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私は常々不思議に思っているのですが、ブータン、ネパール、中国の少数民族
私は常々不思議に思っているのですが、ブータン、ネパール、中国の少数民族チベット族ウイグル族等辺境の地に暮らしています。あのような所にもともと住んでいたのか他の民族に追われて仕方なく定住したのか教えてください。 ヨーロッパでもロマ人等少数民族がいます。長い人類の歴史でどのように現在の民族(国家)が形成されてきたのか教えてください。
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1つには、気候条件があります。 人に限らず、生物種は、異なる環境条件に適応することで 種分化します。 たとえばブータン人は、ヒマラヤの南斜面に暮らしていますが、 そこは、温帯モンスーン地帯で雨が多く、亜熱帯にありながら 標高によって気温も温暖なので、日本と同じジャポニカ米を 主食にしています(下の平地のインドではインディカ米)。 さらに、同じブータンでも、標高3千m以上では、高山植物を 主食とするヤクという家畜を遊牧する、チベット系住民が 暮らしています。 ただし、「追われてそこに住んだ」のではないかと言えば、 実は、ブータンのゾンカ語では、数を「チィ、ニ、スム、シ」 と数えるように、雲南からヒマラヤ沿いに移住して来たと 考えられています。 ちょうどそのラインは、温帯モンスーン+常緑照葉樹林帯で あり、同じ環境条件をたどって移住するのは、自然な事です。 そして、なぜ「移住」したかといえば、この「地帯」の中心地 である中国江南地方は、三国志の「呉」のあたりであり、 ずっと南北から挟撃されて(北は北京あたりの勢力、南は 呉越同舟の「越(越南と書いてベトナム)」)、東西に流出した のです。 日本では、中国から伝来した文物に、その国名をつけており (漢字、唐茄子etc.)、織物で有名だった呉に由来する服を 「呉服」と呼びますが、ブータンの民族衣装(日本のドテラ似) も「ゴ」と呼ばれています(アイコンで僕の着ている服)。 「東西に流出した」、西の端がブータンであり、東の端が日本 なのです。
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ブータン、ネパール、チベット族に関しては 別に迫害された歴史もなく、 様々な歴史の中で定着したように思います。 最近で言えば、チベット族が中国共産党の迫害に あってインドの山岳地帯に移住してきています。 (高地になれた民族なので低地の暮らしは辛いそうです) ネパールなどにもさらに少数民族がいて、 農耕中心、商業中心などさまざまな民族が点在し、 村の道路一本隔てて上はチベット系、 下はネパール系と別れているケースもあります。 ウイグルについては、 中国史の中で3000年くらいの間に 追ったり、追われたりという歴史を繰り返しています。 史記などの歴史書にはそういう記述があります。 この辺はペルシァ帝国やトルコ帝国の歴史なども みていかないとなんともいえないかもしれませんが。
お礼
早速、ご回答をいただきありがとうございます。 歴史書の中に現れる以前に長い人類の歴史があると思いますが、力の強い部族に攻められて生命の安全を確保できる辺境の地に済んだのではないかと私は思いました。 分かれば色々教えてください。