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甘えによってうつ病は発生するか?
僕は「うつ病の原因は甘えだ。」と思うのですが、よく詳しい方は否定しますね? インターネットで調べると、「ストレスが原因」ですか。 けどこれって「甘えによってうつ病は発生しない」という主張に繋がらないと思うのですが? 僕の考え。 ・人それぞれ、ストレスの発生原因や程度は違う。 ・どんな人でも、ストレスを感じうる。 ・過度のストレスによって、人はうつ病になりうる。 ・「ストレスを受けにくい性格」「ストレス耐性」は人それぞれ違う。 ・うつ病になりやすい人、なりにくい人がいる。 ・どんな人も生きている中で辛いことはある。 ・「なんとかして、ストレスを受けないようにしよう」と努力してる人は多い。 ・「甘え」は、「辛い原因を自分の外に認め、自分を正当化する行為」である。 ・「甘え」って、「ストレスを増幅して自分にぶち込む行為」なんじゃないの? ・逆に「愚痴る」「物に当たる」等の「ストレスを発散する行為」でいいのでは? つまり「甘え」によって、うつ病に自ら近付いているんじゃないかな?と思うのですが。 もっと言えば、「うつ病は甘えじゃない、なってない奴は分からない」とか言って「甘える人の正当化」をして良いの?と思います。 誤解防止のため。 ・僕は甘えが悪いと言っていません。 ・甘えがうつ病を産むのでは?と言ってます。 ・「うつ病なんて言いやがって甘えるな!」とは思ってません。 ・「意識的にストレス発散している人は立派で、正しい。」と思ってます。 ・もっと言えばそういう人は評価されるべき。と思う。 ・甘え以外によってうつ病になる可能性については、今回は興味ないス。 というわけで、質問。 【甘えによってうつ病が促進すると思いますが、どうなんでしょうか?】 なんでこんな質問するの?みたいな逆質問はやめてくださいね。 質問する理由は、うつ病予備軍に対して「うつ病は甘えじゃない」とか言う主張が非論理的と思うからです。「なった人にしか分からない!理解を!」とか布教乙と言いたい。「うつ病になってない人は、積極的に甘えてはいけない。甘えても上手くいかないことは解決しないし結局うつになるだけ。」と思ってます。
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- manmanperopero
- ベストアンサー率0% (0/0)
【甘えによってうつ病が促進すると思いますが、どうなんでしょうか?】 【促進する】、と思います。 「うつ」は状態であり、誰にでもなりえます。 「うつ病」は病名であり、診断による結果です。 医者によって診断結果は違うし、脳内のセロトニンがどうとか、じゃあなんで薬飲んで治らないのとか... そもそも本当に存在する病気なのか怪しい病気です。 「うつ病」という言葉の存在を知って、「自分もうつ病なんじゃないか?」が、うつ病発症の流れです。 「うつ病」に甘えることによって、「うつ病」という信仰に逃げるのです。 質問者様の「布教乙」というのは、非常に的を射た表現だと思います。 ただし、逃げることは自己防衛機能のひとつであり、必要なことである、というのは理解していただきたいです。 また、「うつ」の兆候はあったとしても、「うつ病」発症のキッカケの大部分は、マスコミウイルスとインターネットウイルスによるものである、というのも理解していただきたいです。 「うつ病」という言葉が広まらなければ、「うつ病」も広まりませんでしたから。 強い性格の人ばかりではありません。 自分を守るために、嫌なことから逃げる場合も時には必要です。 私だって面倒くせぇ時は、有給とって温泉行きますからww
- odvanscale
- ベストアンサー率37% (19/51)
まず、質問者さまなりの「甘え」の定義を示していただけたらと思います。 あいまいな言葉ですから。 厳密に言えば、人間甘えていない人はいません。 依存してない人はいない、ということです。 ここで他人に解を求めるのも甘えと言えてしまうかもしれません。 まず、甘えとはなにか、をよく定義してください。
私は病気ではありません 私もあなたと同じ考えでいました でも違う 私は鬱の人と知り合いになりました あなたが考えているようなものではない あなたも知り合いになるとわかると思いますよ
- hunaskin
- ベストアンサー率30% (1854/6060)
・「甘え」は、「辛い原因を自分の外に認め、自分を正当化する行為」である。 これは質問者様による定義ですね。 外部に原因があって辛い場合も精査することなく「それは甘えだ」というのも簡単なことですが、そのような使われ方をした場合、質問者様の仮説は成立しないことになります。 術語(として扱いたいなら)は慎重に選択し定義しましょうね。 ・「甘え」って、「ストレスを増幅して自分にぶち込む行為」なんじゃないの? 単なる仮説ですね。論証も実証もされていない思いつきの段階です。 そもそも「甘え」についても「ストレス」についても「自分」についても「ぶち込む」についても明確な定義が提示されていません。 ・逆に「愚痴る」「物に当たる」等の「ストレスを発散する行為」でいいのでは? 問題に対してひとつの解決法が全てに対応できるわけではありません。 また、その解決法が有効であるかついて考察がありません。思い込みがあるだけです。 「物に当たる」のは社会的、道徳的に問題があります。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
>「甘え」って、「ストレスを増幅して自分にぶち込む行為」なんじゃないの? ここの部分の論理展開がされていないので、甘えがどのようにウツの発生につながっていくのかの説明になっていません。 一般論ではないことを主張するならもっと丁寧な説明が必要じゃないでしょうか。
- louisboot
- ベストアンサー率44% (13/29)
自分も精神疾患を患っていたので理解はありますけど、 あなたの言っていることは正しい部分もあると思います。 どこが正しいかというと、 外に原因を作っていると言っている部分です。 人のせいにしていては良くなりません。 外に原因を作っていると一生外部に症状を左右し続けられるからです。 もし人のせいにしていたのだったらどこかで断ち切って、 自分で責任を持たないと良くはならないと思います。 ただ、それが甘えと言えるかどうかはよく分かりません。 そもそも甘えという言葉自体ものすごく広い意味を持っていますし、 頑張りすぎてなっちゃう人もいると思いますから、 必ずしも甘えるからなるということが正しいとは思えません。 周りに迷惑掛けないように掛けないようにと生きてきた結果、 ストレスを溜め込んで発症してしまう人もいるのです。 誰しもがストレスを発散できるタイプかというとそうではないと思います。 あなたは、≪・僕は甘えが悪いと言っていません。≫と言いながら、 ≪・意識的にストレス発散している人は立派で、正しい。≫と言っていますね。 暗に甘えてる人間が悪いと言っているように聞こえますよ。 別にあなたのような意見があってもいいと思いますが、 どっちが素晴らしくてどっちが悪いなんてことはありません。 みんながみんな同じように生きれるかというと、 そんなことはありませんからね。 そういった偏ったものの見方があるから、 「なった人にしか分からない!理解を!」 と声を大にして言うのではないでしょうか?
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
鬱は心の持ち方、或は考え方の癖、或は物事の受けとめ方、或は物事の見方によって、自分自身を否定的に見てしまう事によって発症しています。 言い方を替えるなら、同じ目の前の環境を、ストレスにしてしまって、受入れられない事にしてしまう事が鬱の原因と考えられます。 鬱が治ったという場合、環境はそのまま同じなのに、その人の受止め方が変わる事を意味します。そうなる要因としては、貴方が言うところの『世の中に甘えている』という見方も出来るかも知れませんが、本人にしてみたなら『何が原因か』という本当の理由は分りません。 従って、同じ甘えとしても、本人の考えている甘えと、他の人が感じている甘えは根本的な違いが在ります。 どちらにしてみても、健康を回復した場合には、如何に過酷な現実であっても『受け入れる事』が人生を生きることに相当しますので、現実を受入れる工夫をする事以外には健康的に生きる事に繋がらないと思います。 鬱の原因は『今の現実に、受入れたく無い事を抱えている事』と思います。それは環境というより、自分自身を受入れられない事を意味していると感じます。 利口な自分、馬鹿な自分、かっこいい自分、かっこ悪い自分、全ての自分に疑いを持って、自分を許せなくて自分を受け入れられない事が『心の根底に存在している』事、言い換えるなら『心の矛盾』が全ての原因となっていると感じます。 甘えと云う事とは次元を異にしているが、甘えがその原因となっているという『矛盾』を抱えていると感じます。
あなたは馬鹿ですね。 低脳、とも言えます。 鬱病の知識が浅い人間が、鬱病の何を語れるというのですか? 自分でも理由の解らない恐怖で気が狂いそうになり、両親の手を握っていなければ眠れない己の姿の惨めさに流す、悔し涙の重みが少しでも解るつもりでいるのですか? 「うつ病は甘えじゃない」は非論理的? 単にあなたの価値観と照らし合わせて納得できないから批判したいだけでしょう? そんなものは論理的でも何でもありません。 あなたの疑問は根拠が弱く、意見も聞き飽きたステレオタイプ。鬱病への知識も、苦しむ人への考察も浅すぎて、論評にすら値しません。他人の意見を非論理的だのどうのと言う前に、少しは論理的な文章を書くための勉強でもするんですね。 鬱病には、様々な理由が複合的に作用して罹ってしまう場合が普通です。それを無視して「甘え以外によってうつ病になる可能性については、今回は興味ないス」ですか。自分の無知と馬鹿をさらけ出しているようなものですよ、それじゃあ。 あなたの周囲に、鬱病を利用して楽をしようとする患者がいたのかもしれません。 ですが、その人の場合も、実際に何らかの症状に苦しめられていれば、新型鬱病や非定型鬱病として、鬱病のカテゴリーに入る可能性があります。 これには反対意見もあり、新型鬱病は鬱病ではないと主張する人もいます。 理由は、従来型のいわゆる「大うつ病」とはタイプが異なるからです。しかし、時代の変遷、価値観やライフスタイルの変化に伴って鬱病の在り方も変わってきたのではないかとの指摘もあり、これは精神医学の世界でも、鬱病として認めるか否かの意見が分かれている難問です。 せめてその程度のことは知った上で質問をしてほしいものです。少なくとも、ただの暇人が偏見を助長する愚行は慎んでいただきたいですね。 底の浅い物の見方で、苦しんでいる人をさらに苦しめる布教行為には、とてもとても乙とは言い難いです。 意見というものは、知識を得て、様々な角度から検討し、熟考することで説得力を持ちます。 もう少し考えを練りなさい。落第点です。
- cibone
- ベストアンサー率25% (89/350)
うつ病暦10年以上という人が知り合いにいます。 確かにその方は、依存的(依存=甘え)でした。 その方からよくメールをいただきましたが、そのメールから、その方独特の特徴(人格的な傾向、特徴)を感じられずにはいられませんでした。 とくかく、健康な人と比べて非常に執着的というか、さっぱりしていません。 さらっとしていない、あっさりとしていない。 又、その方には奥さんがいらっしゃるのですが、奥さんがご自分のうつを理解しない、というようなことをよくこぼしていました。 「ありがとう」という言葉がほしかったようです。 彼はいたわりを欲していました。 完ぺき主義というか、一生懸命自分の思いや考えを割りと長々しく書いてきます。 そして、「自分の思いをわかって!」という欲求が背後に感じられます。 しかし、それは、うつ病という状態だからこそ起こりえる性格傾向なのではないか、と考えることもできます。 というのは、やはりうつ病、うつ状態にある人というのは、感情的に、いてもたってもいられないくらい苦しく辛いのです。 だから、どうにかしてその感情や気分を癒したいと思うので、その感情や気分を、人の言葉やコミュニケーションを通して、或いは何かリラクゼーションにつながるものを通してなんとかしたい、という気持ちがどうしても強くなるようなのです。 例えば、おなかが痛くてしょうがない、歯が痛くてしょうがない、というときに、誰か助けて、、と言いたくなるみたいなもの。 そして、うつ病の人は、とにかく「いい加減」でないので、すごく頑張ってしまうようです。 私から見ると、その「頑張り」は「承認欲求」が元にあるという風に解釈できると見ていました。 そして、うつ病の人は、性格的なものが原因にあり、それは子どもの頃などに、逆に甘えられなかった人も多いのではないかと思います。 それで、その甘えが成人後も欲求として残存しつづけ、結果的に甘えている人なのではないかと思います。 質問者様は、「甘え」という言葉を否定的ニュアンスで捉えるのではなくて、否定でも肯定でもない中立的な捉え方からの、「うつは甘えに起因する」理論は、良いと思いました。 うつ病の人は、すごく頑張るのですが、「こんなに頑張っているのに、上司に酷い言い様をされた!」というような認知でいるので、同じストレッサー(ストレスの原因となる外的刺激)が、うつになるまでのストレスになる可能性もあります。 しかしながら、外的要因、刺激が、誰から見ても酷い場合もあるし、そういうケースは、本人の甘えとも言いきれないし、それから、うつの人は自信がない、というメンタリティがあるとか、自責傾向が強いというのもあるようです。 私なんかは、うつ病になりにくいと思いますが、それは、相手が悪い、として喧嘩してしまい、その後もさっぱりしているところがあります。 うつ病の人は喧嘩したり、相手が悪いと思わない傾向があるかと思います。 だから他人のせいに出来る人ではないかもしれません。 ただ、私の知り合いだけが、うつ病性格ではないので、その人その人をよく見て、一概に一般化すべきでないとも思います。
- d194456
- ベストアンサー率27% (423/1524)
うつ病理解者の常識とは反対の意見を書かれたので、あなたの勇気に拍手します。 「甘え」が何かによって、意見が割れるものだと思います。 あなたの『「甘え」は、「辛い原因を自分の外に認め、自分を正当化する行為」である。』との意見であるなら、あなたの考えの通り、うつ病は促進するか、長引くかだろうと思います。 「何も好きでうつ病になったのではない」の言葉が多いように、自分の努力で改善する気配の見えない人が多過ぎます。 落ち込んでいるので何も出来ないと言う人も多いですが、行動しなければならないなら動く身体です。 と言っても、何でも出来る意味ではないので誤解しないで下さい。 「甘え」におんぶして、何時までも大切に扱っている人が見えるのも確かですね。 「辛い原因を自分の外に認め、自分を正当化する行為」を常習にしている人は、自分が苦しむことになる、と教えてくれたのもうつ病を治す精神科医の言葉です。 医学の知識は最新のものを用いないと、的外れになることが多いものです。精神医学などは、進歩が早すぎ、新しい知見に触れるようにしないと遅れてしまうものでしょう。
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