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人に迷惑をかけない子どもを育てるということ
他人に迷惑だけはかけないように、と親から常々言い聞かせられて育った子どもは、 他人からかけられる迷惑に対して厳しく、寛容さに欠けるようになるでしょうか? 人に助けを求めることが苦手な人間になるでしょうか? 他人に力は貸さないという基本姿勢になっていくでしょうか?
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迷惑をかけるということと、助けられるということは違うと思います。 人は生まれ、育ち、老いて死んでいく・・・ その間に、人の手助けがなくて生きていける人などいないのです。 助けられ、助け、そして助けられて死んでいきます。 「迷惑をかける」ということと、「助けられる」という意味をごっちゃにしてはいけません。 「助けられた」けど「恩返しができなかった」というときに、 「迷惑をかけた」と表現する人もいますが、これは違うと思います。 「人に迷惑をかけるな」というのは、身勝手な行動や、間違った価値観で周りのひとを不快な思いにさせたり、損害を与えるな。 ということだと思います。 人は、助けられ、そして助け生きていきます。 故意ではなく、不可抗力で、迷惑をかけられてしまうこともあります。 相手に誠意があれば、許すことも「助け」です。 誰の手も借りず、そして、誰に手も貸さない生き方も 唯我独尊で、「迷惑をかけている」ということです。 しかし、最近は、 迷惑をかけても知らん顔・・・ 自分が先、自分さえ良ければ・・・ そんな価値観の人が増えてきましたね。 車を運転していると、若い女性、お年寄りが特にひどいです。
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- rinaly-k
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>状況認識とか考察の為に子どもが理解まで到達するのを待っていることよりも、 >わが子を強い口調で威圧して謝罪をせまる。 >それは「躾をしている親の姿」だと思っている人は多いのか? >という疑問で、今回の質問になりました。 そのように怒鳴っている本人だけがそう思っていると思います。 周りは、自分の子ではありませんから、冷静に見ることが出来ます。 なにも、そんなに怒鳴らなくても…という場面はよく見ます。 仕事先で、まさにそういう親御さんを見ました。 お子さんが、ちょっとやってはいけない事をしてしまい(私は見ていましたが、悪気は全然無かった、むしろやってはいけない事と知らなかっただけ)、それを別のお客さんに「お子さん○○してますよ」と注意されたんです。 そうしたらそのお母さんの剣幕がすごかった。怒鳴り散らし、どうしてそんなことをするのかと追求しながら、謝りなさいを連呼。 かわいそうにお子さんは、完全に萎縮して貝の様に口を閉ざしてしまいました。 謝りたくても謝れないよ、そんなに怒鳴ったらさ…と思い、私は助け舟を出す事にしました。 腰をかがめて優しく「やっちゃダメって知らなかったんだよね?今度からはやらないようにしようね、ごめんねって出来るかな?」と言ったら、ちゃーんと「ごめんさい」って言えるんですよ。 はっきり言って、その子のしたことよりも、お母さんの怒鳴り散らす声のほうが何倍も迷惑でした。「他のお客様もいらっしゃいますので、落ち着いてください」ってなだめる方が大変でした。 あまりにも徹底して厳しくされると「他人からかけられる迷惑に対して厳しく、寛容さに欠ける人。人に助けを求めることが苦手な人、他人に力は貸さないという基本姿勢の人」に育つと思います。 自分が許してもらってないし、助けてもらっていないから…。 これは生きていくうえで結構辛いです。 迷惑は誰でもかけるのです。絶対にかけないなんて無理です。 迷惑をかけたとき、どう対処すれば良いかを教えてあげるのが大事だと思います。謝るべきところなのか、ありがとうと感謝するべきところなのか。とにかく迷惑はダメ、というのは厳しいと思います。
お礼
ぴったりな体験談をありがとうございます。 >迷惑は誰でもかけるのです。絶対にかけないなんて無理です。 >迷惑をかけたとき、どう対処すれば良いかを教えてあげるのが大事だと思います。 >謝るべきところなのか、ありがとうと感謝するべきところなのか。 >とにかく迷惑はダメ、というのは厳しいと思います そう思います。あやまると感謝するの違いや選択は、いちいち掘り下げてよく考えさせたいところです。 ヒートアップして止まらず、頑としてひかない親を、わたしもよく見かけます。 親自身が、謝り方がわからないからとか、感謝の伝え方がわからないからですね。 自分の落ち度ばかりに関心が向いて、パニックになって、自分の攻撃力を全部、子どもに向けている。 自分が人に迷惑をかける親だなんていたたまれない、 この場をどう処したらよいのかわからない、 そんな不安があると、冷静になれないのでしょうか。
- RXH7
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すみません、 “唯我独尊で”ではなく、 “唯我独尊ではなく”です。 意味が全く逆なので・・・
言い聞かせるとう表現が曖昧ですね。 躾というか、家畜をてなづけるために、調教みたいなことをすればそうなる可能性はかなり高くなります。 どうしても、迷惑をかけざるをえなかった状態で、子供なりに最善のことを考えて行動したが、その理由を聞かず、迷惑かけた、駄目だ!なんていって、それに従順するようになればそうなる可能性が高くなります。思考停止にさせるようにすればそうなります。 >他人からかけられる迷惑に対して厳しく、寛容さに欠けるようになるでしょうか? 人に助けを求めることが苦手な人間になるでしょうか? 他人に力は貸さないという基本姿勢になっていくでしょうか? これは、上手く生きていくというものが欠けていると思います。 なぜ、上手くなのかと言えば、状況に応じて行動は変わるからです。 その状況を無視して、常にこれはこれと考えている人は、上手く生きていません。 子供に躾ける時に、状況を認識するように努めさせ、その上で適切かどうだったのか、を考えてさせ、聞いて、その誤りがあるなら、それを理解するように接していく必要があると思いますが、 この作業は、面倒です。楽を求める親はしないでしょう。 ある漫画に 一に眼というのを思い出しました。 以上、参考になれば。
お礼
よくわかります。柔軟に対応するには、時間を割かないと。 でなければ、その場にふさわしい結論は見えてこないと思います。 よく言い聞かせる=即座に強い口調で押し付けるでもなく、威嚇し萎縮させて従わせるではないし、大声でまくし立てて唱えて聞かすこと、ではないと自分は思います。 でも観察するうち、本当にそう信じてる人も現実に多いのか?と思ったのです。 一緒に状況分析して理解して正しく判断できるまで待つなんて、何分も何十分もかかるし、何時間もかかるかもしれないし、まどろっこしくてイライラするんでしょうか?言葉を選んだり考えたりが面倒だからでしょうか?待つのは面倒だけど、手っ取り早く「躾をしている親」の称号を得るために、「迷惑かけちゃだめでしょ」とスローガンのように子どもに早口で繰り返しきかせる姿を、周囲に見せてるんでしょうか。それをみて「ちゃんと躾をしている親だ」と評価する人って、多いんでしょうか? 状況認識とか考察の為に子どもが理解まで到達するのを待っていることよりも、わが子を強い口調で威圧して謝罪をせまる。 それは「躾をしている親の姿」だと思っている人は多いのか?という疑問で、今回の質問になりました。 納得のいく回答ありがとうございました。
- kyhr1688
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親が言うことをそのまま鵜呑みにするか、自分の力で考える人間であるかによって異なるでしょうから、一概には言えませんが、そんな傾向はあるでしょうね。 他人に迷惑をかけないことより、 他人に迷惑をかけたら、ちゃんと謝れる人間、それを繰り返さない人間になって欲しいものです。
お礼
最後の2行、同感です。自分の行動に対して、本心からの意思表明ができれば、時折かけてしまう迷惑などにおどおどせず、世の中渡っていけると思うんですよ。 親が謝るのが苦手で、コミュニケーション不得手なことを、子どもの迷惑行為を一切禁じることで隠蔽しようとしてるように見えて、街角で叱られている子どもたちが気の毒なのです。 その、周囲に対して小さくなりすぎというか、謝れば済むような行為すら怖い親たちって、 昔から「人に迷惑だけはかけるな」と言われて育ってきた結果そのものでは?と思ったのです。 ありがとうございます。
>他人からかけられる迷惑に対して厳しく、寛容さに欠けるようになるでしょうか? いいえ。それとこれとは別物です。 >人に助けを求めることが苦手な人間になるでしょうか? それとこれとも別物です。 >他人に力は貸さないという基本姿勢になっていくでしょうか? それとこれとも別物です。 他人に迷惑をかけないようにきっちりと育てられた子は、 周囲に神経を配り、自分がするべきことをきっちりする分、 他人に対しては許容量が大きくなる傾向があります。 ろくに躾をされていない子が、目があった、顔つきが気に入らない というだけで、すぐに喧嘩をするのと対極にあります。
お礼
早速の簡潔な回答ありがとうございます。 そうですね、相手の立場を想像でき、かつ自分のすべきことの判断基準を持ち自信をもって動けるように誘導してやればいいのですよね。 自信がないから喧嘩を売るんですしね。 母親自身が周囲の目に耐えかねて、迷惑はかけちゃだめでしょ、とのネガティブな一点張りをしてるのを街でよく見かけるので、疑問に思ったのです。 他人の立場に立ちなさいと頑固に叱っている本人が、実は状況や子どもの立場を正確に読み込めておらず誤解したまま、親が「迷惑はかけない」だけに固執しているシーンをよくみます。 ここは親の権威を守らねば、という権幕で、無条件に最優先に叱っている場面をよく見かけるので、疑問になりました。ありがとうございます。
お礼
>「迷惑をかける」ということと、「助けられる」という意味をごっちゃにしてはいけません。 そうなんですよね。厳密にわけたいところです。人同士助け助けられながら生きるのだと思います。 すれ違った赤の他人に、たまたま、力を借りて助けてもらう。 それは「助けてもらう行為」だと思います。 けれども、それを「迷惑行為」と呼ぶ人がいるように思います。 人の歩行を中断させる、ヘマしたりトロい人間にでくわすと、 迷惑行為だ、進路妨害だ、周囲の人に注意力を使わせるな、街にでてくるな、と。 「自分の力を少しでも利用されることは全て迷惑行為」という基準で通行しているのでしょうか。 「息するのと同じようなどうってことない小さな助ける行為」を 「すれ違いざまの協力の強要と同じだから迷惑行為」と、断固批判する若い人がよくいます。 そういう人は、自分やわが子のそういう行為も許せず、受け入れられないはずです。 そして、自分やわが子が、 (人に損失を与えたり不快感をあたえはしないか)はもちろん、 (人の助けや力を借りたり利用してないか)などということにまでビクビクしているように見えます。 親が「人に迷惑はかけたらだめ」と、掘り下げもせずに決まり文句として口にしていると、 「迷惑掛けて何が悪い」的な、反発を撒き散らして通行する若者か、 「迷惑」の意味を拡大解釈して、「助け」まで拒否し、ビクビクオドオドのどちらかに育つのかな、と感じたわけです。 よくわかってきました、ありがとうございました。