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京家長者

藤原氏に「藤氏長者」がいたことは知っています。 しかしこの前「京家長者」というのをネットで見ました。藤原「京家」の長者であることは推測できるのですが、そのような長者がいたのでしょうか。また、いたとしてどのような役割を果たし、いつの時代ごろまで存在していたのでしょうか。 さらに、他の「南家長者」や「式家長者」もいたのでしょうか。 京家ってちょっと影が薄いですが。

質問者が選んだベストアンサー

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  • fumkum
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回答No.2

お礼ありがとうございます。回答後も考えてみたのですが、「善勝寺長者」の用例があったことを思い出しました。六条修理大夫藤原顕季は白河院の近臣として有名ですがこの子孫は善勝寺流を称し、公家として明治期まで7家に分かれて存続しますが、この一族の長が中世に「善勝寺長者」として家の寺の善勝寺を管理するとともに、一族を統制したと思います。京家直接ではないのですが、参考に。 ただ、藤氏長者の権威と権限の強い時代に京家長者はあったのでしょうか。現在海外に長期滞在していますので関係書籍を見ることができません。来月初めにも帰国するので調べてみます。それまでには質問は締め切られることと思いますが、分かったならば追加をします。 いろいろと考えさせていただきありがとうございました。資料はないのですが勉強になりました。

admiral-Y
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございます。 なるほど、「善勝寺長者」の例は参考になりますね。

その他の回答 (1)

  • fumkum
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回答No.1

質問者の方も疑問に感じながら質問されていることと思います。結論から言えばいなかったと思います。 京家長者のスレも確認しましたが、南家の系統の公卿の高倉家を京家としたり、あまり信用が置けない内容です。また、京家は藤原冬緒以来公卿を出していませんし、そもそも京家は氏名(うじな)ではないので、ここから氏長者が出るとは考えられません。 次に藤原氏の氏の長者は当然藤氏長者ですが、この長者の権限で重要なものに氏爵(うじのしゃく)と放氏処分の2つがあります。氏爵は毎年長者が推挙した氏内の1名の正六位上の人物を、従五位下叙爵させることです。今一つの放氏処分は藤原氏から追放することですが、そうなると実質的に官人として存立できなくなりますのでかなり強力な権限です。この氏爵・放氏の対象者を見ると北家出身者だけでなく、南家出身者もいますので、藤原氏の氏長者は南・北・式・京家の藤原氏全体を統括していたものと考えられます。 以上、参考まで。

admiral-Y
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やはりいなかったのでしょうかね。

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