• ベストアンサー

お礼の文には、質問者の本質が表れやすいものですか?

お礼の文には、良きにつけ悪しきにつけ、その質問者の本質が表れやすいものだと感じることがありますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Nannette
  • ベストアンサー率26% (1499/5698)
回答No.8

 感じます。  たとえ短い文章であっても、そこにはなにかしら書いた人の本質が見えるものです。質問文はそれでも、一応儀礼的にも丁寧な文章にまとめようとする、それはことに日本人に共通したひとつの本質だと思うのです。  ところが同じ文章でも、お礼ともなると、まず幾分気が緩みます。なぜなら、書き込む内容がかならず寄せられた回答に対してのものであるために、書き込む側にとって書き込む内容があらかじめ明快に頭に浮かぶからだろうと思います。  まして、質問や回答の書き方には結構厳しい管理スタッフの目も、なぜかお礼の文章にはあまり規約に拘泥していないようにさえ見うけられますから、自然、書き込む内容も、そして文体も、さらには誤字脱字や誤った言葉遣いなどにも、全体に気楽さが、言葉を変えれば、スキが滲み出るものです。そして、そこに、書いた本人の本質、つまり、知性や性格、社会性やマナー意識、そして思い込みや思い入れなどと、いわゆる…人となり…が透けて見えるのだと思います。

sleeveless
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 人にものを尋ねるのですから、質問文はその尋ねたいことを書くし、そこにはあまり感情を入れないということでしょうね。 手紙文での時候の挨拶もそうですし、討論会での最初のテーマ説明でも同じように儀礼的に始まりますから。 その次に回答をもらうと、回答文に対して感じたことが加わるので、例え「お礼」という項目ではあっても、それだけに留まらない感情が、その人の本質から表れてしまうのも無理からぬことでしょうし。 気が緩むということは、本質を隠そうとする防御機能が緩むことでもあり、いろいろな「人となり」が出やすくなりますね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (12)

noname#127738
noname#127738
回答No.2

あります。丁寧に教えてくれる方もいますし、訳の分からない事を書いてたりする方もいます。やっぱり文章には、その人の本質は表れると思いますよ・・・

sleeveless
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 みなさんのお礼文を拝見していると、丁寧に書かれている方、質問文に比べて極度に訳の分からない文章になっている方など、いろいろあります。 質問文でもそういうことはない訳ではありませんが、お礼文の方がその傾向が強い気もします。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

そんな気がします。 質問文は丁寧な文章だったのに、 回答が気に入らないと不躾な文章で そんな回答は求めていませんとスパッと ブッた切られることはたまにあります。。。

sleeveless
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 気に入らない回答に対して、そのようなお礼文を書く人もよく見受けます。 そんな回答は求めていませんとスパッとブッた切るというのには、その人のどのような本質が出ているということになるか・・・ 不躾さというのも、その一つでしょうか。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 質問文よりお礼の方がたくさん書けるのはなぜ?

    質問文が800字で、お礼が1000字ですよね。なぜお礼の方が文字数に余裕があるのでしょうか?

  • 本質が見えるという表現について

    本質 【が見える / を見る / を見抜く / を見極める】 という視覚表現を使った言い回しを、慣用的で身近だと思い何気なく使っています。 ある形而上的事象について 「本質は何か」 と質問されたとき、「本質とか、わかりませんが、視える展望があったならむしろ懐疑します」と答えました。 文は、仮定を疑う形をとっていると言えます。 順当に読めば、"何かと問われても本質が有るか無いかでいえば無いかもしれず、仮にその本質が有るとしてもその本質は見えないのではないか、本質が見える展望はないだろう、あるとすれば疑わしい展望だろう" と伝わると思われます。(視の表記を使っているのは、見抜く・見極めるに引き寄せた印象がこの字形にあったからですが) しかしながら、質問者から「本質が見えるなどと言ってない」という意外な反応を引き出してしまいました。 さらに、「ことの本質が”見える”というような言い方をすること自体?マークで考えもしてなかった」と言わせてしまいました。 これはどういう齟齬なのでしょうか。わたしの文の表現に分かりづらさがあったのでしょうか?  どういう分かりづらさに由来するのでしょう? (もちろん、形而上学の質疑応答に無理がない教養を前提にしています。)

  • お礼の文について。

    お礼の文について。 目上の方から、励ましの言葉を頂いたのですが、 お礼の文に「お励みの言葉ありがとうございます。」っておかしいでしょうか?

  • 自信のない質問文とお礼の文

     日本語を勉強している外国人です。作文の上達の望んでおります。質問文とお礼の文を書く時に、自信のない文章がありますので、添削していただけませんか。 1.「あの人は万年ヒラの安月給取りで、会社でも気楽なもんね。」この文にある「もん」のニュアンスを聞きたいので、『「もん」はこの文章の中でどんなニュアンスが伝わってきたのでしょうか。』で聞いたら一般的なのでしょうか。(「もん」のニュアンスは別の質問文ですでにすっきりしました。質問文の書き方だけ、困っています。)  ネイティブの方に、「×どんなニュアンスが伝わってきたのでしょうか。」、「○どんなニュアンスが伝わってくるのでしょうか?」、「○どんなニュアンスが伝わってきましたか?」のような添削をいただきましたが、私の文のどこが不自然なのか知りたいので、教えていただけませんか。 2.私の質問に答えてくださったほかに、私の質問文も親切に添削してくださった方にお礼を言う時に、「質問文の添削にも感謝します。」なのか、「質問文の添削も感謝します。」なのでしょうか。 3.私の質問に答えてくださった以外に、言葉の語源までの補充知識も教えてくださった方に、「言葉の語源も大変いい勉強になりました。」と「言葉の語源からも大変いい勉強になりました。」のどちらの方が自然なのでしょうか。 4.「を大変いい勉強になりました」なのか、それとも「が大変いい勉強になりました」なのでしょうか。  たとえば、「この言葉の使い方を大変いい勉強になりました。本当にありがとうございました。」と「この言葉の使い方が大変いい勉強になりました。本当にありがとうございました。」と、どちらが自然なのでしょうか。  日本語を何年間も勉強していますが、まだ文章がうまく書けません。質問文の中で不自然な表現があれば、それも併せて指摘していただければ助かります。よろしくお願いします。

  • 本質とか根本

    本質的な問題 物事の本質を見極める 根本的な原因 上のはただの例ですが本質や根本とか文に入るとわかりにくくて しょうがないです。 本質や根本ってわかりやすい言葉で言えばどうなりますか? 読んだり聞いたりしてれば何をさしてるかはわかりますが そもそも本質とか根本って何って思います。

  • 質問に対するお礼について

    質問に対するお礼に関しては賛否両論あると思いますが、質問を投稿して回答が何通も寄せられているにも関わらずお礼もせず回答を締め切ったり何時まで経っても放置している方が多く見受けられますが良心や常識を持ち合わせていないのでしょうか? 小さい頃に教わらなかったのでしょうか? 他人にしてもらった事に対して必ずお礼を言いましょうと・・・・ 勿論、お礼目的に回答をしている人だけでは無く自分が知っている事を教えてあげる事を楽しんでいる方もいらっしゃると思いますが、誰でもお礼を言われて悪い気がする人は居ないと思います。 だったら一言お礼を書き込むべきではないかと思います。 私個人としては質問した内容に対していろんな方が回答や持論を書き込みをしていただいている以上、その書き込みに対してお礼をするように心掛けています。 以上の事を書くと中には『自分だってお礼率100%じゃ無いだろ!』等の書き込みをする人が出てくると思いますが、私の場合は同一人物による複数回の回答にはまとめて回答をしていますし、人の質問文の揚げ足を取った内容の書き込みや重箱の隅を突っつく書き込みは無視していますので決して100%にはなっていません。 皆さんは質問文に対するお礼に関してどのような意見があるのでしょうか?

  • お礼の文が何かしっくりこない

    物々交換をしていて、無事品物が届きました。 お手紙も同封してもらいました。 それで、それのお礼をしようとメールを考えたのですが、 丁寧な梱包やご対応に加え、お手紙も同封して下さりありがとうございました。 ここの文が何かしっくりきません。 これで大丈夫でしょうか?

  • 質問のお礼について

    OKWEBで質問して、色々回答してもらい すごく助かるんですけど、回答に関するお礼の文を書く時にどういう文章を書こうか悩んだりするんでw 毎回、参考になりました!ありがとうございました。 程度にしてるんですけど。 この程度でいいのか それとももっと具体的に内容書いてお礼する方がいいのか 教えて下さい。何か変な質問ですけどw

  • 「定型文ならお礼を書かなくてもよい」という人たち?

    「定型文のお礼なら、何も書かない方がいい」という趣旨の回答を見かけますが、どういう人なんでしょうか? 子供には、親切にされたら「ありがとう」といいましょう、と教えますよね? この「ありがとう」は、さまに定型文。 大人だって、「助かった。すまなかった。ありがとう。」とかも、定型文として使われます。 声や表情だって、心の中までは見えません。 定型文のお礼だとしても悪くないと思うけど、というか、むしろ言う方が普通で、定型文でもお礼がほしいという人の方が多いと思います。 仮に、「3割の人が、定型文でもお礼がほしい」としても、3割の人に対して、「お礼は別に書かなくてもいいんだよ。」という回答は、失礼じゃないでしょうか? それを見た人も、「ああ、お礼は別に言いたい人だけが書けばいいだけで、書かなくてもいいのか。」と、思われてしまうのでは? 「親切にされても「ありがとう」は、言いたい人だけがいえばいいし、言わなくてもいいんだよ」と、みんなに言っているように聞こえるのです。 「お礼はほしい、お礼を書いたほうが良い」と思っている人たちと、「お礼は別に書かなくてもよい。」という人たちでは、何が根本的に違うのでしょうか? 少なくとも、いかなる理由であれ、定型文だろうが、お礼は書かないより、書いたほうが角が立たないという常識が、もう食い違っているのでしょうか? 「どういう人たちなんだろう?」とちょっと謎なので、想像でも良いので、おねがいします。

  • 本質を見抜くには

    これは難しい質問です.ずばり「ものの本質を見抜くにはどうしたらよいか」です. 私は,大学院で情報数学を専攻していますので,勿論自分なりに本質を見抜くということを追求してきたつもりです.ただ,それはノウハウとして体系化されていないですよね.最も,体系化できるのであれば,苦労しないとも思いますが.私が考えるに, 1.わからないことを自分の脳の中で繰り返し反芻すると内容がほどけてきて,本質の発見などに結びついたりする. 2.物事を批判的に見ることにより,駄目な点を洗い出す.これにより本質をつかむためのきっかけが見えてくる. 3.紙に図形的に書いてみて,自分の理解度を試してみる. などでしょうかね.しかし,こう書いてみると当たり前ですね(笑).他に何かあるのであれば,意見をお願いいたします.