが増えてしまった。つまり皆が同じことを考え、小判を置いていったから。その後無くなった小判がでてきて小判を出した人は持ち帰るようにと指示するのだが、誰一人とも出した小判を持ち帰らなかった。どんな集まりだったんですか?どんなところで行われたんですか?いつの話ですか?詳しい描写を教えてください。

  • 家系(先祖)を調べることについてに疑問

    自分は此処に生きている。先祖があるということですね。  この先祖たちは、歴史に見られる相当あくどい事をしたり、家系を捏造をしたりして、現在に至っているに違いないでしょう。  今も語り継がれる著名な武士たちに到達すればそれでよいのでしょうか。  その先は無視するのですか。   私の先祖はこんな事をしていたそうです、ごめんなさい と懺悔しているのを見かけない。  疑問に思っていますが。皆さんどうおもいますか?

  • 武士と公務員の違い、及び、武士の公務員化について。

    江戸時代の武士はある意味公務員化していたと思うのですが、武士は武士です。この江戸時代の武士(文化)が明治初期の役人(文化)として働きました。 したがって明治初期の公務員の感覚は今日のものとはまったく違うと思います。武家は世襲であり試験選抜されるものではありません。 しかしながら先祖代々一所懸命であるはずの武士が立派に無私の公務員として機能していました。無私(無家)というのは武士の感覚には馴染まないと思います。国家というように国を家に見立てたのでしょうか。そんな理屈に納得できますでしょうか。良くも悪くも公務に望むにあたって今日の公務員では考えられないような信条的障害もあったと思いますがその事例などありましたら教えて下さい。いわば今日ではふつうだが、元武家に、それは合点できないという類のものです。 徳川家を始め、有力武家が知行を放棄するというのは世界史はもちろん日本史にとっても不思議です。安直な結果論的説明で済ませられるほど簡単な出来事ではないと思います。アイデンティティーのために命を張ってきた武士がアイデンティティーを放棄しました。武家を廃するのですから武家としていわば究極的に無責任な生き方を選んだのです。 その豹変についての説明は真剣に成されるべきだと思いますので、自分の家の歴史を重んじる武家になったつもりでお答え下さい。 またその理解のために、(1)江戸時代の武士と、(2)明治初期の公務員と、(3)現代の公務員との違いについても歴史的変遷をまじえて、各時期の当事者の心理・信条がイメージできる形で教えて下さい。 よろしくお願いします。

  • 武士の歴史

    はじめまして。先日伯母がなくなりました。 49日法要も終わり、一息ついたとき80歳近い伯母とお話をする機会がありました。 私家の先祖は「人を切ったことのある刀」があったそうです。 その刀は何代か前の親族が質屋に入れてしまい売ったそうです。 いまひとつピンとこないのですが、家柄は「武士」だったそうですがそんな話をきいて少し気持ちが悪くなりました。 というのもここ最近体の不調だったり親類縁者の不和が絶えず「先祖の因縁?因果応報?」なのかなぁとか思ったりします。 そこで歴史に詳しい方にお聞きしたいのですが、 (1)「人を切ったことのある刀」を代々受け継ぐとはどういう家柄だったのでしょうか?例えば大昔死刑囚首切り執行部の職とか。。 (2)その様な刀を質屋にいれても価値があったのでしょうか? 刀自体人を切ったら使い物になるのでしょうか。 (3)現在不和があるのはそういう因縁があるのでしょうか? 伯母の言うこともなんとなく大げさな言い方だったのだ少し信じがたかったのですが「武士」と聞いて武士の階級にも色々あるのでしょうね。 どうか歴史に詳しい方お願いいたします。