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丁寧表現ですか、それとも謙譲表現ですか?

「私も参加させてもらってもいいですか?」 という表現は、(私としては、時として違和感を持つ表現なのですが、それはさておき、) 丁寧表現でしょうか、それとも謙譲表現でしょうか? 丁寧な表現だという方もおられるようなのですが、 私は「~させてもらう」というのは謙譲表現だと思うのです。

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回答No.2

参加させてもらってもいいですか? この文章を単語に分解すると、以下のようになります。 サ変動詞「参加する」の未然形(参加さ) 助動詞「せる」の連用形(せ)→ 単独では「丁寧」 接続助詞「て」 補助動詞「もらう」の連用形(もらっ) → 謙譲語なら、「いただく」か? 接続助詞「て」 係助詞「も」 形容詞「いい」の終止形(いい) 助動詞「です」の連体形(です)→ 丁寧 終助詞「か」 ということで、文法的な解説では、謙譲の意味にはならないことになりますし、 謙譲なら、 参加させていただいて良いですか? であるというもの正解です。 ただ、これとは別に、日常的なニュアンスとして、使役(上の分解なら「せる」がこれにあたる)を使って、自分を低める(ようするに謙譲)を表現することはよく行われています。 つまり、「自分は誰かに使われている→(仮想的な)誰かより下」というニュアンスで、謙譲表現をします。 ですから、 「私も参加します」(自分の意志として参加する)より、 「私も参加されてもらいます」(誰かに言われて参加する)が、より、謙譲的な表現になりますし、 さらに、「決定ではなくお伺い」ということで、 「参加させてもらってもいいですか?」は、より謙譲的な表現であるというのは確かだと思います。 ※この表現、自主性に欠けるという取り方もできてしまうのではありますが。

banzaiA
質問者

お礼

早速のご回答、ありがとうございます。 丁寧な解説をいただき、参考になりました。 ただ、一つ疑問があります。 >助動詞「せる」の連用形(せ)→ 単独では「丁寧」 助動詞「せる」というのは、文語で言う「す」でいいですね? この助動詞に「丁寧」の意味があったのですか? 私、不勉強で「使役」「尊敬」の意味だとばかり思っていました。 ここのあたりの解説をいただくとうれしいのですが、これはまた別の質問を立ち上げるべきなのでしょうか。 >「私も参加します」(自分の意志として参加する)より、 >「私も参加されてもらいます」(誰かに言われて参加する)が、より、謙譲的な表現になりますし、 >さらに、「決定ではなくお伺い」ということで、 >「参加させてもらってもいいですか?」は、より謙譲的な表現であるというのは確かだと思います。 よくわかりました。 ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • Ishiwara
  • ベストアンサー率24% (462/1914)
回答No.4

気持としては謙譲の意味を感じますが、文法では「具体的にそれを示す語句」がなければ謙譲扱いになりません。 例えば、態度や抑揚で示される感情表現は、文法では評価されません。 相手が目上の人やお客様であれば「させていただく」型がいいでしょう。 しかし最近は「させていただく」の使いすぎが目立ちます。状況にふさわしいかどうか判断して使うべきです。当然の職務として入場券をチェックする係の人が「拝見させていただいてよろしいでしょうか」と言うのは滑稽です。

回答No.3

No.2 訂正です。 > 助動詞「せる」というのは、文語で言う「す」でいいですね? > この助動詞に「丁寧」の意味があったのですか? この点ですが、とくに、「丁寧」という意味はありません。 どこをどう間違えたのか、たしかに、「使役」「尊敬」で正しいです。 訂正いたします。

banzaiA
質問者

お礼

やはりそうでしたか、安堵しました。 ありがとうございます。

  • tsunocchi
  • ベストアンサー率38% (30/77)
回答No.1

「~させてもらう」だと正確な謙譲語にはなっていないので 「~させていただく」が正しいでしょう。 文面のまま「私も参加させてもらってもいいですか?」では 「いいですか」の丁寧語の部分の方が強そうなので どちらかというと丁寧表現になるのではないでしょうか。 仮に「私も参加させていただいてもいいですか?」ですと 謙譲語もあり丁寧語もありますので どちらの表現とも言えませんが、 意味合いとして自らをへりくだっている様子が よく出ていると思うので謙譲表現としてのニュアンスが 強くなるような気がします。 もちろん僕は専門家でもなんでもないので ただの一般人としての見解ですが。

banzaiA
質問者

お礼

早速、ありがとうございます。 そうですね、「~させていただく」でしたね。 参考になります。

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