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天理教について

お世話様です。 以前、http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4604045.html にて質問させて頂きました。 その後、何とか子供ができないかとがんばってみましたが、 やはり子供を授かりません。 そこで、舅より、天理教の先生に離婚について相談してみては? と言われ、教会に連れて行かれ、悟りを頂いたところ、 ・「(離婚すると、今、私が運営している)会社がダメになる。」 ・「あんたの徳がないので、修養科に行きなさい。」 と言われました。 お尋ねしたいのは? ●天理教では、朝晩、おつとめ(お参り)をしますが、これをしないと、まともに生きることができないと言われましたが、実際、どうなんでしょ? ●離婚すると、本当に会社がダメになるのか? ●修養科に行くと、人生が好転するのでしょうか?

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  • michael-m
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回答No.4

私は天理教ではありません。しかし基本的に天理教を嫌う事もありません。 どのような宗教でも懐疑心を持っていたのでは、信仰に触れない生活よりもいい生活は送れないと確信しています。 つまり中途半端な生活が一番悪いということです。 信者になるかどうかということは信仰とは全く関係がありません。これがそもそも間違いなのです。 信者であってもいい加減な生活をして報われる事はなく、逆に信者になって居なくても、敬神崇祖の礼節を持った生活をすれば、単に信者と言う人以上に報われるということです。 また、信仰による「報い」は現世利益ではありません。現世利益を求めるのに信仰は関係ありません。現世での努力をすればいいだけです。 現世至上主義であるならば、現世の努力をすれば報われて当然でしょう。 とかく人は弱いもので、宗教で得られるのは心の平安と来世での報いだけなのに、現世利益を宗教に求めてしまいますし、そう主張する誤った熱狂的信者や教祖まで居ます。 子供が授からないことについては医学的見地からも判断する必要があるでしょう。卵子或いは精子がなければ子供を授かる事は出来ないのですから。 子供の価値観についても個人的なものなので、あるべきとも、なくてもいいとも言えません。それによって何らかの方法を取るのも二人で決めることです。 ただ、なぜ子供が必要なのかをもう一度考えた方がいいでしょう。自分の望みなのか、周囲の希望なのか、子供ができて仕事が出来るのかどうか… 宗教面での子供の役割については、誤った認識が多く見けられます。 子供が出来ない=徳がない、因縁が深いというのは必ずしも正しくはありません。 天理の教えではどうだか判りませんが、アチラの世が主体の宗教でありながら、子供ができない事が悪い事だと言うのは間違っていると私は考えています。 この世が修行の場であるならば、修行を終えればこの世に留まる理由はありません。子を産む苦しみも育てる苦労も全て修行であり、因縁を消す行です。 子が出来ないのは一つには因縁が遭わない事もありますが、そのような行を必要としない者であると言う事も出来ます。 家系においても、家系の全ての因縁がなくなれば、因縁を継ぐ者も出来ませんから子供は出来ません。つまり「全うした者」ということになります。 人の死を「修行を終えた」と言いつつ子が出来ない事を「因縁深い」と言うのは矛盾しているとは思いませんか? これは一つの解釈ですから、どう考えても構いませんが、自分が本当に子供を必要として居るのかどうかを考えましょう。 天だって、あまり必要を感じない人に子供を授けても、親も子供も悲劇だと思うのではないでしょうか。 離婚と会社経営については、様々な面で影響するかどうかが決まります。一概に関係ないとも言えないのです。 もちろん精神的な面もありますが、例えば外国企業ではやはり夫婦仲がいい事が信頼性の証しである事古少なくりません。実際、外国の企業化の多くは夫婦の写真を大事にしているでしょう。大統領や首脳も大切な会議に夫婦で臨みます。 一方だけでいいなんて考えているのは日本ぐらいなものです。 しかし、だからといって離婚が会社経営に暗雲をもたらすとは必ずしも言えず、独りになってしがらみが消えて、成功する女性起業家も少なくありません。

mikichan-e
質問者

お礼

ありがとうございました。

その他の回答 (3)

noname#227567
noname#227567
回答No.3

17~20年ぐらい前か、当時(現在もか?)の教祖の妻とかいう女が、家にきて「手伝いの”真似事”」をしていました。 ただし、俺の母親が「献金(無駄の極み。そのせいでウチは大金を失いました)」をしたからであり、献金終了→そのまま「なしのつぶて」です。 結局、俺の母親は病院の死亡診断書では「肺炎で死亡」ですが、実際は「狂い死に」以外の何物でもありませんでした。 もともとそうなってもおかしくない状態でしたが、天理教にはつけこむためのカモであったのです。  もしこの回答が削除されたら、天理教の連中が「圧力をかけた」と思ってください。それ以外には考え難いし。「フォルダで保存」とかしてくれれば、幸いです。 やつ等のいってることで、現実的なのは、「離婚」ぐらいです。可能性としては「家庭に問題があり、それを自分で解決できない者」というレッテル張りはあるでしょう。 しかし、「お勤めしないとまともに生きることができない」などというタワゴト、「霊感商法」・「人生の騙し取り」以外の何だというのでしょう?

mikichan-e
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#155097
noname#155097
回答No.2

>実際、どうなんでしょ? 天理教の信者としてはそうなんでしょう。 >本当に会社がダメになるのか? その可能性はあります。 >修養科に行くと、人生が好転するのでしょうか? 好転するはずです。 信心というのはそういうものです。 信じるなら信じる。 信じないなら、不妊の相談は不妊治療の専門家に相談するべきでしょう。 それとも、そちらはすでに済んでいますか? ちなみに天理教の関係者ではありません。

  • Us-Timoo
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回答No.1

信仰にすがるだけで、物事が全てうまくいくのなら 願いを叶えたいひとや苦しいことがある人はみんな信仰にすがることでしょう。 『心の拠り所』という意味では 信仰はある意味有効であろうかとは 思いますが、信仰にすがるだけで、 或いはご本尊に祈るだけで 物事が好転したりはしません。 確かに祈っていれば何時かいいことがあれば そのお陰でそうなったように 感じることもあるでしょう。 しかし、実際には現代の信仰には そんな力などありません。 ご自分が生きていく為の指針にされるのは 構いませんが、鵜呑みに信じると馬鹿をみることになりますよ

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