- ベストアンサー
清め塩廃止論は逆差別なのでは?
今日、市から家庭向け人権啓蒙パンフレットを配布されたのですが、その中に納得いかない表記がありました。 おじいちゃんがお葬式に行った帰りに清めの塩を撒こうとして、それを孫が「何故そんなことをするの?」と聞き、穢れを祓う意味があるんだよ、とおじいちゃんが説明すると、それじゃ死んだ人は穢れてるの?と聞かれておじいちゃんが絶句してしまう・・・そこから説明文が入って ●浄土真宗では死は不浄ではないとして、 お清めの塩を使う必要は無いと説いている。 ●ある意味この行為は死者への冒涜で、差別意識を産む。 ●不浄だとか言う事は、全く意味の無い昔ながらの迷信であるのだから、廃止するべき問題である。 と言う旨の文章が載っていて、最後のコマでおじいちゃんが、差別に繋がるから、今度から塩を撒くのは止めようね!と言うシーンで終わっていました。 でも私自身は家が代々の神道で、普通の行為として塩払いをしておりましたし、葬儀の後に塩を撒く行為は「古事記」で、イザナギが黄泉の国で腐敗した妻の姿を見て逃げ帰った後、黄泉の国から身にまとってきた様々な禍つ災いを、海水で禊払ったという事に起源しているのだと教えてもらった事がありますし、要は死者や葬儀が穢れではなく、死者のあるところに穢れが集まり、その穢れを寄せつけないが為に塩で祓いをする・・と言うことなのだと解釈しております。 塩撒く行為をする、しないは各人の考えであり、色んな考えの方がいて当たり前だと思います。それに、大多数が仏教を信仰としている日本国内において、神道は確かにマイノリティであると認めざるをえません。しかし、それをこう言った公的な文章に著し、それを迷信で全く意味の無い行為、廃止すべき行為だと明言するのは、逆に差別を産むことになるのではないでしょうか?皆さんのお考えをお聞きしたくて、質問させていただきます。何卒宜しくお願い申し上げます。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
清めの塩問題は、以前からあちこちで話題になってます。 「お清め 塩」で検索してみてください。自治体で、こういう案内を出しているところは複数あるようです。私の推測では、お清めの塩がもともと神道の習慣であることから、「神道の風習を日本の標準的な風習にしたくない」と思っている自治体では、そういう方向に話が進むのではないかと思います。「右よりか左よりか」でいえば、左よりの自治体ということです。いってみれば、卒業式で日の丸を掲げて君が代を歌う、のと反対の方向性なのかも。 以上、わたしの妄想です、気のせいかもしれませんが。
その他の回答 (6)
- castella
- ベストアンサー率43% (33/76)
我が国の伝統文化を理解できず、否定することにやっきになっている人達の作り出した「差別」ですね。 私はお清めっていうのは死という凶事を排除して、生きるという本来あるべき姿に戻すことだと思います。 いろんな考え方があっちゃ困る人達がいるんじゃないでしょうか。 だいたい、どっかの楽園じゃあるまいし、そんな押し付けは本当に困ります。 古来より我が国に備わっている寛容性こそ理解するべきでしょうね。 逆に問題化してやったらどうですか?
お礼
お返事遅くなりまして、大変申し訳ございませんでした。 メモ帳に下書きをしてそれを貼り付けていたもので、迂闊にも最後にこちらの方へのお礼を貼り忘れてしまい、不愉快な思いをさせてしまったのでは・・・と、心苦しく思っております。本当に申し訳ございませんでした。 >私はお清めっていうのは死という凶事を排除して、生きるという本来あるべき姿に戻すことだと思います そうですね。何時までも喪に服している事は人間には出来ません。そこから一歩踏み出してしっかりと生きていけるためにも、そのスィッチングとしての塩祓いの意味があるのかもしれません。参考になりました。 >逆に問題化してやったらどうですか? 取りあえず、市にメールで陳情と、掲示板に書き込みをしたのですが、消されてしまいました・・・(涙) でも、小さな声でも叫んでいると、誰かが耳を傾けてくれると信じて、草の根運動で身近な人間に話をしていきたいと思います。 本当に有難うございました。
- tan777tan
- ベストアンサー率15% (35/220)
何かいっぱい言われそうですが、私の思うところを話してみます。「死」「死んだ人」を忌み嫌う、それに接した人は忌み嫌われる、汚れている。だから「浄め」が必要どと思うのでしょうね。この考えの源に「神道」があってそれに対する仏教が・・・・・、わたしには嫌な響きです。 「死」「死んだ人」が汚れているとは思いたくありません。今までともに活きていて、これからもともに活きていきたいです。その人を汚れているとは思いたく無いのですが、
補足
お返事、有難うございました。 >何かいっぱい言われそうですが いえ、別に何も言う事はありませんよ(苦笑)と言うか、このことについては先の質問文に書きました通り、色んな考えの方がいて当たり前だと思っておりますので、tan777tanさんのように、不愉快だと思われる方がいる事も、十分理解いたしております。 ただ、先の質問文にも書きましたが、色んな解釈(例えば#7さんのように、再生を意味すると考えられる方もおります)がありますが、決して死んだ方を忌み嫌ったり、死を忌み嫌ったりするのではなく、死を通して寄ってくる死者に関係無い禍霊を祓う為に行う事だと思っておりますし、下記の#4さんのHPから引用するならば 『神道の場合、葬送にともなうけがれとは、死にいたる事故や病気などの経緯や、そこに発生する悲しみ、苦しみ、さみしさなどを禍津毘(まがつび)の禍事(まがごと)と考えます。そして私たちの祖先はそれをはらいやるひとつの形として塩をつかってお清めをする、これが民族的な習慣・習俗として無意識のうちに続けられてきたのです。』と言う一文に、よく著されていると思います。 そう言った意味で、ご理解いただけたら有難いと思います。(相互理解により、互いの差別意識は薄れると思いますので・・) ただ、今回の私の質問は塩祓いの是非ではなく、それを行政が、全くの迷信だと断言し、それを公文としてパンフレットに掲載をする、と言うことは如何なものだろうか?と言う事なのですが・・・その点について、tan777tanさんは如何お考えでしょうか?是非お聞かせ願えたらと思います。
- dora1
- ベストアンサー率50% (263/518)
#4です。たびたびすみません。さっきのURL読んでいたら、わたしとは別の妄想(笑)について書かれていました。こっちが真実に近い妄想(笑)なのかもしれません。ご判断はお任せします。
- 134
- ベストアンサー率27% (162/600)
親父が死んで、新規の場所を購入したので、管理するお寺を変えたのですが、それ以前は、浄土真宗のお寺にお世話になっていました。 が、清めの塩は、使っていました。 宗教にあまり詳しくはないのですけど、sophia35さんやshigureさんのように、清めの塩廃止論は、行き過ぎだと感じます。
お礼
回答有難うございました。 >清めの塩は、使っていました。 浄土真宗の方でも使ってたんですね。そう言う教義なのかと思っておりました。 これも誤解の一つですね。申し訳ございません。 本当、色んな考え方があるはずなのに、廃止論は行きすぎだと私も思います。
お葬式の後に塩を撒くのは宗教儀式なので、行政が介入するのは、憲法で保障された宗教の自由を侵害すると思いま~す。 そんなバカなこと言ってる市はどこですか?
お礼
回答有難うございます! >そんなバカなこと言ってる市はどこですか? ・・・北九州市です(涙) >お葬式の後に塩を撒くのは宗教儀式なので、行政が介入す>るのは、憲法で保障された宗教の自由を侵害すると思いま>~す。 そうなんですよね。市政便りや県民ニュースと一緒に回覧板に入ってきたので、おかしいなと思って市に問い合わせたところ、福岡県人権擁護センターと言うところが作ったパンフなので、実際に行政とは関係が無いと言われちゃいました(涙) それにしても、一体どう言う根拠で、人権と塩祓いが関係するのか・・・本当に謎です。
私も、浄土真宗ではそのように説いているのは知っていましたが、誰も彼もやめるべきなんてのはおかしいですよね。 死んだ人とは別の不浄霊が付いて来てたらどうするんでしょうね。 そんなアホなこと言ってる市はどこですか?
お礼
早速のお返事、有難うございました! >そんなアホなこと言ってる市はどこですか? 北九州市です・・・ そうなんです。浄土真宗がそう言う風に言っているって言うのは、私も新聞などで見たことがあるので、知っていました。でも、自分の宗教の教義と合わないから排他するって言うのはおかしいですよね。 >死んだ人とは別の不浄霊が付いて来てたらどうするんで>しょうね そうですよね。私の友人で霊感の強い女性がいて、この方は禅宗なのですが、必ず葬儀には塩を持参しているようです。宗派を超えて、塩には浄化作用があるのでしょうね。
お礼
回答有難うございました。 参考のHP、拝見させていただきました。 この話のパンフも私、見た事があります!!とても参考になりました。また、お返事を書いた後にゆっくり拝読させていただきたいと思います。 『お清めの塩がもともと神道の習慣であることから、「神道の風習を日本の標準的な風習にしたくない」と思っている自治体では、そういう方向に話が進むのではないかと思います。』 なるほど!それは何となく分かります。今、現在の世の中の認識では、神道=天皇崇拝=戦争賛成(右翼)という図式も成り立つ時がありますからね。 家は昔は公家で、しかも禰宜職についていたこともある古神道の一派なので、それこそ先祖代々・・と言う言葉が当てはまるのですが、東方礼拝(アマテラス礼拝)などは新興宗教と間違われることもありますし・・・こうなると政治が絡んでまいりますから、一絡げで宗教として考える事は難しくなってまいりますね。 でも、このHPを見て、浄土真宗=廃止論なのかと思っていましたが、同じ浄土真宗の僧侶の方の中にも、 『僧侶は使いませんが、檀家にそういうこと(使うなとか迷信だとか)は言っていない。浄土真宗各派すべてが「清め塩」「小刀」を排撃しているととられると心外だ。』とか、『高田派ではその手の僧侶がいて周囲に迷惑かも知れないので公式HPは開設していない。抗議されるのが宜しいと思う。ましてや行政がそのような冊子を配ることは変である。』と言う文を寄せているの見て、認識を新たにしなければと思いました。 本当に、良いHPをご紹介いただき、有難うございました!